グスタフ暗殺計画   作:芝三十郎

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エルフィンド王国の秘密警察長官ブレンウェルは、政治犯収容所を訪れ、一人の囚人を解き放とうとする。web版読了後推奨


政治犯十三号

 王都ティリアンは、雪化粧に包まれている。

 

 ベレリアント半島の厳しい寒さにあっても、数千年の歴史を持つ王都ともなれば、路上の往来は絶えない。まして、この都の民は白エルフで、寒さに強いの種族である。

 

 夜道を歩く白エルフたちの目当ては、食堂や居酒屋だ。冬の楽しみは食事に限る。店にすれば稼ぎ時であり、供する酒食に工夫を凝らし、大通りは客引き合戦の様を呈するところだ。

 

 しかし、この冬だけは違う。どの店もメニューが限られ、怪しげな食材で誤魔化した耐乏食だ。それでも、ありつければ良い方で、店先で追い払われる客もある。

 

「すいませんね、お客さん。今日はもう閉店なのですよ。ええ、食材を切らしてしまって」

 

「冬至祭だっていうのに?」

 

「肉が手に入らないんでねぇ。お客さんが兎でも狩って持ち込んでくれるなら、料理させてもらいますけど」

 

 落胆した白エルフ達は、足早に家路に向かう。みな、俯き加減である。こんな生活がいつまで続くのかと、不安げな顔をしている。

 

 そんな往来に紛れつつ、奇妙に律動的な足取りがある。防寒の帽子を目深に被り、尖り耳だけを覗かせている。白エルフだから当然、女だが、その面立ちは窺えない。地味な色の長コートを捌き、中央市街を抜けていく。

 

 コートの女は裏通りに入った。道を二、三本外れただけで、別の街かと思うほど無機質な路地になる。大通りの商業を支える倉庫街に入る。

 

 その一角に、どんな倉庫より巨大な石造りの施設がある。古い城塞を流用したものだ。

 

 高い石壁で囲われ、中はうかがえない。特異なのは、石壁の上部が傾斜していることだ。壁を登って越えようとする者を阻む、ネズミ返しである。ふつうは外側に折れ曲がって侵入者を防ぐが、この壁は内に向けて曲がっている。

 

 そんな壁沿いを歩き、コートの女は門に辿り着いた。敷地の大きさに不似合いな小さな鉄門で、既に閉ざされている。

 

 無骨な叩き金を二度叩き、女がしばらく待っていると、門扉の小窓が開いた。門番の白エルフが、胡乱げな顔を覗かせる。

 

「もう閉門だよ。こんな時間に……っ!」

 

 門番はたちまち青ざめた。訪ねてきた女がフードを払い、顔を見せたからだ。

 

「か、閣下! どうして、いや、すぐにお開けします」

 

 閣下と呼ばれた女は、感情を窺わせぬ声で応じた。

 

「駄目だ。開けるな」

 

 門番の混乱に拍車がかかる。

 

「は、はい……あの、その」

 

「時間外だ。お前に開門の権限はない。当直刑務官に確認しろ。私を入れてよいかどうかを」

 

 女の声は冷たく、きっぱりとしている。

 

「は、はあ。しかし、長官閣下」

 

「規則だ」

 

 女は、凍りつくような目線を門番に向けた。

 

「はやく行け」

 

「は、はい!」

 

 血相を変えた門番は、小窓を閉めるのも忘れ、敷地の奥へ走り去った。途中で転倒したらしい音がする。

 

 長官と呼ばれた女は、唇を皮肉に歪めた。

 

 門番は、彼女を待たせては殺されるとでも恐れたらしい。彼女は、そんなことはしない。陸軍に転属させて、最前線に送るだけである。

 

 やがて門が開いた。辞を低くし、恐縮しきった当直刑務官が出迎えた。

 

「ブレンウェル長官、急なお見えで、この度は……」

 

 衣服と髪の乱れ具合から、寝起きなのは明らかだった。

 

 秘密警察長官ブレンウェルは、前線送りにすべき者の脳内のリストに、一名を書き加えてから、用向きを言った。

 

「――に、用がある。すぐに案内しろ」

 

「あいつに。それは一体」

 

「知る必要はない」

 

 蒼白になった当直は、ブレンウェルは敷地内の最奥部へ導いた。三つの門をくぐると、中庭に出た。

 

 そこにある小さな建物が四角い建物がある。この場所、内務省が管理する政治犯収容所の中でも、特に注意すべき者が入れられる独房である。

 

 建物内は暗い。

 

 分厚い石壁に反射して、息遣いが聞こえる。寝息ではない。懸命な、しかし、ゆっくりとした呼吸音だ。

 

 闇を照らすのは、当直が手にもつ灯り一つ。それが檻の中を照らした。

 

 赤味がかった金髪が、床の近くに見えた。その合間から尖り耳を覗かせて、赤毛の頭部は、ゆっくりと上下している。その動きに合わせ、深い呼吸の音がする。

 

 夜の独房の中で、腕立て伏せをしているのだ。片手を石の床につき、もう片手は腰の後ろにあている。

 

「十三号。立て」

 

 当直刑務官は、威嚇的な声で言った。数字で呼ばれた女は気にもせず、運動を続けている。ぽつり、汗が滴る音がした。

 

「やめろ。とっくに就寝時間だぞ!」

 

 すると、赤毛の女は運動をやめ、ゆっくりと立ち上がった。

 

「あいにく、時計が壊れているんでな」

 

 白エルフにしては低く、ザラついた、しゃがれ声である。

 

「貴様、長官に無礼な」

 

「よい」

 

 怒声をあげようとした刑務官を制すると、ブレンウェルは言った。

 

「灯りを寄越せ。お前は外に出ていろ」

 

 恐懼した刑務官は、逃げるように去った。

 

 ブレンウェルは、受け取った灯りで囚人の顔を照らす。

 

 美女ではない。そも、明るい金髪が美の典型とされる白エルフ族にあって、赤毛は醜女の代名詞といっていい。その上、頬にあばたがある。ただ、鼻梁が高く、細い眉がキリリと上がり、はっきりとした顔立ちが、抜き身の刃のような印象を与えている。

 

 秘密警察長官が政治犯を訪ねて来たというのに、その顔には怯えも戸惑いも見られない。内心を窺うことはできないが、ただ強い光を放つ薄青色の瞳が、突然の訪問者を見つめている。

 

 やがて、檻の中の女は、ぽつりと言った。

 

「私の墓でも掘れたか?」

 

 ブレンウェルは、くっくと笑った。一年以上の牢獄暮らしを経ても、この政治犯が、まるで変化していないと分かったからだ。

 

「あいにくだが、そんな暇はない」

 

 エルフィンド王国では、あらゆる国民を令状なしに捕え、裁判なしに裁くことができる秘密警察、その全てを握るブレンウェルは、女に運命を告げた。

 

「お前を釈放する」

 

 そう言われても、囚人は眉ひとつ動かさない。

 

 が、さすがに反問はあった。

 

「軍に戻れと?」

 

 ブレンウェルの顔に、微笑に似たものが浮かんだ。明敏な相手と会話するのは楽でいい。ブレンウェルは頷き、囚人の予想が的を射ているのだと教えた。

 

「エルフィンド王国が滅びかけている」

 

「早いな。思ったより」

 

 危険な発言だった。遅かれ早かれ国が亡ぶと、そう予見していたというのだ。その一言で不忠不敬、危険思想の持ち主として処分されかねない言葉だ。

 

 しかし、女は既に、いつ殺されてもおかしくない境遇である。今さら遠慮はないらしい。その飄然とした顔つきは、ここに捕えられる前から、遠慮や恐怖に縁があったようには見えない。

 

「新しい任務を与えてやる」

 

「断る」

 

 女は即座に言った。釈放という無上の報酬を与えられても、少しも魅力を感じていない。少なくとも、そのように見えた。

 

 いつ殺されるか分からない状況で、釈放の望みのない収容所の規則よりも、釈放の希望と比べてさえも、重んじている掟が、女の中にはあるらしい。

 

 ブレンウェルは、それを刺激するよう努めねばならない。

 

「貴様は愛国者だろう」

 

 女は、初めて、やや口角をあげた。笑ったつもりなのだろう。

 

「祖国は愛しているさ。当たり前のことだ。しかし政府は、その価値がある時に限る」

 

「奇妙な忠誠心だ」

 

「お前よりはマシさ、ブレンウェル。……私にも闇エルフを殺せというのか」

 

「ああ」

 

「罪もない者たちを皆殺しに」

 

「少し違うな。皆殺しではない。最大でも、二十六名をだ」

 

 奇妙に具体的な言葉は、女の興味を惹いたらしい。

 

「二十六名?」

 

「それが目標の護衛だ。全員を排除するか、出し抜くかは、お前次第だ」

 

 囚人の眉間にかすかな皺がよる。赤毛の頭蓋の中で、鋭敏な頭脳が素早く回転しているのだと察せられた。

 

「作戦計画には聞こえない。まるで……」

 

「正解だ。貴様は、もう一度、ロザリンドと同じことを期待されている」

 

 囚人の表情は、その鋭気を増した。声音は分からないが、瞳に怒りがありありと見えている。やがて、しゃがれ声が言った。

 

「あんたは、もう少し頭がいいと思っていた」

 

「買い被りだ。私は、これだ」

 

 と、ブレンウェルは牢獄の廊下、その石壁に灯りを向けた。

 

 古ぼけた振り子時計が掛かっている。振り子は揺れてはいない。短針は一時を指している。それが午前のことであれ、午後のことであれ、見当違いである。

 

「その、壊れた時計が?」

 

 万事に察しのいい囚人は、はじめて顔に疑問を浮かべた。

 

「あの諺を知らないらしい」

 

 ブレンウェルは、そこで言葉を切った。囚人の目が、無言のうちに続きを求めるのを認めてから、彼女は続けた。

 

「狂った時計でも、一日に二回は正しい時刻を指すのさ。持ち主さえ、それを信じてくれないとしても、だ」

 

 そう聞いて、囚人は、ふっと息をついた。瞳の怒気が僅かに和らいでいる。

 

「……愛国心の表明にも色々とあるものだ。尻に火がついて、やっと正気に返ったということか?」

 

「誰もが自分だけは正気のつもりでいる。だから狂った現実を認められない。それが問題なのだ」

 

 囚人は鼻を鳴らし、端的に尋ねてきた。

 

「状況を説明しろ」

 

 プレンウェルは無言で鍵とりだした。重たい錠が、無機質な音を立てた。

 

 

 

 

(次話「狂った時計」へ続く)

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