王都ティリアンは、雪化粧に包まれている。
ベレリアント半島の厳しい寒さにあっても、数千年の歴史を持つ王都ともなれば、路上の往来は絶えない。まして、この都の民は白エルフで、寒さに強いの種族である。
夜道を歩く白エルフたちの目当ては、食堂や居酒屋だ。冬の楽しみは食事に限る。店にすれば稼ぎ時であり、供する酒食に工夫を凝らし、大通りは客引き合戦の様を呈するところだ。
しかし、この冬だけは違う。どの店もメニューが限られ、怪しげな食材で誤魔化した耐乏食だ。それでも、ありつければ良い方で、店先で追い払われる客もある。
「すいませんね、お客さん。今日はもう閉店なのですよ。ええ、食材を切らしてしまって」
「冬至祭だっていうのに?」
「肉が手に入らないんでねぇ。お客さんが兎でも狩って持ち込んでくれるなら、料理させてもらいますけど」
落胆した白エルフ達は、足早に家路に向かう。みな、俯き加減である。こんな生活がいつまで続くのかと、不安げな顔をしている。
そんな往来に紛れつつ、奇妙に律動的な足取りがある。防寒の帽子を目深に被り、尖り耳だけを覗かせている。白エルフだから当然、女だが、その面立ちは窺えない。地味な色の長コートを捌き、中央市街を抜けていく。
コートの女は裏通りに入った。道を二、三本外れただけで、別の街かと思うほど無機質な路地になる。大通りの商業を支える倉庫街に入る。
その一角に、どんな倉庫より巨大な石造りの施設がある。古い城塞を流用したものだ。
高い石壁で囲われ、中はうかがえない。特異なのは、石壁の上部が傾斜していることだ。壁を登って越えようとする者を阻む、ネズミ返しである。ふつうは外側に折れ曲がって侵入者を防ぐが、この壁は内に向けて曲がっている。
そんな壁沿いを歩き、コートの女は門に辿り着いた。敷地の大きさに不似合いな小さな鉄門で、既に閉ざされている。
無骨な叩き金を二度叩き、女がしばらく待っていると、門扉の小窓が開いた。門番の白エルフが、胡乱げな顔を覗かせる。
「もう閉門だよ。こんな時間に……っ!」
門番はたちまち青ざめた。訪ねてきた女がフードを払い、顔を見せたからだ。
「か、閣下! どうして、いや、すぐにお開けします」
閣下と呼ばれた女は、感情を窺わせぬ声で応じた。
「駄目だ。開けるな」
門番の混乱に拍車がかかる。
「は、はい……あの、その」
「時間外だ。お前に開門の権限はない。当直刑務官に確認しろ。私を入れてよいかどうかを」
女の声は冷たく、きっぱりとしている。
「は、はあ。しかし、長官閣下」
「規則だ」
女は、凍りつくような目線を門番に向けた。
「はやく行け」
「は、はい!」
血相を変えた門番は、小窓を閉めるのも忘れ、敷地の奥へ走り去った。途中で転倒したらしい音がする。
長官と呼ばれた女は、唇を皮肉に歪めた。
門番は、彼女を待たせては殺されるとでも恐れたらしい。彼女は、そんなことはしない。陸軍に転属させて、最前線に送るだけである。
やがて門が開いた。辞を低くし、恐縮しきった当直刑務官が出迎えた。
「ブレンウェル長官、急なお見えで、この度は……」
衣服と髪の乱れ具合から、寝起きなのは明らかだった。
秘密警察長官ブレンウェルは、前線送りにすべき者の脳内のリストに、一名を書き加えてから、用向きを言った。
「――に、用がある。すぐに案内しろ」
「あいつに。それは一体」
「知る必要はない」
蒼白になった当直は、ブレンウェルは敷地内の最奥部へ導いた。三つの門をくぐると、中庭に出た。
そこにある小さな建物が四角い建物がある。この場所、内務省が管理する政治犯収容所の中でも、特に注意すべき者が入れられる独房である。
建物内は暗い。
分厚い石壁に反射して、息遣いが聞こえる。寝息ではない。懸命な、しかし、ゆっくりとした呼吸音だ。
闇を照らすのは、当直が手にもつ灯り一つ。それが檻の中を照らした。
赤味がかった金髪が、床の近くに見えた。その合間から尖り耳を覗かせて、赤毛の頭部は、ゆっくりと上下している。その動きに合わせ、深い呼吸の音がする。
夜の独房の中で、腕立て伏せをしているのだ。片手を石の床につき、もう片手は腰の後ろにあている。
「十三号。立て」
当直刑務官は、威嚇的な声で言った。数字で呼ばれた女は気にもせず、運動を続けている。ぽつり、汗が滴る音がした。
「やめろ。とっくに就寝時間だぞ!」
すると、赤毛の女は運動をやめ、ゆっくりと立ち上がった。
「あいにく、時計が壊れているんでな」
白エルフにしては低く、ザラついた、しゃがれ声である。
「貴様、長官に無礼な」
「よい」
怒声をあげようとした刑務官を制すると、ブレンウェルは言った。
「灯りを寄越せ。お前は外に出ていろ」
恐懼した刑務官は、逃げるように去った。
ブレンウェルは、受け取った灯りで囚人の顔を照らす。
美女ではない。そも、明るい金髪が美の典型とされる白エルフ族にあって、赤毛は醜女の代名詞といっていい。その上、頬にあばたがある。ただ、鼻梁が高く、細い眉がキリリと上がり、はっきりとした顔立ちが、抜き身の刃のような印象を与えている。
秘密警察長官が政治犯を訪ねて来たというのに、その顔には怯えも戸惑いも見られない。内心を窺うことはできないが、ただ強い光を放つ薄青色の瞳が、突然の訪問者を見つめている。
やがて、檻の中の女は、ぽつりと言った。
「私の墓でも掘れたか?」
ブレンウェルは、くっくと笑った。一年以上の牢獄暮らしを経ても、この政治犯が、まるで変化していないと分かったからだ。
「あいにくだが、そんな暇はない」
エルフィンド王国では、あらゆる国民を令状なしに捕え、裁判なしに裁くことができる秘密警察、その全てを握るブレンウェルは、女に運命を告げた。
「お前を釈放する」
そう言われても、囚人は眉ひとつ動かさない。
が、さすがに反問はあった。
「軍に戻れと?」
ブレンウェルの顔に、微笑に似たものが浮かんだ。明敏な相手と会話するのは楽でいい。ブレンウェルは頷き、囚人の予想が的を射ているのだと教えた。
「エルフィンド王国が滅びかけている」
「早いな。思ったより」
危険な発言だった。遅かれ早かれ国が亡ぶと、そう予見していたというのだ。その一言で不忠不敬、危険思想の持ち主として処分されかねない言葉だ。
しかし、女は既に、いつ殺されてもおかしくない境遇である。今さら遠慮はないらしい。その飄然とした顔つきは、ここに捕えられる前から、遠慮や恐怖に縁があったようには見えない。
「新しい任務を与えてやる」
「断る」
女は即座に言った。釈放という無上の報酬を与えられても、少しも魅力を感じていない。少なくとも、そのように見えた。
いつ殺されるか分からない状況で、釈放の望みのない収容所の規則よりも、釈放の希望と比べてさえも、重んじている掟が、女の中にはあるらしい。
ブレンウェルは、それを刺激するよう努めねばならない。
「貴様は愛国者だろう」
女は、初めて、やや口角をあげた。笑ったつもりなのだろう。
「祖国は愛しているさ。当たり前のことだ。しかし政府は、その価値がある時に限る」
「奇妙な忠誠心だ」
「お前よりはマシさ、ブレンウェル。……私にも闇エルフを殺せというのか」
「ああ」
「罪もない者たちを皆殺しに」
「少し違うな。皆殺しではない。最大でも、二十六名をだ」
奇妙に具体的な言葉は、女の興味を惹いたらしい。
「二十六名?」
「それが目標の護衛だ。全員を排除するか、出し抜くかは、お前次第だ」
囚人の眉間にかすかな皺がよる。赤毛の頭蓋の中で、鋭敏な頭脳が素早く回転しているのだと察せられた。
「作戦計画には聞こえない。まるで……」
「正解だ。貴様は、もう一度、ロザリンドと同じことを期待されている」
囚人の表情は、その鋭気を増した。声音は分からないが、瞳に怒りがありありと見えている。やがて、しゃがれ声が言った。
「あんたは、もう少し頭がいいと思っていた」
「買い被りだ。私は、これだ」
と、ブレンウェルは牢獄の廊下、その石壁に灯りを向けた。
古ぼけた振り子時計が掛かっている。振り子は揺れてはいない。短針は一時を指している。それが午前のことであれ、午後のことであれ、見当違いである。
「その、壊れた時計が?」
万事に察しのいい囚人は、はじめて顔に疑問を浮かべた。
「あの諺を知らないらしい」
ブレンウェルは、そこで言葉を切った。囚人の目が、無言のうちに続きを求めるのを認めてから、彼女は続けた。
「狂った時計でも、一日に二回は正しい時刻を指すのさ。持ち主さえ、それを信じてくれないとしても、だ」
そう聞いて、囚人は、ふっと息をついた。瞳の怒気が僅かに和らいでいる。
「……愛国心の表明にも色々とあるものだ。尻に火がついて、やっと正気に返ったということか?」
「誰もが自分だけは正気のつもりでいる。だから狂った現実を認められない。それが問題なのだ」
囚人は鼻を鳴らし、端的に尋ねてきた。
「状況を説明しろ」
プレンウェルは無言で鍵とりだした。重たい錠が、無機質な音を立てた。
(次話「狂った時計」へ続く)