黒瀬武道は、カースフューチャーラボの廊下が好きだった。
理由は単純だ。
ここでは、誰も自分を「ただの一般人」として扱わない。
それは、なかなか得難い環境だった。
呪術が開示されて数年。東京では呪力発電が当たり前になり、野良呪霊の被害は激減し、レギオンの映像はニュース番組の特集にも出るようになった。小学生でも「呪力変換結界」という言葉くらいは知っている。
けれど、知っていることと使えることは別だ。
呪力を扱える人間は限られる。呪霊を見える人間も限られる。まして、レギオンと鎖で繋がって戦える人間など、ほとんどいない。
そのほとんどいない人間の一人が、黒瀬だった。
一般家庭出身。術師家系ではない。御三家でもない。呪術師ですらない。
それでも人体改造のパッチテストに適合した。
だから、ここにいる。
「黒瀬、今日もご機嫌だな」
隣を歩く虎杖悠仁が言った。
「まあな。毎日がファンタジー。毎日が冒険。楽しくてしょうがないよ」
「だよな。俺も毎日仕事楽しい」
虎杖は納得したように頷いた。
彼もまた、カースフューチャーラボの異物の一人だった。
まだ中学生の年齢だが、元羂索側スパイである。
現在は研究所所属のレギオン使い。
本人は善人だ。底抜けに、とは言わない。色々擦れているし、口も軽いし、時々妙に諦めたような顔をする。それでも根っこは善人だった。だからこそ面倒な場所に立たされ続けるのだろうと黒瀬は思っている。この研究所は、スパイ率、元スパイ率がとても高い。腹に逸物ないのはそれこそ子供達くらいだろう。あと黒瀬。
「今日の午後、エリオット会議出る?」
「出る。出ないと予算説明が終わらない。なんたってスポンサー様だからな」
「うわ、英語資料?」
「日本語版もある」
「よかった」
「ただし誤訳が多い」
「ダメじゃん。エリオットエリートじゃねぇの?」
「呪術用語が難しすぎるんだよ」
二人が角を曲がると、ガラス張りの会議室が見えた。
中ではアメリカ人研究者のエリオットが、ホワイトボードに何かを書き殴っていた。金髪を雑にまとめ、白衣のポケットにペンを何本も差し、片手にはエナジードリンク。いかにも寝ていない顔だ。
彼はカースフューチャーラボの幹部の一人だった。
アメリカ資本が入った後に派遣され、そのまま居着いた研究者。呪術公開後の世代で、隠された呪術界への遠慮が薄い。総監部相手にも平気で論文と契約書を突きつけるので、古い術師達からはかなり嫌われている。
だが、はっきりとした言動で小気味いエリオットを黒瀬はわりと好きだった。
ハリウッド映画に出てくるアメリカ人俳優によく似た雰囲気を持っているのもある。アメリカのイケメンって感じなのだ。
「タケミチ!」
「武道です」
「オーケー、タケミチ」
「直す気がない」
「細かい発音問題はあとだ。三号機のログを見た。ユージと三号機のシンクロ率が上がっている。すばらしい。だが鎖の位相補正がまだ遅い。悟に言っておいてくれ」
「自分で言えばいいだろ」
「今言うと悟は喜んで会議を逃げて改良する」
「それはそう」
虎杖が笑った。
「五条さん、会議嫌いだもんな」
「嫌いというより、興味のない会議を憎んでいる」
エリオットは真顔で言う。
「だが、もうすぐアメリカ側の監査が来る。書類は必要だ。資本主義は呪力では動かない」
「この研究所、アメリカ資本で守られてるもんな」
虎杖の言葉に、黒瀬は会議室の奥へ視線を向けた。
壁にはカースフューチャーラボのロゴがある。
黒い丸の真ん中に張り付いた目。呪霊操術と六眼を表現したものだ。
この研究所は、単なる研究施設ではない。
五条悟を守るための城だ。
総監部から守るための。
御三家から守るための。
そして、羂索から守るための。
昔の経緯を黒瀬は詳しく知らない。ただ、噂は聞いている。夏油傑がアメリカの富豪を意図せず誑かし、その縁で莫大な資金と国際的な後ろ盾を得たのだと。
莫大な功績、アメリカの後ろ盾、五条家の血筋。いろいろなものを総動員して、なんとか独立を保ってきた。
傑は全て悟の功績だと否定しているが、人脈を生かせたのは夏油がいたから。傑がいなければ、総監部に封印か抹消かよくて接収を受けていただろう。
黒瀬からすれば、どう考えても四方八方から誑かしている。
誑かされちゃった第一人者が五条悟だ。なんだかんだ言って、傑も自分の野望を叶えているのを知っている。呪霊のいない世界。
今は呪霊のいない東京だが、いずれ呪霊の居ない日本、呪霊のいないアメリカが実現する予定だ。まあ、アメリカは費用対効果で実験都市くらいになるかもしれないが。そもそもアメリカに呪霊は少ない。というか日本が多すぎるのだが。
「そういえば、脹相達は?」
虎杖が周囲を見回した。
「午前中は医療棟の定期検査だろう」
「あー、そういえば嫌がってたな」
「検査を?」
「そ。採血嫌なんだって。3人とも」
「普通だろ」
「兄ちゃん達、自分の血取られるの嫌いなんだよ」
「血を使う術式なのに?」
「だからじゃね?」
少し歩くと、医療棟前の休憩スペースに三人がいた。
脹相、壊相、血塗。
呪胎九相図。
かつてなら呪物として保管され、受肉すれば討伐対象になっていた存在。だがこの研究所では、彼らは実験体であり、協力者であり、虎杖悠仁の兄達だった。
さらに言うなら、新や優人の出生技術にも深く関わっている。
呪胎九相図の受肉メカニズム。
魂と肉体の接続。
呪物から肉体へ至る過程。
その研究がなければ、五条悟と夏油傑の子供達は生まれなかった。
だから脹相は、新や優人を当然のように弟扱いする。
ちなみに、子供たちは呪霊カテゴリなので強力な力を持って生まれ落ちても呪霊は強化されないし、低級呪霊は仲間と思ってスルーする。ひどいチートである。
「悠仁」
脹相が顔を上げる。
「兄ちゃん、検査終わった?」
「終わった。血を抜かれた。注射器が何本かダメになって何度も血を抜かれた」
「大丈夫?」
「ああ。悠仁が心配してくれたので回復した」
「早いな」
黒瀬がぼそりと言うと、壊相が優雅に笑った。
「兄の力だよ」
「便利だな、兄」
「君にも兄が必要かい?」
「いらない」
「遠慮しなくていい」
「いらない」
うっかり弟扱いされようものなら過干渉が待ち受けている。
血塗がよく分からない笑い声を上げる。
虎杖は慣れた顔で三人の真ん中に座った。すぐに脹相が何か飲み物を差し出している。特別を普通に解放する研究所でありながら、この研究所では普通は少ない。せいぜい自分くらいだ。
受肉体、呪霊、スパイ、元スパイ。おかげで没個性の自分が逆に目立てている。
昔は大変だったという。
呪霊は祓う。
呪物は封印する。
異常は隠す。
それが旧時代の呪術界だったと聞いている。
人手不足で、暗くて、辛くて、まさにブラック。
だが今は違う。
呪霊は解析される。
呪物は研究される。
危険は管理される。
異常は、用途を与えられれば社会の一部になる。
人手不足だって、応募がありすぎて困るぐらいのこの研究所には関係ない。
五条悟が全てを変えた。車椅子なのにすごいと心から思う。
もちろん、反発はある。
総監部は今でもカースフューチャーラボを危険視している。宿儺の指をコアにしたレギオンなど、彼らからすれば狂気の産物だろう。六眼を持つ子供達も、東京結界システムも、呪力炉も、何もかもが危険物扱いだ。
それでも研究所は動いている。
デメリットを圧倒的なメリットで押し流して、今がある。
「黒瀬さん」
呼ばれて振り返ると、伊地知潔高が資料を抱えて立っていた。
顔色が悪い。
いつものことだ。
ちなみに伊地知は今も現役のスパイである。
「午後の運用会議、十五分前倒しになりました」
「なぜ」
「五条さんが終夜の定期接続後に三号機の過負荷試験を入れたからです」
「死ぬ気か?」
「どちらかと言えば、我々を殺す気かと」
伊地知は疲れた声で言った。
研究補助、都市運営、現場責任者、各部署調整、総監部対応、アメリカ側書類確認。肩書きはいくつもあるが、要するに何でも屋だった。過労で荒んでいる、と本人も言う。
とんでもない激務なのに、総監部からの圧力でやめられないのかわいそう。
まあ、圧力がなくともやめないだろうが。
黒瀬は理由を聞いたことがある。
伊地知は少し考えてから、「他にやる人がいません」と答えた。
たぶん、それは誇りの言い換えだった。確かに伊地知にしかできない。
「黒瀬さんにはログ精査の補助と暴走時の押さえをお願いします。虎杖くんはレギオン使用者側の所感を」
「了解」
「うっす」
「あと、メカ丸さんが通信越しに参加します」
「また壁から声がするのか」
「今回は端末です」
「よかった」
黒瀬は本気で安堵した。
メカ丸は元総監部側のスパイだ。
遠隔操作、機械、呪力通信、レギオン制御との相性が異常に高い。今では研究所に欠かせない存在だが、本人がどこにいるのか、黒瀬は正確には知らない。
昔は敵だった者。
スパイだった者。
呪物だった者。
一般人だった者。
非術師だった者。
もう一度いうが、カースフューチャーラボには、そういう者ばかりが集まっていて普通が少ない。
まともな組織ではない。
だが、黒瀬はこの場所が嫌いではなかった。
「なあ黒瀬」
虎杖が休憩スペースから顔を出した。
「何だ」
「午後、三号機の試験終わったら、優人に乗せてやっていい?」
「俺に聞くな。五条さんと夏油さんに聞け」
「五条さんは絶対いいって言うじゃん」
「優人が乗りたいっていうなら夏油さんも絶対賛成する。問題ないな」
「確かに。わかりやすいよな、あの人達」
虎杖は楽しそうに笑った。
その会話を聞いていた脹相も頷く。
「悠仁が乗せるなら安全だろう」
「兄ちゃん、俺への信頼重い」
「当然だ。悠仁はすごい」
「うん、ありがとう」
虎杖は少し照れたように笑った。
その時、壁面の表示が一瞬だけ乱れた。
ほんの一瞬。
東京全域の呪力循環図に、黒い線のようなノイズが走った。
黒瀬は足を止めた。
「今の見たか」
伊地知も表示を見ている。
「見ました」
「システム異常か?」
「確認します」
伊地知が端末を操作する。
数秒。
表示は通常に戻った。
「……記録上は通常範囲内ですね」
「そうか」
「一応、六眼システム側にも確認を回します」
「頼む」
虎杖が首を傾げた。
「何かあった?」
「ノイズ」
「やばい?」
「分からない。分からないものはだいたいやばい」
「黒瀬って時々すごい悲観的だよな」
「現場は悲観的なくらいでちょうどいい」
黒瀬はそう答えたが、それ以上は追及しなかった。
この研究所では、異常は珍しくない。
呪力炉の揺らぎ。
結界の干渉。
レギオンの機嫌。
宿儺由来コアの反発。
終夜の接続反応。
どれも一つ一つ見れば危険だが、全てに怯えていたら仕事にならない。
だから黒瀬は、いつものように午後の会議へ向かうことにした。
廊下の向こうでは研究員達が行き交い、モニターには東京の呪力循環が流れ、格納庫からは三号機の駆動音が微かに響いている。
カースフューチャーラボは今日も動いている。
五条悟が作り、夏油傑が守り、伊地知が回し、エリオットが資金を繋ぎ、虎杖が戦い、メカ丸が支え、九相図が笑い、子供達が未来を担う。
歪で。
危険で。
騒がしくて。
それでもここは、黒瀬にとって居場所だった。
だからこそ、彼はその時のノイズを、もう少し深く調べるべきだったのかもしれない。
後にそう思うことになる。
けれどその時はまだ、誰も知らなかった。
それが、鎖で雁字搦めに押さえつけることでかろうじて保っていた平和の崩壊の始まりだと。
五条 優人
五条家次男。
小学一年生の肉体。
実年齢は5歳。
五条似。
能力
・六眼
・無下限使用可能
・呪霊視覚共有(一度に一体)
・呪霊使役数制限なし
特徴
・リミッター無し
・高性能
・呪霊が襲わない
コンプレックス
総監部から身柄を要求され、量産を狙われる。
本人は
「自分は量産型」
と思っている。
新から余分な能力を削り、ステータスを強化し、
シンプルに実用的というコンセプトなので、そういう意味で伸び代はないと言っていい。
でも鍛えれば普通に強くなる。当然。
五条も夏油も頭がいいので、その子供である優人も頭が良い。
研究したいっていえないだけで、ちゃんと学べば研究に加われるポテンシャルはある。
日下部に悩みを相談したら頭をグリグリされてキレられる。
マシュマロ
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