東京校の朝はいつも通りに始まった。
校庭ではパンダが棘を追い掛け回し、棘は相変わらず意味不明な具材名を叫びながら逃げている。真希は木刀を肩に担いで呆れたようにそれを眺めていた。
そんな中、脹相は黙々と荷物を運んでいた。
五条先生の手伝いだ。呪具の運搬。
その様子を見ていた真希は妙な顔をした。
「お前さ」
「なんだ」
「なんで毎回五条先生の仕事までやるんだ?」
ニヤニヤと真希。
頼まれもしないのに、奪うように手伝いをする脹相。
脹相は五条が何かを持っていると大抵、回収して運ぼうとする。
初めは真希も最強に媚を売っているのかと思ったが、戦闘で流れ弾が五条の方に飛んだ時、身を呈してすぐに庇ったばかりか、流れ弾を出した呪詛師にめちゃくちゃキレていたので、媚を売っているのではないと判断した。
五条は顔がいい。めちゃくちゃいい。うっかり同姓でも惚れてしまうのは有り得るように思えた。
真希のからかいに、脹相は一瞬だけ固まった。
しまったと思った。
無意識だった。
「別に」
「いや別にじゃねぇだろ」
真希は笑った。
「この前も五条先生が持とうとした荷物全部持ってったじゃねぇか」
「重そうだった」
「先生だぞ?」
「そうか」
「そうだよ」
健康な五条悟。
それは未だに脹相にとって慣れない光景だった。
研究所にいる悟は車椅子だった。
少しの段差ですら苦労していた。
研究設備の間を移動するだけでも補助が必要だった。
だから気付けば身体が動いてしまう。
重い物を持とうとしていれば止めるし、高い所の物を取ろうとすれば代わりに取る。
当然だった。
むしろ、気遣わなければかなりの白い目を向けられるのが普通だった。
五条悟は最優先で気遣わなければならないもの。
だが、この世界では違う。
この五条悟は世界最強である。
潜入して日が浅い脹相はそこまではわからないが、流石に五条が強い事くらいは理解できる。
重い荷物程度で困る男ではない。
頭では分かっている。
それでも身体が覚えてしまっていた。
守るべきものだと。
「お前、本当に変な奴だな」
真希は肩を竦めた。
「そうか」
「そうだよ」
その時だった。
「真希ぃ~」
気の抜けた声が響いた。
五条悟だった。
いつものようにサングラスを掛け、ポケットに手を突っ込んだまま歩いてくる。
「荷物持ってよ」
「自分で持て」
「冷たい! 脹相を見習って!」
「ウゼェな、最強なんだろ」
「最強にも優しさは必要だと思うんだよね」
「知らねぇよ」
真希は即答した。
五条は肩を落とした。
脹相は既に荷物を持っていた。
「どこへ運べばいい」
「えっ」
五条が瞬きをする。
真希が吹き出した。
「ほらな」
「ほらなじゃない」
「脹相、お前五条先生好きすぎだろ」
「違う」
「違わねぇよ」
五条も面白そうに笑っている。
だが脹相は困っていた。
好きとか嫌いではない。
習慣なのだ。
悟は守るもの。
助けるもの。
支えるもの。
その認識が骨の髄まで染み付いている。
だから健康な悟を見る度に妙な感覚になる。
安心する。
だが同時に寂しくもある。
研究所の悟は、こうして歩けなかった。
そして、その隣にはいつも夏油がいた。
今のこの悟の隣には誰もいない。
その事実も妙に引っ掛かっていた。
そんなことを考えていると、不意に別の声が聞こえた。
「何やってるの?」
振り返る。
そこには禪院真依が立っていた。
京都校の制服姿だった。
今日は合同任務のため東京へ来ているらしい。
真希は露骨に顔をしかめた。
「なんだお前」
「別に」
「帰れ」
「任務で来てんのよ」
いつもの姉妹喧嘩が始まる。
その様子を眺めながら、脹相は思わず呟いた。
「真依か。普通に任務に出ているのか……」
「なによ」
真依が振り向く。
脹相は少しだけ迷った。
だが、口が勝手に動いた。
「後方支援をしていた方がいいのではないか」
場が静まった。
真依が固まる。
真希が固まる。
五条だけが面白そうに目を細めた。
「後方支援って例えば何よ」
真依が胡散臭いものを見る目になる。
「もちろん、呪具の作成だ」
「あのね。構築術式は万能ではないのよ。作るものを知っていないとダメだし、呪力効率が悪い。呪具をホイホイ作るなんてあり得ないの」
脹相の知っている真依はホイホイ作っていた。
真依は弾丸を作るのではなく、呪力で撃てる銃を量産していた。
やはりあまりのも勿体無いし損失な気がした。
「ちょっといいか」
「何よ」
脹相はノートにサラサラと書いた。
銃の製作手順と設計図だ。
真依は眉をひそめた。
「何よそれ」
「銃だ」
「見ればわかるわよ」
「五条先生に一部手伝ってもらうといい」
「構築術式で作った鉄を溶かして普通の鉄に混ぜるとか、鍛冶屋さんのツテがないわよ」
「ツテがないのか……」
打つ手なしではないか。
「面白そうじゃん。僕が協力してあげるよ」
設計図を取り上げて、五条先生は笑う。
「んー。なんか変な機械だね。結構複雑? いける、真依?」
「ちょっと難しいと思う……」
「この程度も出来ないのか」
「できるわよ!!」
「そうか。真依はこういう物を作っていた方がいい。いちいち銃弾を使う方が愚かだ」
「私がバカだって言いたいの!」
脹相は口を閉じた。否定できなかった。もちろん、弾をいちいち作って消費する方がバカだと思っている。銃本体を作れ銃本体を。
「何なの、これ」
「呪力を込めて撃てる銃だ。銃弾は普通のものでも呪霊にダメージを与えられる」
「何それ。そんなのできるわけがないでしょ」
「面白そう! 試してみたい!!」
キャッキャする五条先生。
脹相としては、設計図を見て理解できない五条先生が驚愕だったのだが。
真依も五条先生も、こちらでは研究者ではないのだ。
改めて理解した脹相だった。
自分がどれほど革命的で大変な物を教えてしまったのか。
それは理解してない脹相だった。
そこで、五条先生が顔を上げた。
「そういえば、みんなに任務があるんだった」
「それを早く言えよ」
「今回は呪詛師の捕獲。僕も行くよー。資料多いから、場所を変えようか」
「じゃあ楽勝だな。よし、さっさと行くぞ脹相」
会議室へ入ると、伊地知が待っていた。
机の上には資料が置かれている。
空気は重かった。
「緊急任務です」
緊急なのにのんびりしてたのか……。
五条先生はそういうとこある。
伊地知が資料を広げた。
「正体不明の呪詛師について」
資料が配られる。
脹相は目を落とした。
そして固まった。
写真。
特徴。
活動地域。
全て見覚えがあった。
黒瀬だった。
正確には研究所の黒瀬だ。
大型トランクを持ち歩く男。
呪霊退治を繰り返している謎の人物。
賞金首。
危険人物。
そう書かれていた。いつの間に賞金掛かってたのか。
治安が悪いとは言っていたが……。
「発見次第捕縛」
伊地知が続ける。
「単独行動は禁止です」
脹相の背中を冷たい汗が流れた。
まずい。
本格的にまずい。
五条は資料を見ながら首を傾げている。
「ふーん」
軽い。
だが脹相は知っている。
この男はこういう時ほどよく見ている。
「脹相、何か知ってる?」
突然五条がこちらを見た。
脹相は平然と答えた。
「知らない」
「そう」
五条は笑った。
その笑顔が何を意味するのか分からなかった。
任務開始まで、あと数時間。
研究所の誰も知らない場所で、事態は静かに動き始めていた。
任務開始はその日の夕方だった。
高専の補助監督が運転する車に揺られながら、脹相は窓の外を眺めていた。
隣には真希。
後部座席にはパンダと棘。
そして助手席には五条悟。
研究所に連絡する隙がない。
「珍しいねぇ」
五条が資料をひらひらさせる。
「非術師っぽい呪詛師なんて。本当に非術師なの?」
伊地知が運転しながら答えた。
「現在確認されている情報では、ゴーグルでの視認をしているようです」
「革命じゃん」
五条は興味深そうだった。
脹相は無言を貫く。
資料は既に頭へ入っている。
黒瀬だ。
間違いなく。
問題はどう逃がすかだった。
ほどなくして現場へ到着する。
都心から少し離れた工業地帯。
廃倉庫。
呪霊出現報告。
そして目撃証言。
条件が全て揃っていた。
脹相は建物へ入った瞬間に察知した。
いる。
黒瀬だ。
レギオンの残滓も微かに残っている。
その瞬間。
羽虫が飛んできた。
黒瀬の操作している物だった。
羽虫がこちらを伺う。
脹相は口パクした。
(に・げ・ろ)
羽虫が移動する。
「なんだこれ、ドローンか?」
「明太子!」
「捕まえてみるか」
「そうだね、一つ捕獲していこうか」
「その必要はないよ。宿儺の気配だ。わかりやすい」
五条先生が飛んでヒョイっと羽虫を捕まえる。
「危ないだろう!!! 自爆装置がついてるかもしれないんだぞ!」
というかついている。脹相は思わず怒って羽虫の電源を切った。
「大丈夫だって、僕、最強だから」
「また始まったよ、過保護」
「ところで脹相」
五条先生が言及しようとした所で、電話が鳴った。
「ええー! 僕任務中なんだけど! それ本当に急ぎ? 仕方ないね。ごめん! ちょっと緊急任務が入っちゃった!」
五条先生が消える。
安心した脹相は、羽虫についていた緊急煙幕装置を作動させた。
「うわ、操作をミスってしまったー(棒)」
「なんだこれ! ゴホッ」
「おかか!」
「大丈夫か!」
何とか、黒瀬はその間に逃げる事ができたのだった。
しかし翌日。
「呪詛師の身元が判明しました」
伊地知が持ち込んだ追加資料。
そこには顔写真と、一つの名前が記されていた。
『黒瀬武道』
そして住所。
その瞬間、脹相は最悪の展開を悟った。
黒瀬本人は逃げた、こちらの世界の黒瀬へ辿り着かれてしまったのである。
その名前を見た瞬間、脹相の心臓が嫌な音を立てた。
もちろん研究所の黒瀬本人ではない。
「今から確認に向かいます」
伊地知が言う。
「同行をお願いします」
脹相は嫌な予感しかしなかった。
アパートは都内のごく普通の住宅街にあった。
決して裕福ではない。貧しいというほどでもない。どこにでもある一人暮らし用の部屋。
玄関を開けた時点では、脹相も少し安心していた。
部屋は至って普通だったからだ。
だがしかし、黒瀬と付き合いの長い脹相は気づいた。気づいてしまった。
部屋が狭い。これは隠し部屋までいかないが、隠し本棚がある。
黒瀬はそういうことをする。
しかも、後から面白そうだからと五条先生も来た。
「普通の部屋だな」
「怪しいものは、今現在見つかってません」
「そうね」
五条先生は、壁を唐突に破った。
「五条さん!? あっ……」
そこには、本棚と書類、冷蔵庫と植木鉢があった。
「調べて」
「はっ はい」
伊地知が書類を調べる。
「これは……」
伊地知の眉が寄る。脹相も覗き込んだ。
そして固まった。見覚えのある研究記録だった。
『知覚拡張実験』
『精神活性剤試験』
『超能力覚醒計画』
『被験者記録』
『投薬量推移』
脹相は思った。
黒瀬さんだな。
それ以外の感想が出てこない。
名前は違うが、非術師を一時的に術師にし、術師でも呪力を強化するブースト剤だ。知らない世界の黒瀬だが、黒瀬は黒瀬ということだろう。
研究結果に、幻覚の恒常化例と副作用を打ち消す薬があった。つまり、永続的に術師にする成功例と、術師を非術師に変える薬を作ったということだ。
これは非常に興味深い。何とか資料を回収できないだろうか。
脹相は熱心に読み込んだ。
「同意書があります」
補助監督が言った。
「全員署名済みです」
「合法ってことか?」
真希が聞く。
「まさか。同意書を取ればいいというものではありません」
伊地知が答える。
それはそうだろう。
普通の人間が超能力開発薬を作っている。
しかも人体実験までしている。幻覚の副作用も出ている。
十分に危険人物だった。
「でも機械工作はするスペースなさそうね。別の隠れ家があるのかな」
さらに捜索は続く。
押収されたノートパソコン。
薬品。
試験管。
冷蔵保存されたサンプル。
会員名簿。
研究資金の流れ。
怪しげなサークル運営記録。
次から次へと出てくる。
超能力覚醒薬など普通はまともに相手をしないが、黒瀬には非術師でありながら呪霊を退治していた実績があった。
「脹相〜。それ、熱心に読んでいるけど、何かわかる?」
「一時的に非術師を術師に変えたり、出力をあげるのは脳の活性化を促すだけだが、いやそれでも凄いんだが、非術師にするのは脳に致命的な影響を与えないように機能を眠らせる必要がある。凄い研究だと思ってな」
動揺が走る。
「それは……まさか。副作用の幻覚は呪霊が見えているということですか!?」
「身体能力の強化は呪力操作をしたってことかな」
「リミッターを解除しているのもあるんじゃないか? ああ、ほらこの成分だ」
脹相が指し示すと、五条は指示を出した。
「伊地知、慎重に薬を全部回収。犯罪者か何かで実験して」
「は、はい!」
「非術師に変える薬はこの場で破棄していく。悪用が怖い。脹相。破棄するものと持ってくものを分けるから、分類手伝って」
「いや、俺は……」
「手伝って」
本来、闇から闇へ消えるはずだった研究は、ここに日の目を見た。
五条達の張り詰めたような緊張感に、脹相はようやく自分がミスを犯したかもしれないと思うが、すでに遅かった。
黒瀬の無罪放免は、難しそうだった。
その日の夜、研究所との定時通信。
モニターの向こうには全員が集まっており、脹相が報告が始まった。
「黒瀬……凄いというか、なんというか」
「いや、同意書は取ったんだろ? じゃあいいじゃん!」
「いいわけないでしょ」
真依が呆れたように声を上げる。
「問題しかないだろう」
メカ丸が即答する。
「なんでだ」
「なんでじゃないですよ。法律ってものがあるんですから」
伊地知も呆れている。
黒瀬本人だけが本気で納得していなかった。
「超能力研究だろ?」
「そうだな」
「夢があるじゃん」
「夢で済まないんだよ」
研究所の空気は重かった。
そして、その重苦しい空気の中で一人だけ明らかに様子がおかしい人物がいた。
夏油だった。
会議が始まってからほとんど喋っていない。顔色が悪い。
脹相が気付くより早く、新が立ち上がった。
「父さん」
返事がない。
夏油は少し遅れて顔を上げた。
「ああ、ごめん」
ごまかすように笑う。
だが誰の目にも限界だった。
五条との呪力共有が途絶えてから既に数週間。
一ヶ月とはいうが、そこまで厳密なリミットではないだろうと甘く見ていた。
衰弱が始まるのが一ヶ月後なのだろうと。
だが違った。
だが、一ヶ月まで後5日。夏油は明らかに衰弱を始めていた。
おそらく、厳密に一ヶ月後に夏油は命を落とす。
もはや時間がなかった。誰もが口を閉ざした。
夏油は何か言おうとした。
だが新が先に口を開いた。
「今日はもう終わり」
全員が新を見る。
「父さんは休んで」
「新」
「駄目」
即答だった。
「今倒れられたら困る」
その言葉に誰も反論できなかった。
新はゆっくり周囲を見渡した。
「脹相兄さん」
「なんだ」
「潜入継続」
「了解」
「黒瀬さん」
「はい」
「外出禁止」
「はい……」
黒瀬は素直だった。
流石に今回ばかりは反論できなかったらしい。
「他に異論ある?」
誰も何も言わなかった。
静かな沈黙だけが流れる。
脹相はその様子を見ながら思った。
研究所は少しずつ追い詰められている。
黒瀬の同位体は捕まった。
父は衰弱している。
そして五条も優人も見つからない。
時間だけが減っていく。
五条が死んでいるのでは。そんな疑いがどんどん強くなっている。
せめて、夏油だけは助けたい。
焦りだけが募っていく。
時間はもう残り少ない。
マシュマロ
https://marshmallow-qa.com/lucaluca
返信不要の場合は返信不要と書いておいてください。
https://odaibako.net/u/karin2022v
リクエスト、返信不要の匿名感想はこちらにお願いします。