優人が会議室を飛び出した後、エリオットはしばらく椅子に座ったままだった。
エリオットはもう一度資料を眺めた。
アイテムボックス、ホムンクルス、そして呪霊。
どれも現実感がない。
だが現実だった。
机を持ち上げられた以上、幻覚では済まされない。
自分の常識は今日死んだ。
その事実だけは理解していた。
「……とんでもないな」
思わず呟く。
呆然としながらも、頭の片隅で頼るべき伝手や手続きを上げていく。
子供の証言だけでは不公平だ。親からじっくりと詳しい話を聞く必要もある。
単純に研究費用が欲しいという話では絶対にない。事情を聞いただけでかなりの法律を違反していることはわかる。いや、法律を違反してはいないのかもしれない。人間を作ってはいけないという法律はまだない。でも技術が追いついたなら絶対に作られるはずの法律である。子供を大量に生産して売り払うなど絶対にあってはならない。バベルの塔を破壊した神が天罰の雷を乱打するだろう。それほどの罪だ。
今日はいろいろありすぎた。
既にエリオットは疲れていた。
全てを忘れてベッドで寝たかった。
だがしかし、マッドサイエンティストとの面接が控えている。誰かが倫理を知らない阿呆にネジを嵌めねばならなかった。危険だろうがとばっちりで地球が神に洗濯される前に、科学者が魔女狩りのように狩り尽くされる事になる前に、この私がやるしかない。人類の義務だ。連帯責任だ。
そこへ内線が鳴る。
「はい」
『医務室の準備ができました。五条さんもいらっしゃってます」
「ありがとう。今行く」
電話を切る。
気合を入れて立ち上がる。
まず説教だ。
どう考えても。
危険なマッドサイエンティスト相手だとしても。
説教が先だった。
医務室の扉を開けた瞬間、エリオットは少しだけ足を止めた。
空気が柔らかかった。
病室というより、家族のいる部屋だった。
ベッドに座る白髪の男。その隣には長髪の男。
そして優人。小さな研究者は男の膝に縋って今は5歳の顔をしていた。確かにその表情は9歳のものよりもさらに幼い。
何か話していたらしい。俺、すごい? と聞いていたので、成果を報告していたのだろう。聞き方は子供らしいが、その成果は全く子供らしくはない。
優人がエリオットに気付く。
「あ、エリオットさん」
「初めまして。エリオットだ。調子はどうかな」
優人ではなく、ベッドの男へ向けた言葉だった。
白髪の男は少し驚いた顔をする。
それから笑った。
「大丈夫」
「その返答は信用ならない」
青い顔をして何をデタラメを言うんだ。
長髪の男が吹き出す。
優人まで笑った。
何だろう。初対面なのに、妙に馴染んでいた。
「君が五条悟、それと夏油傑?」
「そう」
「初めまして。私は夏油傑。教祖をしている」
白髪の男。あからさまに優人の父だった。不思議な碧い瞳も人外地味た美貌もそっくりだった。そして明らかに病弱そうで、足が駄目なのは一目でわかった。
長髪の男は日本の僧侶の服装をしていた。神職者がホムンクルス製作に関わるのは許されんだろ。エリオットは憤った。マッドサイエンティストと共謀してホムンクルスを作る教祖は間違いなくカルト。議論の余地はない。神だって仏だって、人間に人間を作る権利は認めてない。そして当たり前のように同性カップルだった。破ってない教義を探す方が難しそうな親子だ。ローマに行ったらキャンプファイヤーで歓迎されそう。優人だけは許してほしい。エリオットが弁護しよう。
「なるほど。優人くんの説明について、いくつか確認したい事がある。随分優秀な子だね」
「自慢の子供だよ」
五条が笑って自然に頭に手をおく。優人は幸せそうな顔をした。
愛と自信と誇らしさに満ち溢れた表情だ。
その様子を見て、エリオットは少し安心する。
少なくとも、完全なもの扱いではなく、愛情も渡しているらしい。
事情もちゃんと聞いてみれば、誤解があるのかもしれない。……どんなに誤解があったとしても、彼らが潔白と言うのには無理がありすぎる。
エリオットは気を引き締めた。
「さて」
椅子へ座る。
「まず説教だ」
優人が固まる。
五条はなんで? という顔をして、夏油は身構えた。
「子供に交渉を任せるな」
「優人は傑に似て、僕より交渉が上手いよ。実際エリオットはここにいるし」
「子供だから考慮に値しないと?」
2人の反論に、エリオットは指を突きつけた。
「優人くんは、可愛くて優秀な子供だ」
「そうだね」
「当然だね」
「誘拐されたらどうする。アメリカでは、子供を1人にするのは罪なんだ。逮捕されるレベルのことを君達はした。私が悪人ならば、優人くんは3回誘拐されていた」
「俺、強いもん」
「優人は戦闘力も組み込んでいるし、傑が訓練をつけているよ」
「優人は非術師なんかにどうこうされるような子供じゃない」
優人は自慢をして、五条は愛しくて誇らしくてたまらない、と言った様子で説明した。夏油も誇らしげだった。説教する時間が増えた。なんなら短い受け答えで、二つも完全アウトな内容が出てきた。彼らが口を開くごとに逮捕ポイントが出てくるので、エリオットは困った。
「五歳児に戦闘訓練をつけてはいけない。戦闘力を組み込んでもいけない。間違って人を傷つけて傷つくのはその子供なんだ」
「僕はこの足になるまで、戦闘訓練を受けていたよ。それに優人はそんな愚かじゃない」
「暗殺者の一族か何かか? 子供をそんな強くしてどうするんだ。何と戦っているんだ」
「悟の家は、呪霊と戦ってきた歴史ある家柄なんだよ」
お化けが本当にいた事すらびっくりなのに、闇深案件が出てきた。エクソシスト部隊が本当にいた可能性に、エリオットは戸惑った。
「優人くんが、その」
エリオットは、半呪霊だとか、人間じゃないとか言いたくなかった。
「うん?」
「愛情を変換してできたというのは本当か」
「そうだよ。呪霊はようは負の心に命を吹き込まれたエネルギー生命体なんだ。僕の傑への想いと、傑の僕への想いを呪力に込めて、触媒を使って呪霊化させて、それを受肉させた。9歳の見た目だけど、作ってからは5年だし、初めから戦えるよ」
優人は誇らしそうな顔をした。
「学校はどうなんだ」
「高専には通わせていいかなって思ってる」
「高専?」
「呪術師、ゴーストバスターが通う学校だよ。そこで子供達は呪霊と戦うんだ」
「危険じゃないのか」
「死傷率は結構高いね。でも優人なら大丈夫。何せ傑の子供だからね」
多分。
エリオットは考えた。
多分、ぶん殴っても許されると思う。
「子供の命をなんだと思っている。そんなのは学校じゃない。前線基地というんだ。子供達を危険に晒すなんて許されない」
「綺麗事だね。私たちが、どんな想いで命懸けで戦ってると思っているんだ。猿は私たちのおかげで平和な日常が送れるんだ。術師だけがすり潰される。私はそれが許せない」
「当たり前だ。そんなこと許されるわけがないだろ」
明晰なエリオットは一瞬で夏油の事情と目的を理解した。
猿=霊能者じゃない人間。命懸けの除霊。それを行う学校。幼い頃からの訓練と実戦。すり潰される。そして優人の持ってきたお化けを電力に変える技術。今まで秘匿されてきたということ。大体の事情と彼らの心情を即座に看破した。
「子供を戦わせて臭いものに蓋して知らんぷりなんて、絶対に間違ってる。そんな事は許しちゃダメだ。そして、優人くんに負担を押し付けるのも、許しちゃダメな事なんだ。君達がされて来たことは、悪いことだ」
エリオットの断言に、夏油は口をハクハクとさせた。
「呪霊が人知れず被害を出して、それを食い止めなくてはいけなくて、子供達がそれをさせられる事情があるというのなら、それは粉砕されるべきだ。そういうのをどうにかするのが、科学者の仕事だ」
「科学者の仕事」
「そうだ」
間違いなく、彼らは反体制側の人間だった。
殺される可能性があった。でももう知ってしまえば放置はできなかった。
「全部話しなさい。君達は頼る事を選択した。賽は投げられた。後は突っ走るしかない。違うか? だから、ちゃんと正直に全部の事情を話せ。私はこう見えても広い人脈を持っている。政府への伝手もある。クトゥルフみたいに、秘密を守る闇の勢力がいて、戦わないとならないとしても、勝算があると判断して賭けたんだろう? 半端はよせ、全力でぶつかってこい」
夏油は笑った。
「悟」
「うん?」
「エリオットは、凄い男だ。さすがは君の家族だね」
「お前の家族でもあったっての。そもそもお前がスカウトしたんだし。エリオット、ありがとう。長くなるけど、全部話す」
全ての説明を終えた後。
エリオットの脳内で、司祭達が一斉に鐘を鳴らしていた。
異端! 異端! 神敵はここでぇす!
彼らは全てを正直に話してくれた。
夏油は大量殺人者だし、五条は並行世界人だった。
そして、愚かな大人達の被害者であり、今は加害者だった。
旧体制のカスどもにエリオットは唾を吐いた。
五条は頑張った。夏油も頑張った。
確かに夏油は許されない事をしたし、罰を受けねばならないと思う。
でも、夏油のバトンは絶対に次へと渡さねばならなかった。
いや、負のバトンを抹消する、と言ったほうがいいかもしれない。
子供を戦わせる学校なんて即刻滅ぼした方がいいし、マイノリティを擦り潰して保つ平和は平和とは言わない。
エリオットは科学者だった。
科学は人類を救う為にあるというのがポリシーだった。
事情を聞けば聞くほどエリオットはイライラしたし、闘争心は燃え盛った。
でも優人が怯えた顔をしたので、笑顔になるように努めた。
「あのね。俺は神様の孫なんだよ」
優人は、話の中で秘密を教えるように教えてくれた。
「神様の孫?」
「だって、人間は全部神様の子供だから、人間の作った命な俺は神様の孫なんだよ」
「そうなのか」
暴論も暴論だったが、その考えには納得できた。
「まあ、術師はそもそも神みたいな存在だからね。猿とは違うよ」
「すーぐーる。猿って言わない」
夏油を五条が優しく嗜めて抱きつく。夏油はムッとしつつも黙った。
「教会にも向こうのエリオットと一緒に行ったんだよ。そこで偉い人が、俺に洗礼? してくれたの。俺が愛された子供ですよっていう証明なんだって。新お兄ちゃんも受けたんだよ」
「そうなのか」
洗礼を受けたと聞いて、エリオットはますます優人に好感を持った。そして、更に登場人物が増えたことに震えた。
「エリオット、子供を宗教に引き込むのは良くないよ」
「教祖に言われたくない。優人くんは洗礼を受けたんだね。君はカトリック? 私が連れて行ったんだから、カトリックだね」
夏油に噛みつきつつ、優人の話を促す。
「エリオットね、俺は神様の孫で、じーじは孫が大好きだから、俺がちょっとくらい間違っても出来なくても、可愛い可愛いで許してくれるよって」
「なるほど」
これも酷い暴論である。慰めたかったであろう意図は察せたが、甘すぎて子供がじゃあ間違ってもいいのかとならないか心配だった。
「偉い人も、人は完璧じゃない。そんな完璧じゃない人の作った俺は、できない事があっても全然責められる事なんかじゃないんだよ、神様は俺を愛しているよって」
「それはそうだ。神は君を愛している」
神様が誰かを愛さないなんて聞いた事がなかった。
神は大いなる愛を万物に注いでくれている。
「あの時は報道が加熱して大変だったね。新は僕が作ったから、神の作った子ではない。神の子ではないとか、じゃあよその子なのか、神ともあろうものがよその子を差別するのか、なんて凄い揉め方してさ。人類初の人工知的生命体って事で結構大きな話題になって、エリオットがカトリックなもんだから、新も自分は神様に愛されてないのか、なんて気にしちゃってさ。結局僕の世界の枢機卿が、神様の孫だから当然神様は新を愛してますよって洗礼して解決。新は神様信じてるみたいだし、洗礼はありがたいけど、僕は信仰してないのに破門されるは貶されまくるわで、大変だったんだよ。その大騒ぎが子供を作る度にだから、たまんないよね。優人の時も終夜の時も、もーうるさいったら」
「待って今枢機卿って言った?」
流石の夏油も動揺した。
「うん、アメリカの枢機卿が洗礼してくれた」
なんでもないように言うが、大事件である。
「五条は破門されても2人目と3人目を作ったのか……」
そこは一回で学んでほしかった。あまりにも愚かがすぎた。
「だって優人は可愛いし、傑に僕似の子供を強請られたしね」
「ええ、それは私もドン引きだよ……。優人はもちろん可愛いくて完璧な子供だと思うけれども。破門って私でもダメだってわかるよ」
「子供には優しいのに、僕には般若になるんだ、酷いよ」
「それは当然じゃないか?」
「枢機卿様、僕にはとっても優しいよ。お菓子くれたし、撫でてくれたよ。僕の未来に光が満ちますようにってお祈りもしてくれたよ」
「そりゃマッドサイエンティストと健気な子供だと対応は変わるだろう。いくら法王様でも」
「エリオット、枢機卿様と一緒にお祈りしたらなんて立派なんだって泣いて褒めてくれたよ」
「そうだろうね……。なら、政財界だけじゃなく、宗教方面でも根回しをしておくか……。確かに初の人工生命体だし、必要だな……」
「どうにかなりそうかい?」
夏油が聞いた。
「君を無罪にできるかって言われると無理だと思う。でも、君みたいな思いを次世代にさせないように出来るかって言われたら、孫世代ぐらいにはできるんじゃないかな」
「だめ。傑お父さんも助けて」
「戸籍ロンダリングになるかな……。最善は尽くすよ。ただ、協力には二つ、条件がある」
五条と夏油は表情を固くした。
「言ってみて」
「一つ。子供達の未来の為に、子供達自身を手伝わせるのはいい。でも、子供達を犠牲にはするな。優人くん、美々子くん、菜々子くん、利久くんの未来は捨てさせない。夏油。君の境遇には同情する。君の周りが間違っていた。君は被害者だ。でも、子供達を巻き込んじゃいけなかった。その件に関しては、君は加害者だ。負の連鎖は断ち切らないと」
夏油はグッと唇を噛んだ。
「でも、僕は君より大人だから。君を助けよう。頼ってくれて、ありがとう。君の大嫌いな猿を信じる事の重さは受け取ったつもりだ。子供達の未来のために全力で協力する。後悔はさせない」
「残り一つの条件は?」
「親としての責任を果たせ。浮気はしない? ふざけるな。優人くんの為に、大義のために、君は生きないといけない。君の方には、君の息子と並行世界の伴侶とその家族、全ての命と未来がかかっているんだ。大黒柱としての自覚を持て」
五条は所長だが、ずっと守られる対象で、大黒柱と言われたことはなかった。
エリオットは初めて、真っ直ぐに五条を攻めた男だった。
五条は笑った。
違う人生を歩んでも、エリオットはエリオットだった。
マシュマロ
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