呪術廻戦二次創作一発ネタ集   作:かりん2022

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連続更新3話目

ここ好きマシュマロ欲しいです。


カースチェイン〜第39話・襲撃〜

 

 

 それは、昼下がりのことだった。

 

 研究所の応接エリアには、外部研究者との面談用に整えられた小さな会議室がいくつか並んでいる。アメリカ政府が介入して以降、研究所には多くの人間が出入りするようになった。全員が厳重に身元確認され、通信機器も検査され、警備員と術師の二重監視を通ってようやく内部へ入れる。それでも、人が増えれば穴も増える。五条悟はそれを知っていた。

 

 だから、その男が入ってきた瞬間、五条はまず何も知らない顔をした。

 

 男は穏やかな顔をしていた。年齢は中年ほど。研究者然とした落ち着きがあり、発言も柔らかい。日本語も英語も不自然ではない。政府筋の紹介で、エネルギー変換理論に関心を持つ外部協力者として登録されている。身元資料も経歴も整っている。疑うには整いすぎているほどだった。

 

 けれど五条は、その帽子の下、髪の生え際にかすかに見えた傷を見逃さなかった。

 

 横一文字の縫い目。

 

 たったそれだけで十分だった。

 

 羂索。

 

 五条の思考は一瞬だけ凍り、次の瞬間には動き出していた。

 

「初めまして。お会いできて光栄です」

 

 男が言った。

 

 五条は笑った。

 

「こちらこそ。遠いところまでどうも」

 

 声は軽い。表情も崩さない。周囲の研究者達は何も気付いていない。エリオットはわずかに眉を動かしたが、それ以上は何も言わなかった。夏油は五条の車椅子の後ろに立っている。優人は少し離れた席で資料を広げ、つまらなそうにペンを回していた。

 

 五条は机の下で、端末を指先だけで操作した。

 

 第二研究所へ転送開始。

 

 優先度、最高。

 

 研究員退避準備。

 

 実験棟B以降、順次閉鎖。

 

 表向きは面談資料を開いているだけに見える。だが、五条の端末から研究所の内部システムへ命令が流れていく。緊急警報は鳴らさない。音を立てれば相手に気付かれる。だから静かに、ゆっくり、日常業務のふりをして避難経路を開く。

 

 優人の端末が一瞬だけ震えた。

 

 少年は表情を変えなかった。ただ、ペンを回す手が止まる。

 

 画面には短い指示が届いていた。

 

 羂索。研究者保護。騒ぐな。

 

 優人は一度だけ瞬きをした。

 

 そして、何も知らない子供の顔で欠伸をした。

 

「つまんない。俺、ちょっと外行っていい?」

 

 五条は笑う。

 

「迷子にならないでね」

 

「ならないよ」

 

 優人は椅子から降りると、資料を抱えて会議室を出た。扉が閉まる直前、夏油と目が合う。ほんの一瞬だったが、夏油はその目で理解した。優人は遊びに行ったのではない。研究者達を逃がしに行ったのだ。

 

 夏油の手が車椅子のハンドルに添えられる。

 

 五条は振り向かずに、いつもの調子で言った。

 

「傑、お茶もらえる?」

 

「わかったよ」

 

 夏油は穏やかに返した。

 

 その声には殺気の欠片もない。だが、手の中では既に呪霊を呼び出していた。影の中を這うように、小型の呪霊が床下へ潜っていく。研究所内の廊下、非常階段、搬入口、屋上へのルート。夏油の呪霊が一斉に走り始めた。

 

 羂索は微笑んだまま五条を見ていた。

 

「お身体の具合は大丈夫ですか。移動が多いと負担になるでしょう」

 

「慣れてるから平気だよ」

 

「資料を拝見しました。あなたの発想は非常に興味深い。呪霊を祓うのではなく、資源として扱う。日本の呪術界ではまず出てこない考え方です」

 

「そうかな。もったいないじゃん」

 

 五条は肩をすくめる。

 

「牛を食べるなら、呪霊で電気作ってもいいでしょ」

 

 近くの研究者が苦笑した。いつもの五条の雑な説明だと思ったからだ。

 

 羂索も笑う。

 

「倫理的抵抗はありませんでしたか」

 

「いっぱいあったよ。今もある」

 

「それでも進めた」

 

「必要だったからね」

 

 五条は自然に会話を続ける。喉は乾いていた。指先も少し冷えている。けれど恐怖は後回しだった。怖がる時間があるなら、一人でも多く逃がす。自分は戦力ではない。戦場に残る価値もない。捕まれば全てが終わる。だからこそ、逃げる準備を最優先にする。

 

 それは臆病ではなく、所長としての仕事だった。

 

 会議室の外では、優人が廊下を歩きながら職員へ声をかけていた。

 

「エリオットさんが呼んでる。第三実験棟の人は全員、資料持って移動して」

 

「今?」

 

「うん。機材点検だって」

 

 優人は笑っている。

 

 研究者達は不思議そうにしながらも従った。ここ数日、エリオットの急な点検や五条の突然の追加実験には慣れている。誰も緊急避難だとは思わない。思わせてはいけない。優人は職員達を自然に流し、同時に呪霊を使って監視カメラの死角を埋めていく。

 

 会議室へ戻ると、羂索はまだ五条と話していた。

 

「あなたの研究が広まれば、呪術界は変わるでしょうね」

 

「変わればいいね」

 

「既存の術師達は反発するのでは?」

 

「するだろうね」

 

「怖くはありませんか」

 

「怖いよ」

 

 五条はあっさり答えた。

 

「でも、怖いからやめるなら、僕はとっくに死んでる」

 

 羂索の目が細くなる。

 

 五条は笑ったままだった。

 

 その瞬間、羂索は何かを感じ取った。

 

 違和感。

 

 会議室の空気は変わっていない。五条の表情も変わっていない。夏油も穏やかに立っている。だが、研究所全体の気配が少しずつ動いている。人の流れが変わっている。音が減っている。機器の稼働音が切り替わっている。

 

 気付かれたか。

 

 羂索はそう思った。

 

 だが、どうして。

 

 まだ何もしていない。名乗ってもいない。術式も見せていない。額の傷も帽子で隠していたはずだった。目の前の五条悟は六眼持ちだが、六眼で自分の中身を見抜けるわけではない。見えるのはあくまでこの肉体の情報だけだ。

 

 ならば、何を根拠に。

 

「悟」

 

 夏油が言った。

 

「お茶、少し時間がかかるらしい」

 

「そっか」

 

 五条は端末を閉じた。

 

「じゃあ、今日はここまでにしようか。僕、疲れちゃった」

 

 それはあまりにも自然な撤退宣言だった。

 

 羂索は立ち上がらない。

 

 五条も動かない。

 

 ただ夏油が車椅子を押し始めた。

 

「また改めてお話ししましょう」

 

 羂索が言った。

 

「うん。次はもっと面白い話をしよう」

 

 五条は軽く手を振った。

 

 扉が閉まる。

 

 その直後、夏油の声が低くなった。

 

「羂索か」

 

「うん」

 

「殺す?」

 

「迎撃はして。でも深追いしないで。あいつの目的はたぶん僕と優人」

 

「君は?」

 

「避難する」

 

 即答だった。

 

 夏油は頷いた。

 

 そこに反論はなかった。五条が戦場に残る方が危険だということを、夏油ももう理解している。

 

 廊下の奥から大型の呪霊が現れた。夏油の呪霊ではない。五条が研究所内の搬送用に調整していた呪霊だ。車椅子ごと包み込むように抱え上げると、そのまま非常用通路へ滑り込む。

 

 五条は呪霊に運ばれながら端末を開いた。

 

「優人、研究者の避難率は」

 

『七割。残りは地下と第三実験棟』

 

「地下は捨てていい。人だけ出して」

 

『了解。エリオットさん怒る?』

 

「怒られるのは僕がやる」

 

『いつもじゃん』

 

 五条は少し笑った。

 

「傑、優人の援護。優人は研究者優先。僕は第二避難路に入る」

 

「分かった」

 

 夏油はその場で足を止めた。

 

 次の瞬間、廊下の影から呪霊が溢れる。

 

 エリオットが駆けつけた時には、既に研究所は静かな戦場になっていた。

 

「何が起きている」

 

 エリオットが叫ぶ。

 

 五条は通信越しに答えた。

 

『昔の敵が来た』

 

「昔の敵?」

 

『僕の足を奪ったやつ』

 

 エリオットの顔から血の気が引いた。

 

 五条は続ける。

 

『羂索。頭を開いて人間を乗っ取る術式を持ってる。研究所の全データを狙ってる可能性が高い。優人も僕も標的。夏油傑も標的。全員、顔を見せないで』

 

「なぜもっと早く言わなかった!」

 

『言ったら向こうにバレるでしょ』

 

 当然のように返され、エリオットは一瞬だけ言葉を失った。

 

『大丈夫。第一避難は成功してる。後は迎撃と撤退』

 

「君は大丈夫なのか」

 

『僕は逃げるの得意だよ』

 

 通信の向こうで五条は笑った。

 

 その声はいつも通りだった。

 

 だからこそ、エリオットはそれが本当に危険な状況なのだと理解した。

 

 会議室では、羂索が一人残っていた。

 

 研究所の気配が変わっている。

 

 逃げられた。

 

 そう判断するのに時間はかからなかった。

 

 羂索は帽子を指先で持ち上げ、額の傷へそっと触れた。

 

「なるほど」

 

 知られていた。

 

 理由は分からない。

 

 だが、それは確かだ。

 

 五条悟は自分を知っていた。

 

 優人もおそらく知っている。

 

 ならば、観察の時間は終わりだ。

 

 羂索は静かに笑った。

 

「やはり面白い」

 

 廊下の向こうから呪霊の気配が迫ってくる。

 

 夏油傑。

 

 羂索が最も欲しい術式を持つ男。

 

 そして今、五条悟のために戦う男。

 

 羂索は立ち上がった。

 

 計画を少し早める必要がある。

 

 研究者は環境ごと奪うべきだ。

 

 だが、逃げる王将を捕まえるには、まず守り駒を崩さなければならない。

 

 扉が軋む。

 

 黒い呪霊が廊下を埋めた。

 

 その奥で、夏油傑が静かに立っている。

 

「お前が羂索か」

 

 羂索は微笑んだ。

 

「初めまして、夏油傑」

 

 夏油の目が冷える。

 

「名前を呼ぶな」

 

 次の瞬間、研究所の照明が落ちた。

 

 非常灯だけが赤く点滅する。

 

 静かな避難は終わった。

 

 ここから先は、迎撃の時間だった。




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