青春を求めて実力主義の教室へ   作:リリリリら

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四十八話

ペーパーシャッフルのペアが決定してから数日が経ち、一年Dクラスの放課後は、来るべき期末テストに向けた『勉強会』の熱気に包まれていた。

 

退学という絶対的なペナルティが設定されている以上、赤点候補の生徒を放置することはクラス全体の死を意味する。

 

そのため、放課後の教室では、各所でグループに分かれた大規模な学習指導が行われていた。

 

「山内くん、手が止まっているわよ。無人島であれだけ迷惑をかけたのに、今度は退学になってクラスポイントを減らすつもりかしら?」

 

「ヒィッ! す、すんません堀北さん! 今解きます!」

 

教室の真ん中では、堀北鈴音が、池寛治や山内春樹、須藤健といったクラスの『問題児(赤点候補)トリオ』を集め、容赦のないスパルタ教育を施していた。

 

体育祭を経てクラスのリーダーとしての自覚が芽生えた堀北は、彼らを絶対に見捨てず、その代わり一切の甘えも許さない厳しい管理体制を敷いている。

 

一方で、俺――呉 刃叉羅の席の周りには、軽井沢恵、佐藤麻耶、松下千秋といった、いつもの女子グループが集まっていた。

 

「ここは公式の応用だから。基本の形に当てはめればすぐ解けるだろ」

 

「あーっ、なるほど! 呉くん、教えるのめっちゃ上手い! 学校の先生より分かりやすいかも!」

 

俺のペアである軽井沢はもちろん、佐藤たちも俺の教え方が「無駄がなくて分かりやすい」と気に入ってくれているらしい。

 

人体構造から物理法則まで、あらゆる知識を幼い頃から叩き込まれてきた俺にとって、高校一年生の学習範囲の要点を抽出して教えることなど、息を吸うのと同じくらい容易いことだった。

 

「呉くん、こっちの英語の和訳も教えてー」

 

「おいおい、そこは昨日やった単語の組み合わせだろ。自力で少しは思い出せ」

 

適度に冗談を交えながら、スパルタと甘やかしのバランスを取って指導していく。

 

少し離れた席では、平田洋介も相変わらずの聖人スマイルで他の生徒たちの面倒を見ているし、王美雨(みーちゃん)も丁寧に女子生徒たちに勉強を教えている。

 

そんな和やかな(一部は堀北の怒号に悲鳴を上げているが)教室の空気の中、教壇の前に一人の男子生徒が立った。

 

学力テストで常にクラス上位に君臨する、幸村輝彦だ。 

 

「……あのさ。少し、いいか」

 

幸村の突然の声に、クラスメイトたちの視線が集まる。

彼は、少し気まずそうに眼鏡のブリッジを押し上げながら続けた。

 

「俺は、無人島での特別試験でも、この前の体育祭でも、運動やサバイバルが苦手で……結局、クラスの役に立つことができなかった」

 

幸村は、己の無力さを噛み締めるように、言葉を絞り出した。

 

「……だが、勉強なら。これなら、俺もクラスの力になれる。俺の学力なら、教えることくらいはできるはずだ」

 

彼の不器用ながらも真摯な言葉に、クラスの空気が少しだけ温かくなる。

しかし、彼はワイワイと騒ぎながら勉強している池たちや、俺の周りの女子たちをチラリと見て、明確に線を引いた。

 

「ただ、俺はここのように騒がしい環境で教えるのは苦手なんだ。……だから、少人数で、静かに集中して勉強したい奴がいれば、俺がカフェかどこかで教える。誰か参加する奴はいるか?」

 

幸村の提案は、非常に合理的だった。

堀北のスパルタや、俺たちの賑やかな勉強会とは違う、静かな環境を好む生徒にとっては、幸村の少人数指導はありがたいはずだ。

 

「……じゃあ、俺が頼もうかな」

 

真っ先に手を挙げたのは、三宅明人だった。弓道部で鍛えられた落ち着いた雰囲気を持つ彼は、確かに騒がしい教室よりもカフェでの勉強が向いていそうだ。

 

「アタシもお願いしようかなー。みーちゃんのところ、結構人いっぱいだし」

 

続いて、マイペースな長谷部波瑠加も参加を表明した。

 

「……俺も、いいか?」

 

そして、三宅と長谷部の流れに乗るように、無気力な影の支配者・綾小路清隆も手を挙げた。

 

「ああ、構わないぞ。三宅、長谷部、綾小路だな。……他にいるか?」

 

幸村が確認すると、教室の隅でモジモジとしていた佐倉愛里が、小さな声で、しかし決意を秘めたようにおずおずと手を挙げた。

 

「あ、あのっ……わ、私も……お願いしても、い、いいでしょうか?……」

 

佐倉は顔を真っ赤にして俯いてしまったが、その健気な動機は察しのいい人間にはバレバレだった。

 

(なるほど。綾小路の奴、また新しいコミュニティに巻き込まれてるな)

 

俺は、幸村、三宅、長谷部、綾小路、佐倉の五人が連れ立って教室を出て行くのを見送りながら、内心で面白がっていた。

 

一見すると接点のなさそうな五人だが、独特の落ち着いた波長が合っているように見える。後々、クラスの中でも強固なグループになりそうな予感があった。

 

「さてと」

 

俺は手元の時計に目を落とした。

時刻は、放課後の勉強会がスタートしてからちょうど一時間が経過したところだ。

 

「よし、お前ら。今日の俺の指導時間はここまでだ」

 

俺はペンを置き、ノートをパタンと閉じた。

 

「ええーっ!? もう終わり!? まだ一時間しか経ってないよ呉くん!」

 

軽井沢が不満そうに声を上げる。

 

「一時間で今日のノルマの要点は全部叩き込んだはずだ。人間の集中力なんて、ダラダラやっても一時間で切れるんだよ。あとは自分たちで復習して定着させろ。分からなければ、平田に聞くんだな」

 

俺がカバンを肩に担いで立ち上がると、佐藤がニヤニヤしながら俺の顔を覗き込んできた。

 

「もー、呉くんったら。どうせこの後、椎名さんのところに行くんでしょー?」

 

「愛しの彼女が待ってるから、一分一秒でも早く行きたいのよねー。分かりやすいわぁ」

 

松下もクスクスと笑いながらからかってくる。

 

「当たり前だろ。世界で一番可愛い俺の天使が、図書室で俺を待ってるんだ。お前らの相手をしてる場合じゃないんでね」

 

俺が一切の照れもなく堂々と宣言すると、女子たちは「うわぁ……」とドン引きしたような、それでいて羨ましそうな声を上げた。

 

俺は、平田や堀北たちに軽く手を挙げて挨拶し、足早に教室を飛び出した。

 

廊下を歩く足取りは、自然と羽が生えたように軽くなる。

ペーパーシャッフルの退学のプレッシャーも、クラスの人間関係も、図書室の扉を開けた先にあるインクの香りと、彼女の銀色の髪を見た瞬間に、全てがどうでもよくなるのだ。

俺は、今日も最高の『青春』を謳歌すべく、愛しい彼女の待つ聖域へと向かった。

 

 

それから、数日後。

十月二十日の、夜。

俺の部屋には、すっかり顔馴染みとなった珍客が訪れていた。

 

「……美味い」

 

ローテーブルの向かい側で、綾小路清隆が、俺の作った『特製・ホイコーロー定食』を、相変わらず無表情のまま、しかし凄まじいスピードで胃袋へと流し込んでいた。

 

「美味いだろう?豚肉もわざわざ良いブロック肉を仕入れてきてやったんだからな」

 

「相変わらず、お前の料理スキルには驚かされるばかりだ。コンビニの味気ない飯では満足出来なくなってしまった」

 

綾小路は、白米の上にホイコーローを乗せ、もの凄い勢いで口へと運んでいく。

 

俺は自分の分の定食をあらかた食べ終え、食後のジャスミン茶をすすりながら、彼を眺めていた。

 

だが、今日のこいつは、どこか様子がおかしかった。

暗殺者として、他者の微細な筋肉の硬直、呼吸の乱れ、心拍数の変化を読み取る俺の眼力は、綾小路の纏う『空気の違い』を敏感に感じ取っていた。

 

普段の綾小路は、完全に感情を切り離した精密機械のような、フラットで冷たい空気を纏っている。

 

だが今日の彼は、どこかソワソワとしているというか……無機質な殻の内側に、隠しきれない『熱』や『戸惑い』のような柔らかな感情が揺らめいているのが分かったのだ。

 

「……おい、綾小路」

 

俺が、ジャスミン茶の入った湯呑みをテーブルに置き、声をかけると、綾小路はピタリと箸を止めてこちらを見た。

 

「なんだ?」

 

「お前、なんか今日、妙にソワソワしてないか? いつもと違う空気が漏れ出てるぞ。……道端で一万円札でも拾ったか? それとも、悪いもんでも食ったか?」

 

俺が冗談めかして尋ねると、綾小路は僅かに目を丸くし、そして、気まずそうにスッと視線を逸らした。

 

「……お前のその異常な観察眼は、誤魔化せないか」

 

綾小路は、小さくため息をついた。

彼の内心は、俺の指摘通り、かつてないほどの未知の感覚に揺さぶられていたのだ。

 

 

今日、十月二十日。

それは、綾小路清隆という少年の『誕生日』だった。

 

ホワイトルームという施設で育った彼にとって、誕生日とはただの『加齢を記録する日』でしかなく、誰かに祝ってもらった経験など、これまでの人生で一度も存在しなかった。

 

それが今朝。七時過ぎに、彼の端末に一通のチャットメッセージが届いたのだ。

 

差出人は、軽井沢恵。

 

『……あんたの誕生日、今日でしょ。おめでとう』

 

たったそれだけの、素っ気ないメッセージ。

だが、その一文が、綾小路の心に落とした波紋は、彼自身の想像を絶するほどに大きかったのだ。

 

生まれて初めて、誰かが自分の生まれた日を覚え、祝ってくれた。

その事実が、彼の中に「喜び」とも「戸惑い」ともつかない、むず痒くも温かい、今までにない不思議な感覚を呼び起こしていた。

 

(……だが、軽井沢のことは言えないな)

 

綾小路は、脳内で瞬時に計算を行った。

もしここで「軽井沢から誕生日おめでとうというメッセージをもらった」などと正直に話せば、俺と軽井沢の裏の繋がりを完全に看破されてしまう。呉は既に気づいているだろうがわざわざ自分から口を滑らせる必要はない。

 

それに、この事なかれ主義のくせに他人の青春が大好きな男に、一晩中ニヤニヤと冷やかされるのは避けたかった。

 

「……実は、今日が、俺の誕生日なんだ」

 

綾小路は、軽井沢の存在を完全に伏せたまま、事実の一部だけを告げることにした。

 

「――――」

 

その言葉を聞いた瞬間。俺は、持っていた湯呑みをテーブルに置き、目を丸くして綾小路の顔をまじまじと見つめた。

 

「……は?」

 

「今日、十月二十日が誕生日だと言ったんだ。……別に、大騒ぎするようなことじゃない」

 

綾小路が、俺の反応を警戒するように少しだけ身を引く。

 

「お前……っ!」

 

俺は、バンッ! とテーブルを叩いて立ち上がった。

 

「なんだよそれ! そういう大事なことは、部屋に入ってきた瞬間に言えよ!! バカ野郎!!」

 

「なっ……」

 

綾小路が、俺の突然の剣幕に本気で驚いたように目を見開く。

 

「俺はな! 友達の誕生日を、ホイコーロー定食で済ませるような薄情な男じゃないんだよ! 祝うなら祝うって、ちゃんと事前に言っておけ!!」

 

俺はそう怒鳴りながら、冷蔵庫へと猛ダッシュした。

そして、冷蔵庫の奥から、ひよりに振る舞うためにネットスーパーでこっそり取り寄せておいた『最高級の黒毛和牛のサーロインステーキ肉』を取り出した。

 

「お前、今日は特別だぞ! 今から極上の肉を焼いてやるから、そこで大人しく待ってろ!」

 

「いや、俺はもうホイコーローを食べたんだが……」

 

「育ち盛りの男子高校生だろうが! ステーキの二百グラムくらい、デザート感覚で胃袋に詰め込め!」

 

俺は強引に綾小路を黙らせ、フライパンに牛脂を引いた。

強火で一気に肉の表面を焼き上げ、極上の肉汁を閉じ込める。味付けはシンプルに、塩と粗挽きの黒胡椒、そして少しのガーリックだけだ。

ジュージューという暴力的なほどに食欲をそそる音と香りが、部屋中に充満していく。

 

「ほら、食え。俺からの誕生日プレゼントだ」

 

数分後、綾小路の目の前に、完璧なミディアムレアに焼き上げられたステーキがドンッと置かれた。

 

「…………」

 

綾小路は、目の前の輝くようなステーキと、腕を組んでドヤ顔をしている俺の顔を交互に見比べた。

 

そして、小さく、本当に小さく息を吐き出し。

 

「……ありがとう。感謝する」

 

そう言って、ナイフとフォークを手に取った。

彼が肉を切り分け、一口食べるごとに、その無機質な瞳の奥に、確かな『驚き』と『満足感』が広がっていくのが分かった。

 

「……美味い。信じられないくらい柔らかいな」

 

「だろ? 俺の火加減はミリ単位で完璧だからな」

 

俺は、綾小路が美味そうにステーキを平らげていく様子を眺めながら、ジャスミン茶を飲み直した。

 

「それにしても、お前が自分の誕生日を気にしてソワソワするなんてな。……なんか、少しだけ『普通の高校生』っぽくて安心したぜ」

 

俺が笑いかけると、綾小路はフォークを止め、どこか遠くを見るような目をした。

 

「……そうだな。俺にとっても、今日は少し……特別な日になったかもしれない」

 

綾小路は、目の前のこの男が焼いてくれたステーキの温かさを噛み締めるように、そう呟いた。

 

「今度、お返しをするよ」

 

ステーキを完食し、満足げに息を吐いた綾小路が、俺の方を見据えて尋ねてきた。

 

「呉、お前は……いつが誕生日なんだ?」

 

「俺か?」

 

俺は、空になった皿を片付けながら、事もなげに答えた。

 

「俺は、一月十二日だ。……まあ、うちは実家の稽古が死ぬほど厳しいんだけどな。でも、家族の仲だけは無駄に良くてさ。誕生日っていうと、親父や親戚たちが総出でケーキ買ってきて、朝までドンチャン騒ぎで盛大に祝うのが恒例なんだよな」

 

俺は、暗殺という言葉を伏せ、あくまで「厳しい実家」というオブラートに包みながら、家族との温かい記憶を語った。

 

「だから、誕生日を一人で静かに過ごすお前の感覚は新鮮だぜ。……来年のお前の誕生日は、俺が盛大に祝ってやるから覚悟しとけよ」

 

俺が笑って言うと、綾小路は「一月十二日だな」と、その驚異的な記憶力にしっかりと俺の情報を刻み込んだように頷いた。

 

「分かった。忘れないでおく。……お返しを楽しみにしていてくれ」

 

「おお。お前がどんな気の利いたプレゼントを用意してくれるのか、期待して待ってるぜ」

 

その後は、テスト勉強の進み具合や、幸村の結成した『綾小路グループ』の面々の話など、普通の男子高校生らしい適当な雑談を交わし、夜は更けていった。

 

 

 

そして、自分の部屋へと戻った綾小路清隆。

彼は、真っ暗な部屋の中でベッドに腰掛け、ポケットから自分の端末を取り出した。

 

画面をタップし、メッセージアプリを開く。

そこには、今朝受信した、軽井沢恵からの『……あんたの誕生日、今日でしょ。おめでとう』というメッセージが表示されていた。

 

綾小路と軽井沢の間には、彼らの裏の繋がりが他の生徒に露見しないよう、「用件が済んだチャット履歴は、お互いに必ずその日のうちに消去する」という厳格なルールが敷かれていた。

 

綾小路の指が、メッセージの削除アイコンの上に伸びる。

これまでの彼なら、一秒の躊躇いもなく、不要なデータを消去するようにタップしていただろう。

 

だが。

彼の親指は、画面の数ミリ上で、ピタリと止まっていた。

 

(……消すのが、惜しいな)

 

綾小路の脳裏に、数時間前の情景が蘇る。

軽井沢からの、初めての祝福の言葉。

そして、呉刃叉羅という規格外の悪友が、満面の笑みで焼いてくれた熱いステーキの味。

 

『お前が自分の誕生日を気にしてソワソワするなんてな。なんか、少しだけ普通の高校生っぽくて安心したぜ』

 

呉の言葉が、耳の奥でリフレインする。

 

(これが……呉の言う『青春』ってやつか)

 

綾小路は、暗い部屋の中で、誰に見せるわけでもない、ごく僅かな……しかし確かな、柔らかい笑みをその口元に浮かべていた。

 

(……なかなか、悪くない感覚だな)

 

結局、綾小路は削除アイコンから指を離し、端末の電源を落としてサイドテーブルに置いた。

 

ルールを破り、軽井沢からの初めての誕生日メッセージを、自分の端末の中に、そして心の中に残すことを選んだのだ。

 

冷たい影の支配者の心が、ごく普通の高校生たちとの関わりの中で、少しずつ、確実に溶け始めている。

 

暗殺者の振る舞った熱いステーキは、そんな彼の成長を促す、極上のスパイスとなっていた。

 

 

 

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