青春を求めて実力主義の教室へ   作:リリリリら

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三十九話

九月に入り、高度育成高等学校での二学期が本格的に始動した。 

 

俺たち生徒にとって、二学期は数多くの行事が待ち受ける多忙な時期でもある。

 

そして今日、ホームルームの時間。

Dクラスの担任である茶柱佐枝は、教壇に立つなり、その口から新たな学校行事――『体育祭』の開催を告げた。

 

「これより、来月行われる体育祭のルールについて説明する。よく聞いておけ」

 

茶柱はそう言うと、黒板にチョークでカツカツと詳細なルールを書き出し始めた。

 

黒板に記されたその内容は、単なる生徒の親睦を深めるためのお遊戯会などではなく、紛れもない『クラス対抗のサバイバル』の様相を呈していた。

 

茶柱の説明によると、体育祭の基本ルールは以下の通りだ。

 

まず、全学年共通で、AクラスとDクラスが『赤組』、BクラスとCクラスが『白組』に分けられ、各種競技で得点を競い合う。

 

事前に、どの競技の何戦目に誰が参加するかという『参加テーブル』を登録する必要がある。

 

競技の結果によって個人毎に得点が入り、その合計で個人賞やペナルティが決定される。

 

【個人報酬とペナルティ】

• 全学年で最も高得点を得た1名(最優秀生徒)には、10万プライベートポイント(pp)が付与される。

 

• 各学年で最も高得点を得た1名(学年別最優秀生徒)には、1万ppが付与される。

 

• 逆に、総合成績下位10名の生徒には、『二学期中間テストで全教科10点減』という、赤点ギリギリの生徒にとっては退学に直結しかねない致命的なペナルティが課せられる。

 

さらに、クラス毎の合計点で学年内の順位を競い、その順位によってクラスポイント(cp)が大きく変動する。

 

【クラス順位報酬とペナルティ】

• 学年1位クラス:プラス50cp

• 学年2位クラス:変動なし

• 学年3位クラス:マイナス50cp

• 学年4位クラス:マイナス100cp

 

そして極め付けは、赤組と白組のチーム勝敗による変動だ。

 

勝った組のクラスはポイント変動なし(0cp)だが、負けた組のクラスは、両クラスともに『マイナス100cp』という手痛いペナルティを受けることになる。

 

「ルールはまだあるぞ」

 

茶柱は、顔を青ざめさせる生徒たちを見回しながら、淡々と説明を続ける。

 

競技には『全員参加』と『推薦参加』、そして『個人競技』と『団体戦』の区別がある。

 

『個人競技』には、さらに細かい個人報酬とペナルティが設定されている。

 

【個人競技の報酬とペナルティ】

• 1位:5000pp または 次回中間テストで3点増(選択制)

• 2位:3000pp または 次回中間テストで2点増(選択制)

• 3位:1000pp または 次回中間テストで1点増(選択制)

 

• 最下位:マイナス1000pp(払えない場合は次回中間テストで1点減)

また、『推薦参加』で登録された者が怪我などのアクシデントで参加できなくなった場合、その枠は欠場扱いとなる。代役を立てることは可能だが、それにはクラスから『10万pp』という高額な代償を支払う必要があるらしい。

最後に、黒板には当日の競技の順番と内容が書き出された。

 

① 100メートル走(全員参加/個人競技)

② ハードル競走(全員参加/個人競技)

③ 棒倒し ※男子限定(全員参加/団体戦)

④ 玉入れ ※女子限定(全員参加/団体戦)

⑤ 男女別綱引き(全員参加/団体戦)

⑥ 障害物競走(全員参加/個人競技)

⑦ 二人三脚(全員参加/団体戦)

⑧ 騎馬戦(全員参加/団体戦)

⑨ 200メートル走(全員参加/個人競技)

⑩ 借り物競争(推薦参加/個人競技)

⑪ 四方綱引き(推薦参加/団体戦)

⑫ 男女混合二人三脚(推薦参加/個人競技)

⑬ 3学年合同1200メートルリレー(推薦参加/団体戦)

 

「……以上だ。質問はあるか?」

 

茶柱がチョークを置くと、教室の中は重苦しい沈黙と、戸惑いの声で満たされた。

 

「マジかよ……最下位になったらテストの点数減らされるのかよ!?」

 

池が頭を抱えて絶叫する。

 

「テストの点数が買えるってのはすごいけど……クラスポイントマイナス100とか、リスク高すぎない!?」

 

軽井沢も、深刻そうな顔で黒板を見つめていた。

 

特別試験とは明言されていないが、これは実質的な特別試験そのものだ。

俺はノートの端にルールを適当に書き写しながら、小さく息を吐いた。

 

(……体育祭か〜)

 

俺――呉 刃叉羅の内心は、クラスメイトたちの悲壮感とは裏腹に、どこかウキウキとしたものだった。

 

クラスポイントがどうだとか、ペナルティがどうだとか、そういう学校側の嫌らしいシステムはどうでもいい。

 

俺にとって重要なのは、この『体育祭』というイベントが、実に『普通の高校生らしい、青春を象徴する行事』であるという事実だった。

 

(運動着を着て、クラスメイトと汗を流して、競技で競い合う……。最高に学校っぽいイベントが来たな。……ひよりの体操服姿も、確実に見られるわけだしな)

 

俺の口角は、無意識のうちにだらしなく緩んでいた。

 

運動能力において、俺がこの学校の生徒たちに後れを取ることは、天地がひっくり返ってもあり得ない。適度に手抜きをして目立たないように順位を調整しつつ、クラスにそこそこの貢献をする。あとは、愛しの彼女の活躍(おそらく運動は苦手だろうが、一生懸命走る姿は間違いなく可愛い)を目に焼き付けるだけだ。

 

「よし、ホームルームはこれで終わりだ。各自、競技の参加テーブルについて話し合っておけ」

 

茶柱の言葉と共に、チャイムが鳴り響いた。

 

平田や堀北が中心となって、今後の体育祭に向けた話し合いの段取りを決め始めているのを横目に、俺は早々にカバンを手に取った。

 

放課後は、ひよりと図書室で一緒に新刊を読む約束をしている。こんな面倒な話し合いに付き合って、貴重な逢瀬の時間を削るつもりは毛頭ない。

 

「じゃ、俺はこれで」

 

「あ、待って呉くん。体育祭の出場種目の希望とか……」

 

平田が声をかけてきたが、俺はひらひらと手を振った。

 

「俺は空いてる枠でいいよ。全部適当に合わせて走るから、任せる」

 

「そ、そう……? 分かった、ありがとう」

 

足早に教室を後にし、ひよりの待つCクラスの教室へと向かおうとした、その時だった。

 

『――ピンポンパンポーン』

 

校内放送のチャイムが鳴り、スピーカーから聞き慣れた冷たい声が響き渡った。

 

『一年Dクラス、呉 刃叉羅。至急、職員室まで来なさい。繰り返す、一年Dクラス、呉 刃叉羅――』

 

「……あ?」

 

俺の足がピタリと止まった。

声の主は、間違いなく担任の茶柱だ。

 

(なんだ? 俺が何か呼び出されるようなヘマをしたか?)

 

記憶を辿ってみるが、心当たりは全くない。授業態度は真面目だし、テストの点数も常に75点前後をキープしている。無人島や優待者試験でも、目立つような行動は一切とっていない。

 

不良行為をしているわけでもない俺が、わざわざ校内放送で呼び出される理由など皆無だった。

 

「……チッ。面倒な」

 

俺は舌打ちをし、ポケットから端末を取り出した。

 

『ごめん、ひより。担任から急な呼び出しを食らった。大した用じゃないと思うけど、先に行っててくれ』

 

とメッセージを送信する。

数秒後、すぐにひよりから『分かりました。図書室で、本を読みながら待っていますね。気をつけてください』という、可愛いウサギのスタンプ付きの返信が来た。

 

(よし。あの冷血教師の話なんて、三分で終わらせてやる)

 

俺は踵を返し、足早に職員室へと向かった。

 

職員室に入ると、茶柱は自分のデスクから立ち上がり、「ついてこい」とだけ言って歩き出した。

 

向かった先は、職員室の奥にある、窓のない殺風景な『生徒指導室』だった。

ガチャリと重いドアを閉め、茶柱はパイプ椅子に腰を下ろした。

 

俺は椅子に座るよう促されることもなかったので、腕を組んで立ったまま彼女を見下ろした。

 

「……で? 呼び出されるようなことをした覚えは、全くないんですけど?」

 

俺が不機嫌さを隠さずに尋ねると、茶柱はタバコを取り出して火をつけ、紫煙を細く吐き出した。

 

「そう警戒するな。……いや、なに。お前がこの学校に馴染めているかの、ただの確認のようなものだ」

 

「確認?」

 

「ああ。ここに来るまで『学校』というものに一切通ったことがないお前が、この特殊な高度育成高等学校という環境で、うまく適応できているのかと少し気になってな」

 

茶柱の言葉を聞いて、俺の脳内に、ある推論がスッと組み上がった。

 

(……なるほど。この女は、俺の過去について『学校に通ったことがない』という表面上の情報しか知らされていないのか)

 

俺は、表情を変えずに内心で納得した。

当然といえば当然だ。

 

俺がこの、外部との接触を一切禁じられている特殊な高校に入学できたのは、一般の受験プロセスを経たからではない。

 

この高度育成高等学校への入学にあたり、俺は坂柳理事長の元へ直接赴き、直談判をした経緯がある。

 

一三〇〇年に及ぶ血塗られた暗殺一族『呉』の素性と、俺自身が歩んできたこれまでの過去。それを包み隠さず明かした上で、「普通の学校生活を送ってみたい」と願い出た俺に対し、温和な理事長も流石に目を見開いて驚愕を隠せない様子だった。

 

重い沈黙の後、理事長は探るような鋭い視線で俺にこう尋ねた。

 

『――もし、私があなたの入学を断ったら、どうするつもりですか?』

 

『断るというなら……潔く諦めますよ。無理に潜り込んでも、普通の学生生活なんて送れませんからね』

 

俺は至極真面目に、本心からそう答えた。俺はただ普通の青春を味わいたいだけで、学校と戦争をする気など毛頭なかったからだ。

 

だが、結果として理事長は少しの沈黙の後、俺の入学を特例として許可してくれた。

 

『よろしいでしょう。ただし、絶対条件が二つあります』

 

『敷地内において、いかなる理由があろうとも人を殺さないこと』

 

『私の娘である、坂柳有栖には決して危害を加えないこと』

 

この狂った学校へのパスポートをくれた理事長には、素直に感謝している。

 

だが、後になって冷静に考えてみれば当然の話だ。俺としては純粋な『お願い』のつもりだったが、暗殺一族の人間がわざわざ素性を明かして直談判に来たのだ。学校のトップである彼からすれば、『もし断れば、娘や学校にどんな危害が及ぶか分からない』という最悪のケースを想定せざるを得なかったのだろう。

 

向こうからしてみれば、あれはどう考えても断りようのない『脅迫』にしか聞こえなかったはずだ。 

 

(理事長も、俺の素性や直談判の経緯を、一介のクラス担任ごときにペラペラと話すわけがないか。……だから茶柱は、俺のことを『なんらかの特殊な事情で学校に通えなかった、得体の知れない生徒』程度にしか認識していないってわけだな)

 

俺の中で、茶柱という人間の脅威度が、ストントンと音を立てて底辺まで下落していった。

 

「ええ。おかげさまで、毎日とても楽しく過ごしていますよ。友達もできましたし、彼女もできましたからね」

 

俺は、完璧な事なかれ主義の生徒の仮面を被り、にこやかに答えた。

 

「じゃあ、確認はそれだけですね? 彼女を待たせているので、帰ってもいいですか」

 

俺が背を向けようとした、その瞬間。

 

「……お前、手を抜いているだろう?」

 

茶柱の、低く、探るような声が、俺の背中に突き刺さった。

 

俺は足を止め、ゆっくりと振り返った。

茶柱は、デスクの上に置かれていた俺の成績表の束を指でトントンと叩いていた。

 

「普段の小テストも、最初の春の中間テストも……お前は常に『75点前後』という点数をキープしている。決して赤点は取らないが、上位に食い込むこともない。……意図的に点数を抑えているな?」

 

「……」

 

「体育の授業でもそうだ。須藤のような派手な動きは見せないが、どんな競技でも無難に平均以上の成績を出し、決して息一つ乱さない。……お前は、本当はもっと高い能力を持っているはずだ」

 

(……ちっ。まあ、過去問が出回っていた中間テストは、周りに合わせて適当にもう少し点を取るべきだったな)

 

俺は心の中でため息をついた。

暗殺者として目立たないように平均値を狙うのは得意だが、継続してピタリと平均を取り続けること自体が、この狂った学校では逆に不自然さを生んでしまったらしい。

 

「……だとしたら、何か?」

 

俺が面倒くさそうに返すと、茶柱は立ち上がり、俺に真っ直ぐに視線をぶつけてきた。

 

「本気を出せ、呉」

 

「は?」

 

「Dクラスは、決して不良品の集まりではない。綾小路や高円寺、お前のような規格外の生徒が隠れている。……お前が本気を出し、クラスのポイントを稼ぐために動けば、Dクラスは確実に上に行ける。Aクラスを目指すために、クラスを上に押し上げろ」

 

茶柱の瞳には、Aクラス昇格という己の執念とも言うべき、どす黒い炎が宿っていた。

 

彼女がなぜそこまでAクラスにこだわるのかは知らないが、そんな個人的な事情に付き合わされる義理は、俺には一ミリもない。

 

「……話にならないですね」

 

俺は、冷たく吐き捨てた。

 

「俺は、Aクラスなんていう肩書きには一ミリも興味がないんですよ。俺の目的は、この学校で三年間、ただ平穏に、普通の高校生活を楽しむことだけだ。……あんたの野心のための駒になるつもりは、毛頭ありません」

 

俺がはっきりと拒絶すると、茶柱の表情が、スッと氷のように冷たいものへと変わった。

 

「そうか。……それなら、お前は退学になるな」

 

「……はぁ?」

 

俺は、思わず眉をひそめた。

 

「お前は自分の立場を理解していないようだな、呉。ここは実力至上主義の学校だ。担任である私には、生徒を評価する絶大な権限がある」

 

茶柱は、タバコの灰を落としながら、悪びれる様子もなく脅迫の言葉を紡いだ。

 

「たとえお前がテストで点を取っていようと、素行不良や規律違反を理由に、いくらでもでっち上げてお前を退学に追い込むことができるんだぞ。……Aクラスを目指すか、このまま何もせず学校から追放されるか。選べ」

 

(――――なるほどな)

 

俺の脳内で、全てのパズルのピースがカチリと音を立ててはまった。

 

無人島の特別試験の時。あれほど目立つことを嫌い、事なかれ主義を貫いていた綾小路清隆が、突如として裏で盤面を操作し、Dクラスを勝利に導いた理由。

 

あいつもおそらく、この女に何らかの弱みを握られ、同じように『退学』というカードで脅迫されて、無理やり動かされたのだ。

 

(哀れな影の支配者さんだ。……だがな、茶柱先生。俺はあいつほど、優等生じゃねえんだよ)

 

「……脅迫、ですか?」

 

俺の声から、完全に温度が消え失せた。

 

「何とでも取れ。私にはそれができる権限があると言っているんだ」

 

茶柱が強気な態度を崩さない。

 

俺は、小さく「はぁ」とため息をつき。

ブレザーのポケットから、黒い長方形の小さなデバイス――高性能なボイスレコーダーを取り出し、茶柱の目の前で軽く振ってみせた。

 

「……なんだ、それは?」

 

茶柱が怪訝そうに眉をひそめる。

 

「いやなに。俺みたいな環境で育った人間は、初対面の相手や、こういう密室での会話を録音しておく癖があってね。……もちろん、今の『でっち上げて退学にする』っていう立派な脅迫も、ばっちり高音質で録音されてるよ」

 

「なっ……!?」

 

茶柱の顔から、一瞬にして余裕が消し飛んだ。

 

「さて、どうする? あんたはこの音声データを無視して俺を退学にする権限を行使するかもしれないが……俺は、このデータを坂柳理事長に直接提出するルートを持ってるんだわ」

 

俺は、ニヤリと、暗殺者としての極めて冷酷な笑みを浮かべた。

 

「俺が不当に退学になるか、それとも、生徒を脅迫した教師としてあんたがクビになるか。……どっちが勝つか、試してみるか?」

 

「お前……っ!!」

 

茶柱はギリッと歯を食いしばり、俺を射殺さんばかりの鋭い目つきで睨みつけた。

 

だが、彼女は何も言えなかった。

教師という立場を利用した脅迫が、学校のトップに筒抜けになれば、彼女の教員生命が終わることは火を見るより明らかだからだ。それに、俺が理事長と直接繋がっているというブラフも、彼女の疑心暗鬼を煽るのに十分な効果を発揮していた。

 

「……だんまりってことは、この話は無かったってことでいいんだな」

 

俺はボイスレコーダーをポケットにしまい、背を向けてドアのノブに手をかけた。

 

「あ、そうだ。最後に一つだけアドバイスしておいてやるよ」

 

俺は振り返らずに言った。

 

「次、俺の平穏な生活を理不尽な理由で脅かそうとしたら、あんたのその野心ごと、完全にへし折ってやるからな。……いい加減、生徒を自分の駒にするのはやめることだな、愚師」

 

それだけを言い残し、俺は生徒指導室を後にした。

背後からは、茶柱が苛立ちのあまり机を蹴り飛ばす鈍い音が聞こえたが、俺の知ったことではない。

 

「……ふぅ。無駄な時間を使っちまった」

 

冷房の効いた静かな廊下を歩きながら、俺は首の骨をポキポキと鳴らした。

あの女の執念は少し面倒だが、ボイスレコーダーの抑止力がある以上、これ以上表立って俺を攻撃してくることはないだろう。

 

俺の足取りは、自然と速くなっていた。

向かう先は一つ。俺の心の聖域であり、世界で一番可愛い彼女が待つ場所。

 

図書室の扉を開けると、いつもの窓際の特等席に、銀色の髪をした少女の姿があった。

 

夕暮れ時の淡い光に包まれながら、静かに本に視線を落としている彼女の姿は、まるで一枚の美しい絵画のようだった。

 

俺の足音に気づいたひよりは、パタンと本を閉じ、花が咲くような笑顔で顔を上げた。

 

「刃叉羅くん、お疲れ様です」

 

その声を聞いた瞬間。

職員室でのギスギスとしたやり取りや、茶柱の醜い野心など、俺の心にこびりついていた微かな汚れが、一瞬にして浄化され、綺麗さっぱり消え去っていくのを感じた。

 

(……マジで、ひよりは俺の精神安定剤だな)

 

俺は彼女の向かいの席に腰を下ろし、深く安堵の息を吐いた。

 

「待たせてごめんな、ひより。遅くなっちゃった」

 

「いえ、私も本を読んでいたので大丈夫ですよ。……その、先生の呼び出しは、大丈夫でしたか? 何か叱られたりとか……」

 

ひよりが、少しだけ心配そうに上目遣いで俺の顔を覗き込んでくる。

 

俺は、先ほどの茶柱との血生臭い(?)攻防戦のことなど微塵も出さず、極めて爽やかな笑顔で答えた。

 

「ああ、全然大したことなかったよ。ただの『高校生活にちゃんと馴染めてるか?』っていう、担任としての面談みたいなもんだった」

 

「そうだったんですか。……ふふっ、刃叉羅くんが不良行為をして怒られたわけじゃなくて、安心しました」

 

ひよりが胸をなで下ろすのを見て、俺は「俺がそんなことするわけないだろ」と笑って彼女の頭を軽く撫でた。

 

「それより、体育祭のことだけどさ。ひよりはどの競技に出るんだ?」

 

「私は……運動はあまり得意ではないので、全員参加の種目だけにしようかと思っています。刃叉羅くんは?」

 

「俺は適当に走るだけだ。……でも、ひよりの玉入れは絶対に見に行くからな。一番前で応援してやる」

 

「も、もうっ……恥ずかしいですから、あまり見ないでくださいね?」

 

顔を赤くして俯くひよりが可愛すぎて、俺は声を出して笑いそうになるのを必死に堪えた。

 

窓の外では、秋の訪れを告げる涼しい風が吹き始めている。

 

「さあ、今日はどこまで読んだか教えてくれ」

 

「はいっ。実はこの後、驚きの展開が待っていて……」

 

暗殺者の少年は、愚かな教師の脅迫を一笑に付し、世界で一番大好きな天使と共に、インクの香りに包まれた聖域で、穏やかで甘い時間を心ゆくまで楽しむのだった。

 

 

 

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