勇躍して陣頭指揮を取り始めたドゥイリン少佐が、改修工事を完了したのは、日付が八日に変わった頃だった。
航行と潜水に不可欠な装備と、艦首から伸びる切先のような部位に装着した一発きりの外装水雷を除き、あらゆる部品が取り外された。
照明すら外され、ハッチを閉じれば船内は真っ暗となる。エルフ族に共通の魔術、闇を見通す紅眼をあてにしてのことである。
改修工事の後半十時間あまりは、ほぼ空っぽになった船体の各所に重しを持ち込み、重量配分を均衡させる作業だった。
慎重を極めた工程の後に、港内での試験潜水を無事終えて、浮上したドゥイリン少佐は、ごく低く作られた船橋から上体を出し、高々と拳を突き上げた。
桟橋で固唾を飲んで結果を待っていた水兵と技術者たちが歓声をあげた。その中に混じり、闇夜の桟橋で目を赤く光らせて見守っていたリンデル大佐は、同じように拳を突き上げる動作で応じた。
数百メートルを隔てながら、陸海の将校は拳を突き合わせる真似をして、準備の完成を祝した。
実際、祝う価値はあった。試験に失敗し、潜航中に事故があったなら、予備の潜水艇は無いのだから。
出航は、明くる払暁と決まった。
数十隻の敵海軍に支配された海を越え、数十万の敵陸軍の一大拠点に向けて。
海路潜入を試みる、メルギラス型潜水艇二番艇の乗員はエルフィンド海軍五名、同陸軍十三名である。
一同は短い睡眠をとりに兵舎へと急いだ。
その道々、ドゥイリンはリンデルに言った。
「必ずお届けします。ネヴラスへ!」
◇
その二日前。
ディアネン市の市庁舎に設けられた謁見の間、その実はただの応接室で、エルフィンド陸軍の首脳部が女王エレンミア・アグラレスに拝謁していた。
恐れながらと、女王に軍議の結果を奏するのは、クーランディア元帥である。
「……大略、以上の方案をもってして、陸軍は反攻作戦を発動します。軍の総力をあげて敵陣地に突破口を穿ち、突入。敵陣地の裂け目を拡張しつつ急進します。我らの目指すところは、敵軍の兵站拠点となった都市、ネヴラスです」
「……そうか」
頷く女王エレンミアは、若干、三十余歳。
もはや成年であるとはいえ、一千年を超えて生きる長者すら少なくない不老長生の白エルフ社会においては、未熟も未熟な年齢である。
それでも、その小さな肩に国家の重みを背負うという責任感は旺盛に、奏上報告を食い入るように聞いている。
その健気さに、クーランディアはふと哀れの心を催し、それを隠すべく表情を消した。
「敵陣突破がなった後は、速度こそが肝要です。敵に対応するいとまを与えず、夜に日を継いで進み、目標たるネヴラス市に乱入するのです」
その破口を穿つため、クーランディアには秘策がある。魔術を最大に活用した新戦術で、敵陣地を混乱に陥れて、破るのだ。
やり方こそ違うが、白エルフだけに可能な技術的奇襲という意味では、あのロザリンド会戦と同じだった。
決定的な違いといえば、作戦目的だ。
ロザリンド会戦の時、クーランディアはオルクセン軍の撃破を目指していた。今は違う。敵の兵站を焼くことに、目的を絞っている。
兵力運用にもメリハリがある。作戦に投じられるほとんど全兵力は、その実、門を開くというただ一つの役割のために使われるのだ。
目標の明確化、兵力の集中、そして奇襲。あたう限りの準備をし、作戦を練り、敵の裏をかく。そして最後の決定打を放つため、最強の兵力と、最良の将帥を敵に叩きつけるのだ。
「その際の先鋒は、黄金樹旅団を中核として編成した騎兵集団、一万。指揮官はイヴァメネル中将です」
「おお、黄金樹旅団が」
とは、歴代女王の出生の母樹、神界に通じると言われる聖樹の名である。自らの母でもある樹の名を冠した近衛騎兵が征くと聞いて、エレンミアは眉のあたりを明るくした。そうして笑顔になると、いまだ少女のような可憐さがある。
クーランディアの目配せを受け、列席者の中からイヴァメネルがひとり、進みでた。
「目標は、ネヴラス。確かに承知致しました。敵の糧秣、弾薬、医薬品。ことごとく焼き払ってみせましょう」
普段は寡黙かつ謙虚な中将の珍しい断言は、満座の空気をさらに明るくした。
作戦の危うさを知り抜いているクーランディアすら「この女ならば、きっと」と思い、いくばくかの安堵を感じた。
エレンミアの喜びぶりはいうまでもない。微笑を超えて笑顔となった女王は、唇を何度か小さく開閉して適切な言葉を探した後、言葉少なに、しかし真心のこもった声で言った。
「よかった。頼りにしています。イヴァメネル」
「ありがたき、お言葉……」
噛み締めるように答えたイヴァメネルの心中には、固い決意がある。
いま彼女は、主流から外れた北方系白エルフの身でありながら、エルフィンド全軍で最強の機動兵力を預かったのだ。
過日、闇エルフ騎兵との戦いで多大の損害を受けたとはいえ、各軍から抽出した騎兵で戦力は補充済みである。それどころか、これは闇エルフ騎兵を見習って、猟兵連隊一個を編成に追加。歩騎協同して、いかなる状況でも戦い得る、快速打撃集団とした。
これほどの兵力。敬愛するクーランディア元帥と、一天万乗の女王陛下の期待。
(身命を賭して。駆けてやる。貫いてやる。ここディアネンから測ってみれば、わずか三十五キロではないか)
イヴァメネルの視線は、獲物めがけて急降下する大鷲のように輝いた。
「敵は幾十万なりとも、必ず打通してご覧にいれます。この身命を賭して、必ずや、ネヴラスへ!」
エルフィンド軍、渾身の作戦。
クーランディア攻勢が始まったのは、四月九日のことである。
◇
再び四月八日、その払暁。
「ネヴラスへ……行けないというのですか! 私たちは!」
山岳猟兵大隊、総員二十七名を代表して声をあげたのは、もっとも若輩のメレス・ブレシル伍長だった。
彼女ら山岳猟兵は、ディアネン市北方、フィヨルド南端にある小さな海軍基地の桟橋に整列していた。その制服は、エルフィンド陸軍の緑制服とは違い、緑に茶色、黒色を混ぜた、まだらの模様。歩兵より短めの銃を担い、荷物は小さな背嚢と腰の雑嚢が一つずつ。
一分の隙も無い姿勢で、彼女らは指揮官たるエドウェン・リンデル大佐の指示を受けたのだ。
そして愕然とした。ある者は困惑を。ある者は嘆きを。最も多くのものは、怒りを覚えた。だが、
「大隊長どの、どういうことですか!」
と、気を付け姿勢のまま、口調だけは詰め寄るように言ったのはメレスの若さゆえだった。
「いま説明した通りだ。この潜水艇は狭い。十三名しか乗れない。よって、私とバランダル曹長、ほか十一名。いま読み上げた者たちだけを連れて行く」
「な、納得できません!」
喚き立てるメレスの声に涙が混じり始めた。
「どうして、そんな。だって、だって仰ったじゃないですか。二度と離れることはないと! また私たちを置いて行ってしまうのですか!」
常ならば若者を制するバランダル曹長が、今朝に限っては沈黙していた。
リンデルは感情のこもらぬ声で言った。
「ブレシル伍長。私は理由を既に述べた。作戦遂行上、やむなきことなのだ」
「い、嫌です。何か方法があるはずだ。連れて行ってください。そう、ボートで引いていくとか、いえ、潜水艇に掴まってでも」
「これは命令だ」
「嫌です、いくらご命令でも!」
「……この馬鹿者めが」
リンデルの眉が逆立った。それだけで、バランダルとメレス以外の兵たちは気圧されたような顔になる。
「私がお前たちを望んで置いて行くと思うか! ならぬものはならんのだ。いいか」
鋭い目で一同を見回し、リンデルは言った。
「他にも不承不承という者がいるな。私の命令を聞きたくないという者が。いいだろう。そうまでいうなら、連れて行ってやる。ただし、魂だけだ」
そうして兵たちの意表を突いて、リンデルは大声で言った。
「どうしても着いて来たいというなら、私たちの出航後、この場で自害して果てろ! そして魂だけになって追ってくるがいい。それなら船はいるまい」
離れたところで出港準備をしていたドゥイリン少佐や、その部下の水兵たちまでもが、ぎょっとした顔で猟兵たちを見ている。
「どうだ」
と重ねて問うリンデルに、ブレシルは挑みかかるように言った。
「承知しました! ネヴラスで死ぬも、ここで死ぬも同じことだ。いつまでも部隊と共に!」
そう言い放つと、メレスは早速に腰の短剣を抜こうとして、慌てた周囲の兵たちの手で取り押さえられた。
「は、離せ。離せぇ!」
メレスは喚くが、格闘術に熟達した同僚たちに複数で抑えられて、動くこともできない。
が、メレスを抑えている別の兵が言った。
「……大隊長どの。僭越ながら、私もメレスに同意見です」
「私もです。なんとか、連れて行ってください」
「どうか、私も」
口々にいう兵たちは、皆、残留を命じられた組だった。
「……ふむ。君たちの気持ちは分かった」
リンデルは一つ頷くと、微笑して言った。
「いや、悪かった。死ねといったのは、諸君の心根を確かめようとした方便だ。その気持ちがあるならば、安んじて命じられる。残留する十五名には、死ぬより辛い任務を与える」
一同を唖然とさせてから、リンデルは「メレスを離してやれ」と命じた。そして、秘密の任務を残留者十五名に授け終えると、全員に向けて言った。
「分かったな。遠く離れようが、死のうが生きようが、我らの任務は一つなのだ。では、私と共に行く十二名、直ちに乗船せよ。いざ、ネヴラスへ!」
◇
クーランディア攻勢の開始から丸一日が経過した、四月十日。
ネヴラス市に置かれたオルクセン軍総軍司令部は、洪水のように押し寄せる情報を捌き、整理し、大混乱の渦中から一つの推論を取り出した。
総軍参謀長ゼーベックと、同じく作戦部長グレーベンは、足早にネヴラス駅舎の一室へ入った。
「奴らの狙いが分かりました」
複雑な戦況を一刀両断にして、グレーベンは断言した。
その視線の先には、黙して座り、身じろぎもしない大柄なオークがいる。
飾り気のない軍服をまとっているが、その襟に階級章はない。
「ここです。敵軍は一路、ここネヴラスを目指しています。我らの兵站を潰し、勝ち得ぬまでも、戦争を長期化させる狙いに違いありません――陛下」
と、グレーベンは読んだ。
グスタフ・ファルケンハイン国王は、その大きな瞳で、彼の帷幕の参謀を見た。
「軍は万全の態勢にありますが、戦に絶対はありません。ここは一旦、ファルマリア港に退避してください」
極めて率直な提案だった。携えてきた奏上文には、「各軍全般の統率のためにファルマリア港へ出御」と、もっともらしい美文を連ねている。「撤退」は当然のこと、「避退」や「避難」の言葉すら、戦時中の公用文には禁句であった。
だが、この王はそのような虚飾をもっとも嫌うのだと、腹心たる彼らは承知している。だから口に出しては、グレーベンはっきりと言った。
「最悪の場合、ここネヴラスが最前線になります。直ちに避難を願います」
「…………」
オルクセン国王グスタフ・ファルケンハインは口に運ぼうとしていたコーヒーカップの動きをとめた。
「……それは、戦術上において真に必要な判断からのものか?」
日頃、寛容にして快活な王に珍しく、臣下を叱責するような口調だった。不快感が眉間のあたりに漂っている。
ゼーベックもグレーベンも言葉に窮した。
グスタフ王は、きっぱりとした口調で言葉を続けた。
「単に私の身を案じてということなら、きっぱりと拒否させてもらう。どのように言い繕おうと、敵の攻勢を前にして国王が後ろに下がったとあれば、士気への影響は避けられまい。ここネヴラスの白エルフ市民にも不穏が生じるかもしれない」
そこまでは軍事的な判断だった。まず妥当といっていい。しかし、
「仰るとおりではありますが、陛下の御身には変えられません」
と、グレーベンは反論する。臣下が国王に堂々と反論してもよいというのは、世界の君主国のなかで、ただオルクセン王国のみにある美風といってよかった。
グスタフは一つ頷いてみせたが、やはり断固として言った。
「観戦武官や従軍記者が『王が退いた』と騒げば、どうか」
「陛下、彼らが何を言おうが……」
「軽く考えるな、グレーベン。一時でも私が退けば、この戦争がオルクセンの一方的な優位ではないという印象のみが外国に伝わる。すると、どうなる?」
グレーベンは電撃に打たれたような顔になった。戦争とは、一対一でやれるものではない。星欧列強諸国は、自国の利益のためならば、他国の戦争に対しても口を挟み、時に武力介入をも辞さないのだ。オルクセン王国がエルフィンド王国に勝ち過ぎるのは、列強からは好ましくない。
グレーベンの表情が一変したのを認めて、王は解説を加えた。
「ああ、そうだ。その機に乗じて、きっとキャメロットが和平交渉の仲介に乗り出してくる。グロワールは軍事干渉を仄めかしてくるだろう。悪くすれば、半端なところでの休戦や講和を余儀なくされかねん。それでは戦争目的を果たせない。我らの狙いは、あくまでも交渉を拒否し、エルフィンドを滅ぼすことにあるのだからな」
グレーベンは王への尊敬を新たにした。作戦の天才と呼ばれ、また内心そう自負してもいる、生粋の参謀将校たる彼が、
(何とおだてられようが、俺は所詮は、軍人に過ぎないのだな。それも、せいぜい作戦家どまりだ。陛下は、区々たる用兵には口を挟まれないが、もっとも大事なこと……国家戦略をご存じだ。俺とは視点の高さが違う! まるで違う!)
と感銘した。「これぞ、決戦」と、目先の軍事的勝敗だけに集中していた己の思慮がいかに浅かったことかと、痛みを感じるほどに恥じている。
王は表情を和らげて「なあ、お前たち。もっと私を利用しろ」と、半ば冗談のように言ったあと、己の考えを披瀝した。
「エルフィンドが、私の身までを狙うとは到底思えない。彼女たちの狙いが休戦や講和の妥結にあるとするならば、その交渉相手が当然必要となるだろう。王を倒してしまえば、むしろ事態の収拾がつかなくなる。そこまで破れかぶれとは思えん」
グスタフは理路整然と語った。そのあとは用意させた軽食を振る舞って慰労し、グレーベンたちをさらに感激させた。
が、退出した後、ゼーベック参謀長はグレーベンに言った。
「退避案はなしだ。陛下の御意のままに。ただし……」
グレーベンは得たりと応じる。まさに阿吽の呼吸であった。
「備えは必要ですな。常に。万一に備え、ネヴラスからの脱出経路を用意させます。彼女たちに」
「うむ。彼女らならば、間違いはあるまい。アンダリエル少将が選び抜いた精鋭だ。直接、話しておいてくれ。特別警護班の闇エルフたちに。万一の時は命にかえても、必ず陛下を守り参らせよとな」
かくて、オルクセンとエルフィンドの両国、両軍。相手を打倒せんと結集した力、全ての意志が、ネニング平原に収束した。
四月十日深夜。エルフィンド軍は、平原に広がるオルクセン軍の防御陣地に局所的混乱を作り出し、突破口を開いた。
オルクセン軍は、思わぬ奇襲にたじろぎつつも、早々に主導権を奪回すべく、果断な策を講じつつある。
ネヴラスを抜かんとする白エルフたち。
防がんとするオークを始めとするオルクセンの魔種族たち。
恐るべき闘志を燃やす白エルフ騎兵一万が、イヴァメネル中将の号令を受け、月下の進撃を開始した、四月十日深更。
その目標たるネヴラス市の港から、僅か数キロの海面に、十三名の刺客を乗せた潜水艇が浮上した。
(「グスタフ暗殺計画」
第二部 召集編 了
第三部 決戦編へ続く)