青春を求めて実力主義の教室へ   作:リリリリら

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五十四話

特別棟の屋上で繰り広げられた、血と暴力の支配権を巡る死闘。

 

結果は、無気力な仮面の下に絶対的な暴力を隠し持っていた影の支配者・綾小路清隆の一方的な勝利によって幕を閉じた。

 

屋上を後にした綾小路は、冷たい風に晒された身体を温めることもせず、静かな足取りで一年生の学生寮へと向かっていた。

 

(……終わったな)

 

歩きながら、綾小路の脳裏には、先ほどの屋上での光景がフラッシュバックしていた。

 

龍園翔の折れない執念。アルベルトたちの暴力。それらを完全にねじ伏せた自分自身の両手。

 

だが、彼の心を今最も占めているのは、敵として相対した彼らのことではない。

 

冷たいコンクリートの上で、龍園の拷問に屈することなく、最後まで自分の名前を口にしなかった少女――軽井沢恵のことだった。

 

綾小路は、彼女の過去の壮絶なイジメのトラウマを把握していた。

だからこそ、あのような極寒の屋上という異常な状況下に置かれ、龍園の暴力と恐怖に晒されれば、彼女の心は簡単に折れ、すぐに自分の正体を自白するだろうと計算していたのだ。

 

最悪、彼女が自分を裏切ったとしても、計画に問題は無かった。

だが、彼女は裏切らなかった。

恐怖に直面しても、彼女は綾小路を『売る』ことはしなかった。

 

(……そうか。彼女は、俺を守ろうとしてくれたのか)

 

綾小路は、歩きながら、胸の奥底に生じた小さな熱を確かめるように、小さく息を吐いた。

 

恐怖に支配されていたはずの彼女が、自分自身を犠牲にしてでも、綾小路清隆という存在を守ろうとした。それは、単なる寄生先への依存を超えた、明確な『献身』であり『忠誠』だった。

 

(十月二十日の、あのチャット……)

 

綾小路の脳裏に、かつて軽井沢から送られてきた、たった一言の誕生日メッセージが蘇る。

 

生まれて初めて自分に向けられた祝福の言葉。そして今日、自分に向けられた自己犠牲。

 

ホワイトルームという、効率と結果のみを絶対とする極限の施設で育った彼にとって、他者からの『純粋な好意』や『自己犠牲』というものは、全くの未知のデータだった。

 

だからこそ、今の彼の中に芽生えているこの感情には、名前がない。

嬉しさなのか、戸惑いなのか、それともただの計算違いへの驚きなのか。

今まで抱いたことのない、不思議で、ひどくむず痒い感情が、彼の冷徹な心臓を静かにノックし続けていた。

 

(……俺は、変わってきているのだろうか)

 

そしてもう一つ、綾小路の思考に強い残像を残している存在があった。

 

(……呉 刃叉羅。彼には、本当に驚かされたな)

 

屋上の上にあるメンテナンススペース。あそこに、あの男が胡座をかいて見下ろしているのを発見した時、綾小路は内心でどれほど戦慄したことか。

 

もし、龍園たちとの戦闘の最中に、あるいはその前段階で、呉が龍園側に加勢したり、盤面を乱すような行動に出たりしていれば。

今日の勝利は、絶対にあり得なかった。

 

(あいつの暴力だけは、俺でもどうしようもないからな)

 

綾小路は、自らの暴力を以て龍園たちを蹂躙したばかりでありながら、呉刃叉羅という男の実力を極めて客観的に、そして高く評価していた。

 

自分の格闘術は、あくまで人間の限界の枠内で最高効率を叩き出すためのものだ。

 

しかし呉は違う。人間の限界という枠組みそのものを破壊し、次元の違う出力と反射速度を持っている。真正面からやり合えば、自分が勝つビジョンは全く見えない。

 

(彼がただの傍観者でいてくれて、本当に助かった。……これからも、彼とは適度な友人関係を保ち、絶対に敵に回さないよう立ち回る必要があるな)

 

綾小路は、改めて呉刃叉羅という規格外のジョーカーに対する警戒と安堵を噛み締めながら、軽井沢の待つ自室へと向かうべく、寮のエレベーターに乗り込んだ。

 

 

 

その頃。

学生寮の一室で、顔中を腫らし、包帯や絆創膏だらけの痛々しい姿でベッドに横たわっている男がいた。

 

一年Cクラスの独裁者、龍園翔。

彼は、綾小路の圧倒的な無感情の暴力の前に完全に心を折られ、気絶させられてから数時間後、石崎たちに担がれるようにして自室へと戻ってきていた。

 

「……クソが」

 

全身の骨が軋むような痛みに耐えながら、龍園は暗い天井を睨みつけていた。

 

恐怖。

それは、彼がこれまでの人生で他者に与え続けてきたものであり、自分が味わうことなどないと確信していた感情だった。

 

だが、呉刃叉羅という圧倒的な理不尽に遭遇し、そして今日、綾小路清隆という底知れぬ闇に触れたことで、彼の絶対的な自信は粉々に砕け散った。

 

(俺の負けだ……完全に。知略も暴力も、手も足も出なかった)

 

自分が築き上げてきた恐怖の支配は、彼らのような真のバケモノの前では児戯に過ぎなかった。

 

この学校で、これ以上自分が独裁者として振る舞う意味はあるのか。

敗北の屈辱に塗れたまま、龍園は一つの結論へと傾きかけていた。

 

(……明日、自主退学の申請を出すか。これ以上、あいつらの掌の上で踊らされるのは御免だ)

 

彼が自らの高校生活に終止符を打とうと、暗い決意を固めた、その時。

 

ブーブー、と。

ベッドのサイドテーブルに放り投げてあった端末が、無遠慮な振動音を立てた。

 

「……チッ、誰だ」

 

痛む腕を伸ばして画面を確認すると、そこには『呉刃叉羅』の名前が表示されていた。

 

この最悪のタイミングで、自分に恐怖を刻み込んだ元凶の一人からの着信。

無視することも考えたが、龍園は舌打ちをしながら通話ボタンを押した。

 

「……なんの用だ、化け物。今の俺はてめえの相手をしてやれるほど元気じゃねえんだよ」

 

龍園が苛立ちを隠さずに言うと、電話の向こうからは、相変わらずの飄々とした、腹の立つほど爽やかな声が聞こえてきた。

 

『よお、ドラゴンボーイ。無事に生きて帰れたみたいで何よりだぜ』

 

「てめえ……わざわざ俺の無様を嗤いに電話してきたのか?」

 

『まさか。俺はそんな趣味の悪い男じゃない。ただの特等席の観客として、素晴らしいショーを見せてくれた役者に、少しばかりのアドバイスをしてやろうと思ってな』

 

俺――呉刃叉羅は、ケヤキモールのカフェのテラス席から少し離れた場所で、電話越しに龍園に語りかけていた。

 

『お前、まさかとは思うが……今回の負けにビビって、学校辞めようとか考えてないだろうな?』

 

「――――っ」

 

図星を突かれ、龍園は息を飲んだ。

 

『学校、辞めんなよ。ドラゴンボーイ』

 

俺の声は、からかいのトーンを消し、少しだけ真剣な響きを持っていた。

 

『お前の執念は嫌いじゃない。あの綾小路相手に、顔面を殴らせてまで一撃を入れた根性は、大したもんだと俺も思ってるぜ。……もしお前が、どうしてもあの綾小路に「暴力」でリベンジして勝ちたいって言うなら、暇な時に俺が直々に「武」を教えてやってもいいぜ? 俺のシゴキに三日耐えられれば、綾小路と戦えるレベルにしてやるよ』

 

それは、暗殺者としての本気の提案だった。

龍園のセンスと根性があれば、俺が少し身体の使い方を教え込むだけで、彼の格闘能力は飛躍的に向上するだろう。

 

だが。

 

『……ふっ。ハハハハッ!』

 

電話の向こうで、龍園が、痛む腹を押さえながら、どこか吹っ切れたような笑い声を上げた。

 

「……冗談じゃねえ。てめえの力なんざ借りるかよ、イカれ野郎が。てめえのシゴキなんざ受けたら、三日経つ前に俺の命が消し飛ぶわ」

 

『ははっ、違いねえ』

 

「それに……退学する気はねえよ。お前の言う通り、ここで逃げ出すのは俺の柄じゃねえ」

 

龍園の声から、先ほどまでの絶望や敗北感が消え、代わりに、これまでとは違う、静かで冷たい『炎』が灯っているのを感じた。

 

「……今回で、俺は自分の暴力の限界を嫌ってほど理解した。俺一人の力じゃ、お前や綾小路みたいな本物のバケモノには絶対に勝てねえ」

 

龍園は、はっきりと自分の弱さを認めた。

それは、独裁者として振る舞っていた彼にとっては、死に等しい屈辱のはずだった。

 

「暴力で勝てねえなら。……知略で、クラスの力で、あいつらを盤面に引きずり出して勝つだけだ。俺はCクラスを使って、必ず綾小路を……そしていつか、てめえの首も取ってやるよ」

 

暴力による恐怖支配からの脱却。

そして、クラスという集団の力を真に使いこなし、策謀でバケモノたちを討つという、新たな『王』としての宣戦布告。

 

俺は、その言葉を聞いて、口角を深く釣り上げた。

 

「……ふっ」

 

「成長したな、王様。いいぜ、その意気だ。お前がどんな盤面を作って俺や綾小路を出し抜いてくれるのか、特等席で楽しみに見させてもらうよ」

 

『ああ。せいぜい、首洗って待ってろ』

 

通話が切れる。

ベッドの上で端末を下ろした龍園翔の顔には、もう迷いはなかった。

全身の痛みは激しいが、頭の中はかつてないほどにクリアだ。

 

石崎やアルベルト、伊吹といった配下たち。彼らは自分が負けたと知っても、見捨てるどころか心配して自分を運んでくれた。

 

恐怖だけで繋がっていると思っていた関係が、実はそうではなかったことに気づいた今、彼の戦い方は根本から変わる。

 

(……見てろよ、綾小路。そして呉。俺は必ず、てめえらをこの盤面から叩き落としてやる)

 

 

一度死んだ独裁者は、真の王として覚醒するための産声を、静かに上げたのだった。

 

 

 

一方、その頃。

 

「……お待たせ、ひより」

 

「あ、刃叉羅くん! お電話、終わりましたか?」

 

俺は、ケヤキモールのカフェのテラス席に戻り、愛しの彼女の向かいの席に腰を下ろした。

 

テーブルの上には、俺が注文しておいた季節限定のシフォンケーキと、ひよりのロイヤルミルクティー、そして俺のブラックコーヒーが並んでいる。

 

「ああ、ただのクラスの知り合いからの相談事だ。たいしたことじゃない。……さあ、ケーキ食べようぜ。イチゴがたっぷり乗ってて美味そうだ」

 

「はいっ! 刃叉羅くん、ありがとうございます!」

 

ひよりがフォークを手に取り、嬉しそうにケーキを頬張る。

 

「んっ……! ふわふわでとっても甘いです!」

 

幸せそうに目を細める天使の姿に、俺の荒んだ暗殺者の心は一瞬で浄化され、マイナスイオンで満たされていくのを感じた。

 

(……ふっ。それにしても)

 

俺は、コーヒーカップを口に運びながら、内心で先ほどの屋上での出来事と、ここ数日の自分の行動を振り返っていた。

 

今回の『X』騒動。

事なかれ主義であり、平穏な高校生活を第一の目標としている俺にとって、龍園と綾小路の死闘に首を突っ込むなど、本来なら「平穏からは程遠い」最悪の愚行だ。

 

軽井沢を助けたいという気持ちもあったが、それならもっと穏便な方法もあった。

 

俺がわざわざ屋上の特等席まで足を運び、あの狂気のお茶会を傍観した最大の理由。

 

それは、純粋な好奇心。――綾小路清隆の『武』に、個人的な興味があったからだ。

 

(あいつが強いってことは、普段の歩き方や筋肉のつき方、重心の移動を見ていて分かってはいたが……想像以上だったな)

 

俺の脳内で、綾小路がアルベルトや龍園を沈めた際の動きが再生される。

一切の無駄を省き、感情を排除し、最短距離で敵の急所を破壊する、完成された武術。どれほどの鍛錬を積んできたのか、彼の動きを見れば一目瞭然だった。

 

(……とはいえ)

 

俺は、小さく鼻で笑った。

 

(俺たち『呉一族』の最高峰の人間……爺様や、一族最強の雷庵、それに、裏社会の闘技者たちに比べれば、まだスピードも威力も遠く及ばないがな)

 

綾小路の技術は完璧だが、肉体そのものがまだ成長途中の「高校生」の枠に収まっている。もし俺が本気で彼と殺し合いをすれば、三秒以内に彼の首をへし折る自信がある。

 

(だが、それでも。あの年齢で、あそこまでの完成度を誇るのは十分すぎるくらい規格外だ)

 

高円寺六助という、常識外れのポテンシャルを持つ変人。

綾小路清隆という、人工的に作られた最高傑作の天才。

そして、挫折を知り、知略を磨き始めた龍園翔や、絶対的な自信を持つ坂柳有栖。

 

(……この学校、本当に面白い奴らが揃ってるな)

 

暗殺者として血塗られた世界しか知らなかった俺にとって、この高度育成高等学校という箱庭は、退屈とは無縁の、極上のエンターテインメント空間だった。

 

「……刃叉羅くん?」

 

俺が思考の海に沈んでいると、ひよりが不思議そうに首を傾げて俺の顔を覗き込んできた。

彼女の口元には、少しだけ生クリームがついていた。

 

「どうしたんですか? コーヒー、冷めちゃいますよ?」

 

「おっと、いけない。ちょっと考え事をしてたんだ」

 

俺は、思考を完全に『裏の世界』から切り離し、目の前の天使だけを視界に映した。

 

「……ひより、口にクリームついてるぞ」

 

「えっ!? あ、本当ですか……恥ずかしい……」

 

ひよりが慌ててナプキンを探そうとするのを制止し、俺は身を乗り出して、自分の指で彼女の口元のクリームをそっと拭い取った。

そして、その指についたクリームを、そのままペロッと自分の口に入れた。

 

「ん、甘いな。ケーキより甘いかもしれない」

 

「――――〜〜〜〜ッッッ!!!」

 

ひよりは、俺の不意打ちすぎる行動に言葉を失い、顔を耳の先まで真っ赤にしてショートしてしまった。 

両手で顔を覆い、俯いてプルプルと震えている。

 

「あははっ、ごめんごめん! あんまりにも可愛かったから、ついからかいたくなった」

 

俺は笑いながら、彼女の頭を優しく撫でた。

 

「も、もうっ……刃叉羅くんは、本当に意地悪です……っ」

 

ひよりが、顔を真っ赤にしたまま上目遣いで抗議してくるが、その声には怒りよりも甘えの色が濃く滲んでいた。

 

「さあ、ケーキ食べ終わったら、あっちの雑貨屋でクリスマスプレゼントの予約でもしに行くか?」

 

「はいっ! ……私、刃叉羅くんに似合いそうなマフラー、見つけてあるんです!」

 

冬の寒空の下。

ケヤキモールの暖かなカフェで、暗殺者の少年は、ただ一人の少女の彼氏として、世界で一番平和で、甘ったるい青春の時間を満喫し続けるのだった。

 

 

 

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