青春を求めて実力主義の教室へ   作:リリリリら

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五十八話

特別試験『混合合宿』。

学年とクラスの垣根を越えたこの過酷な試験は、小グループの結成だけでは終わらない。

 

一年生の小グループは、さらに二年生、三年生の小グループと合流し、総勢三十名近くの『大グループ』を形成することになる。 

 

俺たち一年生の『余り物グループ』が合流することになった上級生の顔ぶれは、これまた一種の『爆弾』だった。

 

三年生を率いるのは、落ち着いた雰囲気を持つ石倉という男。彼は比較的常識人のように見えた。

 

問題は、二年生の小グループを率いるリーダーだ。

 

「よろしく頼むよ、一年生。俺が二年の責任者、南雲雅(なぐもみやび)だ」

 

金髪を綺麗に整え、自信に満ち溢れた笑みを浮かべる男。

彼こそが、堀北鈴音の兄である堀北学から生徒会長の座を受け継いだ、現・生徒会長の南雲雅その人だった。

 

彼の背後には、彼を信奉する二年生たちが統率の取れた動きで控えており、南雲の圧倒的なカリスマ性と、裏に潜む独裁的な支配力がひしひしと伝わってきた。

 

「南雲生徒会長……! まさか、同じ大グループになるとは」

 

幸村が緊張の面持ちで居住まいを正す。

 

「硬くならなくていい。合宿中は同じグループの仲間だ。……まあ、互いに足を引っ張らないように頑張ろうぜ」

 

南雲は気さくに笑いかけてきたが、その目の奥には、俺たち一年生を品定めするような冷徹な光が宿っていた。

 

だが、そんな生徒会長の威圧感も、カリスマ性も。

今の俺にとっては、路傍の石以下の価値しかなかった。

 

(……あぁ。あと何時間だ。あと何時間耐えれば、ひよりに会えるんだ……)

 

合宿初日。

午前中の座学から、午後の軽い体育のカリキュラムに至るまで。

俺は、文字通り『魂が抜け出た抜け殻』のような状態だった。

 

「おい、呉! 次は体育館の清掃だ! ぼーっと突っ立ってないで手を動かせ!」

 

幸村が、俺のあまりの無気力ぶりに業を煮やして怒鳴り込んでくる。

 

「……んー、わかってるよ」

 

俺は、手にしたモップを、心ここにあらずといった様子で適当に前後に動かした。

 

暗殺者として鍛え抜かれた俺の身体は、意識が飛んでいても無意識下で完璧な反復運動を行うことができる。モップがけ自体は機械のように正確だったが、そこに『やる気』は一ミリも存在しなかった。

 

「お前なぁ……! 体育祭の時はあんなに動けたじゃないか! なんで合宿になった途端、そんな死にかけのゾンビみたいになってるんだ!」

 

「……お前には分からんよ、幸村」

 

俺は、焦点の合わない目で虚空を見つめながら呟いた。

 

「人間はな、太陽の光を浴びないと死んじまうんだ。俺にとっての太陽は、ひよりの笑顔ただ一つ……。それが完全に遮断された今、俺は光合成ができずに枯れ果てていく植物と同じなんだよ」

 

「はぁ!? お前、何言って……」

 

「放っておけ、啓誠。こいつは今、重度の禁断症状に陥っている。下手に刺激すると面倒だ」

 

見かねた綾小路が、モップを引きずりながらやってきて幸村を宥めた。

 

「清隆……だが、こいつのこの態度は……!」

 

「安心しろ。最低限のカリキュラムはこなしている。……それに、こいつを無理やり動かそうとして、もしこいつの『理性の糸』が切れたら……最悪、この合宿所の壁を破壊して女子棟に侵入しかねない」

 

「え……?」

 

幸村が引きつった顔で俺を見る。

俺は否定しなかった。

 

実際、俺の脳内スーパーコンピューターは、先ほどから『合宿所の見取り図』『監視カメラの死角』『警備の巡回ルート』を弾き出し、いかにしてひよりのいる女子棟に潜入するかというシミュレーションを百回以上繰り返していたからだ。

 

「……わ、分かった。呉のことは放置する。だが、俺たちの足を引っ張るような真似だけはしないでくれよ……」

 

幸村は胃の辺りを押さえながら、疲れ切った顔で去っていった。

こうして、俺の合宿初日の大半は、深い絶望と放心状態の中で過ぎ去っていった。

 

そして。

待ちに待った、夜の十八時。

 

「ひよりぃぃぃぃっ!!」

 

「ふふっ、刃叉羅くん。お疲れ様です」

 

全学年の男女が一堂に会する大食堂。

俺は、食堂の入り口で天使の姿を認めるや否や、音速を超えんばかりのスピードでひよりの隣の席を確保した。

 

「ああ……っ、ひより……! この数時間、俺は本当に地獄の底を這いずり回るような思いだった……っ」

 

俺は、配膳されたトレイを置くのもそこそこに、ひよりの手を両手で包み込んだ。

 

彼女の柔らかい手の感触、花の蜜のような甘い香り、そして何より、俺を優しく見つめてくれるその笑顔。

 

枯れ果てていた俺の細胞に、急速に『ひより成分』が浸透し、蘇生していくのが分かる。

 

「よしよし、刃叉羅くん、頑張りましたね」

 

ひよりが、まるで大きな犬を撫でるように、俺の頭を優しく撫でてくれた。

 

(あぁぁ……死ぬ。マジで昇天しそう)

 

俺は、周囲の生徒たちの『またあのバカップルか』という冷ややかな視線など完全にシャットアウトし、ただひたすらに彼女からの癒しを貪った。

 

「お食事、冷めちゃいますよ。一緒に食べましょう?」

 

「ああ。ひよりと食べる飯は、ただの合宿所のカレーでも三ツ星フレンチ以上の味がするな」

 

俺たちは、互いの今日一日の出来事――俺はただひたすら無気力に過ごしたこと、ひよりはCクラスの女子たちとそれなりに上手くやっていることなどを語り合いながら、幸福な一時間を過ごした。

 

だが。

楽しい時間というものは、残酷なほどあっという間に過ぎ去ってしまう。

 

『――間もなく、夕食の時間が終了します。生徒の皆さんは、速やかに男女別の宿泊棟へ戻ってください』

 

無情なアナウンスが、食堂内に鳴り響いた。

 

「――――」 

 

俺の持っていたスプーンが、カチャンと音を立ててトレイの上に落ちた。

 

「……もう、時間、か」

 

俺の声は、地の底から響くような重さを持っていた。

 

「はい。……また明日、ですね、刃叉羅くん」

 

ひよりも少しだけ寂しそうに眉を下げたが、すぐに気丈に微笑んでくれた。

 

「私、明日の夕食も楽しみにしていますから。……おやすみなさい、刃叉羅くん」

 

「……おやすみ、ひより」

 

ひよりが席を立ち、女子生徒に混じって食堂を後にしていく。

その背中が見えなくなった瞬間。

俺の体から、再び全てのエネルギーが抜け落ち、重度の放心状態へと逆戻りした。

 

午後二十時。男子棟の、一年生たちの割り当てられた大部屋。

消灯時間まではまだ間があるが、部屋の中にはどんよりとした空気が立ち込めていた。

 

俺は、部屋の隅の壁に寄りかかり、膝を抱えながら、虚ろな目で宙を見つめていた。

 

(……端末も、到着時に没収されてるから、声を聞くことも、メッセージを送ることもできない……。ひよりも今頃、俺がいなくて寂しがってるんじゃないか……?)

 

負のループに陥った俺の思考は、どんどん暗く、そして物騒な方向へと突き進んでいく。

 

「……おい」

 

不意に、隣に座った綾小路が、感情のない声で話しかけてきた。

 

「なんだ、綾小路。……俺は今、お前の無機質な顔を見たい気分じゃないんだ」

 

俺が恨みがましく言うと、綾小路は小さくため息をついた。

 

「お前、さっきからずっと壁を見つめてブツブツ言ってるぞ。……いい加減、現実を受け入れろ」

 

「現実だと? こんな理不尽な隔離が現実であってたまるか」

 

俺は、ギリッと歯を食いしばり、低い声で綾小路に告げた。

 

「なぁ、綾小路。俺はこの試験、一週間も耐えられないかもしれない。……いっそ今すぐ、女子棟の壁をよじ登って、警備を全員眠らせて、ひよりを攫って帰りたい気分だ。俺の実家のヘリでも呼べば、五分でこの山から脱出できる」

 

冗談ではなく、俺の目は完全に『実行』の意思を帯びていた。

 

「……やめておけ」

 

綾小路が、少しだけ呆れを含んだ声で即座に却下した。 

 

「お前がそれを実行すれば、確実に退学だ。椎名も巻き添えになる。彼女は、そんな形でお前と学校を去ることを望んでいるのか?」

 

「――――っ」

 

綾小路の、あまりにも的確な指摘。

『ひよりが望むかどうか』。その一言は、俺の暴走しそうになっていた理性のストッパーを見事に作動させた。

 

「……チッ。分かってるよ。ひよりは、俺と一緒に普通の高校生活を送ることを楽しんでくれてるんだ。俺の勝手なエゴで、あいつから学校を奪うわけにはいかない」

 

俺は深く、重いため息を吐き出し、膝に顔を埋めた。

 

「……でも、寂しいんだよ……」

 

「……そうか。俺には、その感情の重さは理解できないがな」

 

綾小路はそう言い残し、自分の布団へと戻っていった。

 

その直後だった。

『コンコン』

部屋のドアが、ノックされた。

 

幸村が訝しげな顔でドアを開けると、そこには、二年生の南雲雅と、三年生の石倉が、数人の上級生を引き連れて立っていた。

 

「よお、一年生。少し時間はいいか?」

 

南雲が、爽やかな、しかしどこか見下すような笑みを浮かべて部屋に入ってきた。

 

「南雲生徒会長……何か、トラブルですか?」

 

幸村が身構える。

 

「いやいや、硬くなるなって。初日だし、同じ大グループになったんだ。学年を越えた『交流』を深めようと思ってな」

 

南雲は、手に持っていたトランプの箱を軽く振ってみせた。

 

「今から、大グループ全体でババ抜きをやろう。ただやるだけじゃつまらないから、負けた学年のグループが、明日の朝食当番の準備と片付けを全員分引き受けるっていう罰ゲーム付きでな。どうだ?」

 

「ババ抜き、ですか……」

 

幸村が少し顔をしかめる。ただでさえ疲労している初日の夜だが、上級生からの提案を断るのも角が立つ。

 

「私は遠慮する」

 

部屋の隅にいた高円寺が、手鏡を見ながら即座に拒絶した。

 

「そのような遊戯に付き合う気はない」

 

「……相変わらずだな、高円寺」

 

南雲は高円寺の態度に少しだけ目を細めたが、無理強いはしなかった。

 

「俺もパスだ。……トランプの模様を見分ける気力すら残ってない」

 

俺も、壁に寄りかかったまま、面倒くさそうに手を振った。

 

「そうか。まあ、強制はしない。じゃあ、残りのメンバーで、学年ごとに代表者を出して勝負しようぜ。二回戦ってことで」

 

こうして、南雲の提案による、朝食当番を賭けたババ抜き大会が始まった。

一年生の代表として、一回戦は橋本が、二回戦は幸村が参加することになった。二年生からは南雲本人が、三年生からも代表者が一人出る。

 

俺は、部屋の隅からその様子をぼんやりと眺めていた。

綾小路も、参加はせずに少し離れた場所から静観している。

一回戦。橋本はそこそこ健闘したものの、結果は南雲の仕掛けたペースに飲まれ、三年生と共に敗北を喫した。

 

そして、二回戦。幸村が参加した勝負が始まった。

幸村は、真剣な顔でカードを引き、自分の手札を揃えていく。

だが、ゲームが進むにつれて、幸村の表情が徐々に険しくなっていった。

 

「……くっ!」

 

幸村が、手札を見つめながらギリッと歯を食いしばる。

何度やっても、一年生がジョーカーを引き当ててしまう展開が続く。

 

「なぜだ……」

 

幸村の額に、じわりと冷や汗が浮かぶ。

 

「ただ俺の引きが悪いだけじゃない。……何かがおかしい。確率的におかしすぎる……!」

 

幸村は、ゲームの流れに明確な『違和感』を覚えていたが、それが何なのか、具体的な証拠を掴むことができずに焦りだけを募らせていた。

南雲は、そんな幸村の様子を見ながら、余裕の笑みを浮かべてカードを引いている。

 

(……やれやれ)

 

放心状態だった俺の目には、そのゲームの『カラクリ』が一瞬で映っていた。

南雲のカードの引き方、そして、カードを出すタイミング。

それは、単なる運否天賦のゲームではない。

 

(マーキングか)

 

暗殺者として、あらゆる賭場やイカサマの技術を叩き込まれてきた俺には、南雲のやっていることが手に取るように分かった。

 

トランプの裏面、特定のカードに、ごく僅かな傷や、光の反射でしか見えないような細工が施されているのだ。

 

南雲は、そのマークを読み取り、意図的にジョーカーを相手に引かせ、あるいは自分が回避するようにコントロールしている。

 

幸村がこれ以上悩み、場の空気が険悪になる前に。

俺は、壁に頭を預け、目を半分閉じたまま、心底だるそうな声で口を開いた。

 

「……あんた、イカサマしてんでしょ」

 

「――――」

 

ピタリ、と。

部屋の中の空気が止まった。

トランプを持っていた幸村も、二年生たちも、一斉に部屋の隅にいる俺へと視線を向けた。

 

「おい、呉! お前、いきなり何を……」

 

幸村が慌てて俺を咎めようとする。上級生、しかも生徒会長に対して「イカサマ」などという言いがかりは、最悪のトラブルになりかねないからだ。

 

だが、俺は気怠げに言葉を続けた。

 

「どうせ、カードの裏に爪か何かで細かい傷でもつけて、マーキングしてんだろ? その金髪の先輩が引く時だけ、目線が不自然にカードの端にいってるしな。……くだらねぇ」

 

俺が一切の遠慮もなくその手口を暴露すると、二年生の取り巻きたちが色めき立った。

 

「てめえ! 生徒会長に向かって言いがかりをつける気か!」

 

「……やめろ」

 

南雲が、取り巻きたちをスッと手で制した。

彼は、トランプをテーブルに置き、全く動じることなく、むしろ楽しそうな笑みを浮かべて俺を見た。

 

「……ほう。このイカサマに気づくとはな」

 

南雲は、あっさりと自分の不正を認めた。

 

「なっ……! 最初から、イカサマを……!?」

 

幸村が驚愕に目を見開く。

 

「これはただの『交流』だ。先輩の俺が、後輩たちがいざという時にどれだけ周りを見えているかのテストみたいなもんさ」

 

南雲は、悪びれる様子もなく肩をすくめた。

 

「俺の仕掛けたゲームの『違和感』に、一年生が気づいた。その観察眼は評価してやる。……気づいたご褒美に、朝食当番の罰ゲームはなしだ。明日からは、学年ごとに順番に回すことにしよう」

 

南雲はそう言うと、立ち上がり、部屋を見渡した。

そして、ゆっくりとした足取りで、壁に寄りかかっている俺の目の前まで歩み寄ってきた。

彼の瞳には、明確な『関心』と『評価』の色が浮かんでいた。

 

「そういえば、お前。呉 刃叉羅だったな」

 

南雲は、俺を見下ろしながら、自信に満ちた声で語りかけた。

 

「体育祭での、お前の異次元の走り……特等席で見せてもらったぜ」

 

堀北学を凌駕するほどの、あの異常な身体能力。それに加え、今は無気力を装っているが、自分のイカサマを一瞬で見抜いた鋭い観察眼。

 

「……お前、俺の『生徒会』に入らないか?」

 

南雲が、俺に向かって、スッと右手を差し出した。

 

「お前の力なら、俺の右腕として、この学校を支配する側に回れる。……悪い話じゃないだろう?」

 

生徒会長からの、直々の勧誘。

周囲の一年生や二年生たちが、驚きと羨望の入り混じった目で俺を見る。

生徒会入りは、この学校において絶大な権力とメリットを意味するからだ。

 

だが。

 

「断る」

 

俺は、南雲の差し出した手を一切見ることなく。

一秒の躊躇いもなく、その勧誘を切り捨てた。

 

「……ほう? 即答か。理由を聞いても?」

 

南雲が、予想外の拒絶に微かに目を細める。

 

俺は、恨みがましい目で南雲を見上げ、暗殺者としての冷たい瞳ではなく、ただの『重度の彼女依存症の男』として、心底嫌そうに告げた。

 

「生徒会なんかに入ったら、放課後の仕事が増えるだろうが。……俺は、一分一秒でも、愛しの彼女と過ごす時間を削りたくないんだよ」

 

「――――は?」

 

南雲の顔が、完全に呆けたように間抜けなものになった。

 

「権力だの、学校の支配だの、そんなくだらないもののために、俺の貴重なデートの時間を犠牲にするなんて、割に合わなすぎる。……だから、他を当たってくれ。俺は忙しいんだ」

 

「……デートの時間が、減るからだと?」

 

南雲は、俺のふざけた(しかし俺にとっては宇宙で一番真面目な)理由を聞いて、信じられないものを見るような目をした。

 

「……クックック。ハハハハッ!!」

 

やがて、南雲は腹を抱えて大笑いし始めた。

 

「傑作だな! 生徒会への勧誘を、女とのデートを理由に断った奴は、お前が初めてだ! ……いいぜ、今回は引き下がってやる。だが、お前は面白い。いずれまた、声をかけさせてもらうぜ」

 

南雲は、俺に対する評価をさらに改めたのか、愉快そうに笑いながら、二年生たちを引き連れて部屋を出て行った。

 

「……お前、本当にそれしか頭にないんだな」

 

綾小路が、南雲が去った後、心底呆れたような声で呟いた。

 

「当たり前だ。俺の人生の全ては、ひよりのためにあるんだからな」

 

俺は、再び膝に顔を埋め、深いため息を吐いた。

 

「あぁ……早く明日にならねえかな。早く……ひよりに会いたい……」

 

混合合宿の初日の夜。

権力者の誘惑も、先輩の威圧も、暗殺者の耳には一切届かない。

 

彼はただ、隔離の檻の中で、愛する天使との再会だけを渇望し、狂おしい夜を過ごすのだった。

 

 

 

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