教義大臣は、ますます意気軒高となっている。
「ふん、私に言わせれば、軍は手ぬるい。オークどもに勝つ方法はある」
クーランディアは、苦虫を噛み潰したような顔になっている。
「ぜひご教授いただきたいものですな。強大なオルクセン軍を、我が国の残存戦力で、いかにすれば撃退し得るか」
「簡単なことだ。その方法とは、オルクセン国王グスタフ・ファルケンハインを倒すことだ」
会議室に沈黙が満ちた。教義大臣以外の全員が、ちらちらと互いに目配せをした。
「……簡単に仰るものだが」
「いいや、簡単なことだ、クーランディア元帥。むしろ、なぜ貴方がそうしようと思わぬのか、私には分からない。かつて、貴方とマルリアン将軍がやってみせたことではないか。ロザリンド会戦のときに」
百二十年前、エルフィンドと、当時存在したドワルシュタインの連合軍が、遠征してきたオルクセン王国軍を撃破した戦いのことである。
当時のオルクセン軍を率いていたのは、前王アルブレヒト二世だった。人間の大国三つと同時に戦争をし、それら全てを退けたこともある天才用兵家で、特に会戦の名手として知られていた。
対するエルフィンド軍の司令官は、他ならぬクーランディアであった。副将に抜擢したダリエンド・マルリアンの作戦にもとづき、狭隘なロザリンド渓谷に築いた陣地に籠り、エルフ達はオークの大軍を迎え撃った。
会戦は一進一退、逆転また逆転の激戦となった。その最終段階で、アルブレヒト二世王は近衛連隊を率いて自ら突撃し、そして戦死した。
「元帥。ロザリンド会戦の終盤で、あなたは、前のオーク王、アルブレヒト二世を討ち果たした。マルリアン将軍が、自ら剣を振るって蛮王と戦ったとも聞く。
王が戦死するや、オークどもは烏合の衆と化し、惨めに敗走していったそうではないか。要は、敵の首魁、ただ一頭を成敗すればいいのだ」
クーランディアは頭痛を堪えるように、眉間を少し揉んだ。その左右に居並ぶ諸将や、後ろに控える参謀たちは、渋面や呆れ顔を隠さなくなっている。
辛うじて礼儀を保った態度で、やっとクーランディアは応じた。
「……教義大臣。あの頃のオルクセンと一緒になさるな。彼の国は、見違えるほどに進歩したのです。軍も、国家の制度も、何もかもが」
ロザリンド会戦時のオルクセン軍も、既に星欧最強の軍隊だった。が、その強さはあくまでも、オークの強靭な肉体と、前王の軍事的天才に由来していた。
現代のオルクセン軍は違う。銃砲の量と質を支える生産力。豊かな兵站を支える輸送力。それらを活用する将兵の質。それら全てを支える社会制度と教育。国家の総合力が、オルクセン軍の強さとなってあらわれている。
ロザリンドの勝利にあぐらをかき、昔ながらの国のあり方に固執し、改革を拒んできたエルフィンドとは違う。
「いや、元帥。そうとばかりは言えまい」
と、守旧派の首魁たる教義大臣は、いう。
「元帥は、物事の表面にとらわれている。国家の本質に目をつけられよ。オークは所詮、オークなのだ。
いまも昔も、オーク王には定まった後継者がない。そこが、奴らの国の弱点だとは思われぬか」
話の急展開は、疲れ切った将軍や閣僚たちに顔をあげさせた。
「よいかな。人族の国ならば、王が死ねば王女なり、王子なりが後を継ぐ。閣僚も軍も、新たな王を盛り立てて、国を続けていくことができる。
だが、オークどもは別だ。今のオーク王、グスタフには仔がない。またそもそも、奴らは、まともな継承法を持たず、王が死んでから、重臣たちの評議を開いて、後継ぎを決める定めだと。
もしも国王を失えば、残った軍勢は、誰のために戦うのか分からず、後継ぎを決めるために、国に帰らざるを得ないであろう」
意外にも筋道だった議論だった。一同はそれぞれに黙考した。本当にそうなのか。もし、突如としてオルクセン国王が亡き者となれば、と想像し、それぞれに小首を傾げている。
その様子に、教義大臣は、自信を深めたようだった。
「そこが、オークどもの国体の野蛮さよ。黄金樹から歴代の女王が天下り賜う、我が万世不朽の御聖樹とは違う」
エルフィンド女王は、国に一本しかない黄金樹の根元に出生する。女王が歳を取るか、健康を害しだすと、代替わりを予見したように、聖なる樹は次代の女王たるべき赤子をもたらす。
女王候補は一度に一人しか生じず、また通常の白銀樹から生まれる他の白エルフには、王位を継ぐなど思いもよらない。神話時代から、エルフィンドの王位継承が安定してきたわけだった。
「はは、神に選ばれし我ら種族には、かえって盲点であろうよの。オークどもの国体は脆い。軍隊がいかに多かろうと、文明国を装っても、やはり奴らは野蛮な種なのだ。
お分かりか、元帥。今こそ軍の全力をあげて、もう一度、オーク王を討ち果たされよ」
教義大臣は、己の正しさを確信しているようだった。
一方のクーランディアは、もはや内心を隠す必要を認めなくなったらしい。何を言おうが言うまいが、教義大臣の態度は変わらないと割り切ったのかもしれない。
「なんと、馬鹿なことを」
そう切り捨てると、冷静な態度で、素人議論の問題点を指摘し始めた。
「交渉相手たるべき敵の王を殺して、いかにして講和に漕ぎ着けるというのだ。怒り狂ったオークたちは、撤退するどころか、我が国を破壊しつくすかもしれない。
だいたい、我が軍の残る総力を結集しても、敵の大軍を突破して、オルクセン王の本営まで至るなど、できることではない」
クーランディアの現実的な判断に、教義大臣は目を剥き、裏返った声で反論する。
「元帥の言葉とも思えぬ。全軍の総司令官に任命されておいて、なんたる無責任か」
「不可能事を言い立てる方が、よほどに無責任だ。そのような軍事への容喙が、我が軍が敵に立ち遅れた原因だと、まだお分かりにならぬか」
「か、神の教えを軽んじることは許されぬぞ」
教義大臣は、激昂のまま立ち上がったが、その袖を引いた者がある。
「まあまあ、双方とも、落ち着かれよ」
宥めにかかったのは、首相のダリンウェンである。
「総司令官の仰ることは深く受け止めねばなるまいが、教義大臣の主張にも頷くところがある」
見事なまでに意味のない発言だった。
エルフィンドの国制において、首相は内閣の筆頭というに過ぎず、閣僚を任免する権力をもたない。また、厳密には、軍への統制権もない。
現首相のダリンウェンは、そのような制度的な弱さを、個の政治力で補って、例外的な強権を振るってきた。しかし、その威光は予期せぬ開戦のあとに著しく低下した。今では歴代首相と同様に、国家中枢の調整役でしかなくなっている。
今も議論に是非をつけることなく、その均衡を取りにかかった。
「軍には軍の戦略があろう。が、敵王を討つという策も、検討の価値があるのではないだろうか」
「そのような無謀な、軍人の名誉を汚す作戦に、貴重な戦力を割くわけには参らん」
にべもなく拒絶するクーランディアを、首相はさらに宥めにかかる。
「いやいや、何も軍に限ることはない。我が国には他にも戦力がある」
といって、首相は内務大臣に目を向けた。自然、他の将軍や閣僚たちの視線も、それにつられる。
突然に注目を浴びて、内務大臣は驚き慌てた。
「は、その、我が内務省には国境警備隊がありますが、そのようなことは、とても……」
国境警備隊は、その任務上、軍よりも軽装備である。また、数も少ない。
「それに、初戦でオークどもの不意打ちを受けて、戦力と呼べるようなものは、もう」
そう言って、内務大臣は救いを求めるような目を、あちこちに向けた。が、首相は許さない。
「いや、内務省が抱えているのは、警備隊だけではあるまい。秘密警察がいるではないか。暗殺を行うこともあるとは、我が国の公然の秘密」
「……」
「それに秘密警察は、占領された国土のうちに情報網を持っていよう。敵軍を避けて暗殺者を送り、オーク王だけを討てぬものか」
内務大臣は、凍り付いたようになった。
「馬鹿な! 戦場ならともかく、異国の君主の暗殺とは! 試みだけでも国家の恥、種族の恥。戦略というにも値せぬ!」
クーランディアはそう言って、机を叩くほどに反論した。
すると、すっかり敵対関係となった教義大臣が割って入る。
「いいや、総司令官。首相は、軍の戦力を使わずにと申されているのだ。軍事に容喙するなと言うなら、軍もまた内務省に容喙すべきではなかろう」
「暗殺などという卑怯な手を」
「相手は野蛮なオークぞ。害獣の群れを討伐するのと変わらんではないか」
「私は種族の名誉のことを言っているのだ」
「国土の半ばを奪われた軍ほどに、不名誉ではあるまい」
「貴様ッ!」
クーランディアと、その帷幕の諸将までもが激高して立ち上がろうとする。
「まあまあ、お平らに」
と、首相は宥めにかかる。
「何も、今すぐやるという話ではない。研究してみるに過ぎない。もし見込みがあるとなれば、あらためて議論するということにして。そろそろ、総司令官から提案のあった、御親征の議論もせねばならぬことだし……」
そう持ち出されて、クーランディアもようやく押し黙った。殺意すら感じさせる目ではあるが「研究だけということならば」と妥協した。
教義大臣は、己の提案が通ったという気になって、すっかり満足したようである。
無謀な案件を押し付けられた内務大臣だけが、まだおずおずとしている。
「はあ、では秘密警察長官に、さっそく研究を命じまして」
「では、そのように。さて、では御親征の件について……」
議題が次に移った後も、内務大臣だけは、ハンカチで汗を拭いていた。
(「秘密警察長官」へ続く)