青春を求めて実力主義の教室へ   作:リリリリら

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五十五話

十二月二十四日。クリスマスイブ。

一年で最も街が華やぎ、そして恋人たちが甘い魔法にかけられる特別な一日。

 

高度育成高等学校の敷地内にあるケヤキモールも、今日ばかりは巨大なクリスマスツリーと無数のイルミネーションに彩られ、幻想的な光の海へと変貌していた。

 

「わぁ……! 綺麗ですね、刃叉羅くん!」

 

俺の隣を歩く椎名ひよりが、光り輝くツリーを見上げてパァッと顔を輝かせる。

 

白いダッフルコートに、淡いピンク色のマフラー。吐く息は白く、寒さで少しだけ赤くなった頬が、イルミネーションの光を反射してキラキラと輝いている。

 

「ああ、綺麗だな。……でも、俺にはひよりの方が何万倍も眩しく見えるけどな」

 

「も、もうっ……! 刃叉羅くんは、今日だけでそのセリフ何回目ですか……っ」

 

顔を真っ赤にして俺の腕にギュッと抱きついてくるひより。

俺はその温もりと、彼女の髪から漂う甘いシャンプーの香りに包まれながら、心の中で一人、天を仰いで咽び泣いていた。

 

(……ああ。幸せすぎる。なんだこの圧倒的な幸福感は)

 

俺は裏社会で、血と硝煙に塗れた凄惨なクリスマスしか経験してこなかった。

ターゲットの血で赤く染まった雪景色。それが俺の『聖夜』の記憶だった。

 

だが今はどうだ。世界で一番愛する天使と手を繋ぎ、イルミネーションの下を歩き、甘い言葉を交わし合っている。こんな奇跡が、俺の人生に訪れるなんて誰が想像できただろうか。

 

俺たちは、昼過ぎに待ち合わせをしてから、映画館でひよりの熱望していた新作のミステリー映画を観た。

 

その後は、モール内の雰囲気の良いカフェに入り、温かいキャラメルマキアートを飲みながら、映画の感想を語り合った。

 

『あのシーンの伏線、刃叉羅くんは気づいていましたか? 私はすっかり騙されてしまいました!』

 

『俺は最初の十分で犯人の目線の動きに違和感を覚えてたからな。でも、あの動機には驚かされたよ。まさかあんな悲しい過去があったとはな』

 

『はい……。犯人役の俳優さんの演技、とっても胸が締め付けられました……』

 

映画のパンフレットを広げ、真剣な顔で、時折楽しそうに笑いながら語り合う時間。

 

俺にとって、映画の内容よりも、映画について熱く語るひよりの唇の動きや、コロコロと変わる表情を眺めている時間の方が、何千倍も価値のある極上のエンターテインメントだった。

 

そして、夜の七時。

俺たちは、外でのデートを切り上げ、男子寮にある俺の部屋へと帰還していた。

 

ここからは、二人きりの『クリスマスパーティ』の始まりだ。

 

「わぁっ……! す、すごいご馳走です……! これ、全部刃叉羅くんが作ったんですか!?」

 

部屋のリビングのテーブルに並べられた料理の数々を見て、ひよりが目を丸くして感嘆の声を上げた。

 

「ああ。昨日から仕込んでおいたからな」

 

俺は、得意げに胸を張った。

テーブルの中央には、完璧な焼き色がついた『ローストチキン』。

その周囲を彩るのは、サーモンとアボカドのカルパッチョ、濃厚なクラムチャウダー、色鮮やかな彩り野菜のテリーヌ、そしてキノコとベーコンのキッシュだ。

 

暗殺者として培った、ミリ単位のブレも許さない精密な包丁さばき。そして、毒物や薬物の調合で鍛えられた、味覚と嗅覚の完璧なバランス感覚。

俺の持つ全ての『殺人スキル』を『料理』へと全振りした、ミシュランの星付きレストランにも引けを取らない究極のフルコースである。

 

「さあ、冷めないうちに食べようぜ。メリークリスマス、ひより」

 

「はいっ! メリークリスマス、刃叉羅くん!」

 

グラスに注いだスパークリングアップルジュースで乾杯し、二人だけのディナーが始まった。

 

「んっ……! 美味しいっ! このチキン、外はパリパリなのに中はとってもジューシーで……! スープも、海鮮の旨味がギュッと詰まってます!」

 

ひよりが、一口食べるごとに花が咲くような笑顔を見せ、心底幸せそうに頬を抑える。

 

(――――ッッ!!)

 

俺の心臓は、彼女が「美味しい」と微笑むたびに、致死量の幸福ホルモンを分泌して激しく跳ね回っていた。

 

(死ぬ。俺は今日、幸せの供給過多で本当に死ぬかもしれない……っ!)

 

どんな激しい戦闘でも乱れない俺の呼吸が、今、限界を超えた可愛さの前に完全に乱れ切っている。

 

俺が昨日、寝る間も惜しんでチキンにスパイスを擦り込み、スープの灰汁を取り続けた苦労など、彼女のこの笑顔一つで宇宙の果てまで吹き飛んでしまった。

 

「刃叉羅くんのお料理、本当に世界一です。私、毎日でも食べたいくらい……」

 

「……っ。そ、そんなこと言われたら、ひよりの専属シェフになるしかないな」

 

「ふふっ。それは、とっても素敵な夢ですね」

 

冗談のつもりで言ったのに、ひよりが本気で嬉しそうに微笑むから、俺の決意はさらに固まってしまった。もう実家の親父には「俺は料理人になる」と事後報告で手紙でも送りつけてやろう。

 

そして、ディナーの後は。

 

「ジャーン。食後のデザート、特製の『ブッシュ・ド・ノエル』だぞ」

 

「わぁぁ……! 可愛いっ! キノコのお菓子まで乗ってます!」

 

俺がスポンジから焼き上げ、チョコクリームを丁寧に切り株の模様にデコレーションした手作りケーキだ。

 

二人でケーキを切り分け、甘い時間を堪能する。

そして、パーティの最後は、待ちに待った『プレゼント交換』の時間だった。

 

「あの……刃叉羅くん。これ、私からです」

 

ひよりが、少し恥ずかしそうに、綺麗にラッピングされた箱を差し出してきた。

 

「開けてもいいか?」

 

「はいっ」

 

箱を開けると、そこには、上質なカシミヤで編まれた、シックなネイビーブルーのマフラーが入っていた。

 

「刃叉羅くん、いつも私のために戦ってくれたり、お勉強を教えてくれたりして……少しでも、刃叉羅くんを温められたらいいなって思って、選びました。その……手編みとかじゃなくて、ごめんなさい」

 

もじもじと俯くひより。

 

「何言ってるんだ。最高に嬉しいよ。明日から毎日、寝る時も巻いて過ごすぜ」

 

俺は、すぐさまそのマフラーを自分の首に巻き、満面の笑みで彼女に感謝を伝えた。肌触りも最高だが、何より彼女が俺を想って選んでくれたという事実が、俺の心を暖炉の火のように温めてくれた。

 

「俺からも、これ。受け取ってくれ」

 

俺が差し出したのは、少し小さめの、ベルベットの箱だった。

 

「わっ……開けてみますね」

 

ひよりが箱を開けると。

中には、雪の結晶をモチーフにした、小ぶりで上品なシルバーのネックレスが入っていた。中央には、彼女の瞳の色によく似た、淡い紫色の小さなアメジストが輝いている。

 

「とっても、綺麗……。こんな素敵なもの、私……」

 

「ひよりに絶対に似合うと思ってな。……つけてみてもいいか?」

 

「……はいっ」

 

俺はソファを立ち、ひよりの背後に回った。

彼女の銀色の美しい髪をそっと持ち上げ、華奢な白い首筋に、冷たいシルバーのチェーンを這わせる。

カチャリと留め具をはめると、俺の指先が、ほんの少しだけ彼女のうなじの熱い肌に触れた。

 

「あっ……」

 

ひよりの肩が、ビクッと小さく跳ねる。

 

「……似合ってる。世界一、いや宇宙一可愛いよ、ひより」

 

俺が背後から彼女の耳元で囁くと、ひよりは顔を真っ赤にして、胸元のネックレスの飾りをギュッと両手で握りしめた。

 

「ありがとう、ございます……。私、一生の宝物にします……っ」

 

時計の針は、夜の九時半を回ろうとしていた。

部屋の中は、美味しい料理の匂いと、甘いケーキの香り、そして何より、互いを想い合う濃密で温かい空気に満たされていた。

 

だが、無情にも『時間』は過ぎていく。

女子寮の門限は十時。ここから寮までの距離を考えれば、そろそろ部屋を出なければならない時間だった。

 

俺は、名残惜しさを必死に抑え込み、紳士の仮面を被って立ち上がった。

 

「……もう、門限の時間だな」

 

俺は、ソファに座るひよりに向かって、優しく手を差し伸べた。

 

「部屋まで送るよ。明日も昼からデートの約束してるし、今日はそろそろ帰ろうか?」

 

今日は、本当に最高のイブだった。

これ以上の幸せを望めば、罰が当たる。俺はそう自分に言い聞かせ、彼女を無事に寮へと送り届けるつもりだったのだ。

 

だが。

 

「…………」

 

ひよりは、俺の差し出した手を取らなかった。

彼女は、俯いたまま、ギュッと自分のスカートの裾を両手で握りしめ、小さく、小刻みに震えていた。

 

「ひより? どうした? 具合でも悪く……」

 

俺が心配になって顔を覗き込もうとした、その時。

 

スッ……と。

ひよりが、立ち上がり、そのまま俺の胸の中に、コトンと額を押し付けてきた。

 

「……ひより?」

 

「……かえりたく、ないです」

 

俺の胸に顔を埋めたまま。

彼女は、蚊の鳴くような、けれど、俺の耳には雷鳴のように響く声で、確かにそう言ったのだ。

 

「……え?」

 

「今日は……このまま、ずっと……刃叉羅くんと、一緒にいたいです……っ。帰りたく、ありません……」

 

ひよりの腕が、俺の背中に回り、ギュッと力強く俺の身体を抱きしめた。

 

「――――――――ッッッ!!!!」

 

その瞬間。

俺の脳内で、必死に保っていた『紳士としての理性』の鎖が。

バチンッ!! と、音を立てて千切れ飛んだ。

 

暗殺者として、どんな拷問にも耐えうる精神力を持っていた俺だが。

愛する少女からの、こんなにも甘く、無防備で、全てを委ねるような誘惑に耐えられるほど、俺は聖人君子ではなかった。

 

「……ひより。俺は、聖者じゃない」

 

俺の声は、自分でも驚くほど低く、熱を帯びていた。

 

「今、お前を帰さなかったら……俺はもう、お前を『ただの可愛い彼女』として、優しく撫でるだけじゃ済まなくなる。……それでも、いいのか?」

 

俺は、彼女の肩を掴み、少しだけ身体を離して、潤んだ彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ下ろした。

 

最後の、セーフティロックの確認だった。もし彼女が少しでも怯えたり、戸惑ったりしたら、俺は自分の腕をへし折ってでも自制するつもりだった。

 

だが。

ひよりは、真っ赤に染まった顔で、コクリと。

明確な意思を持って、深く頷いた。

 

「刃叉羅くんになら……私の全部、あげたいです……っ」

 

「――――!!」

 

限界だった。

これ以上我慢するのは、人間としての本能への反逆だ。

 

俺は、ひよりの顎を優しく指先で持ち上げ、その震える唇を、深く、甘く塞いだ。

 

「……んっ……っ」

 

ひよりの口から、甘い吐息が漏れる。

これまで交わしてきた、触れるだけのキスとは違う。

互いの体温を、息遣いを、魂そのものを溶かし合うような、濃密な口づけ。

 

「ひより……愛してる。世界中の誰よりも」

 

俺は、ひよりの華奢な身体をそっと抱き上げ、寝室のベッドへと静かに横たえた。

 

部屋の明かりを落とし、小さな間接照明のオレンジ色の光だけが、二人の影を壁に映し出す。

 

ベッドに沈み込んだひよりは、恥ずかしそうに瞳を潤ませながらも、俺の首に腕を回し、すべてを委ねてくれた。

 

そこからはもう、言葉はいらなかった。

ただ互いの熱を確かめ合うように何度も肌を重ね、俺の背中にしがみつく小さな手と、世界で一番愛おしい声が呼ぶ俺の名前だけが、夜の静寂に溶けていく。

 

俺たちは、クリスマスイブという特別な夜に、互いの心と身体の距離を完全にゼロにして、後戻りのきかない、けれどこれ以上なく幸福な『一線』を越えたのだ。

 

窓の外では、静かに雪が舞い降りていた。

その冷たさなど微塵も入り込めないほどに。

暗殺者の少年と、本を愛する天使の夜は、ただひたすらに暖かく、そして甘く更けていった。

 

 

幸せな一夜が明けて、十二月二十五日。クリスマス本番の朝。

分厚いカーテンの隙間から、冬の柔らかい日差しが、ベッドへと静かに降り注いでいた。

 

「……ん……」

 

俺の腕の中で、愛しい天使が小さく身じろぎをする。

ゆっくりと目を開けたひよりは、視界のすぐ真ん前に俺の顔があることに気づき、そして、自分が素肌のまま毛布に包まれ、俺に抱きしめられているという状況を数秒かけて再認識した。

 

ボンッ! と、音が聞こえそうな勢いで、ひよりの顔が耳の先から首筋に至るまで、茹でダコのように真っ赤に染まり上がる。

 

「あ、お、おはよう……ございますっ、刃叉羅くん……っ」

 

「おはよう、ひより。よく眠れたか?」

 

恥ずかしさのあまり、俺の胸元に顔をぐりぐりと押し付けてくるひよりの銀色の髪を、俺は愛おしくてたまらないという風に優しく撫でた。

 

昨夜。

クリスマスイブという神聖な夜に、俺たちは互いの想いを完全に重ね合わせ、後戻りのできない、けれどこれ以上なく幸福な『一線』を越えた。

 

初めての経験と、俺の溢れ出てしまった熱情を受け止めてくれた彼女の身体は、相当な疲労を感じているはずだ。

 

「……体、大丈夫か? 痛むところはないか?」

 

俺が真剣な顔で気遣うと、ひよりは毛布の中から少しだけ顔を出し、恥ずかしそうに上目遣いで答えた。

 

「大丈夫、です……。でも、なんだか身体の芯がぼーっとしていて……少しだけ、重たいような気もします」

 

「そうか。……ごめんな、俺、少し理性が飛んじゃって」

 

「そ、そんなことないですっ! 私……とっても、幸せでしたから……っ」

 

ひよりが顔を真っ赤にしながらも、はっきりとそう言ってくれる。

俺の心臓は、朝から限界突破の幸福感で爆発しそうだった。

 

本来なら、今日は昼からケヤキモールや外のカフェを巡る、クリスマスデートの続きを予定していた。

 

だが、今の少し熱っぽく、身体の気怠さを隠しきれていない彼女を、冬の冷たい風が吹き荒れる外へ連れ回す気には到底なれない。

 

「ひより。今日の外でのデートは、キャンセルにしよう」

 

「えっ……? で、でも、刃叉羅くんが色々と予定を立ててくれていたのに……」

 

「お前の体が一番大事だ。今日はこのまま、俺の部屋で一日中ゆっくり過ごす『お家デート』に変更だ」

 

俺が有無を言わさぬ、けれど最高に優しい声で決定を下すと、ひよりはホッとしたような、そして嬉しそうな笑顔でコクリと頷いた。

 

「はいっ。……私も、今日は一日中、刃叉羅くんと一緒にベッドやソファでゴロゴロしていたいです」

 

「よし、決まりだな」

 

俺は彼女の額にそっとキスを落とし、ベッドから身を起こした。

 

「とはいえ、昨日で食材をほとんど使い切っちまったからな。お昼と夜のご飯を作るために、俺がちょっとケヤキモールのスーパーまで買い出しに行ってくるよ」

 

「あ、それなら私も……」

 

「ダメだ。ひよりはここで、俺のベッドかソファで大人しく本でも読んで待ってること。いいな?」

 

俺がベッドに彼女を押し戻し、布団を首までしっかりとかけてやると、ひよりは「も、もう……過保護なんですから」と嬉しそうに口を尖らせた。

 

「ひより限定の過保護だからな。……じゃあ、ちょっと行ってくる。すぐ戻るから、暖かくして待っててくれよ」

 

「はいっ。いってらっしゃい、刃叉羅くん」

 

天使のお見送りを受け、俺は軽く着替えてアウターを羽織り、一人で寮を後にした。

 

十二月二十五日、昼前。

ケヤキモールへと向かう道すがら、俺の足取りは、傍から見ればステップを踏んでいるのではないかと疑われるほどに軽かった。

 

(……やばいな。マジで、世界が輝いて見える)

 

冬の冷たい風さえも、今の俺にとっては心地よいクーラー程度にしか感じない。

 

すれ違う生徒たちの雑音も、遠くで流れるクリスマスソングも、全てが俺の圧倒的な幸福感を演出するBGMだった。

 

暗殺者として、実家で血を吐くような修練を積んでいた頃。

クリスマスなんてものは、ただ『ターゲットが浮かれて隙を見せやすい、絶好の暗殺日和』という程度の認識でしかなかった。

 

それが今ではどうだ。愛する彼女を部屋に残し、彼女に振る舞うための温かい料理の食材を、ウキウキ気分で買いに行っているのだ。

 

「……雷庵や迦楼羅が今の俺を見たら、爆笑するか、あるいは脳の病気を疑うだろうな」

 

俺は一人でクスッと笑いながら、モールのスーパーへと足を踏み入れた。

昨日ほどの重いフルコースではなく、疲れた身体に優しく染み渡るようなメニューがいい。

 

俺は真剣な顔で食材を吟味した。

新鮮な白身魚、たっぷりの根菜類、そして消化に良さそうなリゾット用のチーズと牛乳。それから、デザートに少しだけ甘いイチゴも追加する。

 

「よし、完璧だ」

 

エコバッグに食材を詰め込み、俺は早歩きでモールを後にしようとした。

一分一秒でも早く、俺の部屋で待っているひよりの元へ帰りたかったのだ。

 

だが。

そんな帰路の途中で。

モールの少し開けた広場のような場所で、見知った顔のグループが立ち止まっているのが、俺の視界に入った。

 

(……ん?)

 

俺は歩みを緩め、少し離れた柱の陰から、その集団を観察した。

そこにいたのは、一年Dクラスの四人だった。

 

平田洋介と、軽井沢恵。

そして、綾小路清隆と、佐藤麻耶だ。

 

(……Wデートか?)

 

彼らの様子を見れば、一目瞭然だった。

平田と軽井沢は、表向きには『クラス公認の美男美女カップル』だ。そして、佐藤は以前から綾小路に好意を寄せており、俺にも「連絡先を聞いた」と報告してきていた。

 

おそらく佐藤が綾小路をデートに誘い、間を持たせるために平田と軽井沢のカップルを巻き込んでWデートの形にしたのだろう。

 

佐藤は、可愛らしい冬のコートに身を包み、少しだけ頬を赤く染めながら、綾小路の隣を歩こうと必死に距離を詰めている。

 

平田は相変わらずの爽やかな聖人スマイルで、グループ全体の空気を和やかに回そうとしている。

 

そして。

俺の『暗殺者としての鋭敏な観察眼』は、その表面上の和やかなWデートの裏で渦巻く、極めて複雑でドロドロとした感情の矢印を、正確に読み取っていた。

 

まず、佐藤麻耶。

彼女の視線は、完全に綾小路清隆ただ一人にロックオンされている。その瞳に浮かぶのは、隠しきれない『恋心』と、このデートで彼との距離を決定的に縮めたいという『期待』だ。

 

次に、軽井沢恵。

彼女は平田の隣を歩き、表向きは彼氏とのデートを楽しんでいる普通のギャルを演じている。

だが、彼女の視線は。

平田と話しながらも、時折、数秒に一度のペースで、斜め後ろを歩く『綾小路清隆』の横顔へと、無意識に吸い寄せられているのだ。

 

(……なるほどな)

 

俺は、内心でニヤリと笑った。

 

あの軽井沢の視線。

それは、友人の佐藤が綾小路にアプローチをかけていることに対する『嫉妬』。そして、屋上での一件を経て、完全に綾小路という存在に心を支配されてしまった『依存』と『独占欲』が複雑に絡み合った、非常に重たい視線だった。

 

当の綾小路清隆はといえば。

二人の女子からの熱烈な(片方は隠しているが)好意と視線を一身に浴びながらも、相変わらず無表情で、感情の抜け落ちた顔でトボトボと歩いているだけだった。

 

(ひゅー。あいつ、モテモテだな)

 

俺は、柱の陰からその完全な『修羅場一歩手前のラブコメ』を見物しながら、面白がっていた。

 

無気力で地味なはずの男が、クラスのギャルグループのトップ二人から、同時に、しかも片方は重めの依存を伴った感情を向けられているのだ。

 

(まあ、あいつなら佐藤の好意も、軽井沢の嫉妬も、全部計算の内に組み込んで上手くやるだろうがな。……本当に、罪作りな男だぜ)

 

一瞬、「よお、青春してんな!」と声をかけてやろうかとも思ったが。

すぐに、自分の両手に持っているエコバッグの重みを感じて、その考えを打ち消した。

 

(いや、やめとこう。他人の恋愛事情に足を踏み入れるほど、今日の俺は暇じゃない。……俺には、世界で一番可愛くて純粋な天使が、ベッドで帰りを待ってるんだからな)

 

俺は、彼らのWデートに気づかれないように、スッと気配を消し、裏道を通って足早に学生寮へと向かった。

あいつらにはあいつらの、俺には俺の、それぞれのクリスマスの過ごし方があるのだ。

 

「――ただいま、ひより」

 

「あ、刃叉羅くん! おかえりなさいっ」

 

俺の部屋のドアを開けると、ソファに座って本を読んでいたひよりが、パァッと顔を輝かせて出迎えてくれた。

 

俺のスウェットを少し大きめに着ている彼女の姿は、反則級に可愛らしく、俺の胸の奥をキュンと締め付ける。

 

「外、寒かったですか?」

 

「いや、大したことなかったよ。ひよりが待ってると思ったら、足にモーターがついてるみたいに早く帰ってこれたからな」

 

「ふふっ、刃叉羅くんったら、またそんなこと言って」

 

俺はエコバッグをキッチンに置き、手を洗ってから、ソファに座るひよりの隣に腰を下ろした。

 

「体の具合はどうだ?」

 

「はい、刃叉羅くんがお出かけしている間、ずっとゆっくりしていたので……もうすっかり元気です」

 

「そうか。でも、今日は絶対に無理はさせないからな」

 

俺は、ひよりの頭を優しく撫で、そのままキッチンへと向かった。

 

「よし、じゃあ早速お昼ご飯にするか。今日は、胃に優しい『真鯛とカブのクリームリゾット』だ」

 

「わぁ……! とっても美味しそうです!」

 

キッチンに立つ俺の背中を、ひよりがカウンターからひょっこりと顔を出して見つめている。

 

トントンと響く包丁の音。バターの香ばしい匂いと、クリームの優しい甘い香りが部屋に広がっていく。

背中に感じる彼女の温かい視線だけで、俺は世界一のシェフになれたような気がした。

 

十数分後。

ローテーブルに並べられた、湯気を立てる熱々のリゾット。

 

「いただきます」

 

ひよりがスプーンで一口食べ、そして、幸せそうに目を閉じた。

 

「……んっ。美味しい……! お魚のお出汁がしっかり出ていて、カブもトロトロです。身体の芯からポカポカ温まります」

 

「だろ? 昨日のフルコースで少し疲れた胃腸には、これくらいが一番なんだよ」

 

二人で向かい合って、フーフーと息を吹きかけながら、美味しいご飯を食べる。

 

外のイルミネーションや、豪華なレストランでの食事もいい。

だが、こうして大好きな人と二人きりで、飾らない部屋の中で、手作りの温かい料理を囲む時間こそが、何よりも贅沢で、かけがえのないクリスマスなのだと、俺は心の底から感じていた。

 

食後は、俺が淹れた温かい紅茶を飲みながら、昨日ひよりが買ってきてくれたミステリー小説を、ソファで肩を並べて読んだり。

時折、目が合うたびに、どちらからともなく顔を近づけ、何度も、甘く優しいキスを交わしたりした。

 

「……刃叉羅くん」

 

「ん?」

 

「私……今年のクリスマス、今まで生きてきた中で、一番幸せです」

 

ひよりが、俺の肩に頭をこてんと乗せ、心からの安堵と愛情に満ちた声で囁いた。

 

「俺もだよ、ひより。……お前がいてくれるだけで、俺の人生は毎日がクリスマスみたいなもんだからな」

 

俺は、彼女の華奢な肩を抱き寄せ、その銀色の髪にそっと口づけた。

 

外の世界では、綾小路や龍園たちが繰り広げる盤面の削り合いや、複雑に絡み合う恋の矢印が渦巻いているのだろう。

だが、この部屋の中だけは、そんなノイズが一切入り込めない、完全なる『聖域』だ。

 

暗殺者の少年は、自らの血塗られた過去を忘れさせるほどの温もりと愛を与えてくれた天使を、一生かけて守り抜くことを、クリスマスの奇跡に静かに、そして力強く誓うのだった。

 

 

 

 

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