え、隕石逸らす為だけに転生させられたんすか?   作:饅頭の皮

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幕間
25. 出会いから倒れるまで (彩葉視点その1)


 

 

 

「「助けて」って言ってもいいんだ。」

 

 

 

今思えば、一目見た時から既に絆されていたのかもしれない。

 

こちらを吸い込んでしまうような、包み込んでしまうような藍色の瞳。

 

垂れ下がった目尻に何処とない既視感を感じた時には、多分もう遅かった。

 

でなければ、世間話をする程度の仲の隣人なんて、部屋に上げなかった。

 

大して知りもしない人の前で、涙を流すなんてこともしなかった。

 

いやまぁ…あの時は正直色々といっぱいいっぱいだったっていうのはある。

 

深く考える余力なんてものはほぼほぼ無くなっていたから。

 

寝起きの到底お見せできないような姿まで晒して。

 

部屋に上げた後から絵面のヤバさに気づいた挙句、立場上不利になる筈の貴方から大丈夫なのかとツッコマれる始末。

 

だから、しょうがなかった。

 

こちらを見つめる視線、慌てたような仕草、震えている声。

 

その全てから、貴方の優しさを感じれて。

 

暫く向けられることのなかった、受け取ることのなかった人の情に触れて。

 

溢れる涙を止めることができなかった。

 

あれだけうるさく脳裏をよぎっていた母の言葉も、その時だけは鳴りを顰めていた。

 

ぐずり出したかぐやの泣き声によって遮られたが、あのまま続いていたら最悪の場合、貴方の胸元で泣き腫らすことにもなっていたかもしれない。

 

そう思えるくらい、あの時の貴方の優しさは私の心に響いていた。

 

こんな弱っている女子高生を絆すなんて、貴方は悪い人だ。

 

…うん、よく考えても貴方が悪い。

 

というか()()()が悪い。

 

私は悪くないし、むしろ被害者だ。

 

本来は、取るに足らない普通の人生を送る筈だった。

 

普通に生活して、普通に進学して、普通に就職して。

 

自分のやりたいことにも、なりたいものにも気づかずに。

 

普通のエンドをなんの疑問もなく享受するだけの。

 

ごく普通の人生だった筈なのに。

 

青い空の向こう、月の世界からやってきた悪童と。

 

別の世界から、神の悪戯で飛ばされてきたスケコマシに。

 

人生設計めちゃくちゃにされたのだから。

 

私は絶対に、被害者ったら被害者だ。

 

 

 


 

 

 

何処かデジャブを感じた隣人は、斎藤英明さんというらしい。

 

そういえば名前…今まで全然知らなかったな…。

 

顔を合わせることはそれなりにあったが、挨拶と少しの世間話をするくらいで終わっていた。

 

特段仲を深めるなんてこともしてこなかったので、一年以上お互いの名前も知らないまま過ごしていたのだ。

 

久しぶりにありつけたまともな食事に舌鼓を打ちながら、そんな斎藤さんと今後の計画を組み立てていく。

 

七色に光り輝く謎の電柱の中から現れた赤ん坊。

 

なまじ信じ難い出生の赤ん坊を、警察に届け出ることも、役所に押し付けることもできず。

 

なくなく抱え込むしかなかった私に、手を差し伸べてくれたのは斎藤さんだった。

 

とはいえ、その手に全ての責任を乗せるわけにはいかない。

 

 

 

『──立ち上がったやつが全部やるんや。やりたないなら相手が立つまで座っとき。』

 

 

 

母の言葉が脳裏をよぎる。

 

他に誰もいなかった。

 

見捨てれる非情さを持ち合わせていなかった。

 

言い訳はそれなりにできるだろうが。

 

立ち上がったのは、間違いなく自分だ。

 

なれば、その責任を持つのは自分でなければならない。

 

…ヘルプに来てもらってる時点で、責任が自分一人のものじゃなくなってるのだが、そこは一旦置いておくとして。

 

少なくとも、責任の多くを持つべきは私だ。

 

私の…筈だった…。

 

だというのに。

 

だというのにこの人は。

 

嘘ついてでも育休使うとか言い出すし。

 

とりあえずとか言って、取るのも大変であろう有給を使い出すし。

 

赤ちゃん用品のお金、全額勝手に払い出すし。

 

夜泣きした赤ん坊を嫌な顔一つせず、一日引き取ってくれるし。

 

なんなんだ。

 

なんなんだ、この人は。

 

優しい…優しくはあるんだけど、なんか…ちょっと優しすぎないか?

 

世間話する程度の仲だったとはいえ、名前も知らなかったレベルの関係値だったのに。

 

ちょっと…いやちょっとじゃなくて大分、優しすぎる。

 

明らかに責任とか、やらなきゃいけないことの負担とかが、半々…なんならちょっと斎藤さんの方が多くなってる。

 

へ、変な人に騙されたりとかしてないよね??

 

私生活が心配になるくらいに、他人に優しすぎる。

 

と言うか…そんなこと出来るか?普通。

 

言いたくはないが、私には多分出来ない。

 

そんなに仲良くない人に、時間もお金も投げ打って。

 

なんてことないように笑いかけてくれる。

 

ほら、また。

 

今何時だと思ってるんですか、夜中の三時ですよ。

 

そんな時間に、通話のコール音と赤ん坊の泣き声で雑に起こされて。

 

怒ったって、不機嫌になったって誰も責めたりしないのに。

 

斎藤さんは不満も愚痴も言わない。

 

 

 

「後は引き受けるから、酒寄さんはもう寝ちゃいなよ。」

 

「明日もバイトあるんでしょ?寝不足で行かせるには忍びないしね。」

 

「この子のことは、お兄さんに任せなさいな。」

 

 

 

むしろこっちに気を遣って、大丈夫だって示してくれる。

 

謝る私に、子育ての最奥が見えてきたから丁度いいなんて冗談めいたことを言うのも、私が余計な罪悪感を抱かないようにするためなんでしょう?

 

あぁ、駄目だ…絆されてる。

 

そう思っていても、体は素直にその好意を受け取るのだ。

 

そうやって斎藤さんが助けてくれている間に、私がどれだけ申し訳なくなっているか知らないでしょう?

 

どれだけありがたく思っているか知らないでしょう?

 

一夜明けてまたバイトに出かける前に、一声かけておこうと呼び鈴を鳴らす。

 

その度に、寝かせておいた方が良かったかな…なんて不安に思って。

 

でも出てくる斎藤さんは私を見るたびに、その垂れ下がった目尻を更に下げて、にへらと穏やかに笑ってくれるのだ。

 

 

 

「おはよ〜酒寄さん。」

 

「昨日はよく眠れたかい?…そっか、そりゃ良かった。」

 

「…俺かい?俺は寝かしつけのレベリングに夢中になってそれどころじゃなかった。」

 

「当初は三十分もかかってたのに今や十分で寝かしつけられる…フフフっ、自分の才能が怖い…!」

 

 

 

よく眠れたかと聞いてくる斎藤さんには、少しの嫌味も感じなくて。

 

純粋に心配してくれているんだって伝わってきて。

 

その冗談も………いや、こっちは気遣いとかじゃなくデフォルトで喧しいだけかも。

 

………まぁそれでも、心が少し軽くなっているのは事実で。

 

今から既に、返し切れるかちょっとだけ、不安になるくらい。

 

斎藤さんの優しさを、沢山貰っていた。

 

 

 


 

 

 

私が拾っていたのは、確かに赤ん坊だったはず。

 

理を大きく外れた意味不明で珍妙な生物を拾ってきたつもりはない。

 

じゃあ、なんで赤ん坊だった子が三日もしないうちに小学生くらいまで大きくなっているのか。

 

それは多分拾ってきたのが、理を大きく外れた意味不明で珍妙な生物だからだろう。

 

おいおい…ふざけるのは斎藤さんだけにしてほしい。

 

おかしい…いや確かにその兆候はあった。

 

拾った時から一夜明けたあの日も、少し大きくなった感触があった。

 

でも実際に大きくなってるとは思わないでしょ普通。

 

斎藤さんも気の所為じゃないの?って言ってたし。

 

突然の子育てですり減っていたキャパが、音を立てて更にすり減っていくのがわかる。

 

ミルクを所望する子供を他所に、迷わずスマホでヘルプコールを送った。

 

飛んできてくれた斎藤さんも驚きを隠せないでいた。

 

どうしよう…私はとんでもない奴を拾ってしまったのでは?

 

ゲーミング電柱の時点でその可能性を考慮すべきではあったが。

 

兎にも角にも理解が追いつかない。

 

頭を抱えるこちらの気なんて知らないように、子供はお腹を鳴らす。

 

もしや…みたいな感じでこちらを見てきた斎藤さんは目で殺しておいた。

 

失礼ですね…いやまぁ確かに一回斎藤さんの前でお腹鳴りましたけども。

 

子供の動向をそのまま傍観していると、斎藤さんの方に近寄っていく。

 

そして一度、お腹が空いたと助けを請えばあら不思議。

 

さっきまで薄らとあった警戒は何処へやら。

 

斎藤さんは気持ち悪い口調で猫可愛がりし始めた。

 

ヨシヨシと頭を撫でては、だらしなく口を緩ませる。

 

その様子を見て、呆れ半分。

 

そしてもう半分は…なんだろう。

 

なんか、気に食わない。

 

猫可愛がりしたくなるのも分かるくらい、その子供は可愛いと思う。

 

でも、だからと言って…なんか…。

 

言葉にできない…いや、できないわけじゃ無いけどしづらい。

 

だけど、明確に心の中がモヤモヤした。

 

遊んでいた玩具を他人に取られた感じ。

 

嫉妬…なのだろうか。

 

…………いやいやいやいや、なんで?

 

なんで嫉妬なんてしてるのか。

 

いやそもそも嫉妬では無いだろ。

 

そんなことをグルグルと頭で考えて。

 

結局残ったのは言い知れぬ不快感。

 

斎藤さんの優しさに染まった目が、他の誰かに向けられる。

 

その事実がどうしようもなく、面白くなかった。

 

なのでとりあえず一回斎藤さんにゲンコツを入れた。

 

私は悪くない、悪くないったら悪くない。

 

結局腹の虫が治らない子供のために、それぞれ夜食を取ることに。

 

食事の傍ら色々と聞いてみたが、この子供はなんと月から来たと言う。

 

それを聞いてなんとなく思い浮かんだ竹取物語について話してみるも、本人の反応的に関係はなさそうだった。

 

挙句、物語に出てくるお爺さんを指差してはこれが彩葉なのかと聞いてくる始末。

 

更には、物語の結末を聞いてハッピーエンドがいいと駄々を捏ねて地べたで暴れている。

 

とんだワガママなお姫様だ。

 

好き放題暴れ回って、何も考えずに自分の気持ちを言葉に出す。

 

通らないとなれば地団駄を踏んで喚き散らす。

 

世界はそんなに優しくない。

 

世の中生きてれば、どうしようもないことの一つや二つ出てくるのだ。

 

変えられない。

 

ならばそれは、受け入れるしかない。

 

歯を磨きながらそんなことを言う私は、ある種の諦めに入っていたのかもしれない。

 

それはお父さんやお母さんのこと。

 

変えたくて、変えられなくて。

 

結局受け入れるしかなかった。

 

だからそれを言うのにも、今更特に抵抗なんてものもなく。

 

さも当たり前のように語れた。

 

そんな私をみて、貴方は決心を固めたような表情で宣言するのだ。

 

 

 

「よし、決めた!」

 

「自分でハッピーエンドにする!」

 

「そんでハッピーエンドまで彩葉も連れてく、一緒に!」

 

 

 

その場では、いらないとにべも無く断った。

 

だと言うのに貴方はそんなこと知らないと言わんばかり。

 

こちらの許可を取ることもなく。

 

貴方は勝手に手を引いていく。

 

貴方の強引さを身をもって思い知るのは、少しだけ、もう少しだけ先の話だ。

 

今この時点で思い知ったのは。

 

 

 

「あ〜えらいねぇ〜お利口だにぇ〜!」

 

「そしたらほら!いってらっしゃ〜いって、酒寄さんを見送ってあげよう。」

 

「は〜い、いってらっしゃ〜いって手を振るの。」

 

「あ〜よくできまちたねぇ!!!」

 

 

 

斎藤さんが貴方に向けている優しさが、私より少しだけ大きいこと。

 

一夜明けて、斎藤さんに子供のことを預けようとする。

 

当たり前だが、つい昨日までの朝のやりとりの時にその場にいたのは私と斎藤さんだけだった。

 

私と…斎藤さん…だけ…。

 

別にその時間が無くなったから臍を曲げているわけじゃない。

 

別にそこに私と斎藤さん以外が入ってきたことに不満があったわけじゃない。

 

別に、そんなんじゃ…ない。

 

どれだけ否定を並び立てても。

 

結局最後に残るのは、面白くないの一言で。

 

 

 

「さ、斎藤さんからの…《small》いってらっしゃいは、《small》《xsmall》無いんですか…。《xsmall》」

 

 

 

こんなことを言うのも、面白くないからで。

 

あぁ、自分で自分が嫌になる。

 

露骨に臍を曲げて、斎藤さんを困らせて。

 

助けてもらってるのに、いつもキツい態度や言葉で対応してしまう。

 

やってることが小学生みたいだ。

 

カバンを握る手に、少し力が入る。

 

視線が前じゃなくて、自分のつま先に向かう。

 

やっぱりなんでもないですと、話を流す言葉が喉元まで来て。

 

 

 

「いってらっしゃい、車に気をつけて。」

 

 

 

それを分かったかのように、斎藤さんは笑顔で言ってくれる。

 

子供じゃないんだと言葉を返して、足早に階段を降りる。

 

その足取りが、普段よりも軽くなっていて。

 

自己嫌悪に陥っても、斎藤さんの一言でご機嫌になってる自分に気づく。

 

あぁ、やっぱり絆されてるんだ。

 

耳が、少しだけ熱い。

 

それはきっと、夏の暑さのせいだろう。

 

誰に聞かれたわけでも無いのに。

 

私はそう、心の中で誤魔化した。

 

 

 


 

 

 

拾ってきたこの宇宙人…改めかぐやなのだが、とんでもない悪童だったらしい。

 

一緒にいてくれと言って聞かないし。

 

大人しくしていろと言っても外に出たがる。

 

隠したいこっちの気も知らずに、友達の前にもズカズカ出てくるし。

 

人が奢ってもらった分にも普通に手を出す。

 

芦花と真美が優しい人で本当に良かった。

 

斎藤さんも誤魔化すのに一役買ってくれたし。

 

本当、多方面に頭が上がらない。

 

かぐやあんた本当に、斎藤さんにも後でお礼言っておきなさいよ?

 

なんて思ってたら、かぐやが斎藤さんの口座から十二万程使い込んでいるのが判明した。

 

頭上がらないの当たり前じゃん、むしろ下げるべきなんだから。

 

あんた本当に何してくれてんのとかぐやの襟首を掴んで振り回す。

 

宇宙人であるが故なのか、かぐやは何処となく倫理観や常識といった面に少し難がある。

 

問題があるというか、そもそも知らないという感じか。

 

平然と銀行口座の数値を改竄しようとするし。

 

人のお金を勝手に使うのもそうだし、ここに来るまでに色々と苦労したのも斎藤さんの口から聞いた。

 

後々の話にもなるが、自身の素顔をネット上にあげることになんの躊躇もないし。

 

体は私と同じくらいなのに知識だけが新生児みたいな、チグハグな感じ。

 

なんとも先が思いやられる。

 

とにかく、この好き放題している宇宙人の手綱をしっかりと握らなければならない。

 

それが最初に立ち上がった私が追うべき責務だ。

 

かぐやが家に来てから初の登校がハプニングまみれで終わり、ヘトヘトになって帰った部屋で夕食を食べ終えた後。

 

私の部屋で居候する条件に、かぐやは文句をつけてくる。

 

駄目なことは駄目だと、はっきり口にして教えなければならない。

 

それこそ、これ以上斎藤さんの負担になろうとすることも。

 

自分でも思ったより強めの声が出てしまったことに驚いた。

 

でもしょうがない…じゃなきゃ多分伝わらないから。

 

お母さんも…そうだったのかな…。

 

張り上げた自分の声と、母の声が重なる。

 

お母さんもお母さんなりに、何か大事なことを伝えようとしてくれていたのだろうか。

 

飛び出してしまった挙句連絡を無視してしまっている今となっては、知る由もない。

 

とりあえず、斎藤さんへの迷惑はこれ以上許容できない。

 

金銭的な意味でも、心境的な意味でも。

 

そんなこちらの考えを見透かしているかのように。

 

斎藤さんは私に声をかけてきた。

 

かぐやがスマコンを入れるのに苦戦している最中。

 

社会人としても痛手になるであろう出費の直後にも関わらず。

 

問題があったら共有しろ、金銭面は特にと釘を刺してくる。

 

駄目だ、流石にこれ以上は。

 

一人暮らしを始めてから、お金の大切さが身に染みてより分かったのだ。

 

お金を稼ぐことの大変さなんて特に。

 

二桁万円の出費に加えて、そもそも赤ちゃん用品や夜食の代金すらも返せてない。

 

本格的に借金と言えるレベルの負債に成りかねないのだ。

 

けど、その裏でどうしようもないことがあるのは分かっている。

 

この後の生活がどうなるかは不透明だが、それでも人間一人が増えるのだ。

 

生活費だって馬鹿にならないし、何かと入用になるのは明白。

 

そうなった時に、私の事情で金銭面的な困窮による煽りをかぐやにも受けさせるのか。

 

かぐやを拾ったのは私だ。

 

だから、金銭面の負担だって私の責任だ。

 

そんな甲斐性なんて、逆立ちしたって出てこないのは分かっていたくせに。

 

このまま補助を突っぱねて行き着く先は、おそらくまともな結末ではないだろう。

 

はいとは言いたくない、されどはいと言わないといけない。

 

相反する感情が脳を支配して、回答するはずの口を噤んでしまう。

 

そこまで見透かして、斎藤さんはこうして話をしにきてくれたのだろう。

 

それを裏付けるように斎藤さんは更に言葉を紡ぐ。

 

こちら側の不祥事とも言える一連の出来事が、斎藤さんにとっては楽しい出来事だったこと。

 

かぐやのお世話を頼まれたことが、頼りにされたのだと感じて嬉しかったこと。

 

自分がもっと頼りになる大人になりたいから、私にもっと気兼ねなく頼ってほしいこと。

 

まるで斎藤さんが頼んでいるかのような言い回し。

 

さも自分側から求めてるような状況にして、私が救いの手を取りやすくしようとしてる。

 

私が…余計な罪悪感を抱かないように。

 

芦花や真美が、斎藤さんのことを新手の詐欺師だと言っていた理由がなんとなく分かった気がする。

 

会話一つで人を丸め込んで懐柔する。

 

その手口はまさしく立派な詐欺師そのものだ。

 

情けなさやら不甲斐なさやらでため息が出る。

 

なんで私は、こんなに無力なのだろう。

 

なんでこの人は、こんなに優しいのだろう。

 

斎藤さんから無償で向けられる優しさに、私の危機管理能力がピクリとも反応しない。

 

為されるがままに、疑うことなく、この人からの優しさを受け取ってしまう。

 

これもきっと、詐欺師であるこの人のせいだ。

 

そう毒付く心と裏腹に、自分の表情は意外と晴れやかだった。

 

 

 


 

 

 

やっぱりとんでもない奴だった。

 

やりやがったこの宇宙人。

 

あろうことか、私の推しが開催する大会で。

 

あろうことか、私の名前まで口走った上で。

 

優勝してやると宣言しやがった。

 

咄嗟に口を塞いでももう遅い。

 

周囲でざわめき始める観衆が何よりの証拠だ。

 

なんてことをしてくれるんだ。

 

そう言ってもどこ吹く風のかぐやは、早々にログアウトして準備に取り掛かっていた。

 

あいつ…ログアウトしたらとっちめてやる…!

 

なんで怒りを抱いていたが、推しと話すことでその怒りは四散した。

 

私の推し、月見ヤチヨ。

 

読みはつきみではなくるなみだ。

 

美味しそうな苗字だねなんて言い放った斎藤さんには平手打ちをかましておいた。

 

二度と間違えるな。

 

八千歳の電子の歌姫で、ツクヨミの管理人。

 

歌って踊れるAIライバー。

 

聞いてる限りでは色々と属性盛りすぎではなんて思う要素も、一目見た瞬間に急にまとまりを持ち始める。

 

天を突き抜けるビジュアル、海の底まで届く美声。

 

そんな彼女に何度私は救われただろうか。

 

誰にも言えない悩みをなんで聞いてもらったことか。

 

彼女の歌に何度心を救われたことか。

 

そんな私の推しを、他の人間にも知ってもらいたいと思うのは当然で。

 

このご時世にツクヨミにすら入ったことのない終身名誉原始人の斎藤さんにも、ヤチヨのことを教えてあげるのだった。

 

布教、押し付けの間違い?

 

失礼な…優しく教えてあげてるだけですよ。

 

斎藤さんの顔色が良くない?

 

ヤチヨの高貴さに畏れを抱いてるんですよきっと、よくあることです。

 

柄にもなく、自分でもウキウキしているのが分かっていながら、斎藤さんに色々と教えた。

 

斎藤さんも苦笑いを浮かべながら、結局は最後までちゃんと話を聞いてくれる。

 

相槌を入れて、たまに質問を返してくれて…合間に優しく笑ってくれる。

 

そんな反応する斎藤さんにも、非があると私は思ってますよ?

 

なんて、そんなことを思いながら話し続ける。

 

今思えば、この時からずっと。

 

斎藤さんに聞いてもらってばっかりで。

 

斎藤さんのことをあんまり、知ろうとはしてなかった。

 

就寝の準備をしている時。

 

斎藤さんの部屋から突如叫び声と、何かが倒れる音がした。

 

突然のことに、フリーズしたままかぐやと顔を見合わせる。

 

なんとか再起動して二人で隣の部屋の呼び鈴を鳴らしたが、反応がない。

 

ドアノブに手をかけたが鍵もかかっておらず、少しだけ開いたドアの隙間からはヒュッヒュッと忙しない呼吸音が微かに聞こえてきていた。

 

中に入ると、斎藤さんがいた。

 

浅い呼吸を繰り返しながら、自身の右腕を出血するくらい掻きむしっている姿で。

 

弾かれるように二人で駆け寄っては声をかけるが、こちらの声が聞こえていないのか。

 

震える体でひたすらに右腕を掻きむしっていた。

 

夜のいい時間というのも無視して大きな声で呼びかけると、斎藤さんは漸く止まってくれた。

 

涙目のかぐやが握って下ろさせた左手に隠れていた箇所から、引っ掻いた傷が露わになる。

 

まるで獣の爪で引っ掻かれたような、深い傷。

 

本来痛みで勝手にかかるはずのブレーキがかかっていなかったのだろうか。

 

ひたすらに浅く早く繰り返されていた呼吸に、震えていた体。

 

尋常じゃない様子から察するに、何かがあったのは明らか。

 

しかし何があったのかと問う私達に、斎藤さんは嘘をついた。

 

 

 

「ご、ごめんな!夜だってのに大暴れしちゃって!」

 

「いやついさっきそこにゴキブリ出てきちゃってさ!」

 

「俺って虫嫌いだからさ?驚いた勢いで叫ぶわ転ぶわで参っちゃうね本当!」

 

 

 

スルスルと淀みなく。

 

まるで本当であるかのように、斎藤さんは語る。

 

芦花や真美と遭遇した時と同じように。

 

でも、私達にはすぐに分かった。

 

間違いなく、嘘をついている。

 

だから、抗議しようとした。

 

そんなわけないと追求しようとして、遮られた。

 

 

 

「いや…虫だよ、本当に。」

 

 

 

だったらあんなに腕を掻きむしるのも、強く握る必要もない。

 

法学部志望故か弁護士の卵故か。

 

穴を突く言葉は頭に浮かんでくるのに。

 

喉でつっかえて、口から出てくることはなかった。

 

話す気はない。

 

言葉にしてはいないが、明確な意思の表示。

 

暗に触れるなと、拒絶されたのだ。

 

今まで優しい斎藤さんしか見てこなかった。

 

常に優しくあろうとしてくれていた。

 

だから、斎藤さんの拒絶を無視することができなくて。

 

伸ばそうとした手が、勝手に引っ込んだ。

 

 

 


 

 

 

あの日以降、かぐやはライバー活動を始めた。

 

配信して、雑談して、ゲームをして。

 

その様子をみんなに見てもらう。

 

かぐやが優勝を宣言したヤチヨカップの参加条件は、ライバーであること。

 

参加条件をクリアしたかぐやは、目下の目標である優勝に向けてファンを増やすべく行動している。

 

そして、それに何故か私まで巻き込まれていた。

 

ていうか私どころか、カフェで顔を合わせていた芦花や真美まで。

 

この宇宙人は懐に入るのが随分と上手いらしい。

 

あって間もない芦花や真美の警戒を解き、コラボをしたり一緒に遊んだりするようになった。

 

あの二人はユルい雰囲気のわりに警戒心は高い方なのに...。

 

そこを容易に搔い潜れるのは宇宙人だから為せる業なのか。

 

気付けば生活の多くがかぐやに侵略されていた。

 

それは日々のやることだったり、部屋のスペースだったり。

 

色んな所にかぐやがいて、最早見ない日なんてないレベルだ。

 

居候してるから当たり前と言えば当たり前なんだけど。

 

だが、そう易々と心を許すわけにはいかない。

 

芦花も真美もあの宇宙人に懐柔されてしまったし、斎藤さんなんか論外だ。

 

私が最後の砦といってもいいだろう。

 

すでに手遅れ...?何を言っているんだか...。

 

...負けてないが。

 

...負けてないが!!?まだ!!!

 

兎にも角にも、斎藤さんみたいにでろっでろに甘やかすようになるわけにはいかないのだ。

 

...斎藤さん。

 

ヤチヨのミニライブがあった日。

 

結局、あの日の夜、斎藤さんに何があったかは分からずじまいのままだった。

 

何回かは聞いてみようと試みてはいるものの、なんでもないと返されるのみ。

 

取り付く島もまるでない。

 

いつもは何を聞いても気さくに答えてくれる。

 

十七...十八だっけ?......二十連敗した合コンの話だって、嫌な顔をしながら結局は話してくれた。

 

でもあの夜の件だけは、いつになっても答えてくれないまま。

 

斎藤さんは、かぐやが大きくなった今でも色々と協力してくれている。

 

かぐやの面倒を見るのもそうだし、問題事が起きてないか気にかけてくれるし。

 

日中は使っていないからと自身の部屋の鍵をかぐやに渡して、好きなタイミングで使えるようにもしてくれた。

 

この人は警戒心をどこかに置いてきたのか?

 

調査員に無警戒に近寄るアザラシか貴方は。

 

それでもまぁ...それなりに助かっているのは事実で。

 

以前として、返したものより貸してもらうものの方が多い現状。

 

申し訳なさもあるが、やっぱりそれと同じくらい力になりたい気持ちも湧くわけで。

 

確かに、斎藤さんの前では若干弱いところを見せてばっかりな気はしてる。

 

だとしても、話一つ聞けないほど自分は頼りなくはないと思ってる。

 

学校ではこれでも、才色兼備で通してるし教師からの評判もいい。

 

力には、きっとなれるはず。

 

けど、斎藤さんは私に頼ろうとはしない。

 

いつも煙に巻いては、誤魔化されている感じだ。

 

かぐやが夜中に配信をしていてあまりにもうるさくて寝れない日は、斎藤さんの部屋の布団で寝させてもらうことが増えた。

 

夜中にふと目が覚めると、自分の布団があるのに斎藤さんはいつも起きている。

 

窓辺に腰かけて、手持ち無沙汰なのか月明かりを頼りに本を読んでいることが多い。

 

でもたまに、左手を月にかざすように上に上げて、ずっと見ていることがある。

 

その時の斎藤さんの目は、いつも苦しそうで。

 

斎藤さんも、かぐやと同じようによく笑うから、辛そうにしてるのもまたわかりやすい。

 

貴方の表情が曇る度に、私の胸がチクリと痛くなる。

 

()()()()()()()が、針となって心臓を突いてくる。

 

貴方に優しくされる度に、頭の中で声が響く。

 

このままじゃあ()()()だと、警告するかのように鳴り響く。

 

私は、貴方にただ守られたいんじゃない。

 

貴方の庇護下でぬくぬく腑抜けていたいんじゃない。

 

私は、横に立ちたいのだ。

 

立って、守りたいのだ。

 

私も、貴方を。

 

じゃなきゃ、()()()()()()()()()()

 

だというのに、私はまた貰ってばかり。

 

貴方が背負っている重荷を分けてもらうことも許されない。

 

貴方が矢面に立って傷つくのなら。

 

貴方の傷は誰が癒してくれるのだろう。

 

その役目はきっと私の筈。

 

なのに、私にその力が無かったら...?

 

...お父さんみたいに、いなくなっちゃうの?

 

太陽が照り付け、皆が楽しく遊んでいる海の浜辺で。

 

場違いなくらい重い空気の中、涙を溢しながら貴方に問いかける。

 

その時ようやく、初めて貴方を見たときに感じた既視感の正体が、自身の亡き父であることに気づいた。

 

あの時はまだ、年端も行かない子供だった。

 

でも、今はもう違う。

 

ただ指を咥えて失うのを待ってるだけの、あの頃とは違うのだ。

 

手を伸ばせる範囲だって、少しは伸びたはず。

 

だから、貴方に手を差し伸べることを許してほしい。

 

頭ではそう思っても、口から出てくる言葉は随分と弱気で。

 

まるで泣き落としのように、貴方を責めるように、何故頼ってくれないのかと問いかける。

 

私を頼れと、強く手を引くだけで済むはずなのに。

 

私に貴方を引っ張っていけるだけの力があるのか自信が無い。

 

頼ってほしいと思いながら、頼られたときに救える自信を持ち合わせていない。

 

何だろう、自分は。

 

一体何がしたいのだろうか。

 

散々迷惑をかけて、助けてもらって。

 

返すのも追い付かずに溜まっていくばかり。

 

いざ困ってそうだったら、頼ってほしいと思いながら。

 

それを口に出すこともできずに待つばかり。

 

呆れを通り越して、最早嘲笑まで出てくる。

 

きっと、目の前にいる斎藤さんだって困っているはずだ。

 

いきなり泣き出してこんなこと言って。

 

呆れてるかもしれない。

 

瞳からあふれた涙が、手の甲にポツポツと落ちていく。

 

あぁ、駄目だ。

 

ネガティブな考えが、止まらない。

 

こんなんだったら、もういっそ...。

 

グルグルと嫌な考えばかりが頭を支配する。

 

息も上手くできずに、溺れそうになった時。

 

突如、バキッという乾いた音が鼓膜を鳴らす。

 

驚いて顔を上げると、自身の頬を殴りつけた斎藤さんの顔が見えた。

 

そんな顔をさせるつもりはなかったという貴方の視線と、私の視線がぶつかった。

 

 

 

「頼りにさせてもらう。」

 

「絶対に。」

 

「その時が来たら、一番最初に酒寄さんを頼るって約束する。」

 

 

 

貴方の瞳に、私の姿が反射して映り込む。

 

その目には確かな謝意と誠意、そして敬意が見てとれた。

 

曇りの無い綺麗な藍色の瞳。

 

何で、この人の目はこんなに真っ直ぐなのだろう。

 

バイトという末端とはいえ、東京に来て社会というものの一部になって、その残酷さと冷たさを知って。

 

私の心は、目は、考えは、大きくねじ曲がってしまったというのに。

 

鏡のような綺麗な貴方の瞳に映った私の目は、こんなにも濁っているというのに。

 

私よりいくつも年上で、長く都会に住んでいる貴方は、何かもが真っ直ぐだ。

 

瞳も、背中も、歩き方も。

 

そんな目で見つめられたら、こっちはもう信じるしかないじゃないか。

 

許すしかないじゃないか。

 

だって貴方が、こんなにも真摯に誠実に信頼を向けてくれているのだから。

 

自分で自分を殴るというまるで青春ドラマの一部のような行動をとったことに気恥ずかしくなったのか、斎藤さんの顔が赤く染まっていく。

 

さっきまでの堂々とした姿から一転、しおしおになって顔を覆う変わり様に、思わず笑いが漏れる。

 

嘘をついたらなんて脅すようなことを言って、心の底では約束が破られるなんて思ってもいない。

 

いつの間にか、貴方を信じることに疑問を抱かなくなった。

 

絆されてるなやっぱり...でも、それもまぁ...いいか。

 

貴方に絆されてから、いつもよりうまく笑えるようになった気がする。

 

絶対本人の前では言わないけど。

 

言ったら調子に乗りそうだし。

 

そういうところはかぐやと似てるんだなあの人。

 

ぽっと出て生まれた兄弟という設定。

 

急造の設定の割には随分と板についている気がする。

 

かぐやはよく懐いているし、斎藤さんも邪険にすることなく甘やかしてる。

 

まるで本当の兄妹...家族みたいだ。

 

兄妹、家族。

 

ふと浮かんだワードに、チクリと心が痛んだ。

 

それは、自分にとっては拾いきれなかったもので、守り切れなかったもの。

 

欲しいと願って、諦めてしまったもの。

 

胸の痛みを誤魔化すように、海で遊んでいたかぐや達に駆け寄る。

 

兄は上手くやれていた。

 

上手くやれなかったのは、私だった。

 

もし、もしも。

 

もしも、私が貴方のような人だったら、お母さんと仲違いしたりしなかったのかな。

 

所詮は絵空事。

 

既に終わった事だし、実際に起きもしない事。

 

それでも、ifを考える頭はグルグルと稼働を続ける。。

 

貴方の優しさは、お父さんのそれと少し似ている。

 

だから貴方だったら、お母さんが変わってしまうのを止められたんじゃないか。

 

そしたらもっと、きっと──。

 

冷たい海の水が肌を撫でる。

 

空で輝く太陽は雲にさえぎられることなく、ギラギラとこちらを照り付けていた。

 

サングラス越しに見上げた太陽が少し眩しくて、少し目を細める。

 

あぁ。

 

貴方のようになれたら。

 

貴方のように、誰かに寄り添って救ってあげられるような。

 

そんな、優しい人になれたら。

 

頭に浮かんだ淡い憧れと微かな願望は、緩やかな波と誰かのはしゃぐ声に攫われて、どこかへと消えていった。

 

 

 


 

 

 

なんだろう。

 

ふわふわする。

 

夢見心地というやつだろうか。

 

意識がはっきりしない。

 

眠っているようで起きていて、そのまた逆のような気もする。

 

もやもやの中をふよふよと漂うような...そんな感じ。

 

しばらく身を委ねていると、突如おでこの部分に別の感覚がした。

 

ひんやり冷たい。

 

何かを当てられたのだろうか。

 

でも、気持ちいい。

 

不思議な心地よさを堪能していると、見えていなかった視界が徐々に開けてくる。

 

瞼が重いのか、開くスピードが遅い。

 

ピントもぼやけたままだ。

 

誰かが、私の近くに座っている。

 

温和な雰囲気に、かつての記憶が蘇る。

 

子供のころに風邪をひいた時も、こうして隣に座っては頭を撫でてくれた。

 

今はもう、ここにはいないあの人。

 

 

 

「お...父...さん...?」

 

「同期達が本当にお父さんになりだしてて俺だけ置いていかれてるから、あんまりそう呼んでほしくはないかなぁ〜…。」

 

「......なんだ、斎藤さんか。」

 

 

 

どうやら違ったらしい。

 

斎藤さんを認識した辺りで、意識が現実に引き戻されている。

 

目覚めたのは自分の部屋の布団の上。

 

服装は制服のままで、頭がズキズキと痛んでいる。

 

私、何してたんだっけ...。

 

かぐやの買い物に付き合って、外に出て、急に気分が悪くなって...。

 

恐らくそのまま気絶してしまったのだろう。

 

今の時間を把握しようとしてスマホに手を伸ばす。

 

目に入ってきたのは、既に夕方になっているであろう時刻。

 

普段であればバイトに行っている時間帯で、勿論今日もそうであったはず。

 

すっぽかしてしまった。

 

今の状況を理解して勢いよく身を起こす。

 

それに待ったをかけるように、斎藤さんが私の肩を抑える。

 

抵抗しようとする私を押し切って、そのまま布団に押し戻された。

 

自分でも力負けしなさそうな細い腕からは想像できないくらいの力強さで、少し面食らってしまった。

 

というか、斎藤さんに押し戻されなくてもおそらくふらついて立ち上がることもできなかっただろう。

 

この体調ではどっちにしろバイトに行くことはできない。

 

行けないならせめて連絡だけでもと思った矢先、かぐやが休みの連絡を入れておいたと言ってきた。

 

普段の様子からは考えられない気遣いに、思わず感謝の言葉が口から漏れた。

 

それと同時に、今度は隣の人が何故ここにいるのか疑問に思い始めた。

 

私達は夏休みだが、社会人である斎藤さんからしたら今日は普通の平日だ。

 

定時にはまだ早い時間にも拘らず、斎藤さんは職場ではなく私の部屋にいる。

 

何故ここにいるのかと聞いてみれば、かぐやから私が倒れたのを聞いて飛んで来たらしい。

 

また、迷惑をかけてしまった。

 

かぐやが来てからのここ数週間の間で、斎藤さんは私達の保護者として立ち回っていることが多い。

 

私が体調を崩したとなれば、保護者として立ち回っている斎藤さんが私の方に来るのも自明の理。

 

そんなことにも気づかず、体調管理を怠った結果がこのザマだ。

 

 

 

『──体調管理は全ての基本や。ここで躓くやつはどんな阿保よりも下や。』

 

 

 

母の言葉が脳裏を過ぎる。

 

現在進行形でバイト先や斎藤さんに迷惑をかけている私の姿は、まさしく母の言う阿保に当てはまるのだろう。

 

自身の不甲斐なさに、拳を握る手に力が入る。

 

というか、自身を呪うより先に謝罪でしょうが!

 

熱で回らない頭で漸くその事実に行きつき、斎藤さんに謝罪しようとする。

 

だが、そんなことも見透かしているかのように、斎藤さんが割って入る形で私に声をかける。

 

 

 

「お前の次のセリフは、すみません迷惑をかけて…という!…なんつってね。」

 

「お節介焼いた側からしたら、謝られるよか感謝される方がよっぽど嬉しいもんよ?」

 

 

 

冗談混じりに、それでいて間違いを諭すかのように、斎藤さんが私に指を指しながらそう言う。

 

小言の一つや二つ言われるのを覚悟していた私は、割って入られたのもあって少し呆然とした。

 

なんとか口を動かしてお礼を言うと、斎藤さんは満足そうに頷く。

 

そのやりとりを後ろで聞いていたかぐやが、思い出したかのように病院に行こうと提案してきた。

 

提案を受けるや否や、私に体調の具合を聞いて今後の予定を立てていく斎藤さん。

 

流れるように決まっていくこの後の動きに待ったをかける。

 

待ってくれ本当に。

 

今更だというのは理解してはいるが、その上で言わせて欲しい。

 

流石にこれ以上は迷惑をかけられない。

 

明日は休むと言い出した斎藤さんに、そこまでしてもらうのは申し訳ないと言う。

 

それに病院ともなると、最悪入院なんて可能性も出てくる。

 

予定だってギリギリで組んでいるのだ。

 

そうなったら遅れが取り戻せなくなる。

 

いつもの自分が頼んでいる風にして押し切ろうとしてくる斎藤さんに、なんとか抵抗する。

 

しかしかぐやの助力もあって、行かない理由が潰されてしまった。

 

そうなるともう、思っていることを素直に言うしかない。

 

熱で上手く回らない頭では、言い訳や都合のいい嘘も浮かんでこなかった。

 

 

 

「全部ギリギリで予定組んでるから……何日も休んだら、もう追いつけないよ……そしたら奨学金も……出ないかも……。」

 

 

 

自分の口から出た声の調子が、自分で思っていたよりも弱っているのに驚いた。

 

体調に引っ張られて、精神も弱っているのかもしれない。

 

悪い想像が止まらず、ぐるぐると頭の中を嫌な光景が回り続ける。

 

こんな、弱音を吐いているような所は二人に見せたくなかった。

 

それこそ、母のようにいられれば…。

 

母は完璧な人だった。

 

非の打ち所がない、という言葉がこれ程似合う人も見たことがない。

 

そんな母から見た私は、ずっと何かが足りていなかったのだろう。

 

だからずっと、母には認めてもらえなかったのだと思う。

 

完璧でいなきゃ。

 

完璧でいなきゃ。

 

そうでないと、認めてもらえない。

 

完璧でいなきゃ。

 

完璧でいなきゃ。

 

そうでないと、二人がいつか。

 

私から…。

 

いつか私から、離れていってしまう。

 

おかしな話だ。

 

最初は勉強の心配だったのに。

 

気づけば、二人から失望されていることに怯えている。

 

二人がそんな人じゃないなんてことは、頭で分かっているはずなのに。

 

涙が滲んで来たのか、視界がぼやけてくる。

 

いつもなら止められるものが、今は止めることができなかった。

 

滲んでいた涙が、いよいよこぼれ落ちそうになる。

 

その瞬間、私の両頬に手が添えられた。

 

優しく自分の方を向かせるようなその手は、斎藤さんのもので。

 

かち合った視線の先の瞳は、いつものように眩しいくらい真っ直ぐだった。

 

よく聞いてと前置きした上で、斎藤さんは話し始める。

 

それは、私の積み重ねの堅牢さのことだったり。

 

それは、今休まないことでのデメリットだったり。

 

そして最後には。

 

 

 

「...自分を労わったり褒めてあげたりっていうのは、社会に出るほど誰もやってくれなくなるし自分でやらなくちゃいけなくなる。」

 

「少しは自分の努力を認めてあげてもいいんじゃないかな?」

 

「俺は酒寄さんの努力をいっぱい褒めるし、認めるし、信じてあげるからさ。」

 

 

 

私のことを、肯定してくれた。

 

斎藤さんの発言を聞いて、何故か肩の重荷が降りたように体が少し軽くなった。

 

ふうっとひとつ、息を吐く。

 

努力を褒められたことがないわけじゃない。

 

バイト先の店長や後輩にも沢山感謝されたことはある。

 

学校でだって、先生や同級生から称賛されることも珍しくはない。

 

芦花や真美も素直に私のことを褒めてくれる。

 

それを嬉しく思ったことはある。

 

でもそれと同時に、何処か自分ではそうと思えず素直に受け取れない自分がいた。

 

いつしか、それが普通になっていた。

 

なのに、何故だろう。

 

斎藤さんに言われると、本当にそうなんだと思えた。

 

お世辞や建前であることを、少しも疑わない…否、疑えないのだ。

 

それを語る斎藤さんの目が、そうさせないのだ。

 

こちらのことを少しも疑っていないかのような、綺麗な瞳。

 

嘘じゃないと、こちらの心に直接訴えかけてくるような。

 

斎藤さんの言葉は、私の耳と頭にある幾重にも張り巡らされたフェンスをすり抜けてくる。

 

どんな目の細かいフィルターでも、少しずつ滲み出てくる水のように。

 

そうして抜けてきた言葉一つが一つが、乾いた私を潤していく。

 

あの日からずっとそう。

 

潤って、味を知って、乾いて、貴方の言葉でまた潤って、それの繰り返し。

 

そうする間に、頭の片隅で思い込んでしまうのだ。

 

この水源は、私だけのものだって。

 

私だけ…。

 

…ってぇ!何考えてんだ私は…。

 

熱の所為で思考回路が色々とおかしな方向に回り始めてる気がする。

 

とりあえずバイトも休みの連絡は入ってるみたいだし、安静にして体を休めよう。

 

そう思った時に、今まで黙っていたかぐやが口を開いた。

 

なんで一人で頑張るのか。

 

それは到底一言で説明できるものじゃなかった。

 

今まで生きてきた経歴を全部ひっくるめた上でそうなったのだから。

 

私の半生くらいまでを説明しないといけない。

 

答えることができずにいる間に、かぐやの中では話が進んでいく。

 

人間はすぐ死ぬだとか、ゾンビになって転生するだとか、宇宙に行くだとか。

 

感情が超スピードで変わっていくかぐやを、慰めるように斎藤さんが胸に抱き寄せる。

 

感情表現豊かなかぐやでも、ここまで泣いているのは初めて見た。

 

自分の所為かと質問するかぐやが死んじゃ嫌だと涙を流す。

 

質問には答えずに大袈裟すぎると返した。

 

死にはしない。

 

それは、今の体調を鑑みての発言ではあった。

 

それと同時に、自分の感覚が麻痺していることの証明でもあったのかもしれない。

 

父はそれこそ、自分が言った死にはしないという言葉の外側にいたのに。

 

 

 

「死ぬよ?」

 

「死ぬよ、人はすごく簡単に。」

 

 

 

私でもない、かぐやでもない声。

 

そうとなれば勿論、この声は斎藤さんの声で。

 

頭でそうと分かっていても、理解が追いつかなかった。

 

その声がいつものような優しく明るい声ではなく、底冷えするような冷たさを孕んでいたから。

 

斎藤さんの方を見た。

 

何も変わらない、いつもと同じ表情。

 

なのにその目には光が無く、何も映していないよう。

 

表情が変わらないまま、声音と瞳だけがまるで無機物のように熱を無くしていた。

 

そのまま動き続ける口から出てくるのは、死んだ人間がどういう風になるのか。

 

まるで、間近で見て知って体感してきたような。

 

それでも表情だけは、笑みを浮かべたまま変わらない。

 

あまりにもチグハグな状態だった。

 

海に行くときに、斎藤さんのご家族についても少しだけ聞いた。

 

その時は、誰かが亡くなっていたなんてこと言ってなかった。

 

だが、知らなかったとはいえ何かしらの闇を突いてしまったのは事実だ。

 

実際、命を軽んじるような発言ではあったし。

 

若干震えた声で謝罪を口にする。

 

謝罪を受けた斎藤さんは、そもそも口に出ていると思っていなかったのか、逆に驚かせてごめんと謝ってきた。

 

 

 

「無理を重ねていなくなった奴が身近にいたからさ〜…なんか思い出しちゃって。」

 

 

 

後頭部を掻きながら、なんとか話を本題に戻そうとする斎藤さん。

 

しかし、口を動かす斎藤さんからは、隠しきれないほどの後悔と執着のようなものを感じた。

 

この人もまた、あんな風になっちゃう程大切な人を失くしてるんだ。

 

そう考えたときに、ふと頭によぎった。

 

自分と、同じだ。

 

斎藤さんに対して失礼だと思う反面、潰しても潰してもウジのように湧いてくるその気持ち。

 

後悔と執着が感じ取れたのも、かつて自分の父が亡くなったときに感じていたのを痛い程覚えていたから。

 

モヤモヤした黒い感情が、自分の心の隙間から湧いてくる。

 

話しづらいなら席を外すという斎藤さんの袖を握った。

 

質問に答えるというかぐやに対してとはまた違う。

 

別の理由で、配慮する貴方を引き留めた。

 

熱に浮かされてブレーキが上手く踏めない。

 

黒い感情は、既に心を覆い尽くしていて。

 

取っ払うのが、少しだけ遅くなった。

 

なけなしの理性が、発言する声のボリュームを落としていく。

 

悟られたくない。

 

こんな私を知ってほしくない。

 

そんな感情を反映するように、小さく、小さく。

 

それでも、貴方を引き留める手は緩むことがない。

 

 

 

「斎藤さんにも…聞いて欲しいです…。」

 

 

 

貴方なら、私と傷を舐めあえる。

 

一瞬だけでもそう思ってしまった私の心の黒い部分が、凄く嫌なものにしか思えなくて。

 

けど皮肉にも、黒い部分が無かったら貴方の袖を掴むことはしなかっただろう。

 

ごめんなさい。

 

その言葉は、喉から先へと出てくることはなく。

 

まるで懺悔をするように、ポツポツと自分の過去を話していった。

 

 

 


 

 

 

死んでしまったお父さんの話。

 

出ていってしまったお兄ちゃんの話。

 

変わってしまったお母さんの話。

 

そして、正しさに潰されそうになった私の話。

 

それら全てを、二人に話した。

 

私が、身を削って限界ギリギリでそれでも尚、一人で頑張り続けようとするのか。

 

それは、そこまでやらないとお母さんは認めてくれないから。

 

お母さんは今の私と同じ、それどころか弟妹を抱えた状況で、全てを完璧にやり遂げた。

 

生活も勉学も、お金のことも。

 

だからこそ、私も同じ土俵に立たなければ。

 

同じくらい、一人で何でもかんでも完璧にこなせるようにならなければ。

 

お母さんは…私を認めてくれない。

 

上京してくるまでのエピソードを一通り話し終える。

 

かぐやは私の話に眉を顰めており、どこか釈然としない様子だ。

 

斎藤さんは…特に何もなさそう…というか、普通に話を聞いて咀嚼している感じ。

 

二人の反応を見比べていると、かぐやが不満を隠すことなく体を揺らしながら異を唱える。

 

宇宙人からしても、私のお母さんはおかしいと。

 

確かに、そうかもしれない。

 

私が他の家の子だったとして、今の話を聞いたら間違いなく毒親だというだろう。

 

今では芦花や真美との間ではお母さん語録なんて茶化して呼んではいるが、初めてその発言内容を聞いた時の二人の顔も困惑に染まっていた。

 

私自身、傷ついたことだって…何度かあった。

 

辛いことも、悲しいことも、沢山あった。

 

なんでそんなこと言うのって。

 

どうして褒めてくれないのって。

 

叱咤され、詰められ、否定され。

 

ヤチヨの相談アプリで、どうすればいいのかと涙ながらに打ち明けた夜もあった。

 

けど。

 

だけど。

 

それでも。

 

私は、お母さんが好きだった。

 

お母さんの綺麗なとこが好きだった。

 

お母さんの強いとこが好きだった。

 

お母さんの皆んなに憧れられてるとこが好きだった。

 

何度すれ違いを繰り返しても、お母さんの背中だけは脳裏の裏に憧れとして焼き付いていて。

 

望んで、追いかけて。

 

膝を折って、逃げだして。

 

それでもまた、亡者のように歩みを進めている。

 

こんな矛盾して歪んだ感情。

 

 

 

「かぐやには…。」

 

 

 

分かんないよ。

 

そう言おうとして、口を噤んだ。

 

なんでかは分からない。

 

ただただ、言いたくないと強く思った。

 

純粋な好意を向けてくれるかぐやにその言葉をぶつけることを、心の底から拒んだ。

 

やり場のない気持ちが、心の中を荒らしてくる。

 

感情をぶつけるように、懐に抱き込んだぬいぐるみに爪を立てた。

 

気づけばかぐやは、吹きこぼれそうな鍋の世話に向かっていて。

 

隣では、顎に手を当てて何かを考え込んでいる斎藤さんがいた。

 

斎藤さんは、どう思ったのだろう。

 

私の話を聞いて。

 

私の家族の話を聞いて。

 

何を考えるのだろう。

 

斎藤さんも、かぐやと同じく、変だと思うだろうか。

 

思う…だろうなぁ…。

 

斎藤さんは凄く優しいから。

 

斎藤さんだけじゃない。

 

芦花や真美だって、口にはせずとも表情がそう物語っていた。

 

やっぱり、変なのだろうか。

 

お母さんを好きでいるのは。

 

認めてもらいたいと、もがき苦しみ続けるのは。

 

私は、間違っているのだろうか。

 

熱が少しぶり返してきたのか、思考がどんどん悪い方に沈んでいく。

 

完璧じゃない、ちゃんとできない、一人で立てない。

 

手を差し伸べてくれた貴方にも、意地汚い最低な劣情をぶつけようとした私は。

 

きっと…もう…間違って…。

 

 

 

「難しいよね、人間関係って。」

 

 

 

嫌な思考の悪循環にハマる私を、斎藤さんの声が引き上げる。

 

斎藤さんがポツポツと話し出す視線は、かぐやに向かっている。

 

その視線は、今まで通りの優しさに満ちていた。

 

斎藤さんの声が、私の鼓膜を揺らす。

 

そして、私の心に寄り添うように、体に染み渡っていく。

 

分かるよって、そうだよねって、辛かったよねって。

 

背中をさすられてると錯覚する程、斎藤さんの声は優しくて温かくて。

 

そして、いつも。

 

 

 

「だから、間違ってないよ。」

 

「お母さんを好きだって思う気持ちも、尊敬する気持ちも。」

 

 

 

涙が、溢れそうになる。

 

いつもいつも斎藤さんは、欲しい言葉を欲しいときにくれる。

 

それこそ、エスパーみたいに。

 

心でも読めているんじゃないかって、この時は本当に思った。

 

的確に、私の弱いところを突いてくる。

 

それでいいんだよって、そのままでいいんだよって、優しく語りかけてくる。

 

ホストにお金を使う人のことを今まで心底理解ができなかったが、この瞬間だけはなんとなく理解できた。

 

欲しい言葉をくれるって、こんなに心地いいんだって。

 

斎藤さんは、悪い人なのかもしれない。

 

こんな高校生の女の子の弱みにつけ込むような、甘い言葉をかけてくる。

 

私みたいな人じゃなかったら、とっくの前に背中を刺されていただろう。

 

人をダメにするくらい、優しくて、暖かい人。

 

なのにその表情は今、さっきと打って変わってどうしようもなく悲哀に満ちていた。

 

さっきまでは、温かい優しさで一杯だったのに。

 

表情は形だけ笑っているのに、細められてる目の奥はまるで赤子が泣いているように揺れ動いている。

 

迷子の子供が泣き喚きながら親を探すように。

 

自分も両親と上手くやれなかったこと。

 

それでもその関係を捨てられないこと。

 

共感を示してくれるその姿勢の裏に、確かに経験から裏打ちされたであろう悔恨と愁い。

 

悲壮感の拭いきれない瞳の理由を私は知りたくなって、斎藤さんに聞いた。

 

斎藤さんの家族のこと。

 

斎藤さんが語り出したのは、ご両親のこと。

 

母は、明るくてよく喋る優しい人。

 

父は、寡黙で真面目で誠実な人。

 

斎藤さんの口から出てくるのは、良い印象ばかりで。

 

柔らかい笑みも浮かんでいるのに、目の奥の暗さは変わらないまま。

 

確かめるように、噛み締めるように、ご両親は良い人だと語るその裏で、表情や声音にも影が落ちていく。

 

 

 

「そう…本当に良い人達…俺には、勿体ない、くらい…良い人で…。」

 

 

 

この発言に、影を落とす理由が詰まっていた気がする。

 

絞り出すように出てきた言葉は途切れ途切れで、眉は顰められて握った拳は震えていた。

 

困惑と、怒りと、罪悪感。

 

俺には勿体ないくらいと、斎藤さんは言った。

 

少し前にも、自身のことを中古品と形容し、世話をさせてしまっているのが申し訳ないと言っていた。

 

言葉選びの節々から感じる、自傷と自嘲の気配。

 

自分という存在に向ける、鋭利な言葉の刃。

 

まるで、自分が生きていることそのものが間違っているんだと、自身に言い聞かせているようで。

 

悲しかった。

 

悔しかった。

 

辛かった。

 

貴方に何度も救われた。

 

貴方が差し伸べてくれた手が嬉しかった。

 

貴方が不器用なりにしてくれるバレバレな気遣いが嬉しかった。

 

貴方がくれる真っ直ぐな言葉が嬉しかった。

 

貴方が与えてくれて、私が感じた嬉しさを、全部否定されたみたいで。

 

私はそうは思わない。

 

貴方が自分を必要ないと罵っても。

 

それこそ、世界中が貴方の敵になったとしても。

 

それでも、私は。

 

 

 

「…私は、斎藤さんに…。」

 

 

 

生きていて、ほしいです。

 

そうやって言葉にできるほど。

 

自分は真っ直ぐにはなりきれなくて。

 

責任だとか、役割だとか、意味だとか。

 

理屈や理論めいた言葉で言い訳を作って。

 

貴方がその言葉を求めていなかったら?

 

貴方が寄り添うことを求めていなかったら?

 

もし間違えていたら?

 

これ以上完璧から…離れたら…?

 

不安を絵に描いた妄想が脳裏を何回も過って。

 

理想を追いかける為に、今まさに大切にしたいと思っている何かを切り捨てようとしている。

 

言葉にできていたら、まだ何か違う結末にできたんじゃないか。

 

以降何年経っても浮かび続けことになるそんな疑問を、この時の自分が知る由もなくて。

 

ぬいぐるみに顔を埋めるしか、できなかった。

 

そうして蹲ってるだけの私を他所に、斎藤さんは何事もなかったかのように立ち上がって歩き始めるのだ。

 

暗い雰囲気が何処かへと消えていた斎藤さんから、この先にしたい事を聞かれた。

 

この先…。

 

そう言われて、今まで頭に描き続けてきた人生設計図を広げ始める。

 

高校はこのまま上位の成績を維持して、東大行って、大学院を出て、一流企業に就職して…。

 

そうすればきっと…いや、そうした上で漸く、お母さんと同じ土俵に立てる。

 

そこから認められる為に…。

 

誰がいつ書いたかも分かりやしない設計図の内容を口に出そうとしたとき。

 

斎藤さんにその設計図を取り上げられた。

 

 

 

「例えばさ、このまま一人暮らしで高校卒業したら、お母さんが酒寄さんのこと認めます〜あなたと私は対等で〜すって言い出したとするじゃん?」

 

「そうなった後はどうするんだい?お母さんと同じ弁護士になるのかい?それとも別の職業?」

 

 

 

ぱっと即座に答える事はできなくて、顎に手を当てて考える。

 

仮に、お母さんに認められたとして。

 

その先、何をするのか。

 

何になりたいのか。

 

何を…何に…。

 

………。

 

あれ?

 

思えば考えたこともなかった。

 

お母さんに認めてもらう。

 

そのハードルの高さばかりに目がいっていて。

 

その後にもずっと道が続いているという、当たり前の事実が認識できていなかった。

 

お母さんに認められた、その後。

 

何にって…法学部だし法律関係の仕事に…。

 

それこそ弁護士とか…。

 

に、なり…たい…?

 

お母さんへの憧れはあったが、弁護士にフォーカスすると別に大きな憧れはない。

 

じゃあ、他に何になる?

 

…何が、あるんだろう?

 

おかしい、おかしい。

 

こんなはずじゃない。

 

自分の歩いてきた、そしてこれから歩くはずの道なりが。

 

こんなに不透明なわけがない。

 

こんなに曖昧なわけがない。

 

そう言い切る脳みそとは裏腹に、設計図を取り上げられた私の口から具体的な案は出てこなくて。

 

黙りこくる私に、斎藤さんが助け舟を出してくれる。

 

実現性とかを無視してもっとラフに。

 

子供が唱える将来の夢みたいなレベルで。

 

将来の…夢…。

 

私は、何になりたかった?

 

子供の時の記憶と感情を思い出す。

 

お母さんに憧れたのは本当だ。

 

お母さんみたいにカッコよくなりたかった。

 

お父さんみたいに優しくもなりたかった。

 

お兄ちゃん…も、まぁ、不本意ながらあぁなりたいと思う部分はあった。

 

でもそれらはあくまで理想の像でしかなくて。

 

具体的な現実にある職業や役割とかではなくて。

 

私は、何がしたかった?

 

お母さんに、認められたかった。

 

でも認められるって、具体的に何?

 

学校で一番の学力?

 

部活動での優秀な成績?

 

名門大学の主席合格?

 

教授たちが唸る研究成果の発表?

 

一流企業への就職?

 

どれもこれも、私が勝手に()()()()()()()で挙げ連ねた功績だ。

 

お母さんは何をしたら認めるなんて言ってないし、私もどうすればいいかなんて聞いていない。

 

だというのに、なんの疑いもなくこの功績を達成しようとしていて。

 

それでも尚、足りないよなぁなんて薄々思ってる。

 

何をすれば認めてくれるか分からないという事実から目を逸らして、学生という立場上一番手頃かつ社会的に評価されやすい勉学を手に取っただけ。

 

しかも、足りないとわかっていてその先を考えることもしなかった。

 

認められたら、その先なにがしたい?

 

斎藤さんのそんな一言で、私は丸裸にされてしまった。

 

今まで違和感を持っていなかったのに、客観視して漸く気がついた。

 

どうしようもなく、空っぽな私に。

 

なんでもいいから答えなきゃ。

 

何かに怯えるように、焦って答えを生み出そうとする私。

 

それを知ってから知らずか、斎藤さんは無いなら無いでいいと言ってくれた。

 

 

 

「ゆっくり自分を見つめ直して、いつかちゃんと答えを出せるようになれば、それでいいから。」

 

 

 

生徒を諭す先生のように、柔らかな声音と微笑みを私に向ける斎藤さん。

 

また斎藤さんに、甘えてしまった。

 

このままでは自立するための手足すらもグズグズに溶かされそうだ。

 

斎藤さんとの関係だって、いつまでも続くものじゃない。

 

かぐやとの生活も、お迎えが来ればそれまでだ。

 

ちゃんと自分一人での歩き方を明確に定義して、理解して、実践する必要がある。

 

考えなきゃいけないことが、ドカッと一気に増えた気がする。

 

今の生活、そして未来の生活。

 

今の目標、未来の目標。

 

今何がしたくて、この先何になりたいのか。

 

空っぽな自分の中身を少しでも埋めれるように。

 

そんなことを考えながら、斎藤さんが拾ってくるかぐやのリスナーからの褒めコメントをなんとかあしらっていると、かぐやが鍋を持ってきた。

 

どうやら、私の為におじやを作ってくれていたらしい。

 

味噌汁を軽く啜り、おじやを口に運ぶ。

 

味噌の優しい味とネギの風味。

 

卵のふわふわな舌触りと出汁の香り。

 

そして何より、芯に届く温かさ。

 

体の芯にも、心の芯にも。

 

超美味いなんて言うと、病人に見せるにはクドすぎる笑みを浮かべて変なポーズをとるかぐや。

 

それに追従して同じポーズと笑みを浮かべる斎藤さん。

 

ほんの少し魔が差して、斎藤さんの口におじやを捩じ込む。

 

あまりの熱さに悶える斎藤さんの姿が可笑しくて、クスリと笑みが溢れた。

 

先のことは、考えないといけない。

 

でも。

 

でも、二人との関係が終わった後のことは。

 

少しだけ、後に考えることにした。

 

認めるのは少しだけ癪だけど。

 

今、空っぽの私の隙間を埋めてくれているのは。

 

間違いなく、この二人だから。

 

少しでも、考えることすら、先延ばしにしたくて。

 

 

 

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