研究所からの通信が届いたのは翌日の夕方だった。
暗号化されたデータは何重にも分割され、アメリカ側の技術者達が総出で復元を進めている最中だった。それでも断片的な情報だけは先に取り出せる。
会議室の大型モニターに文字列が並ぶ。
高専襲撃。
研究所健在。
新、生存確認。
夏油傑の渡米を確認。
その数行だけで十分だった。
優人は思わず椅子から立ち上がった。
「新お兄ちゃんだ!」
画面へ駆け寄る。
五条も安堵したように息を吐いた。
「よかった……」
その声は小さかった。
優人は知っている。
悟は平気そうな顔をしていても、実はずっと心配していた。
新は責任感が強い。
だから無理をする。
所長と副所長がいなくなればなおさらだ。
研究所のみんなもそうだ。
だから悟は毎日平然と研究を続けながら、誰よりも心配していた。
「帰れるね」
優人が言う。
五条は少しだけ笑った。
「そうだね」
だが、その笑顔はどこか複雑だった。
アメリカで始めた研究。
保護計画。
優人達の教育。
夏油の問題。
何も終わっていない。
帰還の目処が立ったからこそ、逆にやるべき事が増えていた。
会議が終わった後も研究者達は慌ただしく動き回っていた。
通信経路の確保。
研究所との定期連絡。
帰還方法の検討。
やる事は山ほどある。
その最中だった。
警備室から緊急連絡が入ったのは。
「エリオット」
若い研究員が駆け込んでくる。
「どうした」
「日本で動いていた調査班なんですが」
その声色だけで嫌な予感がした。
「三名と連絡が取れません」
会議室の空気が変わる。
「事故か?」
「分かりません。ただ全員、同じ調査ルートを使っていました」
資料が回される。
エリオットは目を通した。
消えたのはただのスパイではない。
政府筋の人間。
経験豊富な調査員。
そんな人間がまとめて消えるのは異常だった。
「潰されたな」
誰かが呟く。
エリオットも同意見だった。
偶然ではない。
誰かが気付いた。
誰かが調査を止めた。
問題は誰が、だ。
「警備レベルを引き上げる」
エリオットは即座に決断した。
「研究棟は二十四時間体制。保護対象の単独行動は禁止。外出も許可制にする」
「予算が」
「後でどうにかする」
即答だった。
優人は少し離れた場所でその会話を聞いていた。
嫌な感覚があった。
胸の奥がざわつく。
六眼が何かを捉えたわけではない。
呪力の気配でもない。
それでも落ち着かなかった。
自分でも理由は分からない。
だが。
研究所で何度も経験した感覚だった。
襲撃の前。
事故の前。
何かが起きる前。
世界が静かになる瞬間。
優人はエリオットの袖を引いた。
「ねえ」
エリオットが視線を向ける。
「なんか嫌な感じがする」
エリオットは冗談として流さなかった。
優人は賢い。
賢すぎる。
そして護衛として育てられている。
そんな子供が言う直感を軽視するほど愚かではなかった。
「どんな感じだい?」
「見られてる気がする」
優人は少し考えて続けた。
「研究所が襲われる前みたいな感じ」
周囲の大人達が顔を見合わせる。
優人はしばらく考え込んだ後、急に表情を引き締めた。
「分かった」
何かを決意した顔だった。
「俺、探してくる」
エリオットは反射的に言った。
「駄目だ」
「え?」
「駄目だ」
優人は不服そうに眉を寄せた。
「なんで」
「なんでじゃない」
「だって護衛だよ?」
優人は当然のように言った。
「護衛だから危ないの探すの俺の仕事だもん」
研究所では当たり前だった。
強い人間が前に出る。
戦える人間が戦う。
だから優人もそうしてきた。
エリオットは深く息を吐いた。
「優人くん」
「なに」
「君は何歳だ」
「九歳」
「五歳だ」
「九歳」
「五歳だ」
優人は不満そうに頬を膨らませる。
しかしエリオットは譲らない。
「君が強いのは知っている」
「うん」
「優秀なのも知っている」
「うん」
「私なんかよりずっと強い」
「うん」
「だからこそ駄目なんだ」
優人は首を傾げた。
意味が分からないという顔だった。
エリオットはしゃがみ込み、目線を合わせる。
「子供を危険な場所へ送り出してきた連中に私は腹を立てている」
優人は黙った。
「なのに私が同じ事をしたら意味がないだろう」
その言葉に優人は反論できなかった。
理屈は理解できる。
理解できるから困る。
「でも」
優人は小さく言う。
「悟お父さん守れるの俺だよ」
その言葉にエリオットは少しだけ笑った。
「違う」
「違う?」
「君を守るのが私達だ」
優人は目を丸くした。
研究所では聞いた事のない言葉だった。
戦えるから守る。
強いから前に出る。
そう教わってきた。
だから守られる側だと言われると困ってしまう。
その時だった。
「エリオットの言う通りだよ」
穏やかな声が聞こえた。
振り返る。
車椅子の五条がいた。
その後ろには夏油もいる。
「悟お父さん」
「君は頑張りすぎ」
五条は笑う。
「たまには大人に任せていいんだよ」
「でも」
「それに」
五条は少しだけ真面目な顔になった。
「嫌な感じがするのは僕も同じだから」
会議室が静まり返る。
五条がそう言うなら話は別だった。
六眼の持ち主。
研究所の頭脳。
そして誰よりも危機を潜り抜けてきた男。
その五条まで同じ感覚を抱いている。
偶然とは思えなかった。
エリオットは表情を引き締めた。
「警備をさらに強化する」
誰も異論を唱えない。
窓の外では夜が深まっていた。
誰もまだ知らない。
海の向こうで、自分達を見ている存在がいる事を。
その存在が、研究所よりも。
総監部よりも。
遥かに厄介な敵である事を。
そしてその敵が、既に次の一手を打ち始めている事を。
マシュマロ
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