アメリカ政府との面談から数日後。
エリオットは後悔していた。とても後悔していた。
「五条」
「んー?」
「君は寝ているのか」
「寝てるよ」
「目を開けたまま?」
「今いい所なんだよ。キリのいいところでやめる」
キリのいい所は三日訪れていないようだった。
エリオットは額を押さえた。
現在午前三時。
研究棟第三実験室。
五条悟は車椅子に座ったままモニターを十枚同時に開いていた。
しかも三日前からだ。
三日前。
アメリカ政府との面談後に五条は研究資料を提出した。
そして全員が凍った。
提出された資料は二百ページ。
その翌日に追加で三百ページ。
さらに翌日に四百ページ。
今朝になって八百ページ。
プリンタは動きっぱなしだ。今現在も。
「30日で全てを終わらせようとするな。夏油とキスをして末長く生きろ」
「別に、研究が始まったらいつもこんな感じだよ」
「夏油がそれを許すのか」
「まさか。傑と会う前はそうだったって話。傑は起きるのが遅いし、僕に二度寝を強要するからね。最愛の人から一緒に寝よ?って言われて逆らえる男がいる?」
「いないな。つまり夏油を呼べばいいのか」
「いや、傑は僕の妻じゃないし……。そりゃ同じ顔なんだから滅茶苦茶好みではあるけどね?」
「顔色が悪くて、十分後に死んでないか不安だ。さっさと夕飯を食べて寝ろ。待て、食事をしたのはいつだ」
「二日前に栄養ゼリーを飲んだよ」
「ドクターストップだな」
エリオットは問答無用で車椅子を押して医務室へ運んだ。
五条は動けないので、車椅子を動かして仕舞えばどうにでもなってしまうのがいい所だった。ちょっと人権問題が心配になるが。
それから数日後。
エリオットは五条が見えなくて心配していた。あのあと、結局五条は熱を出したのだ。子供達との団欒と休憩の時間を持たせていたが、今日からそれに追加して強制的に眠ってもらう時間を作るつもりだった。もちろん、夏油にも協力させるつもりである。
「そろそろ優人が授業を終わらせる頃だな。五条はどこだ」
「エネルギー関連の研究を手伝ってほしいからとサムが車椅子を押して行きました」
「おい……」
五条は軽率に拉致されてしまう処があった。抵抗できないので仕方ないのだが、軽率に扱ってしまう所は心配だった。だが、どうすればいいかはわかっていた。管理する人間を、絶対的な味方を用意するのだ。それは夏油であるべきだった。
「夏油。研究がわからないというのは言い訳だ。お前が言い出しっぺなんだから、ちゃんと五条を守ってやれ。むしろ研究できない分、手が空いているだろう」
「それがそうでもなくてね。私は私で、呪霊を操って実証実験を延々手伝わされてて……」
「遠隔で操作できるだろ。効率考えて五条を優先するようにしろ」
「わかったよ……」
「とりあえず、五条を回収してこい。そろそろ授業が終わる。戻って親がいないとなると心配する」
夏油を五条捜索に送り出す。
子供達と五条夏油が戻ったらふれあいの時間だ。
優人はウキウキで五条と研究の話をする。
エリオットは、今は並行世界で所長と副所長が消えて頑張っているだろう新というお兄ちゃんに、優人がドヤ顔を決めているのを察していた。
信じ難い事に、本当に許し難いことに、優人は護衛なので(5歳で護衛とか本当に五条は磔にされていい)、研究のお手伝いは出来なかったらしい。
お兄ちゃんのポジションを奪取し、大好きなお父さんの後継者の座を奪い取れて申し訳ないと思いながらも大喜びというわけだ。そういうところ、いじらしいと思うし、そんな掠め取る真似をせずとも正々堂々幸せになっていいんだよ、とエリオットは思う。優人はもっと望んでいい。
美々子と菜々子と利久もそれぞれ手伝えることをアピールし始め、問題なく団欒ができていると確認するとそっとエリオットはフェードアウトした。
会議室に行くと、すでにみんな集まっていて、資料が配られていた。
エリオットは資料を確認する。日本の呪術界についてだ。
五条達の事がバレて奪還されては困るので、本当に慎重に調査は行われた。
呪術界は本当に潜っており、優人くんが教えてくれた呪詛師サイト以外で調査をするのは至難の業だった。
それでも、学校の入学者と卒業者の人数ぐらいは調べられる。
糞だった。
学生の死傷率は酷いものだ。
訓練や職場体験ぐらいのものだったら、まだ納得できないけど納得できた。
違うのだ。
普通に命懸けの依頼を、あるいは誰も受けずに残った難しい依頼を、立場の弱い学生に押し付けているのだ。
そんな学校に、あの無邪気で良い子で可愛い優人くんや、最近ようやく暴力以外の交渉方法を覚えてくれた美々子くんや菜々子くん、勉強を頑張り始めた利久くんを送るなんて冗談でもありえなかった。
人間一年生のリトルモンスターを、立派な人間に育て上げたかった。
やはり、まだ隠さなくてはならない。
特許を取り、絶対に潰せない状態まで研究を完成させて広めてから総監部とぶつかる。そして、準備を整えてから学校に介入する。
戦うな、は通らない。ちゃんと準備を整えて、もう戦わなくていい、でなくてはダメなのだ。
つまり、東京呪力結界の構築である。
それらの確認をしていると、気になる報告が上がった。
「エリオット。優人くんだけど、多分情報操作してる」
「情報操作?」
「機械で呪霊を退治する非術師の情報を隠蔽しているようなんだ」
呪力や呪霊については素人でも、コンピューターについてはプロの研究者達。
優人の小細工はお見通しだった。
「機械で? まさか……」
「そう。来てるんだよ、研究所。そして優人くんはそれに気づいてる」
「なんで……」
「エリオット。わからないの?」
「何をだ、エミリー」
「ずっとお兄ちゃんに取られてた、大好きな悟お父さんが今は優人くんだけのものなのよ。母親役の夏油さんも、並行世界のそっくりさんがいる。しかも、お母さんのそっくりさんは口煩くないし、頼ってくれる。今が人生の絶頂期なのよ。調べたけれど、五条悟はこちらの世界にもいるわ。最強の呪術師として、元気に働いてる。お母さんは助かる余地がある」
「それは……しかし、それはいけない事だ。五条さんに教えないなんて……」
「そうね。でも、早々に諦めた五条さんにも、呪詛師の夏油さんにも優人くんは叱れない。優人くんのおじさんなんでしょ。そう言ってたわよね? 躾してあげられるのはエリオットだけよ」
「優人くんと話してみるよ」
波乱の予感だった。
エリオットは、優人にアイスクリームを渡しつつ、お話ししようと声をかけた。
優人はアイスクリームに釣られてホイホイついてきた。
「優人くん。なんで傑お父さんが探しに来てるのを、隠そうとしたんだい?」
優人はバツの悪そうな顔をした。
「神様はきっと許してくれるよ。神様だって孫には弱いはずって、エリオットだってそう言ってたもん。だから、俺は孫だから、ちょっとくらい間違っても許してくれるよ」
「そうだね。だから、叱れないジージじゃなくて、私が叱るよ。でも、どうしてそんな事をしたのか知りたい。ちゃんと理由も聞かずに叱るのは悪い大人だからね」
「理由聞いたら叱るの……?」
「悪くなかったら叱らないよ。でも優人は答えを知ってるよね」
優人はこっくりと頷いた。素直ないい子だと思う。
「最初は、情報を探す為だった。でも、思っちゃったんだ。本当に帰らないとダメかなって。悟お父さんを独り占めしたかった。だって、新はいつも悟お父さんと一緒で、ずるいもん」
「お兄ちゃんは君と会いたがってると思うよ」
「俺は会いたくない」
「どうして?」
「また悟お父さんが新にいちゃんばっかりになるから。悟お父さん、傑お父さんの事がすっごくすっごくすっごくすっごく好きだから、傑お父さんにそっくりな新も大好きで、いつも優しいしぎゅーしてるし、チュッチュしてるの」
「ほほう」
エリオットはキで始まりンで終わるとてもいけないことを思い浮かべる。
正直、五条に信用されるエリオットだが、エリオットから五条への信用はない。皆無だ。
妻そっくりの可愛い中学生くらいの子に、チュッチュでぎゅーは疑っていいとエリオットは判断した。元から五条の倫理観は信用してない。
「悟お父さんが俺を大事なのは、傑お父さんが俺を大事に思ってるからなの」
「五条はそんなに傑が大好きなのかい? すぐ諦めて死亡認定したのに?」
エリオットには疑わしかった。もしくは、愛の定義が自分とは違うと思う。
そんなに好きなら信じてやれ。再会するべくあがけと思う。
「すぐ諦めちゃう悟お父さんだから、諦めない傑お父さんが必要なんだよ」
「そうか……。まあ、傑がいないと生きていけない、みたいな雰囲気は出していたよね」
「実際そうだし……」
「そうなんだね」
「実際、今来られても困るんだよ。俺たちが帰ったら、夏油さん処刑だろうし。俺が守ってあげないと。こっちの悟お父さん、すっごい強そうだから、傑お父さんも守ってくれるよ。向こうはなんとでもなるよ。こっちは俺と悟お父さんがなんとかしてあげないと」
「うーん、でも悟お父さんに話くらいはしても良いんじゃないかな?」
「浮気どうこう言われると面倒臭いじゃん」
ドライだった。
思った以上に一理ありすぎて、エリオットは困惑した。
「未来、俺も考えたよ。悟お父さんと夏油さんとこっちで暮らしてくのもありだと思う。だって必要とされるのってやっぱり嬉しいよ」
「君は新お兄ちゃんがいたって必要とされるよ」
「でも、新お兄ちゃんはオリジナル。俺は量産品。身分が違うんだよ」
「身分」
「新は、本当もっと機能積んであるんだ。リミッターもしてるし」
「リミッター」
「無駄を削ぎ落としたと言えば聞こえがいいけど、優秀だけど伸び代のない戦闘の駒。モブ。一般兵。総監部にいずれ売られる存在。顔が良くて扱いやすくて便利な駒。それが俺なんだよ」
エリオットの脳内で、五条を主賓としたキャンプファイヤーが開催されようという時、扉が開いた。
「誰がそんなこと言ったの」
はっきりと怒気を込めて声が降ってくる。
夏油が心配そうな顔をして、五条の車椅子を押していた。
「答えて。答えろ、優人。僕の最高傑作を、傑との愛の証を、量産品? 総監部に? 戦闘の駒? ふざけるなよ。誰がそんな事を言った」
エリオットは肩をすくめた。もう大丈夫だ。五条は最低限まともな感性を持っていたらしい。意外だが。
「優人。君はとても尊い存在だよ。価値そのものだ。私が保証する。新が現れたって、私に君が手を差し伸べてくれた事は変わらない」
夏油が優しく声を掛ける。
「実際、君たちみたいな存在は増やせるのかって質問は当然あったよ。回答は、大きな呪力と術式を持つ、深く愛し合う2人でないとできない。制作期間は三年ほど。お母さんのお腹を経由はしてないけど、君たちは普通の人と同じくらい、いや、それ以上に手間暇かけて生まれる天使なんだよ。量産なんて当然不可。ありえないんだよ」
優人はポカンとした。
「君も新ってお兄ちゃんも、オンリーワンって事だよ」
「当然でしょ。普通の子よりも愛の結晶だって断言出来るよ。だって実際愛をこねて作ってるし、時間も手間もお金も普通の子よりずっと掛かるからね」
車椅子の五条に断言されて、優人は戸惑う。
「優人、安心していい。どのみち五条はこれからキャンプファイヤーだから」
「えっ なんで」
「アメリカでは妻似の年頃の子供を抱きしめてチュッチュするダメなお父さんは逮捕されるんだ」
「どうして!??」
エリオットは割と真面目にキャンプファイヤーの準備を進めており、優人はそれを阻止すべく慌ててエリオットの周囲をちょろちょろするのだった。
なお、今はまだ知られたくないのと、実際五条が延命しそうということで、しばらくは様子を見るという決定がされたのだった。
マシュマロ
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