「止まれッ! そこを動くなッ!」
鋭い声が木々の間から響き、木こりの足を止めた。声は、言う。
「ゆっくりと両手をあげろ」
手斧を右手に持ったまま、木こりは両手を掲げた。
ざわり、と斜面の下草がうごめき、二名の白エルフ兵が姿を現す。二名とも小銃を構えている。
「貴様、何者だ」
木こりは細い眉を少しくしかめた。つば広の帽子から覗くのは尖り耳と、白エルフには珍しい赤毛だ。
「こんなところへ来る木こりがいるか。オークどもに買われた斥候か、貴様」
誰何する兵士二名は銃剣のついた筒先を木こりに向けて、しきりと威嚇している。
陽動なのは明らかだった。
「後ろの者」
木こりが言うと、その背後で下草を踏むかすかな音がした。
姿勢を低くし、短剣を手に、木こりの背後から近づいていた白エルフ兵は、動揺のあまり足を止めた。
「慌てるな。聞け、私は……」と、木こりは言いかけたが、前から近づいていた銃剣の二名には聞く耳がない。
「動くなと言ったッ!」
一名がそう叫んだ。後ろからの伏兵を見抜かれた焦りに任せ、駆けながら銃剣を突き出してくる。
木こりは掲げた手にまだもっていた手斧を空中に放った。突っ込みながら、兵士たちの目が斧を追う。
その一瞬に、木こりの身体は、銃剣の兵達に接するばかりに近づいている。
急速な接近に兵達が反応するよりも早く、木こりの片足が一名の兵士のブーツの甲を踏み、手がもう一名の手首に触れる。
「あっ」
と声をあげ、二名の兵は小銃を取り落とした。それぞれ手足の一箇所を抑えられただけであるのに、全身に巨岩のような重圧がかかり、骨と筋が悲鳴をあげて、その場にしゃがみ込まざるを得ない。
「やめろッ」
と叫びながら突っ込んできたのは、木こりの背後から忍んできていた兵士である。逆手に持った短剣を振りかぶっている。
ふっ——と、木こりが息を吐きつつ、地に伏すほどに腰を下げたかと思うと、突っ込んできた兵士は空中をくるりと回転した。投げ飛ばされたのである。
宙を舞い、頭から地面に叩きつけられるかと見えた兵士は、その寸前で止まり、足から地面についた。兵士の腕を木こりが掴み、落下を防いだからである。数瞬前まで兵士が持っていた短剣は、木こりのもう一方の手の内にあった。
木こりの頭からはらりと帽子が落ちて、その面立ちが木漏れ日にあらわとなった。
木こりは、いかにも親しげに言った。
「お前、メレスか」
投げられた兵士は、一瞬茫然とし、すぐに声をあげた。
「……大隊長!?」
まだ腕を掴まれたままの兵士に、彼女の部下である二名が叫んだ。
「分隊長!」
小銃を拾って、なお戦おうとする部下たちを、慌てて彼女は言った。
「お前ら、よせ。味方だ! この方は敵の手先なんかじゃない!」
木こりに扮していた赤毛の白エルフ、エドウェン・リンデル中佐は、珍しく頬を綻ばせた。
「お前が私の顔を見忘れてなくてよかった。メレス・ブレシル二等兵。いや、もう伍長か。出世したな。立派なものだ」
メレス・ブレシル伍長は、捻り上げられた手首をさすりながら立ち上がった。
「大隊長どの、ご無事でしたか。お変わりなく……ふ、ふふ」
伍長はたちまち笑み崩れ、かと思うと、両目から涙を溢れさせた。
「あ、あれ。これはし、失礼を……う、う……」
言葉を失い、ごしごしと顔をこすり、ますます涙を溢れさせ、伍長は嗚咽するばかりとなった。
リンデルの片手が伍長の肩に乗った。
「何だ貴様、まるで変わっておらんじゃないか。泣き虫メレス。まだまだ鍛えてやらねばなるまい」
伍長は嗚咽の合間に、やっと応じた。
「は、はい。大隊長どの……」
リンデルは部下の肩から手を離すと、感情を交えぬ声で命じた。
「ブレシル伍長、案内しろ。私の……いや、諸君ら大隊のところへ」
◇
その道々、リンデルは案内を乞うと言いながらも、峠の難路を苦もなく進んでいく。
ともすれば遅れがちになる白エルフ兵達は、リンデルの背中を追いかけながら、思わずブレシル伍長に尋ねた。
「分隊長、あの将校どの、いったい何なんですか。足元を見もしない。まるで」
——天魔か化生か、闇エルフか
そう不審がる兵の頭を、伍長は軽くはたいた。
「馬鹿、失礼を言うな。中佐どのだぞ」
「でも、将校なのに、あんなに強いなんて」
「当たり前だ。いいか、あのお方はな」
と、メレス・ブレシル伍長は、自らを誇るように言った。
「私たちの大隊長だ。部隊ができた時からの」
兵たちは、ようやく意味を察したらしい。メレスはますます得意げになる。
「うん、分かったか。だからあの方は、全員の育ての姉も同然なんだ。私たち、第一山岳猟兵大隊にとってはね」
山岳猟兵——という兵科は、エルフィンドとオルクセンの両国に存在し、まったく違う内実と、同じ起源を持っている。
オークとエルフ、どちらの山岳猟兵も、ロザリンド会戦から始まった。闇エルフ猟兵の活躍である。
闇エルフ猟兵は、ロザリンド渓谷を囲む山地を飛ぶように駆けて戦闘加入し、決戦の勝敗を決した。彼女らの踏破力と戦闘力と、どちらかが少しでも足りなければ、あるいはロザリンドはオルクセンの勝利に終わったかもしれなかった。
オルクセン軍はエルフィンドとの再戦に備えて、闇エルフに対抗するために山岳猟兵を新設した。山地を進退できる軽装歩兵だが、それで闇エルフに勝てるとは思えなかったから、山道でも兵士が担送できる小型の山砲を開発して装備させ、多数の山岳猟兵師団を創設した。火力と兵力を頼むオルクセンらしいといえよう。
一方のエルフィンド王国軍においても、闇エルフ猟兵を手本とし、白エルフ族からなる山岳猟兵部隊が新設された。
提唱者はダリエンド・マルリアン大将である。彼女はロザリンドから帰還後に一時は不遇をかこっていたが、やがて陸相に就任すると、猛烈な勢いで軍改革を推進した。
その一つが白エルフ山岳猟兵の創設で、将来は連隊、師団と大規模化するつもりではあった。その最初の基幹部隊として作ったのが、第一山岳猟兵大隊である。
しかし結局、続く第二、第三大隊は創設されず、全軍中にわずか一個大隊で留まってしまった。
そのわけは、やはりマルリアンにある。その強引さゆえに彼女が短期間で陸相の地位を追われたということもあるが、そもそもの構想にも無理があった——とは、マルリアンの失脚を惜しんだ改革派将校たちも認めるところだ。
マルリアンは二兎を追ってしまった。新設の兵科に二つの目的を持たせたのだ。
一つは山地における大規模正規戦。ロザリンドにおける闇エルフ猟兵のような活躍である。
が、もう一つ、地形を問わない不正規戦能力をも、マルリアンは求めた。
彼女の陸相就任はデュートネ戦争の晩期にあたる。
当時、星欧最強の侵略軍で、エルフィンドにとっても最大の脅威だったデュートネの大陸軍を最も苦しめたのは、イザベリア半島におけるゲリラの抵抗だった。小規模に分散したイザベリア各地の農民たちが、デュートネ軍の兵站を襲い、あるいは奇襲をかけて翻弄した。
これに新しい戦争の形をみたマルリアンは「正規軍による不正規戦」を構想した。分隊以下の少数で活動し、軽装備で敵に潜入して、主に偵察や破壊工作を行う神出鬼没の戦闘集団。明らかに後代の特殊部隊に相当し、百年近くも時代の先をいく、卓抜した発想といってよかった。
マルリアンは新規兵科こそ将来の戦争の要と信じ、全幅の信頼をおくエドウェン・リンデルを指名して、新設部隊の初代大隊長に任じた。(実は候補はもう一名いたのだが、そちらは能力はともかく、気に入らない上司同僚をすぐ殴りつけるという性格的な問題があった)
こうして山岳猟兵科の新設は成ったが、マルリアンの焦りが新部隊に無理を課した。
考えてもみればいい。後代の特殊部隊は、精鋭なるがゆえに少数である。高い素養をもつ兵士を選抜し、徹底的に鍛え上げねばならない。
山岳兵と特殊部隊はどちらも精鋭だが、性格的にはかなりの違いがある。マルリアンは、神出鬼没の精鋭という両者に共通のイメージに囚われたのだ。
その結果、エルフィンド軍の山岳猟兵は、極端に厳しい選抜と過酷に過ぎる訓練を必要として、正規戦に必要な多数の兵員を養成することが不可能になってしまった。
なにせ各地方軍で「これは」という精兵が選抜され、ほとんど懇願するように招かれるのに、その大半が一ヶ月と持たず「残念ナガラ適性ナシ」の烙印とともに、自信の一切を喪失した状態で、元の部隊へ送り返されてくるのだ。
かくて、第一山岳猟兵大隊は異常なほどの精鋭ぶりで、全軍中に知らぬ者はないほどであった。
兵士たちは畏怖したが、マルリアンを陸相から失脚させた守旧派の将軍たちは山岳猟兵の噂を聞くたびに、
「マルリアンの玩具」
「高価な兵隊人形」
などと嘲笑した。当然であろう。一個大隊きりの少数兵科など、戦略的には殆ど意味を持たないからだ。守旧派は正しく、マルリアンは間違っていた。
◇
リンデルが峠を登りきり、またやや下り、樹々に隠された坑道の一つに入り込んだ時は、夕暮れ時であった。
坑道の入り口で、リンデルは衣服を改めた。木こり装束を脱し、持参した山岳猟兵の制服、緑と茶のまだら模様という、エルフィンド軍には極めて珍しい上下を着込む。襟元に縫い付けてあるのは中佐の階級章と、小さな白い徽章だ。足元は鋲打ちの編上靴である。
足を踏み入れた坑道内はひんやりとして、手燭の一つもない。だが、リンデルにも、彼女を導くメレスにも、闇は問題にならない。光が乏しいあたりまで進むや、彼女らの瞳が赤く光った。エルフの紅眼の不可思議な視力で、あたりは昼のように明瞭になる。
やがて坑道の奥、やや広い辺りについた。あちこちに寝袋があった。そこで待っていた大柄の兵士は、リンデルを目にするや、巨体を揺すって駆け寄ってきた。
「大隊長どの……!」と、エルフには珍しい太い低音が呼びかける。リンデルには懐かしい響きだった。
「曹長」
と、声に出しては一言だけである。それで十分、伝わるはずであった。
現に伝わったようだが、アングディア・バランダル曹長、第一山岳猟兵大隊の先任下士官である白エルフ女は、リンデルに近寄ってくると、その肩やら腕やらを懐かしげに撫で回した。そして、
「お痩せになりましたな……」
と言った。氏族の幼な子を世話する姉のような言い方に、リンデルは苦笑した。
「独房暮らしだったからな」
「大変なご苦労を」
「君たち程ではない」
リンデルは微笑を収め、将校の口調となって、先任下士官に命じた。
「皆を外に集めてくれ。全員だ。至急の話がある」
「直ちに。大隊長どの」
そう請け負うと、曹長は音量を絞った、しかし鋭い号令を発した。
「全員、集まれッ!」
同内容の魔術通信も、出力を絞って飛ばしてある。あたりに座り込んでいた者たちが弾かれたように立ち上がり、また坑道の奥からも兵士たちが這うように駆けてきた。みな銃身の短い小銃を肩がけにしている。
「整列ッ」
兵たちは機敏に動き、ほとんど瞬時といっていい速さで、リンデルの前に隊列を組んだ。リンデルと兵たちの間に曹長が立ち、厳かに報告した。
「集合を完了しました。大隊長どの」
リンデルの表情は固い。その声音もである。
「曹長、私は大隊の総員を集めよと言ったつもりだった」
「はい、大隊長どの」
リンデルの目の前には三列の横隊が一つ。それきりである。大隊には三個中隊があり、リンデルが見込み育てた猟兵士官たちがいたが、いま目の前にいるのはバランダル曹長以下、下士官兵だけだった。
「なお現在、大隊の指揮は小官が代行しております。大隊長どの」
「……了解。人員を報告せよ」と、リンデルは静かに命じた。
「はいっ」と答えると、バランダル曹長は見事な気をつけの姿勢で、小声ながらも朗々と応じた。
「第一山岳猟兵大隊、所属総員、四百八十五名!
戦死者及び行方不明者、四百五十八名!
それらを除き、現在総員二十七名!
全員集合完了。異状ありません!」
お手本のような報告を終えると、曹長はさっと敬礼した。リンデルも敬礼を返す。
「ご苦労。休めッ」
リンデルの兵たちは、一糸も乱れぬ動きで、休めの姿勢をとった。
その一名一名の顔を確かめると、リンデルは声を絞り出した。
「大隊諸君、長く苦労をかけた。多くの戦友を失い」
と言って、そこで絶句した。
脳裏には、ロザリンド以来の記憶が去来している。山岳猟兵の新編にあたり、山地近くに住む白エルフの村を周り、兵を募集して回ったのは彼女自身だ。そうまでせねば、山に馴染んだ希少な白エルフは集まらない。自然、大隊の一名一名に思い出がある。
以来、数十年。ともに鍛え、戦ってきた。たとえ不当な迫害だったとしても、大鷲や巨狼からベレリアントの山々を征服したのは、彼女らにとって栄光だった。その苦戦の果てに勝利を得て、大隊の結束は高まった。
その九割以上が、彼女のいないところで戦い、死んでいったという。会わせる顔のあるはずがなかった。
「……失い、無念に思う。彼女らと共に戦えなかったのは痛恨の極みだ。最も必要な時に指揮をとってやれなかった。そのような私を、君たちがまだ指揮官と認めてくれるかは分からない。だが、私は——」
リンデルの言葉は遮られた。
「気をツケェ!」
声を抑えず、怒号のような号令を発したのは、先任曹長である。兵達は即応し、直立姿勢に戻っている。怒号は続く。
「我らが大隊長どのに。捧げェーッ、筒ッ!」
やはり一糸も乱れぬ動きで銃が掲げられ、兵達の視線が指揮官に集中した。
リンデルは部下達を見回す。誰の目も赤く輝いているが、魔術の光のみならず、爛々とした希望と喜びの色がある。メレスがそうであったように、はらはらと落涙している者も多数いる。
それでも部隊は精鋭らしく、薄汚れた緑と茶の制服で、女王陛下の前で行っても恥ずかしくない立派な敬礼を、唯一の指揮官に捧げている。
リンデルは厳かに敬礼を返した。二十七名全員の顔を眺めてから、さっと手を降ろした。
「直れェ! 休めッ」
さしものリンデルも、次の言葉を発するには、数秒の時間が必要だった。
だが彼女は、内心に湧き上がるものを感じさせぬ声で言った。
「ありがとう。心から感謝する。以後、私は常に君たちと共に在ろう。二度と離れることはない。君たちに報いるのに、この命一つで到底足りないと分かっているが、是非にも、そうさせてもらう」
兵たち全員の紅眼が輝きを増した。先任曹長が言った。
「おかえりなさい、大隊長どの。また我らを率いて下さるのですな」
「ああ」
「この地獄のような峠で」
「いいや、なお悪い」
と聞いて、兵たちは肌を粟立たせた。全員が尖り耳をぴんと張り、一言も聞き漏らすまいとしている。
「私は新たな命令を帯びてきた」
坑道内の空気は冷たく、身を切るようである。
「私は条件を出した。君たちが合意しなければ降りる、と。無論その時は、私はここに残り、最後までともに戦う。もう諸君を置いて行きはしない。
だが、もし君たちが賛成してくれるならば、今夜の内にもカランウェン少将に会い、正式に諸君を返してもらうつもりだ。そして、ともにこの峠を離れ、新たな任務に向かう」
その言葉が兵達全員に染み渡るだけの間を置いて、バランダル曹長は尋ねた。
「その任務は、ここより過酷なのですか」
「オルクセン軍に支配された土地の奥深くへ潜入するのだ。信じがたいほどの危険を冒す。周囲は全て敵だからな」
鍛え上げられた精兵たちが、闇の中で息を飲む音がした。皆の疑問を代表したのは、やはり先任曹長だった。
「一体、何のために」
リンデルは、部下たちに告げた。
「オルクセン国王、グスタフ・ファルケンハインを暗殺するのだ。方法と理由は、これから教える。話し合い、ともに決めよう。私たち全ての運命を」
(次話「戦う理由」に続く)