ドゥイリン少佐は、棒でも呑み込んだような顔になっている。
「大王万歳……?」
数瞬後、少佐は顔色を変えた。ロザリンド会戦でリンデルに討たれ、死にゆくオーク王の最期にしては妙だった。
自国を称えるならまだしも、自分自身を美称で称えるはずがない。そうだとするならば。
「死んだ王は偽物だった……?」
リンデルは小さく頷いた。
「あの近衛兵たちは、退却する王を逃がそうとしていたのでしょう。最初から全滅覚悟で突撃をかけてきた。そのうち一名が王に成り代わって、死んだ。マルリアン将軍が驚くはずです。オルクセン軍の戦術研究で名を知られた方ですから、単語くらいなら聞き取れたのでしょう」
ドゥイリンは、他の白エルフ一般と同じく、今次戦争が始まるまではオルクセン王国の内情に興味などなかった。それでも海軍士官として、仮想敵国に関する最低限の知識は備えている。
オルクセンの前王アルブレヒト二世はロザリンドで戦死し、その直後に現在の王グスタフ・ファルケンハインが即位している。
ドゥイリンは、リンデルが上位者にして英雄でなければ、その襟首を掴んだかもしれない。
「で、では本物は!? 本物のアルブレヒト二世はどうなったのです!?」
リンデルは左右に首を振った。それは、かつてリンデル自身が謎に悩み、調査したこともある謎だった。
「分かりません。たぶん、撤退中に流れ弾にでも当たったのでしょう。誰に知られることもなく」
ドゥイリンは肩透かしを食らったような気分になった。伝説の戦いの当事者から、意外な顛末を聞いたというのに、その果ての結果だけは、子供でも知っている歴史と変わるとことがないという。それどころか、酷くつまらぬ結論ではないか。
「それでは、王に扮して死んだ近衛兵がやったことは、結局、無駄に終わったわけですな」
「いいえ」
リンデルは言下に否定した。ドゥイリンがゾッとするほど冷たく、断固とした声だった。
ドゥイリンは言葉につまり、しばしの沈黙が場を支配した。
やがて、リンデルは諄々と説き起こすように言った。
「かつては、そう思っていました。私が殺したのではないにせよ、結局、オルクセン王は死んだ。オルクセンは瓦解し、もう我が国の脅威ではなくなる。野蛮なオークの群れに戻り……あの兵士たちの死は、結局、無意味だったのだと。ですが今となっては、どうです」
リンデルは桟橋に目をやった。ドゥイリンの視線もそれにつられる。
そこでは、ドゥイリンの愛する奇怪な兵器、本来なら試験段階に過ぎぬ潜水艇が、突貫工事を受けている。
刺し違えてでも巨艦を倒す決死の兵器であったはずが、その唯一の武装たる、メカジキのツノのように突き出した外装爆雷が、いよいよ取り外されようとしている。それは潜水艇にとって、その乗り手たちにとって、その指揮官たるドゥイリンにとっても、単に武装という以上の何事かが失われようとする姿だった。
それを無表情に眺めつつ、リンデルは言った。
「オルクセンは復興し、見違えるほど強くなった。いまやエルフィンドでは、彼らに手も足もでない。陸軍は反攻作戦に出る気ですが、成功の見込みは乏しい」
その悟ったような言い様に、ドゥイリンは思い当たることがあった。
「……だから、あなたは、百二十年前にやり損った王殺しを、今になってやり遂げようと?」
リンデルは驚いた顔でドゥイリンを見た。一瞬だけ堪えるような顔をしたが、たちまち声をあげて笑い出す。
「は、はは。いや、失礼。そんな風にも見えますな、確かに。自分では考えたこともなかったが」
やがて笑いを収めると、リンデルは言った。
「私はね、少佐。思うのですよ。あのオークの牡、王に扮して死んだ戦士は、確かにやり遂げたに違いないと。彼はアルブレヒトを逃がすことはできなかった。負けると知っていて、死ぬと分かっていても、最後まで種族と国家のために進む……あのような者がいたからこそ、オルクセンは滅亡の淵から蘇ったのではないか、とね。いかにも筋が通らないが、どうしても思えてならないのです」
かつての英雄であるはずの大佐は、苦笑するような、あるいは諦念と希望が入り混じったような微笑を浮かべ、そして言った。
「彼は見事に義務を果たした。そして今、私の番が来たのだと」
リンデルの手がドゥイリンの肩を叩いた。
「外装水雷、そのままでいきましょう」
「ですが」
「いいのです。誇りを失うことは、全てを失うことだ。たとえ敗北が避けられないとしても、この戦争の終わりに、エルフィンドという国がなくなってしまっても……それでも誇りさえなくさなければいい。そうすれば百年後か、千年後か、過去の失敗に学んで、白エルフが再び立ち上がる日が来る。私も、部下たちも、そのために行くのですよ」
それはドゥイリンの理解を越えた論理だったが、否定することも、説得して翻意させることもできないということだけは、はっきりと分かっていた。
「ですが少佐、我らだけでは無理です。我らは山岳猟兵だ。海の上だけは歩けない。あなたの助けが要るのです」
「光栄の極みです。ですが――」
と、やや口ごもる。ドゥイリンには言わねばならぬことがあった。
「大佐、任務の中止や延期はできませんか」
「不可能です。何か不都合が?」
「実は、実はですな……最初に聞いた話では、復路という話でした。秘密警察の手の者は、ほんの数名を乗せられればいいのだと」
リンデルは怒りもせずに頷いた。
「妥当な計算ですな。ですが、あてにしていた往路が使えなくなった。もはや時間もない。海路に頼るほかありません」
「大佐どの、二十八名全員は……無理です。水雷を降ろそうが、降ろすまいが。この部隊には四隻の潜水艇がありますが、一番艇は試験中に沈没し、三番、四番は故障中で、部品のアテもありません」
「一隻のみですか。すると乗せられる兵数は?」
「詰め込んで、十名です。あなたを入れて」
「…………」
「ええ、最大限の努力はします。それで、あの工事です。蓄電池を降ろし、照明も、予備バラストも降ろします。座席も全て。限界まで場所を作って、それでも十名です。それで成算は立ちますか」
リンデル大佐は海の彼方に目をやった。その先に待つ任務を見据え、推しはかっているようだった。やがて赤毛の大佐は言った。
「足りませんな。私たちの敵は……総数では数十万だが、煎じ詰めても二十六名の精兵です。せめて、その半数は欲しい」
「あと三名」
ドゥイリンは頭に手をやり、潮風で荒れた髪をくしゃくしゃにした。潜水艇の構造、その全てを思い浮かべる。
「……やはり無理です。もう削るところがない。失礼ですが、敵のただなかに飛び込むのに、十名も十三名でも」
「少佐、私はあなたを信頼している。海の専門家として」
だから、こちらの専門にも口を挟むな、ということであった。ドゥイリンはさらに頭をかきむしった。
「ええい、つまりですな。船がないのを理由に、やめちまえばどうなんです。ちょうど、あなたを死地に届けるのが、嫌になったところなんですがね」
リンデルが怒るに違いないとドゥイリンは予想していた。案に相違して、リンデルは良く出来た冗談を聞いたような笑みを浮かべた。
「少佐、貴官は誤解しているようだ」
「え?」
「我々は手のかかる陸軍でしてね。実は復路も頼みたい。貴官らは、私たちを敵地に運んで、一度ここに戻って補給を。そして敵の制海権のただ中へ、もう一度、突っ込んで、我らの生き残りを連れて帰って欲しいのです。恐るべき危険を二度も冒させることになり、まことに申し訳ないが」
「そいつは……大仕事ですな」
ドゥイリンは、これまでの全てを理解した。敗北も喪失も、決して無意味ではなかった。
祖国の窮地に備え続けて、いざその朝が来た途端、仲間と船を失った。その大罪を背負い、あの炎と悲鳴の悪夢に苛まれ続けながら、それでも死なずにきた理由が、いま目の前で微笑している。
海軍に入ってよかったと、そう心から思った。途端、ドゥイリンの脳裏に閃くものがあった。
「ああ! なんだ、簡単なことです。動力を半分、置いていきましょう」
リンデルは酷く怪訝な顔になったが、ドゥイリンは気にせずに続ける。
「そうすれば、ちょうど三名乗れますよ。それで十三になる」
「少佐、失礼だが、動力と言いましたか? 機関部を半分にできるのですか。たった一夜の工事で」
「機関?」
今度はドゥイリンが怪訝な顔をする番だった。が、すぐに全てを理解して笑い出した。
「なに、大丈夫ですよ。見たところ陸軍の兵隊さんにも、腕は二本ずつあるようだ」
「はい?」
「ご苦労だが、乗客たる皆さんにも汗をかいてもらいましょう。漕手の代理としてね」
リンデルは目をぱちくりとさせた。ドゥイリンは、この傍若無人な大佐を初めて奇襲できたのを喜んだ。
「ええ、漕手です。常には六名乗っておりますが、半分は降ろして、皆さんに交代でやってもらいます。申し上げておりませんでしたな。我らの潜航艇は、船内のクランクを手回しして進むのですよ! 皆さんを届けた後は一苦労ですが、頑張りますよ。ですから、忘れんでください。私が復路を楽して帰るには、皆さんが生き残ってくれねば困るということをね」
(次話「ネヴラスへ!」に続く)