セレスディス・カランウェン一等少将。
その名は、戦後にオルクセン軍参謀本部によって刊行された公式戦史において、幾たびも登場する。ベレリアント戦争においてオルクセン軍を苦しめた敵のうち、五指に入る名将としてである。
カランウェンは、その風貌からして、強靭かつ柔軟な彼女の性格を彷彿とさせる。金髪碧眼は白エルフ族らしいが、その印象は、典型的白エルフの優美さからほど遠い。金髪を敢えて短くし、眉根から目元は溌剌として、いかにも剛毅という風である。
その一方で柔軟でもある。開戦直後にオルクセン軍から鹵獲された双眼鏡を首に下げて、その死に至るまで愛用し、自ら戦況を観測するのに使っていたという。そのような実用本位、柔剛一如の指揮ぶりが、近しい性質をもつマルリアン大将の目に留まり、後事を託されたわけだった。
マルリアンから秘策と残兵を預かったカランウェンは、山岳ゲリラ戦を指揮し、寡兵よくオルクセンの大軍を食い止めて、敗勢の中でも戦い続けた。オルクセン軍公刊戦史は、彼女の不屈の指揮ぶりを称えることで、最後にはそれに打ち勝ったオルクセン軍の偉大さを、自ら誇るというわけだった。
後世、敵からそのように称揚されてやまぬ不屈の名将カランウェン少将が、山岳ゲリラ戦を開始してから、五日あまりとなる、この日。
山中に隠ぺいされた陣地の内奥で、焚火にあたるカランウェンは、従卒が客人と指揮官にと用意した白湯のカップを手の内でもてあそんでいる。その頬は肉が落ち、目の下に隈を浮かばせている。やがて少将は口を開いた。
「暗殺計画か。そのために山岳猟兵大隊を返せと」
唐突に訪れた客、エドウェン・リンデル中佐は、小さく頷いてみせた。カランウェンは視線を陣地内の土壁にさまよわせてから、続けた。
「リンデル中佐。ここには、ふたりきりだ。他にも言いたいことがあるのではないか。私に」
「いいえ、閣下」
リンデルの否定は、カランウェンの望むところではなかったらしい。
「他に道はなかった。私は……君の部隊に頼った。第一山岳猟兵大隊は、包囲される前のアルトリアに増援として送り込まれてきた。収容所から急遽出されたばかりだったと聞いていた。大隊長は不在で、装備も不十分だった」
いわゆる懲罰部隊。罪を犯し、それを贖うために過酷な任務を敢えて命じられ、それで損耗しても惜しまれない存在だったと、カランウェンは言っていた。
言葉を発さないリンデルに、カランウェンは独白を続けた。あるいは自白を。
「攻囲を破って脱出する時は、後衛戦闘を任せた。主力の損害を抑えるために」
最後尾で敵の追撃を食い止めつつ撤退する、後衛戦闘は難しい。敵は増えるばかりだが、味方の増援はない。戦いつつ退き、また戦って時間を稼ぐ。戦力的にも、また心理的にも困難を極める。特に難しいのは、敵の隙をついて段階的な退却を図る時だ。ある程度は退いたところで、また防御に適した地形をみつけ、踏みとどまらねばならない。が、敵に背を向けた瞬間に将兵の心は緩む。士気が崩壊し、命惜しさに潰走に陥っても不思議ではない。
が、山岳猟兵は崩れなかったと、カランウェンはいう。
「見事なものだった。敵を誘引し、その方向を誤らせて側撃を加えたこともしばしばだ。おかげで主力は、ほとんど損害無しに脱出することができた」
山岳猟兵は精鋭だが、敢闘の理由はそれだけではない。懸命に戦わねば、再び収容所に逆戻りして、ことごとく処刑されるのは明らかであった。過剰なほどに踏みとどまって、忠誠心を証明しなければならなかったのだ。
その心理を知って、カランウェンは後衛を命じ、損害を引き受けさせたというわけだった。
リンデルはひたすらに無言で聞いている。
「その後も転戦しつつ、この山地に籠った。マルリアン大将の計略だ。敵が峠を北に越え、フィレンセ盆地に移動するのを敢えて見過ごしてから、兵站線を断てという。だが、私の旅団はただの歩兵旅団。それも敗兵だ。山岳戦の技術などない。まして敵に占領された平地に降りて、少数で襲撃する訓練などしていない……」
苦悶と自責の声は絶えて、カランウェンは焚火を見つめるばかりになってしまった。
リンデルは感情を乗せない声で、後を継いだ。
「そこで、あなたは山岳猟兵を分割した。旅団全体に撒いたのですね」
「歩兵たちの指導役が必要だった。彼女らは……よくやってくれた。未熟な兵たちを導き、地形を生かして戦う技を教えてくれた」
「山岳戦は運動戦です。未熟な歩兵と一緒では、自由な進退ができない。火力優勢なオークの山岳猟兵にあたられては、陣地があっても勝てない。そのようなとき、きっと歩兵を先に逃がしたことでしょう。我が兵たちは」
「…………」
「そしてフィレンセ盆地での襲撃戦法。少数で敵地に潜み、破壊工作を行うのは我らの本領です」
「そちらには普通の歩兵は加えず、山岳猟兵だけで行わせた。大戦果をあげてくれたよ。荷馬を襲い、敵の物資を焼き、命令文書を奪い。ことに、鉄道拠点を破壊したのは大きかった。敵は今ごろ、大いに苦しんでいるだろう」
「なぜ制服を脱がせたのです」
リンデルの声に怒りはない。ただその内容は、カランウェンにとって、いかなる拷問より過酷な糾弾だったといっていい。
「制服を着ていれば……戦えなくなり、降伏すれば、捕虜として保護されるのが戦の習い。しかし、軍服を着ず、市民と区別できない服装では。山岳猟兵も、それに間違われる付近の市民も。慣習法に守られない便衣兵として、容赦なく殺されることになる。分かっていて、命じたのですね」
後世、オルクセン軍公刊戦史は、カランウェンの巧妙な山岳ゲリラ戦を称える一方で、彼女がフィレンセ盆地において多数の便衣兵を送ったことには、敢えて触れていない。それに触れたならば、対抗策としてオルクセン軍が行った、現地村落の掃討を含む苛烈なゲリラ狩り……通称「南フィレンセ治安戦」の実態に言及せざるを得ないからである。
襲撃活動を行う白エルフ便衣兵は、オルクセン軍の追撃をかわすため、付近の村落に潜んだ。そのため、ゲリラを匿った者、物資を渡した者、ないし、その疑いがある者を、オルクセン軍は全て敵とみなした。戦時慣習法は、白エルフの側を非とし、オークたちの行為には罪を問わない。結果、戦争が終わった時には、複数の小村落が地図から消滅していた。
「他に道は無いのだ!」
カランウェンは初めて声を荒げた。悔恨の叫びが、思いのほか夜陰に響き、少将をさらに動揺させた。
後世、不屈の名将と称えられるカランウェンは、このとき、悪事を見つかって怯える子供のように見えた。
「まともに戦っては勝てない。アルトリアで私は思い知った。オークどもは異常だ。何もかも違いすぎる。軍の規模も。火力も。兵器や訓練の質も。全てが圧倒的だ。我が軍が総力をあげても負ける。軍の……いや、国家の総力が桁違いなのだ。」
「それでも、この峠で粘れば勝てると?」
「勝てる……これが唯一の策だと、マルリアン大将は仰った。ここが戦争全体の岐路なのだ。ここで戦い続けるしかない。そのために必要なことは全てやる。そうすればきっと勝てる」
「本当に信じているのですか」
「マルリアン大将の策だぞ。ロザリンドでも、あの方の作戦で勝った」
「マルリアン閣下が……」
リンデルは、その姿を回想した。途中で身体的な成長が止まった特異体質で、十歳かそこらの少女に見える将軍、ダリエンド・マルリアン。しかして才気煥発、創意に溢れる指揮官として、心ある武官たちに尊敬されている。
その最大にして不滅の武勲が、百二十年前、ロザリンド会戦の大勝利であった。その際のマルリアンはエルフィンド軍の副将だったが、作戦の立案も、現場での総指揮も、ほとんどを行ったといわれている。内外とも認める、エルフィンド軍で最高の名将であった。開戦直後のアルトリア防衛戦に敗れ、自ら降伏して捕虜となるまでは。
「……あの方は名将です。しかし無謬ではない」
立場は違っても、ロザリンドの英雄とされるリンデル中佐には、マルリアンと昔から個人的な交友がある。だからこそ、言えることもあった。
「もしマルリアン閣下が常に完璧であれば、山岳猟兵はもっと違った形になっていたでしょう。少数精鋭の特務大隊と、一般の山岳猟兵を分けるとか。もしそうなっていれば、我々は山岳猟兵師団を持って、オルクセン軍に対抗できていたかもしれません」
私の大隊を使い潰すのではなく……とは、リンデルは言わなかった。
きっ――と口元を結び、耐えるようにして聞いていたカランウェンは、やがて言った。
「かもしれん。だが私は……信じている。勝つために」
「この戦争に勝てるとお考えで」
「勝たなくてどうする。ロザリンドのような勝利には至れずとも、敵を退けて講和に漕ぎつけるのだ。それが軍人の役目だ」
「できると思っておられますか。本当に」
「当たり前だ。我らは軍人だぞ。エルフィンド王国の……」
しかし、カランウェンは目を逸らした。星の見えない夜空に目をやって、やがてぽつぽつと語りだした。
「……私の軍学校の時の戦術教官が、ディネルース・アンダリエル大佐といってな……。講義の休憩時間に、よくロザリンドの話をせがんだものだ。私が色々に質問をするものだから、教官も熱が入って、講義が遅れることもしばしばだった。私の山岳戦の知識といえば、あの時に聞き齧ったきりだ」
「闇エルフの指導者ですね。今はオルクセン軍で騎兵旅団を率いているとか」
「我が国は、恐るべき敵を自ら作り出してしまった」
「開戦以来、アンファングリア旅団の活躍には凄まじいものがあるとか。あの黄金樹旅団に退却を強いたと」
「何ほどのことがある。闇エルフの天性は猟兵だ。その本領が発揮されないだけ、むしろ幸いかもしれん。恐るべきはアンダリエル教官だ。付け焼き刃の騎兵が勇名を馳せているのは、あの方が指揮すればこそだろう」
そう言ったときだけ、隠しきれない疲労を滲ませたカランウェンの瞳が輝いた。リンデルはそこに率直な敬意と諦観をみた。
国民であった闇エルフ族に手をかけ、敵に追いやって、今はその復仇によって追い詰められている。それが彼女らの祖国、エルフィンド王国の現状だった。自らの悪行の報いを受けているといっていい。
そういう言い方で、カランウェンは内心を告白していた。リンデルはそれを敢えて言葉にした。
「我らに勝算はありません。いかなる手段をとっても」
カランウェンは頷かない。しかし否定の言葉はなかった。かわりに表れたのは疑問だった。
「我々軍人は、祖国のために戦って勝てと、そう教えられてきたし、自ら教えてもきた。それが、どうあがいても勝てないとすれば……我らの意味とは何だ」
「私たちに共通の疑問です。それは」
「暗殺作戦なら勝てると、貴官は踏んでいるのではないのか?」
「いかなる手段をとっても……と、申し上げました」
信じられぬ、という顔でカランウェンはリンデルを見た。
しばしの沈黙があり、山中の夜風の音だけがした。
「ではなぜ、そんな無謀な計画に従う。命令だからか」
「もし勝算がないとすれば、閣下は戦いをやめるのですか?」
「私は最後まで戦う。他に死に方を知らないのだ。結果はともあれ、ここで全力を尽くす。信じるもののために」
「私もです。義務と信じるものを果たします」
「それで、君の大隊の二十七名は納得したのか」
「ええ」
「もし……君たちが脱走して山中に潜めば、憲兵なんぞでは絶対に捕まえられないぞ。それでも本当に全員が、敵地潜入の任務に?」
「私も不思議に思います。ですが、彼女らは同意してくれました」
「信じているのだな。作戦ではなく、貴官のことを。そうに違いない。では、私もそうしよう。それが、せめてもの」
カランウェンは立ち上がった。リンデルもそれに応じる。
「承知した。第一山岳猟兵大隊を貴官の指揮下に復帰させる。エドウェン・リンデル中佐、以降、再び大隊の指揮を執れ」
「拝命します」
リンデルの敬礼にカランウェンが応じ、双方が手をさげた後、カランウェンは憑き物が落ちたような顔で言った。
「中佐、私はマルリアン閣下に三つの策を授かった。アルトリア軍の降伏で、敵兵站に負荷をかけ、進撃を遅らせる。敵が進み始めれば、敢えて見過ごし、峠と盆地での兵站攻撃。撤退に追い込む。それでも不足なら、弱った敵に対して、魔術力を生かした反攻作戦にでろと。クーランディア元帥にもお伝えした。元帥は、その線で動くはずだ」
「聞き及んでおります」
「実は四つ目がある」
「は……」
「元帥はお気に召さなかったようだったが」
カランウェンは初めての微笑を見せた。雲間から差し込んだ月光が、肉の落ちた頬を照らした。
「エドウェン・リンデルに託せ、と。ロザリンドの時と同じように。それが第四の、そして最後の矢だ。貴官の幸運を祈る」
(次話「決死の船」に続く)