青春を求めて実力主義の教室へ   作:リリリリら

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七話

四月も下旬に差し掛かった頃。

 

高度育成高等学校に入学してから三週間近くが経過し、新入生たちもすっかりこの学校の『特殊な環境』に慣れきっていた。

 

「よっしゃあああ! 今日もカラオケ行くぞお前ら!」

「おー! 俺、最新の曲練習してきたからな!」

「あ、ねえねえ、後でカフェ寄ってから行かない?」

 

放課後のチャイムが鳴り響いた直後、1年Dクラスの教室は今日も相変わらずの動物園状態だった。

 

毎月10万ポイント(実質10万円)が支給され、敷地内にはあらゆる娯楽施設が揃っている。おまけに授業態度はどれだけ劣悪でも教師から注意されることはない。

 

こんな環境を与えられれば、大半の高校生がタガを外して遊び呆けるのは火を見るより明らかだ。池や山内といった連中はもちろん、軽井沢を中心とする女子グループも、連日のように放課後を遊び歩いているようだった。

 

(……やれやれ。狂ってるな、本当に)

 

俺――呉 刃叉羅は、教室の喧騒を背にしながら、静かに鞄に教科書をしまっていた。

 

彼らの危機感のなさは異常だ。この学校が『実力至上主義』を謳っている以上、このまま何のお咎めもないはずがない。来月の1日、彼らがどんな顔をするのか少しだけ楽しみでもあるが、俺には関係のないことだ。

 

俺の目的は、あくまで『普通の高校生の青春』を味わうこと。

 

騒がしい連中とは適度な距離を置き、平穏な日常を謳歌する。そのための最大のオアシスが、放課後の図書室で椎名さんと過ごす時間だった。

 

だが、今日に限っては、そのオアシスはお休みだった。

 

『椎名ひより:呉さん、ごめんなさい。今日は茶道部の活動があるので、図書室には行けません。また明日、一緒にお話ししましょうね』

 

朝、俺の端末に届いていたメッセージを思い出す。

彼女が部活動を楽しんでいるのは喜ばしいことだが、図書室にあの銀髪の天使がいないとなると、俺の放課後は途端に色褪せてしまう。

 

(さて、どうするか。真っ直ぐ寮に帰って、夕飯の仕込みでもするか?)

 

そんなことを考えながら席を立とうとした時、ふと、俺の前の席に座っている男の背中が目に入った。

 

綾小路清隆。

相変わらず、周囲の喧騒など一切耳に入っていないかのように、無気力な顔で窓の外を眺めている。他の生徒たちがグループを作って遊びに行く中、彼は常に一人で、誰かに声をかけることもなく、かといって寂しそうにするわけでもなく、ただ静かにそこに存在していた。

 

(……こいつといると、不思議と気が休まるんだよな)

 

俺はふと、数日前に櫛田たちと一緒にカフェに行った時のことを思い出した。

綾小路は口数こそ少ないが、決して空気が読めないわけではなく、こちらの話を否定することもない。あの底知れない瞳の奥に何を隠しているのかは分からないが、少なくとも、池たちのような浅薄な騒がしさとは無縁の人間だ。

 

図書室に行かない放課後。たまには、同性の友人と遊ぶのも悪くないだろう。

俺は鞄を肩にかけ、綾小路の机の前に立った。

 

「なあ、綾小路」

 

声をかけると、彼はゆっくりとこちらに視線を向けた。

 

「……呉か。どうした?」

 

「今日、この後暇か? もしよかったら、ちょっと遊びに行かないか?」

俺がそう誘うと、綾小路はわずかに目を見開いた。いつも無表情な彼にしては、珍しく驚きを顔に出している。

 

「遊びに……? 俺と、か?」

「他に誰がいるんだよ。この後、二人でケヤキモールにでも行こうぜ。たまにはパーッと遊ぶのも高校生らしくていいだろ」

「……」

 

綾小路は少しの間、沈黙した。

断られるかとも思ったが、やがて彼は静かに頷き、自分の鞄を手に取った。

 

「わかった。……行こう」

「よし、決まりだな。さっさと出ようぜ、騒がしい連中に捕まる前にな」

 

俺たちは足早に教室を後にした。

廊下を歩きながら、俺は内心で少しホッとしていた。男友達を遊びに誘うなんて、一族の郷にいた頃には考えられなかったことだ。

 

あの頃の『誘い』といえば、「おい、ちょっとそこの山で素手で熊でも狩りに行かないか?」とか「組手で骨が折れるまで殴り合おうぜ」といった、命に関わるものばかりだった。

 

それに比べれば、「放課後にモールへ遊びに行く」という響きの、なんと平和で甘美なことか。

 

 

ケヤキモールに到着した俺たちが向かったのは、巨大なボウリング場だった。

カフェで数時間潰すのも悪くないが、男二人でケーキをつつくのも少し味気ない。かといってカラオケで歌うような気分でもなかったため、適度に体を動かせるボウリングは最適の選択に思えたのだ。

 

「ボウリングか……。やったことはないが、ルールくらいは知っている」

 

レンタルシューズに履き替えながら、綾小路がポツリと呟いた。

 

「マジか、初めてなのか。まあ、ボールを転がして奥のピンを倒すだけだから、すぐに慣れるさ」

 

適当な重さのボールを選び、指定されたレーンに入る。

周囲のレーンでは、他のクラスの生徒たちや上級生たちが歓声を上げながらゲームを楽しんでいた。

 

「じゃあ、まずは俺から行くぞ」

 

俺は14ポンドのボールを片手で軽々と持ち上げ、アプローチに立った。

 

(さて、どう投げるか)

 

俺の肉体は、一族の千三百年にも及ぶ品種改良と、幼い頃からの地獄のような暗殺訓練によって完成されている。

 

筋力、動体視力、関節の可動域、すべてが常人のそれを遥かに凌駕しているのだ。もし俺が本気で――それこそ暗殺対象に暗器を投擲するような全力のフォームでこのボールを投げれば、レーンの板を叩き割り、ピンはおろか奥の機械まで粉砕してしまうだろう。

 

求められるのは、完璧な『一般高校生』の偽装。

力みすぎず、かといって弱すぎず。適度なカーブを描きながら、ポケット(1番ピンと3番ピンの間)を正確に撃ち抜く。

 

俺はゆっくりと助走をつけ、手首の角度とリリースポイントを計算し尽くした上で、ボールを放った。

 

ゴロゴロゴロ……パーーンッ!

心地よい破裂音と共に、10本のピンが綺麗に弾け飛んだ。ストライクだ。

 

「おお、いきなりストライクだ。幸先いいな」

「……見事なフォームだったな。無駄が一切なかった」

 

綾小路が、相変わらず抑揚のない声で褒めてくれる。

 

「ははっ、昔ちょっとやったことがあってな。次は綾小路の番だぞ」

 

俺と交代し、綾小路がアプローチに立つ。

彼は13ポンドのボールを持ち、じっとピンを見つめていた。その立ち姿を見た瞬間、俺の暗殺者としてのセンサーが、わずかに反応した。

 

(……あいつの立ち方)

 

一見するとただの初心者のように見える。

だが、肩の力の抜け具合、重心の位置、そしてボールの重さを完全に掌握しているかのような指先の動き。それは、極限まで無駄を削ぎ落とした『武術の達人』に近いものを感じさせた。

 

綾小路が、静かに助走を始める。

そして、腕の振り子運動を利用し、滑らかなフォームでボールをリリースした。

 

ボールは、レーンのど真ん中を一直線に転がっていく。一切のカーブもかからない、完全な直線軌道。

 

パーーンッ!

俺と全く同じ、完璧なストライクだった。

 

「おおっ! すげえじゃん綾小路! 初めてとは思えないな」

「……たまたまだ。ボールの重心と、レーンの摩擦係数を予測して、力学的に一番効率の良い角度で手放しただけだ。だが、ピンの弾き方には運の要素も絡む。次はこう上手くはいかないかもしれない」

「……お、おう。なんか小難しいこと考えて投げてんだな」

 

こいつ、やっぱりただの無気力な高校生じゃない。

俺の『偽装』とは違うが、彼もまた、何かとんでもない身体能力や計算能力を『隠している』側の人間だ。自己紹介の時から感じていた不気味さの正体が、少しだけ垣間見えた気がした。

 

だが、それ以上深く探る野暮はしない。俺だって自分の正体を隠しているのだから、彼にだって秘密の一つや二つあるだろう。

 

そこからは、奇妙な心理戦――もとい、高度なボウリング対決が始まった。

俺たちは互いに『普通の高校生として上手いレベル』を装うため、わざとストライクを出さずにスペアで抑えたり、時には絶妙なコントロールでスプリットを作り出し、それを「惜しい!」と悔しがるふりをして見せたりした。

 

暗殺者としての緻密な身体操作能力を、まさか『わざとミスをする』ためにフル稼働させるとは思わなかった。

 

「……くっ、またスプリットか。難しいな」

「どんまいどんまい。ボールのリリースが少し遅かったな」

 

内心では1ミリの狂いもなくボールを制御できているのに、表面上は高校生らしい一喜一憂を演じる。

 

綾小路も同じだ。彼は無表情のまま、「軌道計算が数ミリずれた」などと言いながら、見事にピンを一本だけ残してみせたりしている。

 

(こいつ……絶対にわざとやってるだろ)

 

互いに正体を隠しながらも、その底知れない実力を薄々と感じ取っている。

しかし、それが嫌な感じではなかった。むしろ、お互いが『何かを演じている』という奇妙な共犯関係のようなものが心地よく、俺たちは純粋にそのゲームを楽しんでいた。

 

結局、二ゲームを終えて、スコアは俺が165、綾小路が160という、なんとも『リアルな上手い高校生』の点数で決着がついた。

 

「いやー、楽しかったな。初めてでスコア160はマジで才能あるぞ、お前」

「呉の教え方が良かったからだろう。……悪くない時間だった」

 

ボウリング場を出た俺たちは、心地よい疲労感を感じながら、モール内の飲食店エリアへと向かった。

 

「いらっしゃいませー!」

 

威勢の良い店員の声に迎えられ、俺たちが暖簾をくぐったのは、本格的な豚骨ラーメンを提供する店だった。

 

運動をした後には、やはり濃い味のものが食べたくなる。

カウンター席に並んで座り、俺は『特製チャーシュー麺・こってり』、綾小路は『醤油豚骨ラーメン・普通』を注文した。

 

「そういえば、呉は料理が得意だったな」

「ああ。特に和食が好きだけど、ラーメンみたいなジャンクなものもたまに食べたくなるんだよ」

 

やがて、湯気を立てるラーメンが運ばれてきた。

白濁したスープに、とろけるようなチャーシュー、そしてキクラゲとネギがたっぷりと乗っている。

 

俺はレンゲでスープをすくい、一口飲んだ。

 

(……ほう。豚骨特有の臭みを上手く消して、旨味だけを凝縮してるな。これなら、香味野菜と一緒に数時間煮込んでいるはずだ。麺の加水率もスープによく絡むように調整されてる)

 

趣味の料理の癖で、ついつい頭の中でレシピを分析してしまう。俺ならここに少しだけ魚介の出汁を足して、奥深さを出すだろうか。

 

「美味いな、これ」

「ああ……確かに、美味い。コンビニの弁当とは比較にならない」

 

綾小路も黙々と麺を啜っている。

男二人、カウンターで肩を並べてラーメンをすする。会話は少ないが、そこには確かな『親愛』の情があった。一族の郷では、食事といえば栄養補給の作業か、あるいは毒が盛られていないかの神経戦でしかなかった俺にとって、この何気ない時間はかけがえのないものだった。

 

スープまでしっかりと飲み干し、会計を済ませて店を出る。

 

外はすでに暗くなり始めており、街灯がケヤキモールの敷地を優しく照らしていた。

 

俺たちは男子寮に向かって、ゆっくりと歩き始めた。

満腹感と、ボウリングの適度な疲労感。春の夜風が、火照った体を冷ましてくれて心地よい。

ふと、隣を歩く綾小路が、立ち止まることなく口を開いた。

 

「呉」

「ん? どうした?」

「……今日は誘ってくれてありがとう。珍しいな」

 

淡々とした、いつもと変わらない声。だが、その言葉には彼なりの不器用な誠実さが込められているのが分かった。

 

俺は夜空を見上げながら、軽く笑った。

 

「今日は、いつも図書室に一緒に行く子が部活だったからな。俺も一人で帰るには少し退屈だったんだ」

 

椎名さんの銀髪と、その可愛らしい笑顔を思い浮かべながら答える。俺の『天使』は、今頃お茶の作法でも学んでいるのだろうか。

 

「……それに、お前と話していると落ち着くからな」

 

俺は立ち止まり、綾小路の方を見た。

 

「うちのクラスの連中は……騒がしい奴が多すぎるからなぁ」

 

脳裏に浮かんだのは、池や山内の馬鹿騒ぎ、須藤の怒号、そして教室に充満するギャルたちの甲高い笑い声。

 

それらの騒音を思い出し、俺は思わず遠い目をして深く息を吐いた。

 

「俺は、平和に、静かに高校生活を送りたいんだよ。そういう意味じゃ、お前みたいに落ち着いてる奴と一緒にいるのが、一番しっくりくるんだ」

 

俺の言葉を聞いた綾小路は、少しだけ目を伏せ、そして静かに同意した。

 

「……ああ、それはそうだな。今のDクラスの惨状は、お世辞にも居心地が良いとは言えない」

「だろ? だから、お前みたいなやつが近くの席で本当に助かってるよ」

 

俺は再び歩き出しながら、ふと気になっていたことを尋ねた。

 

「そういえば、お前は他に友達は出来たのか? たまに、あの隣の席の……堀北だっけ? あいつと話してるのは見るけど」

 

堀北鈴音。あの孤高の美少女と、この無気力な少年。接点など無さそうな二人だが、何度か教室で言葉を交わしているのを見たことがあった。

 

俺の問いに対し、綾小路は呆れたような、やれやれといった風な溜め息をついた。

 

「堀北、か。……あれを友達と呼べるのかは疑問だな。ただ席が隣だから、成り行きで話す機会があるというだけだ。あいつは俺以上に、他人と群れる気がないからな」

「まあ、確かにそんなオーラ出てるよな。話しかけるなオーラがすごい」

「本当にその通りだ。あいつの隣に座っている俺の身にもなってほしいものだ」

 

冗談めかして言う綾小路に、俺は声を出して笑った。こいつもちゃんと、そういう愚痴みたいなことを言える高校生なんだなと、少し嬉しくなった。

 

「……今の所、休日や放課後に遊ぶことがあるのは、お前だけだな」

 

不意に、綾小路がポツリとそう言った。

 

「え?」

「平田や櫛田に誘われてグループで出かけることはあるが……個人的に、ただ『遊ぶ』ためだけに出かけたのは、お前が初めてだ」

 

綾小路は俺の目を見ることなく、前を向いたままそう告げた。

その言葉の裏にある、彼なりの不器用な『友情の証』を、俺はしっかりと受け取った。

 

互いに何かを隠し、偽りの自分を演じている者同士。それでも、この瞬間だけは、俺たちは間違いなく普通の『友達』だった。

 

「ははっ」

 

俺は自然とこぼれた笑みを隠すことなく、綾小路の肩を軽く叩いた。

 

「そうかよ。光栄だな」

 

俺たちは再び並んで歩き出す。

夜の帳が降りた学校の敷地は静かで、遠くから聞こえてくる他の生徒たちの声も、不思議と心地よいBGMのように感じられた。

 

「図書室に行かない日は、また遊ぼうぜ。今度は俺の部屋で、飯でも奢るよ。得意の和食を振る舞ってやる」

「……それは助かる。コンビニ弁当生活から抜け出せるなら、いつでも呼んでくれ」

 

綾小路の言葉に、俺は再び笑い声を上げた。

 

暗殺の道具として育てられた俺と、どこか深い虚無を抱えた少年。

 

決して普通の人間とは言えない俺たちが、偽りの平穏の中で見つけた、ささやかな青春の1ページ。

 

明日はまた、騒がしい教室に戻り、そして放課後にはあの天使のような少女が待つ図書室へ向かう。

 

俺の望んだ『普通の高校生』としての日常は、少しずつ、だが確実に、この高度育成高等学校という箱庭の中で色付き始めていたのだった。

 

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