グスタフ暗殺計画   作:芝三十郎

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秘密警察長官ブレンウェルからグスタフ暗殺計画を持ちかけられたリンデル中佐。拒否する彼女だったが、ブレンウェルの意外な一面に触れ...



ネジを巻け

 国家と種族の滅び。その不吉な、だが荒唐無稽とは言えない予測が、狭い室内に響いた。

 

——この狐め。何を言うか。

 

 リンデルは疑い、心中で否定しようとした。

 

 なるほど、戦争には負けるかもしれぬ。負けた方がよいとすら、いまの彼女は思っている。

 

 が、その後の白エルフはどうなる。それを真剣に考えるのは初めてだった。

 

 普通の戦争なら、どうということはない。賠償金。領土の割譲。そこに住んでいた国民は土地を失い、国内へ逃げてくる。さらに悪くすれば、属国化。大変な悲劇、屈辱ではある。

 

 だが、それだけのことだ。八十年前、デュートネ戦争のときは、多くの国がそのような目に遭った。武装中立、不参戦を貫いたエルフィンド王国にはそのような経験はないが、人間社会ではありふれている。

 

 しかし、併合とは何か——それも異種族によってとは。かつてオルクセン王国は、デュートネ戦争の時にそのような目に遭いかけた。オークたちは種族滅亡すら覚悟したという。

 

 では、白エルフがオークに併合されれば、果たしてどうなる。

 

 リンデル中佐は、壁の時計に目をやった。牢獄の時計と異なり、きちんと動いている。彼女の想念の中で、時計の針が逆回転を始めた。

 

 種族の滅亡。荒唐無稽に思われる想像。だがリンデルは、それに近いものを見たことがある。それも二度も。

 

 一度目はロザリンド会戦の直後。白エルフがドワーフの国を滅ぼしたときだ。白エルフは、ドワーフの兵も民も区別なく殺した。聖なるシルヴァン川流域をエルフの土地にするためである。リンデルはそれに参加した。

 

 二度目は、彼女が投獄される直前のこと。「闇エルフの反乱」の討伐を命じられた陸軍の諸部隊には、薄々察するところがあった。

 

 命じられた通りに闇エルフの集落を襲ってみれば、反乱の気配などなかった。彼女らは僅かな抵抗を排除し、捕らえた村民を国境警備隊に引き渡した。

 

 国境警備隊や、最初期から投入されていたファマリア周辺の陸軍部隊が既に「鎮圧」した村は、地獄のようだった。明らかに非武装の闇エルフの骸がまだ残っており、耐え難い屍臭をあげながら、虫や鳥に食われるがままになっていた。

 

 山狩りを命じられ、獣道を登ってみれば、なるほど闇エルフお得意の伏撃には遭った。だが、数を頼みに応射して、ようやく倒した射手の遺体を見つけると、ほんの子供であることも珍しくはなかった。

 

 それでも命令は命令だった。だから同じ疑念を、否、暗い確信を全員が抱いていると知りながら、誰も何も言わず、淡々と任務を遂行した。嘔吐する者は、目立たぬところでした。密かに涙する者からは、誰もが目をそらした。

 

 思い出すだけで、リンデルの胸に怒りと吐き気が込み上げてきた。あのようなことをした国のために、彼女の忠誠を裏切った国のために、死にに行く義理があるとは、やはり思えなかった。

 

「——もう知るか。戦争が負けようが、国が滅びようが。この国はおかしくなった。誰も止められぬ、化け物に乗っ取られてしまったんだ」

 

 リンデルは断言した。その言葉も表情も決然として、毛ほどの迷いも見られない。

 

 だが、ブレンウェルには、別のものが見えているのかもしれなかった。面白がるような目をしている。

 

「教義思想は嫌いか? お前も白エルフだろう」

 

「あれが諸悪の根源だ。ロザリンドの頃は、もっと素朴な教えだった。それがどうだ……最初はドワーフだった。今思えば」

 

「ドワルシュタイン討伐か。お前も参加したはずだが」

 

「あの時は……所詮、異種族のことだと思っていた。不意打ち、裏切りとはいえ、長年の宿敵との戦争だ。聖地平定の大義もあった。それに酔っていた」

 

 帰国後、リンデルはロザリンド会戦の功績で、一挙に士官に取り立てられた。リンデル少尉は同氏族の小隊を与えられた。彼女らは白エルフには珍しい山村の出であったから、大いに重宝され、闇エルフとともに国内の戦いに従事した。

 

「ドワーフの次は大鷲と巨狼だ。ベレリアントから駆逐するんだと。やはり当然だと思った。我らを脅かす敵だったから。

 

 それが終わったと思えば、途端にコボルトだ。昔は街にたくさんいたのに。いつの間にか害虫扱いになった。突然、鑑札を取り上げて追放だ。

 

 挙げ句、闇エルフだ。彼女らがいなければロザリンドでは勝てなかったのに。『闇はエルフではない』と言っても、白い目で見られない世の中に、いつの間にかなっていた。

 

 ついにベレリアントから白エルフ以外はいなくなった。これで排除は終わるか?」

 

 ブレンウェルは答えない。それが質問でないことは明白であったし、実のところ、彼女も同意見であるのかもしれない。

 

 リンデルは言葉を続ける。

 

「終わるまい。白エルフの中にも差別はある。次は北部出身者の番だろう。『あいつらは純粋な白エルフではない』と、誰かが言い出す。また迫害、そのうち虐殺か追放だ。

 

 その次は誰の番だ? 貧しい者か、病気の者か。老齢で耄碌した者たちか。戦傷で手足を失った者たちか。

 

 我々は……坂を下っているんだ。排除の歯車は止まらない。もう勢いがつきすぎた。止まるには、何かにぶつかって壊れるしかない。だから」

 

 かつてロザリンドで国を救い、その後も異種族との戦いで功績をあげ続けてきた歴戦の女は、言った。

 

「……滅んでもいい国というものは存在するのだ。エルフィンドはもう、我ら白エルフに相応しい国でなくなってしまった。その原因が教義だ」

 

 ブレンウェルはコップに水をくみ、静かに喉を潤し、やがて言った。

 

「必要だったのだ。教義も」

 

「国を腐らせるためにか」

 

「ロザリンド会戦のとき、我が国が送れた軍は何万だった」

 

「…………」

 

「国中からかき集めて、それでも四万ほどだったろう。いまの陸軍はその十倍以上だ。昔の氏族社会では、こうはいかなかった。教義をてこにして王権と政府の力を強める必要があったのだ。さもなくばデュートネ戦争の間、中立を守ることはできなかっただろう。デュートネの大陸軍に攻め込まれていれば、出生を白銀樹に頼る我らは容易く滅ぼされたかもしれん」

 

 それがロザリンド会戦以降、エルフィンド王国が進めた改革だった。古い信仰を体系化し、全氏族に普及させた。そして、各氏族の村から出ずに暮らし続ける者たちにも、氏族の白銀樹の上にある黄金樹の神聖さを教えた。その守護者たる女王を中心とする国家の体制がいかに尊貴で、誇らしく、全白エルフの命そのものであるかと。

 

 革命と戦乱の時代にあって、エルフの国が平和に生き残るための選択だった。各氏族の力が強いままでは、共通の初等教育も、兵員供出の義務化も、豊かな氏族の税金で貧しい氏族に農地を拓くことも、全土に鉄道の線路を引くことさえできなかったのだ。

 

 かくて素朴な伝統の信仰は、近代国家エルフィンド王国の骨格となった。

 

 それを推し進めた革新派官僚たちの首魁が現首相のダリンウェンである。必要と信じる政策を実現するため、彼女は自らの立身と、国家の集権化を先に必要とした。そこで武器として、右手では教義の教えを、左手で秘密警察を使った。

 

 だが、政策実現のために強大化した政治権力は、いつしか、それ自身の論理で動くようになった。首相に上り詰めたダリンウェンは、政敵を糾弾するために自ら設置した教義省の意向に逆らえなくなっていた。

 

 革新官僚たちが生み出した、もう一つの怪物、秘密警察長官は、淡々と言った。

 

「だがリンデル中佐。君の言うことも正しい。この国はおかしくなった。谷底に突き進む馬車か。それなら私は、その歯車だ。しかし、やり方も考えも違うが、君もそうだと信じている。見放すことなど、できるはずがない」

 

「私が戦ってきたのは、戦友を虐殺するような国のためではない」

 

「では、滅ぶに任せるか? 言った通りだ。オークどもに交渉は通じない。我が国を滅ぼし、併合するつもりでいる」

 

「負けた後、白エルフはどうなる。奴隷化か、皆殺しか」

 

「分からん。人間諸国の手前、あからさまに鏖殺にかかるとは思えんが、長い目での絶滅政策はあり得よう。白銀樹を残らず切ればいい。私たちが闇エルフにやったようにな。黄金樹すら切られるかもしれん」

 

「…………」

 

「生き残った者はオルクセンの国民にされようが、平等な扱いはあり得ないな。我らは八百万いるのだ。オルクセンの一部となれば、オークに次ぐ第二勢力だ。乗っ取りや反乱を恐れるだろう。

 

 知っているか? オルクセンは、センチュリー内戦で南側に肩入れした国だ。奴隷制にも忌避感がない。人族国家に言い訳できる範囲で、白エルフの権利を徹底して奪うだろう。どんな形にせよ、八百万の二級国民が出来上がる」

 

「…………」

 

「人間の社会には、いくらも先例がある。自分たちの国家を無くすとはそういうことだ。歴史と伝統を奪われ、文化や誇り、自分たちの生き方を失う。それでいいと思うか」

 

 リンデルは唇を震わせた。怒りを秘めた声で言う。

 

「……だからといって、暗殺計画で種族を救えるとでも? お前は狂っている」

 

「当然だ。オークどもは異種族の国を併合しようとしているんだぞ。それこそ狂気の沙汰だ。高官どもは、どうしても認めようとせんがな。特にクーランディアは。まともであり過ぎるのだ」

 

「あの方は英雄だ。立派な方だ」

 

「そうだろうよ。ロザリンドで勝った後、クーランディアは軍閥を作ればよかったのだ。あの将軍が国を乗っ取っていれば、こうはならなかった」

 

「武力を私するなど、なさるわけがない」

 

「それが無責任だというのだ!」

 

 ブレンウェルの手が机を叩いた。この場では使う者のない灰皿が揺れた。

 

「今でもそうだ。あいつが本気で講和を進めたいなら、軍を動かして閣僚どもを逮捕すればいい。そして自ら首相なり、摂政なりを兼ねれば国はまとまる。だが、そうしない」

 

「……閣下にそんなことはできない」

 

「そうだろうな。実際、その動きはない。もしあれば、私は見過ごすつもりでいるのだが」

 

 ブレンウェルの重大な告白に、リンデルは耳を疑った。そのような我意が、秘密警察長官にあろうとは思ってもみなかったのだ。

 

 ブレンウェルは、素直な苛立ちを隠そうとしていない。

 

「クーランディアは、あくまで武人でいたいのだ。だから必要なことができない」

 

 リンデルは沈黙し、ロザリンド会戦の後の時期を回顧した。

 

 クーランディアはロザリンドの勝者でありながら、敗北したオルクセン軍を範とする軍改革を提唱した。氏族の枠を越えた徴兵制。門地に寄らない能力本位の昇進制度。均一化し、火力を重視した編成などだ。

 

 だが、その大半が頓挫した。軍改革の実現には、社会の改革を伴わねばならなかったが、有力氏族の執拗な抵抗に阻まれたのだ。失意のクーランディアは実権を失い、王女エレンミアの教育係に左遷された。

 

 リンデルら、若い将校たちは大いに失望したものだ。その頃、ブレンウェルは若い内務官僚だったはずである。若者は常に改革主義者だ。有能で名を馳せていたに違いない若きブレンウェルも、政府と社会の改革のため、クーランディアに期待するところがあったのではないか――。

 

 だが、ブレンウェルは秘密警察の創設役に抜擢された。政治に密接でありながら、政策からは最も遠い仕事だ。それで卓抜の手腕をみせ、巨大な権限を手にし、時の首相や内務大臣の意向を受けて、大勢の有力者を葬ってきた。

 

 権力者に奉仕する冷酷な機械、秘密警察の長。しかしその実、ブレンウェルには自らの意志があったのではないか。血と汚泥に塗れても、何かを成し遂げようという。

 

 その白い両手が、リンデルの両肩を掴んだ。間近に迫った怜悧な顔つき、その瞳の奥に、ブレンウェルの内心にある一片の真摯さを見たように、リンデルには思えた。

 

「暗殺に意味があるかは分からない。ああ、かえって酷いことになるかもしれん。だが、いま、この時、何もしないでいることはできない。それは犯罪だ。裏切り行為だ」

 

「……何に対してのだ。国家か、種族か。御聖樹へのか」

 

「お前は、なぜ見も知らぬ闇エルフの娘を助けた。地位も、未来も、自分の命も捨てて」

 

 それと同じ理由だと、ブレンウェルは言っていた。なぜ彼女が自分を選んだのか、リンデルはこの時に諒解した。戦闘技術だけではない。時には気高さと呼ばれることもある、度し難い愚かさを持つ者を、ブレンウェルは求めたのだ。死に向かって進む任務を、狂信者にではなく、そのような者に委ねようと。

 

 リンデルは応えることにした。

 

「……三つ条件がある」

 

 途端、ブレンウェルの手は離れた。ゆったりと椅子に座り、何事もなかったかのように怜悧な雰囲気に戻った。

 

「なんでも言え」

 

「まず、私の部下たちを返せ。やるやらないは彼女たち次第だ。彼女らが合意しなければ、私は降りる。他の兵を率いてでは無理だ」

 

「いいだろう。説得には努めてもらう」

 

「二つ目。海軍の協力が欲しい」

 

「海軍だと?」

 

「帰投経路だ。イヴァメネル将軍は正しい。望みが少なかろうが、士気のために必要だ」

 

「海路での脱出を? 制海権は完全に敵側にあるぞ。ろくな船は残っていない」

 

「船ではない。私が欲しいのは――」

 

 驚くということを知らぬ秘密警察長官が、リンデルの提案に目を見開いた。

 

「その部隊、話には聞いたことがある。海軍に調整してみよう」

 

「してみる、では困る。必要なのだ。何としても」

 

「それほど期待できるものなのか? あれは」

 

「分からない。だが帰投経路になり得る」

 

「望み薄ではあると思うが」

 

「希望は必要だ。常に。どんなに小さくとも」

 

「分かった。確保する。まだ生き残っていたならば。三つ目の条件は?」

 

「それは——」

 

 リンデルの言葉は、ブレンウェルを凍りつかせた。秘密警察長官をここまで驚かせた者は自分の他にあるまいと、リンデルは内心でおかしみを感じた。

 

「……何故そんなことを?」

 

「分かるはずだ。お前には」

 

「いいだろう……分かったよ。約束しよう」

 

「ああ、頼むよ」

 

 年来の友人にでも言うように、彼女たちは言った。

 

「さて、では部下たちを釈放してもらおう」

 

「ここにはいない」

 

「他の収容所に?」

 

「いや、釈放はとうにしてある。いまは戦時下なのだ」

 

「では、前線にいるのか」

 

「もっと先にいる。軍には調整しておく。部下たちを回収するのが、お前の最初の仕事になる」

 

「——ふむ」

 

 リンデルは立ち上がった。

 

 ブレンウェルも立ち上がり、鞄から取り出した何かを彼女に渡してきた。

 

「使ってくれ。それは壊れていない」

 

 渡されたものを見れば、ごく小さな時計だった。革の帯がついている。小さな文字盤だが、時刻は読み取れる。だが針は動いていない。

 

「時計か? 小さいな」

 

「腕時計というものだ。秘密警察ではよく使う」

 

 暗殺に——とは、ブレンウェルは言わなかった。

 

「ネジを巻け。そうすれば動き出す。お前の時間も。急いでもらわねばならん。国が滅びてからでは手遅れだ」

 

「あと、どれほどの時間が?」

 

「遅くとも半年のうちに」

 

「いいだろう」

 

 リンデルは革帯を手首につけた。壁の時計に時刻を合わせ、ゆっくりとネジを巻いた。

 

 やがて、小さな時計に命が宿り、エルフィンド王国に残された時間を刻み始めた。

 

 

 (次話「最後の大隊」へ続く)

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