A.D.1856
風の噂で聴いた、東大陸の塔から魔物が外に溢れ始めたと。一人の庶民として言葉にすれば恐ろしいと感じるが、別に困ってはないらしい。元から世界には野生の魔物がいて狩りの対象となっていたから。塔の1層にいる魔物は外から住み着いてきたのが殆どで、塔の内部は不思議とエネルギーに満ち溢れ、見馴れない植物、木々が生い茂る。それに影響されるように魔物も強大化して独自の生態系となっていた。
外部から塔に住み着いた魔物が出てこないのは、単に居心地が良かったからだろう。強大化した魔物からは良質な魔石がドロップする、それらは希少性があり内部の植物と同じく東大陸の産出品として冒険者の稼ぎとなり、人とモノが動く。そして塔から生まれ続ける利権を求めて今日も周辺諸国は紛争をしていた。
何時の世もカネか...と勝手に浸っているところに本日も宿泊客が現れた、白いローブに赤いマントを羽織った女性と大剣を帯びた黒騎士だ。
「ツインで1部屋お願い致します」
‐‐‐承知いたしました、それでは「聖女様なりません。失礼、ダブルで2部屋にしていただきたい」
「あらあら...ダメでしたか」
---それではダブルでご案内いたしますね‐‐‐
変わった2人組で気になる単語もあったが一先ず仕事が優先である。赤マントの女性が持っていた布に包まれたゴルフバックみたいな荷物を運ぼうとすると、予想外の重量に腰を痛めそうになった。なんだこれ!?
「あらあら支配人様あぶないですよ。持ちどころを間違えると刺さってしまいますよ、トゲが」
---えっ、失礼ですがコチラのお荷物が何なのか伺ってもよろしいでしょうか?---
「モーニングスターです」
物騒はモノは一緒にいた黒騎士が運ぶことになった。
2人を部屋に案内した後、遅れて腰が痛みだした自身の体に年を感じながらエントランスまで戻ってくると当ホテルのオーナーが今日もラウンジで海を見ながら黄昏てた。テーブルの飲み散らかしたワインボトルはいつもの事なので気にしない。腰を摩りながら近寄ると、Ms.デネブは一瞬こちらに流し目を送りまた視線を海へ戻した。
おれは先ほどの宿泊客について話してみる事にした。
‐‐‐さっき聖女と呼ばれている女性と騎士が宿泊したんだが、なにか知っているか?‐‐‐
「聖女だと...?また現れたのか、可哀想に」
ぞんざいな物言いをしながらデネブは俺にヒールを掛けてくれた(あ...やさしい)
‐‐‐楽になったよ、ありがとう。ところで可哀想ってどうゆうことだ、聖女というからには教会関係だと思うが‐‐‐
「そうだ、聖女は教会によって東大陸の塔の頂上に到達する使命を帯びた女の事だ。使命自体に何の意味があるかは私も知らない、おそらく教会ですらもう分からないのに使命を遵守することに固執しているんだろう」
なんだか難しい話になってきたが、また現れたという事は過去にも何人かいたのだろうか。
‐‐‐聖女は何人もいたのか?‐‐‐
「聖女とは【聖女の印】を神から授けられた哀れな女の記号に過ぎない。清く優しく正しい心の持ち主に宿るとされ、身体のどこかに印が現れると聖女として認められる。聖女は必ずセカイに1人だけ存在する、新しい聖女が現れるという事は前任者が死んだということさ。唯、そうだな、聖女は人の悪意に敏感だという。そこに何かヒントでもあるんじゃないか?」
一通り話し終わったという事なのだろう。彼女はワインを呷り、再び水平線に沈んでいく夕陽を眺め始めた。
夕餉の時間となりカフェラウンジが忙しなくなった頃、聖女と黒騎士もやって来た。遠目から食事している2人は美男美女で絵になる一幕である。魔女から聴いた、使命に縛られた若者たちの些細な幸せでもあるのだろうか。
支配人として各テーブルひとつひとつに挨拶していく。聖女の卓に辿りついた時、彼女達はちょうど食事を終え、星空の下で静かに談笑をしていた。
黒騎士は従者の護衛かと思っていたが随分と仲が良さそうだ。
‐‐‐お食事は如何でしたでしょうか。もしよろしければ食後のワインでもお持ち致しますが‐‐‐
「あら支配人様、お気遣いありがとうございます。でも大丈夫ですよ、私たちこれでも教会の信徒ですからお酒を嗜むのは控えているんです」
‐‐‐そうだったのですね、失礼いたしました。であれば肩掛けにブランケットをお使いください、今日の夜風は冷たいでしょう?‐‐‐
ありがとうございます。そう彼女が言い立ち上がった時、聖女は不意に倒れそうになった。おれと黒騎士は互いに彼女が床に倒れるのを庇い、体調を伺ったが彼女は軽い立ち眩みと言った。
「失礼しました、支配人様。旅の疲れが出てしまったようです。ご迷惑かけてしまいますのでお部屋で休ませていただきますね、今日はありがとうございます」
黒騎士が彼女をエスコートしながら部屋に戻ろうとするので、俺も安全のため付き添う旨を伝え、部屋まで見送ることにした。聖女が休み始めたあと、俺は黒騎士と話す機会を得た。
「支配人殿、先ほどはありがとうございました。聖女様も疲れを忘れるほどのひと時を楽しめていたようです」
‐‐‐そんなことはございません、こちらが体調の変化にもっと早く気付いていれば...‐‐‐
「聖女様の事ならお気になさらないでください。特殊な体質とでもいいましょうか、不安定に崩れてしまうことがあるのです。御本人も他者に気にされない事を好むので、そういうモノだと思ってください」
黒騎士はそう少しだけ、寂しそうに答えた。
俺は迂闊にも聖女の印の影響なのかと尋ねてしまった。
「ご存じだったのですね、お考えの通りです。聖女様は人の悪意に敏感になってしまいました、周囲の者たちの自分とは関係ない悪意ですら感じ取ってしまわれる。この湾岸都市は巨大です、それ故其処ら中に有り、それが聖女様の身体を蝕んでしまうのです」
‐‐‐そうだったのですね、ですが貴方と居る彼女はそんな感じに見えませんでした。余程信頼されているのでしょう‐‐‐
「恥ずかしながら、私は幼き日に聖女様に救われたのです。ただの昔話ではありますが、貴族である聖女様と唯の庶子である自分。通常であれば関わることを許される事はなかったのに、あの方は私に色々なことを教えてくださいました。あの方は友人として私に接してくださったのでしょうが、私にはそれが日常を彩る色彩そのものだったんです。ですが【聖女の印】が現れてしまった...あの方は教会に入り、私もテンプル騎士としてお仕えするために追いかけて行ったのです。自慢ではありますが、聖女様の護衛はその印の特質から代々1人と決まっているのです。これでもがんばったのですよ?任命された時、あの方は私の事を覚えていてくださいました。故に私は最期までお仕えするのです」
黒騎士が語る聖女の話は、彼のほんのちょっとの恋慕を感じる物語だった。
太陽が真上にかかる頃、東へ出港する蒸気船の汽笛の音がラウンジに届く。俺はいつもの定位置にいる魔女を横目に、遠ざかっていく船影を眺めていた。
聖女と黒騎士は塔への歩みを止めはしないのだろう。願わくば使命など何処かに捨てて健やかに生きれくれれば、と思ってしまうのは彼女たちの名誉を傷つける行為かもしれない。だが、せめて良い思い出だけは残して欲しい。そう思うのは俺の独りよがりな自己満足なのだろうか。
そんな事を呟くが、傍にいる魔女は何も応えはしなかった。
登場人物
聖女ロット:白いローブに赤いマントを羽織った美しい女性。元貴族の令嬢。【聖女の印】を身に宿し、周囲の悪意を感じるほどに身体に痛みが走る。その痛みが大きくなる方角が東である。得物のモーニングスターは代々聖女が使用する凶器である。歴代聖女たちは敬虔な信徒であり痛みを試練と捉えている、それ故に相手にも痛み(試練)と救い(死)を与える事が当然と誤認していく。身体が欠損しても持続ヒールで治療しながら敵対者を轢殺する。清く優しく正しい心は、痛みから逃れる事が出来ず壊れていくのだ。モーニングスター気狂い聖女様。
黒騎士シュバルツ:聖女の従者であるテンプル騎士。見た目は黒騎士鎧に大剣を使うイケメンだが普段はフルフェイスの兜を装備している。元は平民で聖女の幼馴染、聖女を支える事を使命として仕えている。それは幼き日の友情であり、恋心でもあり愛情である。聖女の騎士は当代最高の騎士がなるのが習わしで、白兵戦において作中最強。加えて善良な心を持つため聖女の従者としての適性も◎
壊れていく聖女を見続け、自身も壊れた。その身が壊れようとも戦い、聖女によって治され続け、その戦闘が終わるまで止まることはない。聖女と共に代々「使命」を帯びて塔の頂上を目指している。