「……なんと。講和の周旋ですと」
老オークは、長い白髪眉の下で、目を丸くした。オルクセン軍参謀総長にして、現在は大本営参謀長を務める、ゼーベック上級大将である。
上品ながらも質素な天幕の中で、上級大将が気をつけの姿勢で接する相手は、一頭しかあり得ない。
「うん、この戦線膠着を好機だと思ったのだろう。キャメロット王国が、また仲介に乗り出してきた」
と、オルクセン国王グスタフ・ファルケンハインは言った。オークとしては青年期の国王だが、その喉から発せられる低音には、思慮と威厳が満ちている。
「今度は、キャメロット女王から私あての親書になっている」
女王の親書といえば、君主国の外交文書として、最も格の高いものである。ましてキャメロットは星欧第一の大国であり、世界の海洋覇権を握っている。魔種族の国オルクセンにとっては、昔からの貴重な友好国でもある。
平素なら極めて重んじるべき女王親書だが、いまのオルクセン軍にとっては異なる。
「面倒ですな……」
「そうなんだ」
参謀長と王は、実際、面倒げに言った。
「それで、陛下はなんと?」
「案ずるな」
グスタフは、キャメロット女王の顔を立てつつ、うまくあしらっておいたのだという。
「しかし、今後も仲介の試みは続くだろう。戦争の調停を成し遂げれば、キャメロットの国威は増す」
参謀長は首肯した。外国の介入を、うまくあしらえている内に、決定的な軍事的勝利をあげろ、という王の御意、戦略的判断である。
「お任せを。そのための我らです」
ゼーベックは、最高機密に類することを言った。
「我が国としては、半端なかたちでこの戦争が終わることが、いちばん困ります」
それが、友好国キャメロットとオルクセンの、決定的な認識の差だった。
エルフィンドが軽率な領土要求をしたので、紛争になった。エルフ達が領土要求を取り下げて、適当な賠償なり、一部領土の割譲なりをすれば、オルクセンは矛を収めるだろう――と、キャメロット王国は踏んでいる。
できるだけ多くを得るための交渉道具としての戦争だと、そう思っているのだ。
この時代の戦争は、貴族たちのスポーツや、カードゲームに似ている。違いは、賭け金が命と国益であることだけ。勝つこともあれば、負けることもある。適当なところで矛を収め、何食わぬ顔で外交のテーブルにつく。それが、文明国間の戦争というものである。
数百年前の昔ならいざしらず、現代において、星欧の国家が、他の星欧の国を滅ぼすことはない。
が、オルクセンは、異なる認識をもっている。いかにオルクセン優位の形でも、講和による終戦は、半端な形に過ぎないという。
そのような戦略を描いた王は、言う。
「私としても、その点をぶれさせるつもりは、毛頭ない。エルフィンドを徹底的に叩き、我が国に併合する」
この時代の星欧の常識では、あり得ぬ話であった。が、それを戦争目的として、オルクセンは動いている。
「外交上の体面があるから、一挙に併合とはいくまいが。エルフィンドの降伏と武装解除は、絶対に譲れない」
グスタフ王と参謀長は、視線を交わし、深く頷きあった。交渉など、とんでもない。誰が何といおうが、徹底的にやる。
野蛮なオークの国は、エルフの国を滅ぼすつもりなのだから。
◆
「つまり、我らの戦争目標は、キャメロットの仲介による講和です」
豪奢な会議室において、大机の対面にむけ、白エルフは言った。その襟元の階級章は、元帥のそれ。エルフィンド軍で最高位の将軍、サエルウェル・クーランディア元帥である。
「人間の国とはいえ、キャメロットは覇権国。オークどもには、貴重な友好国でもある。いつまでも調停を無視することはできないでしょう」
クーランディアの言葉に、長袖の宮廷服をまとった文官たちも、それぞれに頷いている。
「とはいえ、我らが劣勢にあることは事実。これは認めねばなりません。より多くの賠償金や領土を得る見込みがある限り、オルクセンは交渉のテーブルにつかないでしょう」
エルフィンドは負けかけており、逆転の目はないという。その現実は、政軍高官の大半のものが悟っていても、口には出しづらいことだった。クーランディアは、誰もが認めたがらない現実を、あらわにしてみせた。
「ゆえに、軍としては、敵にこの戦争が『高くつく』と思い知らせるように作戦を立てます。政府におかれても、全面的な協力をお願いしたい。何とか、早期の講和実現を……」
「馬鹿な!」
椅子が倒れるほどの勢いで、一閣僚が立ち上がった。皆の視線が集中する。
「軍は、敵を神聖な国土から早く追い出すことを目指すべきだ。講和などと、総司令官は思い違いをしている」
そう無礼に断じたのは、教義大臣モリンドである。教義大臣は、エルフィンド王国の祭祀と教育、そしてそれらの根幹である信仰体系「教義」を司っている。つまりは、あらゆる事柄に口出しし得るといっていい。
モリンドの関心は、外交や作戦にはない。出来の悪い小娘でも相手にするような口調で、元帥にして総司令官たるクーランディアを叱り飛ばした。
「だいたい、政府も協力を、とは何か。オークどもがシルヴァン川を越えて、神聖な国土の半ばまで占領し、多くの白エルフを慰みものにしているのですぞ。これは全て軍の責任ではないか」
クーランディアは、その表情を凍らせた。
もとが、外務省の失態で起こった戦争である。また、軍が著しく劣勢なのは、オルクセンが強いということもあるが、過去百年余のうちにクーランディアが提唱した数々の軍改革が政府の抵抗にあい、骨抜きにされてきたせいもある。抵抗勢力の中核は、常にモリンド達、教義を盾にして伝統を墨守する守旧派であった。
それでも、今さら対立している場合ではないと、クーランディアは積年の怒りを飲み込んで、穏やかに言った。
「教義大臣。軍は、劣勢の責任を回避するものではない。しかし、講和を目指さずして、いかにして戦争を終わらせるというのか」
「いや、元帥」
と、口を挟んだのは、内務大臣プレンディルである。軍人として中将の地位にある女だ。軍歴ではクーランディアのはるか後輩であるが、政治に転じて閣僚の地位を得た今は、元帥の言葉を躊躇なく遮るようになっている。
「奴らが講和条件に、どんな要求してくるか、分かったものではありませんぞ」
「だからこそ、政府と軍が一致協力せねばならないのだ。軍は敵に打撃を与えることで。政府は外交努力で。何とか、まともな交渉条件を引き出さねば」
「そ、そうはいっても」
なお抗弁する内務大臣は、目を泳がせている。よく見れば、机の上で握った拳は、小刻みに震えているようである。
「奴らが、この戦争の責任者を要求してきたら何とします。失態を犯した前外相ら、不忠者たちは既に処罰してしまったのです」
その言葉に、会議室に集った者の多くが鼻白んだ。前外相や外務省高官が、開戦後に罷免されたのは、誰もが知っていた。
だが、秘密警察を握る内務省が「処罰」といえば、政治犯収容所に収監するなり、密かに処刑するなりをいう。秘密警察が誕生して八十年余、エルフの国の平和は、そのようにして保たれている。
内務大臣の悔いるような顔からは、既に前外相はこの世にいないのだと知れた。生かしておけば、オルクセンへの人身御供に使えたのにと、そう言っているのである。
「まして――」
と、内務大臣は、更に言う。
「闇エルフどもがオルクセンに加わっています。オーク王は、闇エルフどもを護衛に用いるほど重用しているとか。おおかた、慰みものを兼ねてであろうが。
もし闇エルフの妾どもに、あらぬことを吹き込まれれば、我ら白エルフに何をしてくるか」
もとはエルフィンドの国民であった闇エルフ族は、あげてオルクセンに亡命した。白エルフに虐殺され、絶滅させられそうになったためである。
絶滅政策を主張したのが教義大臣であり、実行を取り仕切ったのが内務大臣だと、今では皆が知っている。その両名が、講和交渉に反対するのは、それぞれの保身のために違いなかった。
現に、教義大臣は、我が意を得たりと頷いて、後をうけた。
「いかさま。我ら白エルフは、神に選ばれし者なのだ。野蛮なオークごときと、対等な交渉などできるものか。あくまでも戦い、奴らを神聖な国土から追い出さねばならん」
クーランディアは痛みに耐えるような表情で、声だけは穏やかに反論し始めた。
「両大臣のお考えはあろうが、敵味方の力の差は歴然としている。軍の残存総力を挙げても、国土奪回などは、夢物語だ」
「何と情けないことを。軍で足りなければ、全白エルフ八百万が武器を取ればいい!」
さしものクーランディアも絶句している。
「敵軍は八十万という。十名がかりで、敵一頭を仕留めれば、勝利は明らかではないか! 種族をあげて、最後のひとりまで戦う覚悟を固めればよい。さすれば、必ずや神の加護がある」
「……国民を戦争の矢面に立たせよと言われるか。それで、そこまでして、いったい何になるのです。冷静に現実を認めるべきだ。粘り強く戦えば、講和の機会は必ず」
「いいや、不可能だ! 奴らと交渉などできない」
教義大臣は、目を血走らせ、口角泡を飛ばして弁じたてる。教義の理を。種族の伝説を、神聖さを。いかに他の種族が、白エルフより劣っているかを。
そして、断言する。
「敵は、オークどもの首魁、グスタフ・ファルケンハインめは……我が神聖な国土を蹂躙し尽くして、併合するつもりに違いない!
野蛮なオークどもは、我ら白エルフの国を、この世から滅ぼすつもりなのだ! そうに決まっている!」
絶叫する教義大臣に、多くの重臣一同は、呆れを隠すことも面倒になってきたようだった。
(次話「政府内政治」に続く)