グスタフ暗殺計画   作:芝三十郎

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秘密警察長官

 ブレンウェルという白エルフは、エルフィンド王国の秘密警察、その長官である。

 

 なにぶん、非公然の組織であるから、正式な官名は別にある。内務省警察局治安維持本部、その本部長という、長々として無機質な職名を帯びている。その昔、所帯の小さかった頃は、警察局調査室の室長と呼ばれていた。

 

 調査室という組織名自体が、八十年ほど前に、彼女一身のために作られたものである。

 

 その札を掛けた内務省の一室に、古ぼけた事務机、椅子と書棚、そして無尽に近い予算を与えられて、秘密の警察を一から組織せよという使命が、若手の内務官僚であった彼女に与えられた。

 

 若いが、剃刀のように鋭敏な頭脳をもち、そのくせ妙に手堅い仕事をするという評判が、時の内務大臣の耳に入った結果であった。

 

 当時のブレンウェルは天地が転倒したかと思うほど驚いたが、表面的には粛々と任についた。彼女は、さして創意のあるたちではなかったから、外国の制度を積極的に模倣した。

 

 手本としたのは無論、皇帝デュートネの支配下にあったグロワールだ。そこでは、国内のことなら皇帝が寝所で漏らした睦言まで知っているという、警察機構があった。その警察官僚や密偵のうち、度々の政変で職を追われた者どもを、秘密の顧問としてエルフィンドに雇い入れた。

 

 エルフが人間を招き、あまつさえ教えを乞うなど前代未聞の珍事だったが、ブレンウェルは断固としてやった。ついには、失脚した元警察大臣まで雇い入れた。稀代の陰謀家、政治的怪物として知られた老人に無事な余生を与える代わりに、その経験の全てを吐き出させて、己のものにした。

 

 それから八十余年。

 

 上司たる内務大臣は幾名も替わったが、ブレンウェルのみは相変わらず、その地位にある。いつの頃からか、室長とは呼ばれず、長官と呼ばれるようになっている。

 

 彼女が雇用する部下は、およそ六千名。その中には、軍から人材を呼び込んで組織した実力部隊まである。

 

 それだけではない。彼女の秘密警察が国内のあらゆる官庁、軍、氏族の中に獲得した密偵は数千名に及ぶとも言われ、全貌を知っているのはブレンウェルのみである。内務大臣も、彼女の報告を聞くのみで、その情報をどう入手したかは部分的にしか知り得ない。

 

 それに恐怖して人事権を行使しようとした内務大臣も過去にいたが、その途端に倒錯的な性愛の実態が露見して、失脚に追い込まれてしまった。

 

 それからは、ブレンウェルから彼女の椅子を取り上げようとする者はいなくなった。彼女は今日も、組織創設当初から変わらぬ、日当たりの悪い執務室に通い、月ごとに変更される隠語を知らぬ者には詩文としか思えぬ報告書に目を通しては、次々に暖炉へ投げ込んでいる。

 

 そのようにしつつ――現在の彼女は、探し物をしている。上司に、そうせよと命じられたからである。

 

 閣議から戻ってきた内務大臣は、彼女に命じた。

 

「オルクセン王グスタフの暗殺計画を研究せよ」と。

 

 暗殺は、秘密警察の仕事のうち、もっとも後ろ暗いものであり、稀にしか行われない。その対象は、たいてい、法網を避ける術を知る組織犯罪者たちであった。そのための小さな暗殺部隊が、ブレンウェルの手元にはある。とてものこと、一国の君主を、それも戦時下に殺せるような戦力ではない。

 

 当然、ブレンウェルは答えた。

 

「承知しました」

 

 慌てたのは内務大臣の方である。

 

「待て待て。誰も、殺せとは言わん」

 

「殺さないのですか」

 

「研究しろというのだ。計画を検討してくれれば、それでいい。しかし」

 

 内務大臣は、彼女の顔を舐めるように見上げながら、聞いた。

 

「……殺せるのか?」

 

 グスタフ王は、オルクセン軍を親率し、エルフィンドに遠征してきている。率いる軍勢は八十万とも、百万ともいう。標的は、それほどの大兵力の中枢にいる。討てるものではない。そのはずである。

 

「研究してみなければ分かりません」

 

 それでも淡々と答えたブレンウェルを、内務大臣は恐れたらしい。

 

 この得体の知れぬ秘密警察長官なら、本当にやれるかもしれない――と、思ったのであろう。

 

「言っておくが、本気ではないぞ。あくまで研究だ。それだけでいい」

 

「実行はしない、と仰るので」

 

「当たり前だ。首相も、本気じゃない。教義大臣の顔を立てるだけのことだ。あいつに睨まれてはろくなことにならんし、閣議がまとまらなくなるからな。

 

 せいぜい時間をかけて研究してくれ。あのイカレ女が、この事を思い出したら、うまい言い訳を披露できるように準備するのだ」

 

 戦争に負けようとしている王国で、一、二を争うほど有能な官吏であろうブレンウェルに、無駄な作業をしておけという指示だった。

 

 そのような国だから、戦争に負けるのだ――という感想は、彼女の皮膚の上にはあらわれない。

 

「承りました」

 

 表面は、あくまで冷静に、ただ内心の安堵と納得が、僅かに漏れ出たという演技で、ブレンウェルは答えたのだった。

 

 自分の事務室に帰るや、部下を呼びつけ、用件を命じた。

 

「教義大臣の身辺に不穏の噂がある。万一のことがないように、警護の状況を探っておけ」

 

 部下は、表情も変えずに了解の意思を示して退出した。するとブレンウェルは、別の者を呼んで命じた。

 

「教義省内を洗え。モリンド大臣に反感がある有力者を探し、その醜聞を探るのだ」

 

 次いで、また別の部下を呼びつける。

 

「教義の異端派で、地下に潜っている生き残りがいたな。ティリアンに移送しておけ。いつでも使えるように」

 

 部下はまた、表情も変えずに了解した。

 

 命じられた三名は、秘密警察長官が教義大臣の暗殺を計画し始めたと察しただろう。それでも、淡々と職務を果たすはずである。それしきのことで驚いていては、秘密警察は務まらない。

 

 こうして当座の指示を出し終えたブレンウェルは、定例の報告書類に目を通し始めた。

 

 そのうちの一通を半ばまで読んで、彼女は手を止めた。

 

 凍りついたようになる。

 

「ふむ」

 

 紙面をめくる指先が、僅かに震えている。

 

「……これぞ神の導きか」

 

 部下たちが聞けば、卒倒しかねない独り言であった。

 

 彼女は熱心に読み始めた。

 

 

 

(「ネヴラスからの手紙」に続く)

 

 

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