二台を横並びにし、一つにつなげた寝台の上で、薄桃色のオークの巨体が蠢いている。
「はぁ、はぁ。ゾフィ、ゾフィ」
オークの牡は、牙の間から切迫の呻きをあげた。無言のうちに腹部を震わせると、力尽きたように伏した。
すると、オークの身体の下から、小さな抗議があがった。
「重たいよ」
女の苦しげな声である。
「おう。へへ、ごめんよ」
そう言って、オークは汗ばんだ身体を離し、横に転がった。
その下から現れた女の肢体は、細くたおやかな、白エルフのものである。女の容姿は、種族の典型というべきで、金髪碧眼、抜けるような白い肌をもっている。重さから解放された胸部が大きく上下している。
「ゾフィ」
と、オークは女を呼ぶ。
「はぁ、へへ。今日も良かった。お前は最高だ」
そういうと、牡は身体を起こし、寝台の端に腰掛けた。
寝室の床には、乱暴に脱ぎ捨てられた軍服がある。その襟首には、オルクセン陸軍少佐の階級章がついている。複雑に絡まった金のモールは、参謀将校の証である。
太ましい指が、エルフの金髪の頭を撫でる。
「なぁ、明日は早い。今夜は宿舎に戻らないと、いけない」
「残念ね」
「しばらくは来られないかもしれん。寂しいだろう」
「仕方がないわ。私のヴィリーは、偉い参謀なんだもの」
「おお、そうだ」
オークは、途端に笑み崩れた。壮年期に入りかけ、働き盛りを迎えた牡のオークにとって、自分の仕事を女に褒められるのは、たまらぬ喜びがある。
「なにせ、並の参謀じゃない。第一軍司令部の参謀だからな。なあ、お前。第一軍の司令官が誰か、知ってるか、おい」
女は黙って微笑している。牡は、ますます得意満面になっている。
「知ってるだろぅ、ええ。何度も教えたじゃないか。俺に教えてみてくれよ」
催促されて、女はようやく、薄い唇を動かした。
「王様」
「おお、そうよ。国王陛下だ。オルクセンでいちばん偉いお方だ。もうじき、この街においでになる。
そのお方に、直接お仕えしてるのが、俺さ。ヴィルヘルム・オストナー少佐と言えば、そこらの兵隊なんぞ、震えあがるぜ。いずれは将軍閣下だからな」
「でも」
白エルフは長いまつ毛を伏せ、言葉を切った。いまにも消え去りそうな、幻の妖精めいた風情がある。
「でも、なんだ」
「そうなったら、あたしは、いらなくなるでしょう。オルクセンに帰って、大きなお屋敷に住んで、召使に囲まれて――」
白エルフが夢想する将軍の暮らしはエルフィンド軍ものであり、質実を旨とするオルクセン軍の将軍の暮らし向きとは、かなり異なる。そんな女の想像力の乏しさが、牡には可愛くてならない。
「大丈夫だよ、ゾフィ」
「いいの。分かっているわ」
侵攻してきた軍隊の高級将校と、占領された地域の住民。一時の情を通じることはあっても、所詮、つかの間の間柄に決まっている。それもオークと白エルフだ。異種族間の恋愛は、ただでさえ珍しいというのに、孤高をもって誇る白エルフと、彼女たちから野蛮の代名詞のように見下げられてきたオークでは、結ばれるはずがない。
そのはずであった。が、オークは、過去数千年の常識に、あっさりと刃を向けた。あくまで優しく、微かに恐れるような声で、オークは言った。
「この戦争が終わったら、一緒にならないか。俺と結婚しよう」
白エルフは、黄金色の眉をあげ、驚きをあらわにした。
「無理よ。何を言ってるの」
「俺は、本気だ。おまえと離れるなんて、考えられない」
「オルクセンに行けというの。私にオークの中で暮らせと」
「逆でもいい。俺がエルフィンドに残ったっていい」
「ああ、ヴィリー。それこそ無理な話よ。エルフィンドで異種族は暮らせないわ」
エルフィンド王国は、閉鎖的な国柄である。異国の民は、入国することも難しい。僅かな例外はキャメロット王国の人間族が、商用や旅行のために一時滞在するくらいだ。
聖なる地ベレリアント半島は、神に選ばれしエルフ族だけのもの。その清浄を保つため、異種族を討ち払うのが、数千年にわたるエルフの国の歩みであった。
この戦争が終わり、たとえ敗北したとしても、野蛮なオーク族の居住など認められるはずがない。
だが、オークの少佐には、エルフの常識は通じないようだった。
「はは、心配するな。戦争が終われば変わる。何もかも。なにせ、エルフィンド王国はなくなる。オルクセンが併合するんだ」
と、オストナー少佐は、彼ら参謀にとっては常識に類することを言った。無論、機密に属することである。
「だから、大丈夫だ。エルフィンドの法律に縛られなくていいんだよ」
オークは熱心に繰り返す。だから、平気だ、一緒になろう、と。
なあ、ゾフィ、ゾフィ。
ゾフィと呼ばれる女は、ずいぶん長いこと衝撃の中にあったが、やがて立ち直ると、声をひそめて尋ねた。
「でも、オルクセンでも、同じじゃないの。違う種族で……結婚なんて」
女が前向きになったと思い、牡は胸を叩いて自信を示す。
「平気さ。何もおかしいことじゃない。ふ、へへ。何せ、王様だって、闇エルフを囲ってるくらいだ」
「国王が?」
「護衛だってことだけどな。闇エルフの兵士が、一日中、側についてるんだ。風呂場や寝所でもだ。日替わりだってよ。つまり、そういうことさ。王様だからな」
「国王は、何名の闇エルフを側に置いているの」
「ええと、確か」
――二十六名。
参謀らしく、正確な数字を答えた。
白エルフは、オークの胸に爪をたてた。怨むように眉間に皺を寄せている。
「いてぇ。はは、王様の話だろ。俺はお前だけだ」
「どうだか。オーク族は淫蕩、欲が深い――」
「お前が満足させてくれりゃ、いいじゃないか。なあ、おまえ。先のことだが、考えてくれ。俺の妻になってくれよ。なあ」
そう言いつつ、牡は白エルフの太腿に手を這わせ、膝を割った。
オルクセン第一軍参謀、ヴィルヘルム・オストナー少佐と、今のところは彼の愛人である白エルフの出会いは、陳腐なものであった。
オストナー少佐は、第一軍の兵站を担当しており、現地での調達にあたっては、占領地の白エルフ商人と交渉した。日用品を扱う小口商の中に、彼の目を惹く女がいた。女は、物語に歌われるような白エルフらしい容姿と、何とも言えない物憂げな雰囲気を持っていた。
オストナー少佐は、物資を買い付けるのと引き換えに、その女に誘いをかけた。女が応じると、即日のうちに妾宅を手配して、囲ったのである。占領地の将校、それも司令部参謀ともなれば、大した威勢であった。
オルクセン軍将兵のためには、軍が契約したオルクセンの公娼宿があり、はるばる占領地までやってきている。そこで金を払えば同種族の相手を得られる。
が、それよりも、占領地の白エルフを好むオストナー少佐のような者が少なくない。戦いに勝って占領した土地で、元来は高慢なことで知られる白エルフ族を買うというのは、何か、牡の心理をよほど昂らせるものがあったらしい。つまりは、愛欲というよりも、半ば以上は征服欲を満たすためであったろう。いわば夜具の上の征服行であった。
そのような誘い、あるいは強要に対して、表面上、進んで応じる白エルフは多かったようである。彼女らは戦災で生活の基盤を失い、助け合うべき氏族も離散して、今日明日の暮らしにも不安が大きかったのだ。
そのような始まり方であっても、寄り添ううちには互いに真情が湧き、種族差を越えて家族になる者がでたのは、知性体の心理のふしぎなところである。
後年――ベレリアント戦争と呼ばれることになる、この戦争が終わった後、この種のオークと白エルフの結びつきは、異国での浪漫を伴う数奇な恋物語として、多くの小説や映画の題材になった。
また事実、「軍を辞めてでも、エルフィンドに残る」と主張し、白エルフと婚姻関係を結んだオルクセン将兵は、百名以上にのぼった。
その一方で、征服、占領の間だけ白エルフを金で買い、軍務が終われば、あっさりと捨てて帰国したオルクセン将兵の数は、百どころではなかったであろう。
美談となった百の真愛の影に、幾千、幾万の語られざる関係、悲劇や忍従があったか、後年になってからは、わからない。白エルフたちの多くは、過去の記憶に鍵をかけて、二度と語ることはなかったからである。
◆
ヴィルヘルム・オストナー少佐は、その夜の思いを果たすと、疲れ切った女を寝台に寝かせて、上機嫌に妾宅をでた。
ばたりと戸が閉じ、鍵が閉められる音がする。
それから心中の声で二十まで数えたところで、ゾフィと呼ばれた白エルフ女は、寝台から身を起こした。
途端、まるで違った顔になっている。
熱情の色は消え去り、虚無がとってかわった。慕情に潤んでいた瞳からは輝きが失せ、異質な情炎があらわれる。
「ゾフィ、ゾフィ……」
うわごとのように呟きながら、赤裸のまま歩き、戸に鍵がかかっているのを確かめる。
別室にむかい、用意していた水だらいの上に屈むと、無心に身体を清め始める。やがて、終えた。
彼女が立ち上がったとき、たらいにあけた水には、彼女自身の血が混じり、うっすらと赤くなっている。
濡れた身体を拭うと、素肌のまま机に向かう。便箋を取り出し、羽ペンを握る。
彼女はゾフィではない。
それを証明するために、彼女は一心に書き始めた。
文面は、取り止めもない。牡が語ったことを。それを聞く彼女自身の思いまで、思いつくまま書きくだす。
――オーク王が来る。このネヴラス市へ。
――おぞましい。恐ろしい。オークはエルフを犯す。あの牡が私にするように。
――護衛と称する妾。二十六名の闇ども。
――穢らわしい。汚らわしい。闇どもは、それで喜んだふりをしているだろう。私がそうしているように。
――そして、オークは言う。侮辱する。「結婚」だの「併合」だのと。身体ばかりか、国土ばかりか、尊厳までも奪い去る。
彼女を買い、夜毎ほしいままにし、その挙げ句、オークの妻になれというように。既に名前を奪ったように。彼女は乱れた字で書き綴る。
――私はゾフィではない。オルクセン風に、あの牡が呼びやすいように、そう呼んでいるだけ。
三枚、四枚と重ねる書面は、報告書などといえるものではない。彼女は、間者として訓練されたことがない。
だから、それはただの手紙。それも、酷く乱脈な手紙だった。
やがて書き終えると、彼女は署名する。間者が、実の名など書くものではない。それでも署名する。そのアールブ語が、彼女の最後の証であるから。
――ソフィア・ロザリエン
「ゾフィじゃない。まだ」
そう呟くと、推敲のために読み直すこともしないまま、ソフィアは手紙に封をした。そして寝台に身を投げ出し、死んだように眠った。
翌朝。その手紙は、彼女のもとにコップだのフォークだの、嗅ぎタバコだのを卸しにきた商人へと渡された。
そして、流通網を兼ねている地下抵抗組織のネットワークに乗り、発注書や手形とともに、占領下の町から町へ渡った。
やはり占領下にある都市、アルトリアで仕分けられ、さらに海路、河川流通を経て、占領地地域を脱し、エルフィンド王都ティリアンへ届けられた。
秘密警察職員によって要点だけを抜き取られ、正規の報告書に記される。その時に、ソフィアという白エルフの名は、既に削除されて、符牒に置き換えられている。価値があるのは、彼女がもたらす情報だけであるから。
その報告書を読んで、秘密警察長官ブレンウェルは独語する。
「……これぞ、神の導きか。狂信者の妄想が、まさかな。間者の符牒は……ふむ、『ニムルス』か」
ブレンウェルは、皮肉げに笑った。オークの妾に身を落とした白エルフに相応しい符牒だと、そう思ったのかもしれない。
ニムルス。諜報網の結節にいるアルトリアの某警官が、適当につけた符牒。
アールブ語で『白い薔薇』の意味である。
(次話「致命的な欠陥」へ続く)