ネヴラス市の中心部にある壮大な駅舎は、臨時の国王大本営となっている。石造りの建物に設けられた数多くの部屋には、それぞれの扉に真新しい部屋札をつけている。「侍従武官詰所」「大本営連絡室」「侍従室」「謁見控室」などと表示して、あたかも平時の国王官邸と陸海軍司令部の各要素が一堂に集まったようだった。
その中でも、適当な広さを持ち、窓がないために選ばれた元倉庫に掛かっているのが「特別警護班」の札である。
室内には間仕切りがあり、仮眠室、会議室、そして司令所を兼ねている。司令所の中央に事務机を四つなげて、一つの大机のようにしている。その上に置かれているのはネヴラス市の地図である。
「不審な魔術通信が増えています。この駅舎の近くでも、しばしば。班長もお気づきでしょうか」
ヘルガリル・ラムリスエン少尉はそう報告した。その肌は闇エルフにしても色黒な褐色肌で、額のあたりで横一線に切り揃えられた髪の色は黒い。
報告を受けて頷いたのは、リトヴァミア・フェアグリン中尉。特別警護班長である。明るめの褐色肌と髪、鋭い瞳を持っている。
「このところ多いな。反乱分子の狙いは偵察だろうが、あるいは破壊工作か——最悪、我らが王の御身ということもあり得るな。通信の内容は?」
「暗号化されていて不明です。魔術通信の傍受はできても、解読に専念することもできませんし」
「野戦憲兵隊も情報を持っているだろう。そちらと突き合わせてみたい」
「問い合わせてみましたが……」
困り果てた、という顔をラムリスエンはした。階級差はあっても、同族同郷の気安さがある。フェアグリン中尉はすぐに察した。
「またか。相手にして貰えないのね」
フェアグリン中尉は頭をめぐらせた。
「困ったもの。私が直接に言ってみましょう」
「ありがとうございます、班長」
「でも期待はしないでね。所詮、中尉風情なんだから」
フェアグリンが自嘲気味に言ったのは、既に結果が知れているからだ。
(旅団長に頼れたら——)
と思う内心を隠して、中尉は言った。
「とにかく、できるだけのことはしましょう。各組から一名ずつを抽出するわ。魔術通信に長けた者を選んで」
「傍受部隊をつくるのですね」
「三名だけでもね。少しでも情報が必要だ」
特別警護班——彼女らは闇エルフの指導者ディネルース・アンダリエル少将によって選び抜かれ、開戦直前に編成された護衛部隊だ。オルクセン国王グスタフの身辺に常に侍り、身辺警護にあたる闇エルフたちの精鋭ぶり、忠誠の篤さを疑うものはいない。
その実は、王自身には護衛を置く考えなどなかった。王の密かな愛妾であるディネルース・アンダリエルが、自身の出征にあたり、熱心に押し付けたのだ。
だが、世間の目はそう見ない。
過去の政治的事件のために近衛部隊を廃止したオルクセン王国にあって、新参の種族である闇エルフ族に王の命を預けることは、政治的な意味合いをもつ。闇エルフ族の庇護は、戦争にあたりオルクセン側の大義を示すものでもある。
王からすれば、エルフの国と戦争をするに際しても、闇エルフ族の裏切りなど微塵も懸念してはいないという表明。闇エルフ族から見れば、人質といえば大袈裟だが、種族の命を王に捧げるという覚悟を形にしたものといえた。
現に訳知り顔の政治通から国家の重鎮たちまでが「さすがは我が王のご叡慮」と感心している。純粋に政治的行為だと思われているのだ。
いささか露悪的にいえば、古代の氏族が他に臣従するにあたり、同族の壮丁や美女を貢物として贈ったのに近い。闇エルフ達について、下世話なむきが「あれは護衛といってるが、後宮みたいなものさ」と噂したのも故のないことではなかった。
そのような事情もあって、班の組織上の立場には、ひどく曖昧な部分が残った。
彼女らは本来、陸軍アンファングリア旅団所属の精兵ではあった。だが特別警護班に編成され、旅団本体が第一軍の指揮下で敵地深くに侵攻して以来、旅団本体から切り離されて、国王に直結している。
軍の最高司令官たる制度上の国王ではない。専制君主たる個としての王の私物だとみなされているのだ。闇エルフ種族から個としての王への貢物とみなされたからこそ、さまざまな行政手続きを端折った急な編成が許されたともいえる。
その弊害として、警護班の任務の範囲や、陸軍との関係、特に治安任務にあたる野戦憲兵隊との分業と協力の関係が、ろくに規定されないままに開戦を迎え、今に至っているのだった。
多くの面において星欧でもっとも制度化された近代国家でありながら、ひとりの君主に私有される専制国家の側面を色濃く残してもいるという、この時期のオルクセン王国の矛盾のあらわれではある。
とにかく、憲兵にかけあうと決めたフェアグリン班長は、ラムリスエンが何かを躊躇うような顔をしているのに気づいた。
「どうしたの?」
「実は、気になることが。傍受した通信に、幾度かでてくる符牒がありまして。『海鷲』というのです」
「ふむ——場所か、諜報網の幹部か、それとも?」
「分かりません。そんな情報は、どこからも届いていません」
◇
この時期のオルクセン軍の態勢については、後日、深刻な議論の的になる。戦争には大勝したが、別の側面では深刻な問題があったのではないか、というのである。
誰かが無能であったわけではなく、怠惰であったはずもない。それでも巨大な失策が生じ、密かな落とし穴を作っていた。
例えばネヴラス港を一大拠点としたオルクセン海軍は、当然襲撃を警戒し、防備態勢を敷いていた。特に、陸軍のグレーベン少将からの急な依頼を受け、航路封鎖にあてていた兵力のネヴラス急派を決めてから、警戒はなお厳重なものになっている。
海軍には魔術通信に長けたコボルトの所属が多い。そのなかの一頭、たまたま当直に就いて、夜の見回りを行っていた軍曹が、払暁の海から発せられた不審通信を捕まえた。
翌朝、軍曹は将校たちに報告したが、その内容はあやふやだった。
「はい、沖合の方から一つと、港からも一つ。夜明け前です」
「内容は」
「いえ、それが……『舟』とか、『鳥』とか言っていたようでしたが」
要領を得ないのも当然で、オルクセン海軍の通信員たる軍曹には、アールヴ語の会話などできないのだ。
「ううん、それではなあ」
報告を受けた海軍士官は、一応、さらに上に報告をあげた。「密漁船の可能性のある通信を傍受するも、細部は不明」というものだった。
ファルマリア港を管理する野戦憲兵のオークは、物資をくすめた沖仲仕の白エルフを逮捕した。その実、彼はただの憲兵ではなく、参謀本部の諜報部門に直属して別の職名と専門技能をもっていた。
彼は公式非公式の両方の上司に話を通すと、幾名かの部下とともに、白エルフの尋問を行った。
二日二夜を徹して行われた取り調べでは、決して死に至ることはないが眠りを妨げる身体的苦痛の継続と、単調な質問の繰り返しが行われた。拷問の結果としての自白は信頼性を欠くという経験則を彼らが学ぶのは、なお百年の経験が必要とされる。
両手両足のうち、爪と肉の間が無事である指が残り僅かになった頃、白エルフは知る限りのことを喋った上で気絶した。
憲兵はなお不満であったが、氷水でも殴打でも白エルフを覚醒させることはできなくなっていた。やむなく得られた情報を報告書にまとめ、参謀本部に送った。「物資略取は組織的工作と推定し得る。実行犯は流通経路の一部を自白した。『白薔薇』なる言葉が流通網と関係すると思われる。物資の性質から見て、組織的な偵察の可能性があるが、細部は不明」というものだった。
ネヴラス市の治安を預かる野戦憲兵隊は、熱心に治安維持にあたっている。市民の憎悪の盾とするため、実務の多くを委ねている白エルフの警官たちが、不審者を見逃しているらしいことに気付き、捜査に乗り出していた。
当然、市内で交わされる不審な魔術通信にも気付いてはいる。パルチザンが市内で蜂起することを警戒し、すぐに魔術通信の禁止令を発出した。
だが、その効果が及んだのは表通りだけだった。所詮、オルクセン憲兵の魔術適性と語学力では、不審な通信を掴んでも、その内容を直ちに翻訳したり、発信位置を特定することは困難だと、白エルフたちに見切られていたからである。
彼らは躍起になって巡察を強化し、不審者を道端でみつけては、荷物を取り調べてはじめた。その結果は、幾十名かの白エルフのスリや空き巣を逮捕して、治安を改善しただけだった。
特別警護班からの「魔術通信の傍受に協力したい」という申し出は渡りに船というべきで、彼らはすぐに許可を得ようと、参謀本部に問い合わせた。
参謀本部の回答はかなり遅くなった。無能とも怠慢とも程遠い秀才参謀たちだが、開戦以来、事実上は総軍司令部を兼ねていたため、多忙を極めていたのである。
また、当の警護班の申し出とはいえ、中尉に過ぎない者が独断で言っていることである。特別警護班は王の私物というべきものであり、闇エルフ氏族への遠慮もあって、任務外(だと思われる)ことをさせてもよいか、判断に迷ってしまったのだ。
そのうちにエルフィンド軍の大規模攻勢が始まり、ネヴラス市の警備態勢を強化せねばならなくなると、ジレンマはさらに深まった。最終的に判断を下したのはグレーベン少将だった。
「憲兵隊は状況が分かっていないのか!? 敵の攻勢の真っ最中に、彼女らに憲兵隊の世話までさせていられるか。命に換えても陛下を守るのが務めなんだ。市内の治安任務は憲兵隊がやれ!」
グレーベンの即断は、捜査に最良の戦力を警護に専従させてしまった点では誤っていたともいえるが、国王の安全を最重視する点では極めて的確でもあり、後日の評価が分かれることとなった。
だが少なくとも、この時のグレーベン作戦部長の最大の任務は、敵の攻勢への反撃計画を練ることであった。その面で天才の面目躍如というべき大活躍を示していたグレーベンに、不審通信のことなど考える暇はなかった。彼の机に山積みされた書類の片隅には、アルトリアから届いた至急電をもとに参謀本部第六課が書いた報告書もあり、そこには『海鷲』なる単語が載ってはいた。
だが、グレーベンら作戦参謀の任務は、総軍の兵力を巧みに使い、敵の攻勢を頓挫させることにある。ネヴラス市内の警備などは、参謀の中でも下っ端の者が考えるべきことだった。
例えば彼の同期で、グレーベンとは比較にならぬほど鈍重な、ヴィルヘルム・オストナー少佐などが。
グレーベンも、その下の綺羅星のような参謀たちも、決戦の作戦で目がまわるように忙しい。総軍司令部の使い走りのよつになっている第一軍司令部の中でも、とりわけ冴えない、どこかおどおどとしている少佐が、交代勤務の休憩時間に仮眠室を抜け出したことになど、誰も気付いていなかった。
◇
白薔薇——アールヴ語で『ニムルス』という符牒で呼ばれる白エルフは、露店を手早く畳んだ。路地に入る。
約束の通り、そこでしばらく待っていると、彼女が来たのとは違う方向から、帽子を目深に被った長身の白エルフがやってきた。先ほど、客を装って彼女に接触してきた相手だ。表通りでは猫背気味だった背がすっくと伸びている。それだけで覇気というべきか、威厳というべきか、単に長身という以上に仰ぎ見たくなる相手だった。その唇が開き、ざらついた低い声で彼女に言った。
「あなたが『白薔薇(ニムルス)』か」
「……『海鷲』か。話が違う。遅いじゃないか」
白薔薇と呼ばれた白エルフ、ソフィア・ロザリエンは、小声で抗議した。予定通りであれば来訪者は、もう数日早く到着するはずだったのだ。
「予定が狂ってね。歩きながら話そう」来訪者は悪びれずに答えた。
ソフィアが無言で歩きだすと、その隣に付き添いつつ、来訪者は抑えた声で続けた。
「私も困っている。もう少し郊外で待機したかったのだが。あなたの家か倉庫か、十三名が隠れられる場所はあるか?」
ソフィアは盛大に舌打ちした。
「呑気なことを言ってる場合かい。荷物はもう届いてる。戦争なんだよ」と、彼女が言ったのは、エルフィンド軍が攻勢を始めたらしいということだ。
「警備の様子がいつもと違ってきてる」
「そこだ。君たちの組織は場所を掴めているか?」
「前と変わらないよ」
「それは確かなのだな?」
「ああ」
会話はそこで絶えた。
「あんたが聞いてみればいいさ。私の家で……そこだよ」
ソフィアは、裏通りにある二階建ての家を示した。一階は店舗になっているが、今は閉めてある。
「いい店だ」
「もとの店主は、占領の時に逃げてね。オークが接収したんだ」
「それが君たちの拠点とはな」
「あたしが参加したのは、店を貰った後だよ」
ソフィアは木戸の鍵を開け、二階へ直接続く狭い暗い階段を登った。来訪者は彼女の背に続く。
二階の住居部分に続く内戸の前で、ソフィアは屈みこんだ。彼女にも扱える唯一の魔術、闇を見通す紅眼を発動する。木戸の蝶番に挟んでおいた古布の切れ端が、変わらぬ高さに留まっていることを確かめた。
立ち上がって鍵を開け、来客を招き入れた。来客は、室内を素早く見回して言った。
「いい部屋だ」
ソフィアは鼻を鳴らした。
「一階には倉庫もある。十三名といったね。半分くらいは詰め込めば入るよ。荷物も、小さなものはそこにある」
「入りきらなかったものは?」
「埠頭の貸倉庫に。馬車の車輪やら、車軸やらと一緒にね」
「手広い商売だ。助かる」
「そっちの方が広いし、隠れるにはいいよ」
ソフィアはしずしずと窓に歩み寄ると、ほんの一センチほど雨戸を開けた。一筋の光が室内に差し込み、空中の埃をきらめかせた。
「駅からは遠くなるけどね」
声を潜めて言ったソフィアは、わずかに首を横に振って窓の外を示した。
リンデルは外から見えぬように壁伝いに歩き、外を伺った。
二階建ての住宅やら商店やらが続く市街のずっと向こうに、三角屋根の頂点がわずかに見えた。ネヴラス市のほぼ中心部にある駅舎だ。鉄道の結節点だけあって、壮大な造りなのである。この店舗からの距離は、三キロほどのはずである。
「あそこにいるのだな」
問われて頷いたソフィアの顔は、どす黒い憎悪に染まっていた。
「殺してよ、隊長さん」
「ああ」
「ああ、ですって!?」
ソフィアは大きな声をあげ、それから我に返って、喚き散らすのをやめた。しばらく荒い息をついてから、やっと言った。
「約束よ。私、何でもする。死んだっていい」
リンデルは答えない。現地協力者の心情を忖度することは、暗殺部隊の指揮官の任務に含まれてはいないのだ。その代わり、そっと雨戸を閉めた。
室内は再び闇に染まり、そのなかで四つの瞳が赤く輝いた。
「そのために来た。問題は警備情報だ。駅舎まで武器をもって行ける道筋と、王の正確な場所が知りたい」
暗殺部隊の隊長であるはずの赤毛のエルフは、小憎らしいほど落ち着いた声である。
「君は市内の諜報網のまとめ役だと聞いた」
「いつの間にかね。いま大勢で調べてる。まとめは明け方になるかも。あんたたちの準備は?」
「間に合わせよう。部下たちも、ここと倉庫に潜ませてもらう」
赤毛のエルフは裏口の場所をソフィアから聞き出すと、大胆にも再び街へ消えた。分散して市内へ潜入している部下たちを、できるだけ集めてくるのだという。
その背を見送り、戸の鍵を閉めると、ソフィアは机の角に腰掛けた。取り出した煙草に火をつけようとして、二度も失敗した。折れた燐寸を床に放り捨てる。吸ってもいない煙草を灰皿に押し付け、その先端を潰した。
それでもまだ震え続ける自分の右手を見つめて、ソフィアはもう一つ舌打ちをした。
「ちっ」
あの暗殺者が名乗りもせず、自分の名を聞きもしなかったことに、ふと気づいた。ソフィアは自分自身を抱きしめ、二の腕が傷つくほどに爪を立てた。それでも収まらない震えが、瘧のように続いている。
(次話「火怨立つ」に続く)