青春を求めて実力主義の教室へ   作:リリリリら

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六十一話

特別試験『混合合宿』。

男子と女子が完全に隔離され、一日のうち夕食のわずか一時間しか接触を許されないという、俺――呉 刃叉羅にとっては精神的拷問でしかない一週間の地獄。

 

Tレックス事件のような男子特有のくだらない騒動や、南雲雅による生徒会勧誘などを適当にやり過ごしつつ、合宿は三日目、四日目と粛々と進行していった。

 

俺の生活サイクルは、完全に『夜の十八時』に標準を合わせたものになっていた。

 

午前中の座学、午後の体育や清掃カリキュラム。それらの時間は、俺はただ呼吸をし、心拍数を落とし、生命維持に必要な最低限のカロリーだけを消費する『冬眠モード』で消化した。

 

グループのまとめ役である幸村からは「お前、本当に生きてるのか!?」と何度か肩を揺さぶられたが、「俺の魂は今、女子棟の図書室に出張中だ」と真顔で答えてさらに胃を痛めさせた。

 

だが、夜の十八時。大食堂でひよりの姿を認めた瞬間だけは、俺は冬眠から目覚めた凶暴な熊のように覚醒した。

 

「刃叉羅くん、今日のお昼のテスト、難しかったですね」

 

「確かにそうだな。ひよりの顔が見られなくて頭が働かなかったけど、赤点回避のラインは埋めておいたから大丈夫だ。それより、今日のみーちゃんとの会話はどうだった?」

 

「はいっ、今日はアガサ・クリスティの話題で盛り上がって……」

 

食事の一時間だけは、全知全能の神に感謝を捧げながらひよりの笑顔を脳に焼き付け、彼女の甘い声を録音機のように耳の奥に刻み込んだ。

そうして急速チャージした『ひより成分』を燃料に、また翌日の十七時間を無気力に耐え忍ぶ。

 

暗殺者として培った究極の忍耐力を、まさか『彼女への禁断症状を抑えるため』にフル稼働させる日が来るとは、実家の親父も想像だにしなかっただろう。

 

そんな狂おしいループを繰り返し。

ついに、合宿の総決算となる最終日、『総合テスト』の日がやってきた。

座学ペーパーテストから実技に至るまで、俺は事前に幸村たちと立てた「ノルマ」だけをこなし、一切の目立つ真似をせずに終了のチャイムを迎えた。

 

(終わった……! ついに、この長かった生き地獄が終わったんだ……っ!!)

 

俺は、テスト用紙が回収されるのを見届けながら、心の中で歓喜の涙を流していた。

 

そして、全カリキュラムが終了した午後。

全学年の生徒たちが、合宿所の広大な体育館に一堂に集められていた。

 

これから、この一週間のグループごとの順位と、各クラスのポイント増減、そしてペナルティの有無が発表されるのだ。

 

「これより、混合合宿の最終結果を発表する」

 

壇上に立った教師がマイクを通し、背後の巨大なモニターに各グループの順位と、それに伴うクラスごとのポイント変動を映し出した。

 

【混合合宿・一年生クラスポイント変動結果】

• Aクラス: +27 cp

• Bクラス: -13 cp

• Cクラス: -24 cp

• Dクラス: +15 cp

 

(※最新クラスポイント)

• Aクラス(坂柳): 1001 cp (前回974 + 27)

• Bクラス(一之瀬): 640 cp (前回653 - 13)

• Cクラス(龍園): 418 cp (前回442 - 24)

• Dクラス(堀北): 377 cp (前回362 + 15)

 

「よしっ! プラス15ポイントだ!」

 

「俺たち、ペナルティなしで乗り切ったぞ!」

 

Dクラスの集団から、安堵と喜びの入り混じった歓声が上がる。

幸村や平田たちも、ホッと胸を撫で下ろしていた。

 

上位グループに上手く入り込んだAクラスとDクラスがポイントを稼ぎ、BクラスやCクラスが少しポイントを落とした、という結果だ。

 

だが、どのクラスも退学者を出すような致命的なマイナスには至っていない。俺たち一年生にとっては、無難な結果と言えた。

 

「……続いて。今回の合宿において、基準点を下回り、ペナルティの対象となったグループを発表する」

 

教師の声が、一段と低く、冷ややかなものになった。

体育館の空気がピンと張り詰める。

 

「一年生、および二年生には、該当グループなし」

 

その言葉に、一、二年生から安堵の息が漏れる。

 

「だが、三年生の女子小グループにおいて、一つだけ基準点を下回るグループが発生した。……連帯責任のルールに則り、当該小グループの『責任者』である、三年Bクラスの女子生徒に『退学』を言い渡す」

 

「――――っ」

 

体育館が、どよめきに包まれた。

三年生から、ついに退学者が出たのだ。

モニターには、その三年Bクラスの女子生徒の名前が赤々と表示されている。彼女の所属するグループは、本来なら赤点を取るようなメンバー構成ではなかったはずだが、誰かが意図的に手を抜いたか、トラブルがあったとしか思えない結果だった。

 

「……そして」

 

教師の無慈悲な声が続く。

 

「ルールに基づき、退学を言い渡された責任者は、同じグループ内からもう一人、『道連れ』として退学者を指名する権利が与えられている」

 

道連れシステム。

自分が退学になる代わりに、他クラス、あるいは他学年の生徒を強制的に地獄へ引きずり込むという、この試験の最も悪辣なルールだ。

 

体育館の全員の視線が、絶望の淵に立たされた三年Bクラスの女子生徒へと向けられた。

 

彼女は、少しだけ肩を震わせながら一歩前に出ると。

マイクを通すこともなく、体育館に響き渡る声で、はっきりと一人の生徒の名前を呼んだ。

 

「私が……道連れに指名するのは。三年Aクラスの、『橘 茜』さんです」

 

「なっ……!?」

 

その瞬間。

三年生の集団から、悲鳴のような驚愕の声が上がった。

指名された三年Aクラスの橘茜は、信じられないものを見るように目を見開き、顔面を蒼白にしてその場に崩れ落ちそうになっていた。

 

橘茜。彼女は、元生徒会長である堀北学の右腕として、常に彼を支え続けてきた優秀な生徒だ。

 

彼女が退学になるということは、三年Aクラスにとって、そして何より堀北学にとって、手足をもがれるに等しい大打撃を意味する。

 

「……やはりな」

 

俺の隣に立っていた綾小路が、無表情のまま、ボソリと呟いた。

 

「どういうことだ、綾小路」

 

俺が小声で尋ねると、綾小路は視線を三年生の集団……いや、その少し手前でニヤリと笑っている二年生の集団へと向けた。

 

「あの三年Bクラスの女子生徒のグループ……彼女と同じグループには、二年生の南雲生徒会長の息がかかった生徒が複数配置されていた。……おそらく、南雲の指示で意図的にテストで手を抜き、グループをわざと赤点に陥れたんだ」

 

「……ほう」

 

「そして、退学の責任を被ったBクラスの女子生徒に、事前に『橘茜』を道連れに指名するよう裏で取引していた。……全ては、堀北学にダメージを与えるための、南雲の謀略だ」 

 

綾小路の解説を聞き、俺は視線を前方へと向けた。

そこには、絶望する橘茜と、微動だにせず前を見据える堀北学。

そして、その堀北学の元へと、悠然とした足取りで歩み寄る南雲雅の姿があった。

 

「……堀北先輩」

 

南雲は、堀北学の目の前で立ち止まり、まるで勝者のように自信に満ちた笑みを浮かべた。

 

「まさか、あなたのクラスから退学者が出るとは思わなかったでしょう? ……誰も、俺の策は読めない。俺は先輩のように、正面から正々堂々と戦うだけの古いやり方はしない。これが、俺の『やり方』です」

 

南雲は、堀北学の右腕である橘を盤外からの奇襲で刈り取ったことを、誇らしげに宣言した。

 

自らの手を汚さず、他クラスの生徒を捨て駒にして敵の急所を突く。

生徒会長という権力とカリスマ性を利用した、極めて陰湿で、しかし盤面においては有効な策略だ。

 

(……アホくさ)

 

だが。

体育館の壁際に寄りかかっていた俺は、その南雲のドヤ顔での勝利宣言を聞いて、心底見下したような、冷ややかな溜息を吐き出した。

 

暗殺者として、実家で徹底的な帝王学と暗殺の美学を叩き込まれてきた俺の目から見れば、南雲のやっていることは、ただの『二流の小悪党』の思考でしかなかった。

 

(直接勝てないからって、周りの弱い人間を人質にとって間接的にダメージを与える。……そんなしょうもない、回りくどい手を使って『俺の策は読めない』だと? 笑わせるな)

 

本物の強者なら。王を名乗るなら。

盤外の搦め手など使わず、正面からの圧倒的な暴力なり、知略なりで、直接『堀北学』の首を刎ねに行けばいいのだ。

 

わざわざ他人の手を汚させ、自分は安全圏から笑っている。そんなものは策でも何でもない。ただの『臆病者の卑怯な嫌がらせ』だ。

 

(あいつが俺を生徒会に誘った時、一秒で断って本当に正解だったな。あんな志の低い男の下につくくらいなら、一生便所掃除でもしてる方がマシだぜ)

 

俺が内心で南雲に最低の評価を下している間にも、事態は進んでいた。

 

「……橘」

 

堀北学が、崩れ落ちそうになっている橘茜の肩を力強く掴み、静かに、しかし絶対的な威厳を持って宣言した。

 

「俺は、お前を退学にはさせない」

 

堀北学は、教師に向かって、毅然とした態度で救済措置の行使を申し出た。

 

「ルールに則り、プライベートポイント2000万と、クラスポイント300を支払い……橘茜の退学処分を取り消すことを要求する」

 

「なっ……!」

 

「2000万ポイント!? それにクラスポイント300!?」

 

体育館が、再び騒然となる。

それは、三年Aクラスがこれまで血の滲むような努力で貯め込んできた、莫大な資産の放出を意味していた。

 

だが、堀北学は一切の迷いを見せなかった。彼にとって、そしてAクラスにとって、橘茜という存在はそれだけのポイントを支払ってでも守るべき仲間だったのだ。

 

「……手続きを受理する。橘茜の退学処分は取り消される」

 

教師の宣言により、橘は涙を流して堀北学に感謝の言葉を繰り返した。

 

「……さすがは堀北先輩。仲間のためにそこまでの資産を躊躇なく投げ打つとは。美しいですねぇ」

 

南雲が、まるで芝居を見ている観客のようにパチパチと拍手をする。

そして、南雲は振り返り、道連れを指名した張本人である三年Bクラスの女子生徒の元へ歩み寄った。

 

「お前も、よく俺の指示通りに動いてくれた。約束通り、お前の退学も俺が個人のプライベートポイントで救済してやるよ」

 

南雲は、二年生全体から上納させている莫大なプライベートポイントを支払い、手駒として使ったBクラスの女子生徒の退学も取り消して見せた。

生徒会長としての圧倒的な資金力のアピールだ。

結果として、退学者はゼロになった。

 

だが、ダメージの差は明確だった。

堀北学の三年Aクラスは、南雲の策により、クラスポイント300と莫大なプライベートポイントを失った。

 

一方で三年Bクラスは、同額のクラスポイントを消費したが、敵の資産を大きく削り取ったのだ。

 

南雲が、満足げな笑みを残して去っていく。

 

(……ま、上級生の泥沼の権力闘争なんて、俺の知ったことじゃないがな)

 

俺は、一連の茶番劇が完全に終わったことを確認すると、もう南雲たちのことなど綺麗さっぱり脳内から消去した。

 

そんな他人の盤面よりも、俺にとって宇宙の真理に等しい『絶対的な重要事項』が、すぐそこに迫っていたからだ。

 

「よし、解散だ! 荷物をまとめて、クラスごとに指定されたバスに乗車しろ!」

 

教師のその号令。

それはすなわち、一週間に及んだ『男女隔離の掟』からの、完全なる解放を意味していた。

 

「――――シャァァァァァァッッ!!」

 

俺は、心の中で咆哮を上げ、全速力で体育館を駆け出した。

もう監視の目も、減点のリスクもない。

俺の脚力は風を切り、向かう先はただ一つ。

外の広場で、Cクラスの女子たちが乗り込むバスの列に並ぼうとしている、銀髪の天使の元へ。

 

「ひよりぃぃぃぃぃぃっ!!」

 

「えっ? あっ……刃叉羅くん!?」

 

ひよりが驚いて振り返った瞬間、俺は彼女の目の前で急ブレーキをかけ、今度こそ、周囲の目など一切気にせずに、彼女の華奢な身体を正面からギュッと力強く抱きしめた。

 

「ば、刃叉羅くん……っ!? み、みんな見てます……っ」

 

ひよりが顔を真っ赤にしてパニックになり、俺の胸の中でモゾモゾと暴れる。

 

「見させておけ。俺はこの一週間、砂漠で一滴の水を求める旅人よりも渇いてたんだ。……ひより、会いたかった。本当によく頑張ったな」

 

俺は、彼女の柔らかな髪に顔を埋め、花の蜜のような香りを肺の奥深くまで吸い込んだ。

合宿所のシャンプーの香りすら、彼女から漂うと極上のアロマになる。

細胞の隅々まで、急速に潤いが戻っていくのが分かった。

 

「……ふふっ。私も、刃叉羅くんにずっと抱きしめてもらいたかったです」

 

ひよりは、抵抗するのを諦め、俺の背中にそっと両手を回してギュッと抱き返してくれた。

 

「試験、お疲れ様でした。刃叉羅くん、退学にならなくて本当に良かったです」

 

「当たり前だ。俺がひよりを残して学校を去るわけないだろ。……学校に戻ったら、冬休みの分を取り返すくらい、毎日ずっと一緒にいよう。速攻でデートな」

 

「はいっ。図書室でも、カフェでも、刃叉羅くんの隣を予約しておきますね」

 

俺たちが、完全に二人だけの甘い世界に没入し、互いの温もりを確かめ合っていると。

 

「……あ、呉くん! 呉くーん!!」

 

背後から、息を切らした平田の声が響き渡った。

 

「呉くん、お願いだから早く戻ってきて! もうDクラスのバス、出発しちゃうから! 茶柱先生がすごい顔で君のこと探してるよ!!」

 

平田が、オカンのような悲鳴を上げながら俺を呼びに来た。

 

「……チッ。空気の読めない教師め」

 

俺は渋々ながらも、ひよりの身体を離した。

 

「じゃあな、ひより。あとで寮でな」

 

「はいっ。気をつけて帰ってくださいね、刃叉羅くん」

 

天使の極上の笑顔に見送られ、俺は平田に引きずられるようにして、Dクラスの男子バスへと向かった。

バスに乗り込み、一番後ろの席にドカッと腰を下ろす。

 

「……お前、本当に相変わらずだな」

 

隣の席の綾小路が、窓の外を眺めながら呆れたように呟いた。

 

「俺の平穏が戻ってきたんだ。このくらいはしゃいでもバチは当たらんだろ」

 

バスがゆっくりと動き出し、雪に覆われた合宿所が遠ざかっていく。

上級生たちの策謀や、クラス間のポイント争い。

そんなノイズは、もう俺の耳には届かない。

 

暗殺者の少年は、解き放たれた隔離の檻の中で、最愛の彼女の温もりの余韻を噛み締めながら、日常という名の極上の幸福へと帰還していくのだった。

 

 

 

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