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四月六日。山岳猟兵大隊を取り戻したエドウェン・リンデル中佐は、その夜のうちにエイセル峠を離れた。
リンデルらには急ぐべき任務があったし、オルクセン第三軍の占領下にある平野で長居することはできない。大隊の目指すところは、ネニング平原の中央に位置する大都市ディアネンである。
大隊は、カランウェン少将から贈られた人数分の駄馬を乗馬にして、一路、アルトカレ平原を北上した。最小限の魔術探知を慎重に用いながら、敵部隊らしい反応を避け、時に街道を外れて原野から迂回し、進みに進む。白エルフの紅眼は夜の闇をものともしないが、やがて地平線に朝日をみても、定期的な小休止、大休止を挟むのみで、夜に日を継いで進んだ。
やがて日が高く昇った。兵たちは未だ意気軒高だが、馬には長い休憩と給水、飼葉が必要な頃合いだ。
春の陽光が平野を照らす。星欧でも北寄りに位置するベレリアント半島は未だ肌寒いが、それでもアルトカレ平原の緑野に草は萌え、白や黄色の小さな花があちこちに見える。
そんな緑の平原を優しく撫でて吹きゆく春風が、耐え難い腐臭を乗せている。
その源へ、リンデル達は着いた。
平和なエルフの村——その残骸が、リンデル中佐以下、騎乗した二十八名の眼前にあった。
小さな農村である。傍らに防風林がある。十軒にも満たない家々は、みな木造で、土台は石組みで、苔がむしている。
村の外の畑には冬小麦が育っているが、それを世話すべき農民たちの姿はない。
否、かつて農民たちであったであろう骸が、村のあちこちに転がっている。うつ伏せに地に伏し、あるいは仰向けに転がり、鼻が曲がる悪臭を放って、数知れぬ蝿にたかられている。
「……この村で馬を休ませる。井戸を探せ。他の者は警戒しつつ、村内を捜索だ。我らの痕跡は残すな」
そう命じるとリンデルは下馬した。
先任下士官たるバランダル曹長が兵達をちらと見る。白エルフらしからぬ、顎と頬骨の張った顔だちだ。剣呑な目で部下達を睨みつけた——としか見えないが、目配せのつもりである。
それで指示を受け取った白エルフ兵たちは、次々に下馬した。兵達は三組に分かれた。一組は村の外縁に散り、二組目は村内を捜索にかかる。最後の一組は馬をまとめて、世話にとりかかる。
リンデルの命令は、ほとんど無音のうちに果たされた。
誰も声を立てず、魔術通信も用いない。ただ視線のやり取りと、何やら手で形を作り、それを振ったり、打ち合わせたりするだけで、意思疎通を素早くこなす。多年に渡る猛訓練の成果だった。
部下たちの報告を待つ間、リンデルは黙然として動かず、村の中心の広場にいた。そこに生えた、ただ一本の白銀樹を見上げている。
この村に生まれ、暮らした数十名の白エルフ。その全ての母であろう、一本の白銀樹。その幹は、葉は、周囲で娘たちを襲った出来事を、間近に見守っていたに違いなかった。
「思い出します。闇エルフの村を……」
バランダル曹長の言葉に、リンデルは嘆じるような相槌をうった。
「闇エルフの反乱」で、国境警備隊や秘密警察の実働部隊、それに協力した一部の陸軍部隊が「鎮圧」した後の村々には、死のみがあった。
バランダルの厳しい目尻に皺がより、僅かに光るものがある。
「報いなのでしょうか。いま、白エルフの村がこうになるのは」
この村の村民は、あげて白エルフだが、物音ひとつせぬところからは、きっと全滅したものと見えた。
「報いなどと。ここの村民に何の罪がある」
「はい、大隊長どの。罪はありません。あの闇エルフたちと同じように。闇エルフたちは母樹まで切られて……氏族ごと根切りの有り様でした」
「…………」
この村の、白エルフの母樹は無事である。だが、そこから生じた白エルフたちは、蝿と蛆の餌と化して転がっている。
リンデルは、孤独な樹の幹に手をあてて、ひとりごちた。
「親を亡くした子は孤児という。だが、子を亡くした親をあらわす言葉はない……果実たる娘たちを失った母樹に——」
バランダル曹長を振り返ったリンデルの相貌には、いかなる表情もなかった。
「できるのは、祈ることだろうな。今は」
「今は、ですか」
「行動せねばならん。これから生じる犠牲を減らすために。一日でも早く……」
村内を捜索していた兵の幾名かがリンデルに駆け寄り、小声で報告した。
「戦死した山岳猟兵を見つけました。野良着ですが、第二中隊の者です」
「誰だ」
「メルヴィエル二等兵と、ガザリィ軍曹です……恐らく」
「私も確認する」
兵に案内された村外れでは、二体の骸、その断片があった。一体は頭部が胴から離れて、もう一体は胴の横半分が欠けて、まろび出た腸が腐敗している。
無惨、などという言葉では足りない状態に成り果てた兵士の傍らに、リンデルはかがみ込んだ。自身の顔にもとまろうとする蠅を無視して、兵士の顔を改めると、その乱れた頭髪をそっと撫で付けやった。
「間違いないな、曹長」
「はい、大隊長どの。直ちに埋葬の準備を」
「駄目だ。私は痕跡を残すなと言った」
曹長は絶句した。周囲の兵たちは、無言で彼女らの指揮官を見ている。
「……はい、大隊長どの」
「護符は回収し、持ち帰る。必ず、それぞれの生まれの樹に返す。任務を忘れるな。我らには時間がない。我らが遅れれば、彼女らの生まれの村も、こうなるかもしれんのだ」
「はい、大隊長どの」
曹長は大きく頷くと、大きな身体を屈め、慎重な手つきで骸の胸元をあらためた。耐え難い悪臭に息を止めながら、胸元に下げられた木の護符を外した。
護符は、白エルフなら誰もが持つもので、生まれの樹から作ったものだ。死後、白エルフの魂は護符に宿り、護符が生まれの樹に捧げられると、樹を通じて天に昇り、ふたたび生まれ変わる時を待つという。
仲間の魂を宿した木片を、曹長は自らの嚢中に収めた。
「完了しました。大隊長どの」
「よし」
「こいつら、破壊工作に出た班です。敵に見つかり、この村で戦闘に」
「恐らく、村に匿われていたのだろう」
「だからといって村中を、こんな。これでは皆殺しです」
「戦争だ。戦争だよ。民と兵の区別がつかぬとなれば、こうなる。ならざるを得ん。兵を匿うだけでなく、たぶん、村をあげて占領に抵抗したのだろう。デュートネ戦争のイザベリアでも、こうだったと聞いた」
「それでも許せません。オークども」
「ああ。だがこの傷、オークだけではない。巨狼に食われたのだ。馬を休ませ終わったら、急いで離れるぞ」
「はっ」
バランダル曹長は、周囲の兵に手で合図をした。集合をかけたのだ。手の合図が兵から兵へと伝えられると、村中に散っていた兵がたちまち集まってきた。
が、バランダル曹長は口を曲げた。兵が足りぬのである。
「メレスの組は」
「林の中を捜索に」
と、バランダルが報告を受けた時である。
「いたぞぉ! 生き残りだ!」
遠くから響いた大声に、バランダルは眉を逆立てた。
「あんちくしょう」
小声の罵声は、メレス伍長には届かない。率いる兵とともに、二名がかりで小さな身体を抱えてきた。
「報告します! 林の中に、この子が」
「馬鹿たれ、静かにやれ」
「す、すいません。でも生きてます。子供なんです」
メレスたちが腕から下ろしたのは、十歳かそこらの娘だった。金髪というより、茶に近い珍しい髪色だが、尖り耳は白エルフに違いない。雪のような肌が泥に汚れている。
「しっかりして。喋れる?」
メレス伍長が促しても、少女の薄青の瞳には、何も映っていないようだ。自分の足で立ってはいるが、ただ茫然としているだけである。
「ねぇ、君。もう大丈夫なんだよ。助かったんだ。お水、飲む?」
「やめろ、揺するな」と割って入ったのは、バランダル曹長である。万事、知らぬことのない古強者の曹長は、若い兵に教えた。
「失輝死を起こしかけてる」
肉体が無事でも、精神が生きる気持ちを失えば、たちまち死に至る現象だ。かつては肉を持たぬ霊的存在だったという、エルフ族にのみ起こる死因である。
「……無理もない。安静にして、落ち着かせにゃならん。母樹のそばがいい」
バランダルは娘を慎重に抱えると、白銀樹の根元へと運んだ。メレスが素早く敷いた毛布の上に、小さな身体を横たえる。大きく張った母樹の枝、春の日差しに輝く葉のみが、娘の目に映るように。
バランダルは手の甲を娘の口元にあてた。か細い呼吸は、少しずつ深くなりつつあった。その感触に少しだけ安堵した曹長は、言った。
「氏族が皆殺しに遭うところを見たせいだ。この娘、どこで見つけた?」
「防風林の中です。周りには誰も……遺体はありませんでした」
「村の中で、他に子供の骸は?」
周囲にいた兵は、誰もが首を横に振った。
「……村で、ただ独りの娘か」
魔種族の例に漏れず、白エルフも新たな命が出生するのは稀である。一本しか白銀樹をもたない小村では、十数年に一度、赤子が授かるかどうか、というほどだ。
「こいつだけは逃がされたんだな」
というバランダルの予測は、白エルフなら当然の発想だった。
「大隊長どの。この娘、しばらくは動かせません。しかし」
リンデルは頷いた。馬の給水と飼葉は、間もなく終わろうとしている。
「すぐに出発したかったが。馬を林の影に隠し……」
と、リンデルが新たな指示を出そうとしたところで、出力を絞った魔術通信が、彼女らの脳裏に響いた。
<報告。北西に砂煙を確認しました。敵が近づいています>
哨兵からの知らせであった。
<恐らくは騎兵。小隊規模>
オルクセン軍が、平野一帯に小部隊を巡回させ、ゲリラ狩りをしているとは、彼女らの知るところである。その一隊が近づいているに違いない。
リンデルは少しの焦りもない声で、腹心の曹長に尋ねた。
「この辺りに闇エルフ騎兵はいないはずだな?」
「はい。通常の捜索騎兵かと。輓馬に乗ったオークどもでしょう」
ふむ――とリンデルが手を顎に当てたとき、か細い声がした。足元からである。
「オ……ク」
声を発したのは、白銀樹の根元に横たえた少女であった。
「……オーク!」
精神的な死の淵にあった少女を現世に呼び返したのは、母なる樹の守りというよりも、恐るべき異種族の名であったのかもしれない。
少女は青い瞳を見開き、たちまち飛び起きた。
「おい、君。落ち着いて――」とメレス伍長が止めようとするが、その腕をすり抜けて、少女は駆け出した。寸刻前まで死にかけていたとは思えぬ俊敏さだった。
呆気に取られた白エルフ兵たちの脳裏に、先ほどの哨兵の報告とは比較にならぬ大音声が響いた。
<たすけて!>
その実、声ではない。大出力の魔術通信である。発信源は、村外れへ駆け去っていく少女だった。
<たすけて! だれか、たすけて!>
白エルフ兵たちの多くが頭を押さえた。うずくまってしまった者もいる。それほど大出力の発信だった。白エルフならずとも、魔術適性のある者ならば、数キロメートル先からも聞き取れたに違いない。
リンデルは厳しい声で言った。
「聞かれたな。敵にも」
「直ちに撤収しましょう」
リンデルは、視野から消えつつある小さな背中を見た。少女は、村の林へ再度逃げ込もうとしているらしい。
「防戦準備だ。敵を迎え撃つ」
「今なら交戦を避けられますが」
「メレス! 娘を捕まえろ。まだ不安定だ。しばらく休ませねば死にかねん。この村で、もう誰も死なせてはならん」
伍長はたちまち駆け去った。バランダル曹長は爽快げな笑みを見せた。
「我らの所在も隠さねばなりませんな」
「ああ」
リンデルは口角を上げた。獲物の前にした肉食獣の笑みだった。
「殲滅するぞ。一騎たりとも生かして帰さん」
(次話「亡き者たちのために」へ続く)