そんなにつまらないかな⋯⋯。
いきなりエロが始まらないか警戒してる?
その警戒は正しいのでなんも言えない⋯⋯_(:3」∠)_
夏油傑は、結界の奥で眠る五条悟を一度だけ振り返ってから、優人へ向き直った。
聞くべきことは山ほどある。違う世界とは何か。新とは誰か。終夜とは誰か。目の前で眠る五条悟は何者で、なぜ車椅子に乗っていて、なぜ自分ではない夏油傑と命を繋ぐ指輪を嵌めているのか。問いを並べればきりがない。けれど、今すぐ最も必要なのは、この五条悟を生かす方法だった。
優人は椅子に座り、膝の上で手を握っていた。先ほど叱られたせいで少し大人しい。けれど、視線は逃げていない。自分のしたことが悪いとは分かっている。だが、それでも必要だったと思っている。夏油はその顔を見るたびに、どうしようもなく頭が痛くなった。
「まず、指輪について話してくれ」
夏油がそう言うと、優人はすぐに頷いた。
「術式共有と呪力共有と命共有の指輪。外せない。傑お父さんと悟お父さんが結婚した時に嵌めた。月に一回、体液で呪力供給しないと衰弱して死ぬ。後片方が怪我するともう片方も怪我をする」
「説明が簡潔すぎるうえに内容が最悪だね」
「大事なところだけ言った」
「大事なところしかない」
夏油は指輪を思い出して眉をひそめた。あれは確かに禍々しい呪具だった。術式を共有するだけならまだ分かる。呪力共有も理屈としては理解できる。だが命共有、ダメージ共有、外せない、定期供給が必要。どう考えても婚姻の証として使うものではない。呪術師の家が権力闘争の道具にするには、あまりにも都合が良すぎる。
「それを、向こうの私は自分で嵌めたのかい?」
「うん。真依さんと悟お父さんが結婚させられそうになったから、助けるために」
「そうはならないだろ。私が嵌めたらそれはそれで迷惑じゃないか」
「なった。後で指摘されてゴロゴロしたって。でもお父さんは助けようとするその気持ちがとっても嬉しいって」
「そうか。向こうの私はだいぶ馬鹿だね」
言ってから、夏油は少し沈黙した。状況によっては自分も似たようなことをしかねないという嫌な自覚があった。政略結婚。命を人質にする呪具。巻き込まれる子供。五条悟。どれも、夏油傑が無視できないものばかりだ。目の前でそういう事態が起きて、即座に止められる手段が指輪を嵌めることしかなかったなら、自分は本当に止まれるだろうか。
答えは出なかった。
出ないこと自体が嫌だった。
助けようとする気持ちは嬉しいで済ませてくれた悟は聖人過ぎて心配になる。
「それで、あの悟は何をしている人なんだい。君の話では研究者らしいけれど」
「うん。呪力工学の天才。東京呪力結界を作ったし、呪霊可視化も作ったし、呪力を電力にする技術も作った。あと六眼システム。レギオン。終夜。新兄ちゃん。俺」
「最後の方は作るものではないと思うんだが」
「でも作った」
「研究者としては偉業かもしれないが、親としては一度説教が必要だね」
優人は少し不満そうな顔をした。
「悟お父さんは悪くないよ」
「では誰が悪いんだい」
「総監部。大体総監部のせいにしておけば問題ないって悟お父さんが言ってた」
「悟。いいかい優人、全部を総監部のせいにはできない。そういう考え方は良くない」
「でも傑お父さんも言ってたよ」
「それは私も悪いね。勿論悟も」
「お父さん達は悪くないもん」
優人は即答した。夏油は少しだけ目を細める。優人の中で、二人の父親は明確に守る対象らしい。何か問題が起きても、まず外部に原因を置く。それは子供らしい愛情でもあり、危うさでもあった。あと向こうの両親にはお話が必要かもしれない。その教育方針にはかなり物申したい。今のところ優人はかなりやりたい放題だ。
「研究の資料はあるのかい」
「ある」
優人は端末と小型の記憶媒体を取り出した。さらに、どこに隠し持っていたのか薄型のノートパソコンまで出してくる。夏油はまた少し引いた。子供が父親を監禁して移動しているだけでも十分おかしいのに、研究資料まで持ち歩いている。用意が良すぎる。
「悟お父さんのパソコン。勝手に使うと怒られるけど、顔認証は通るから」
「勝手に使ったのかい」
「緊急事態」
「その言葉を免罪符にしない」
夏油が注意すると、優人はまた少しだけしょんぼりした。だが、パソコンを開く手は止まらない。画面に並んだ資料名を見た瞬間、夏油は息を呑んだ。
東京呪力結界概要。呪力—電力変換炉基礎理論。呪霊可視化技術。六眼システム補助演算。レギオン運用記録。終夜育成計画。
冗談のような題名ばかりだった。
しかし資料は冗談ではなかった。術式理論、結界式、呪力循環図、運用ログ、実験記録。夏油は研究者ではない。専門家のように全てを理解できるわけではない。それでも、そこに書かれているものが単なる妄想ではないことは分かった。術式の組み方が具体的すぎる。結界の構築手順も、呪力変換の理論も、虚構にしては綿密すぎた。
「これを、あそこで寝ている悟が?」
「うん。でも一人じゃないよ。エリオットもいるし、黒瀬もいるし、真依さんもいるし、新兄ちゃんも手伝ってる。後メカ丸も」
「エリオットと黒瀬は聞いたことないな。アメリカの術師とかかい」
「二人とも非術師だよ」
「……非術師」
夏油は画面から目を離せなかった。
非術師が、呪術研究に関わっている。しかもただの補助ではなく、技術者として名前が出ている。禪院真依もいる。術式で部品を作り、機械化を支えているらしい。これは想像しやすかった。黒瀬という名は知らないが、資料を見る限り薬剤や一時強化技術に関わっている。エリオットは外部資金と工学技術を持ち込んだ人物らしい。
馬鹿げている。
そう思った。
だが同時に、合理的だとも思った。
呪術師だけで世界を変えられないなら、非術師の技術を使えばいい。呪力を扱える者が少ないなら、装置化すればいい。呪霊を見えない人間にも見えるようにすれば、被害は減らせる。呪力を電力に変えられるなら、呪霊はただの害ではなく資源になる。
夏油の指先が止まった。
呪霊を、資源にする。
呪霊を消すのではなく、使い尽くす。負の感情から生まれたものを、別の形へ変換する。もしそれが可能なら。
術師だけが、呪霊のために死ぬ世界ではなくなる。
灰原の顔が浮かんだ。
明るい声。屈託のない笑顔。任務に出て、帰ってこなかった後輩。あの時、自分の中で何かが壊れた。呪霊がいるから術師が死ぬ。非術師が呪霊を生み、術師が祓い、術師だけが消費される。その構造が許せなかった。
だから自分は別の道を選んだ。
呪霊を生む者を減らす道。
だが、目の前の資料は違う道を示している。
呪霊そのものを、エネルギーへ変える。
呪霊を見えるようにする。
呪霊の被害を、社会全体で管理できる形へ落とし込む。
夏油とは全く違う、犠牲を出さず、実績があり、公平な負担となる、実現可能な呪霊のいない未来。
そんなもの、欲しくないはずがなかった。
「……本当に、これが動いているのかい」
「動いてるよ。東京呪力結界はすごいんだ。呪霊の発生も被害も東京では殆どないよ。悟お父さんが作った」
優人は誇らしげだった。
夏油は何も言えなかった。
向こうの自分が、五条悟に惚れた理由を少しだけ理解してしまったからだ。
顔が良いからではない。天才だからでもない。置いていかれるというのがありえないからではない。自分を必要としてくれるからでもない。そんな理由もあるのかもしれないが、もっと根本的なものがある。
この五条悟は、夏油傑が欲しかった未来を研究している。
呪霊のいない世界。
灰原が死なずに済んだかもしれない世界。
子供達が呪詛師にならずに済むかもしれない世界。
それを、ただの理想論ではなく、技術として実現しようとしている。
そんなものを見せられて、心が動かないわけがなかった。
「惚れた?」
優人が顔を覗き込んでくる。
夏油は我に返った。
「惚れない。凄いとは思うけどね」
「悟お父さん、傑お父さんにお願いされて頑張ったんだって」
「……すごいね」
認めるしかなかった。これは惚れる。
私のお願いで、と聞いて夏油だってぐらついたのだから。
優人の顔がぱっと明るくなる。
「でしょ! 惚れた? キュンと来た?」
「ただし、子供を作る研究と、子供に危険な技術を使わせる教育については別問題だ。それに、私と悟をくっつけようとするのは止めなさい」
「そこは褒めないの?」
「褒めない」
優人は少しだけ不満そうにした。夏油はその顔を見て、また頭痛を覚える。この子供は五条悟の研究を心から誇っている。父を愛している。信じている。だからこそ、自分の危うさにも気付いていない。
「それと、君はこの世界の五条悟についてどう思っている」
夏油が尋ねると、優人は少し首を傾げた。
「死んでるんじゃないの? もしかして生きてる?」
「何故死んでると?」
「東京呪力結界がないし、呪力工学についての論文もネットにないし、悟お父さんの研究が何も残ってないから。多分、子供の頃に死んだんだと思った。この世界にも六眼はいると思うけど、五条悟じゃないと思ってた。六眼は常に一人なんだって」
「君は?」
「俺は半呪霊だから」
「は?」
「お父さん達の呪力で構築して受肉させたの。呪術的には呪霊カテゴリ。六眼が生まれると、バランスを取るために呪霊が強化されるんだけど、僕らの場合強い術師が増えたんだよね」
「は?」
初耳の情報だった。そしてかなりの無法だった。
科学者になっても悟は凄いらしい。そして優人の推測は、この子供なりに筋が通っている。五条悟が生きていれば、あの研究が残っているはずだ。残っていないなら、五条悟はいない。そう考えたのだろう。
だが、この世界の五条悟は生きているし、夏油傑が離反した世界で、最強として立っている。
それを今ここで言うべきか、夏油は少し迷った。言えば話がさらにややこしくなる。優人がどう反応するか分からない。今は目の前で眠る五条悟の処置が先だ。
「その話は後にしよう」
「いるの?」
優人は更に言及する。
夏油は黙る。
優人の目が見開かれる。
「この世界の五条悟、生きてるの?」
「……後で話す」
「生きてるんだ」
優人は呆然と呟いた。
夏油はしまったと思ったが、もう遅い。優人はしばらく固まっていた。何を考えているのか分からない。ただ、その顔は喜びだけではなかった。驚き、困惑、そして少しの警戒が混ざっている。
「じゃあ、いつ戻ってくるの。悟お父さんが呪詛師って信じられないけど⋯⋯。人命救助の為なら浮気仕方ないってお父さん思ってくれると思う? 待ってなんで結界出来てないの」
当然すぐ会えると思っている様子だった。
こういうところは子供だと思う。優人にとって五条と夏油は夫婦なのだ。こうなれば言うしかない。
「悟は呪詛師じゃないし、高専にいて私とは一緒にいないよ。今は元気に術師をやっている」
「えっ」
優人は目を見開いた。そして震えた。
「傑お父さん⋯⋯まさか、悟お父さんにもそんなつもりじゃなかったんだしたの? 惚れさせるだけ惚れさせて? いつも思うけど、どうしてそんな酷いこと出来るの? 傑お父さん、悟お父さんにだけはそういうのしないと思ってたのに」
そして気づく。
「元気だから? 元気だから私は必要ないね、一人で強く生きていけるねしたの?」
「待って待って待って。まず私はそんな最低な真似はしないよ。してないと思う」
そういいつつも、言われてみればそんなこともあったような気もする。
「いつもそう言うけどあっちこっち片っ端から誑かしてくるじゃん。俺お父さんのことそういうとこだけは嫌い。悟お父さん、本当は凄く気にしてるんだよ」
「違うんだ、そんな浮気常習犯みたいに言わないでくれ」
「君は一人で大丈夫って悟お父さんに言ってない?」
「言ったね⋯⋯」
確かに言ったがそんな下衆を見る目で見ないでくれ。
「世界が違えば、人も違う」
夏油はようやくそう言った。
「同じ五条悟でも、同じ道を歩むとは限らない。私もそうだ」
優人は黙った。でもかなり疑わしげな顔をしていた。
気まずい沈黙を破ったのは、奥の寝台から聞こえた小さな吐息だった。
二人は同時に振り返る。
五条悟が、わずかに眉を動かしていた。
まだ目覚めてはいない。
だが、薬の効果が薄れ始めているのかもしれない。夏油は立ち上がり、寝台へ近付いた。
知らない五条悟。
だが、知っている顔をした男。
呪霊のいない世界を作ろうとしている男。
そして、向こうの夏油傑が人生を預けた相手。
夏油はその顔を見下ろしながら、静かに息を吐いた。
「起きたら、君からも話を聞かせてもらうよ」
返事はない。
けれど、この男が目を覚ました時、また何かが大きく動く。
そんな予感だけは、はっきりとあった。
メカ丸
総監部に囚われた子供。
総監部に確保されそうになったりのゴタゴタで知り合った。メカ丸の境遇は他人事ではないと気に掛けている。
それが元で仲間になった。
有能だし趣味も近いし同族意識があるのでとっても仲良し。
マシュマロ
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