岐路
挿話がある。
後年、オルクセン軍のアロイジウス・シュヴェーリン元帥は、しばしば記者や研究者の訪問を受け、ベレリアント戦争についてインタビューを受けた。
決まって聞かれるのが、
「オルクセン軍の大勝利に終わったベレリアント戦争のなかで、最も印象的な戦いは、どの戦いか?」
という類の質問だった。質問者には、あらかじめ期待する答えがある。
エルフィンド最後の反撃を退けて、戦勝を決定づけたネニング平原会戦。
名将マルリアンと因縁の再戦を果たし、彼女を降らしめたアルトリア攻囲戦。
戦争の初戦を制し、以降の優勢の礎となったモーリアの戦い。
事実上の敵首都に一番乗りを果たしたディアネン夜襲。
そのどれもが、シュヴェーリンがあげた大きな武勲である。戦時中に第三軍を率いたこの牡は「彼がいなければ戦争に勝てなかった」「オルクセンがその歴史上に得た最大の闘将」と称される。その彼が、敢えて挙げるのはどの勝ち戦かと、質問者は楽しみにしている。
が、そのような期待は決まって裏切られた。老いてなお盛んな将軍は、大きな戦傷の残る頬に何ともいえない感慨を浮かべて、こう答えるのだ。
「それはなぁ、エイセル峠じゃよ」
——エイセル峠。エルフィンドのゲリラ部隊に兵站補給路を襲われた、あの山地ですか。
「ああ、そうじゃ。まったく、あそこではな。我が軍は散々にやられた。兵站を切られかけて、一度は撤退を強いられた。見事な負け戦じゃったよ」
——最後にはエルフィンド軍が全滅して、第三軍が勝利したのでは。
「結果的にはのう。じゃが、あれは僥倖じゃ。すんでのところで我が第三軍はネニングに遅参するところであった。そうなればあの決戦自体、どう転んだか分からない」
——山岳ゲリラとの散発的な戦いが、実はそれほど重要だったということですか。しかし、ネニング会戦の頃には、既に優勢であったのでは。閣下の指揮によって。
「それは結果じゃ。儂には何の功績もない。我が王から、巨狼部隊や色々なご支援をお借りしたということもあるが、結局は我が兵たちの功。あとは僥倖じゃな……そういえば」
——そういえば?
「ネニング会戦のしばらく前から、敵がやや……不活発になった気がした。あれは何であったのかのう。貴公、何かご存知ではないか」
——いえ、何も。エイセル峠のエルフィンド軍は、文字通り全滅しましたから、取材することもできませんし。
「そうよのう。まあ、敵にしても、勝利の望みは元より無い戦いじゃからな」
——エルフィンド軍の方にも、増援も補給もろくになかったと聞いています。
「日の当たらぬ坑道に籠ってな。おおかた、士気の低下が甚だしくなったのじゃろう。つまりは我が息子たち、第三軍将兵の粘り勝ちであろうわい」
——兵士個々の敢闘精神。それがネニング会戦、ひいては戦争の勝利にまで繋がったと。
「うむ。つまりはエイセル峠こそ、ベレリアント戦争の全局を左右した、まさに岐路であったということじゃ」
◇
この頃。開戦以来、大いに力戦して驍名を馳せたオルクセン第三軍は、無念のほぞを噛んでいる。
その参謀長、ギュンター・ブルーメンタールは、いかにも困り果てたという様子である。その義弟のような奇才の煌めきは持たないが、その代わり沈着怜悧をもって知られるブルーメンタールには、珍しいことであった。
「地元住民たちからの聴取によれば、エイセル峠周辺には廃坑になった鉱山があるそうです。殆ど神話伝承時代の、古いもので。かつてドワーフ族が掘ったものだといいます。手掘りとはいえ東西の山岳から縦横無尽に延びており、もはや地元住民にすら全貌は把握できていない、と」
「……山のなかに潜っておるのか」
報告を受けたシュヴェーリン元帥は、女婿の困惑を共にした。
「白エルフが山に籠るか。はて——」
百戦錬磨のシュヴェーリンにしても、予想の外だったのである。この敵は山中を駈け、隊列を作らずに戦うという。まさか、
——この敵、闇エルフではないか
という疑念が、老将軍の喉まで出かかって止まった。
当然であろう。元来が半農半猟の闇エルフ族は、全員が生まれついての山岳兵だ。その健脚をもって、いかなる天険をものともせずに活発に進退し、神出鬼没の襲撃をみせる。
百二十年前のロザリンド渓谷で、オルクセン軍が大敗を喫した原因の半ばまでは、エルフィンド軍の闇エルフ猟兵にあったといってよい。
その敗戦から立ち直り、エルフィンド侵攻を計画したオルクセン軍は、いざ開戦となっても、闇エルフたちの領域である山岳地帯は重囲するに留め、その間に半島中部のネニング平原に軍主力を北進せしめ、一挙にエルフィンド王国と死命を決する計画であった。
狡猾な作戦だといっていい。そうなれば闇エルフたちは、自らの村々のみを守って遊兵となるか、あるいは自分たちの生存域と天険の利を捨てて平野に下り、決戦の地に急行せざるを得ないであろう。もし平野戦となれば、オルクセン軍は優勢な砲火力で闇エルフ猟兵を叩き潰すつもりであった。オーク達はそれほどに闇エルフを、そして彼女らが山に籠ることを恐れた。
が、そのような懸念は、開戦前に消えた。エルフィンド王国が闇エルフ虐殺を始め、生き残った闇エルフ達はオルクセン王国に亡命した。今や闇エルフ族は、オルクセン軍の先鋒騎兵として活躍し、種族の復仇を果たしつつあるのだ。
それゆえにオルクセン軍は、最新の戦争計画において、山岳戦をほとんど想定していなかった。敵が白エルフであるならば、オーク山岳猟兵をもって充分に対抗し得るであろう。そのはずであった。しかし現実には、
「我が第八山岳猟兵師団が山狩りに出れば、敵は雲を霞と撤退して掴みどころがありません。そうかと思えば時には即席の防御陣地に拠って、苛烈な伏撃を喰らわせてきます。峠を通る補給部隊がことごとく壊滅し、第二九擲弾兵師団による警護も、しばしば撃破されるありさまで……」
無惨なものであった。狭い峠道ではオルクセン軍の大兵力を活かせないが、それだけではない。
「敵は放胆にも、ここフェンセレヒ盆地にまで出没しております。軍服を着ず、正体を隠して往来しては、少数の分隊で我が鉄道の拠点を破壊したり、馬車を襲って荷車を焼き払ったりと、まったく始末におえません。閣下、ここは……」
参謀長は言葉を濁したが、その進言は明白であった。
「厄介だな、これは。そして何たることだ。このまま留まれば、我ら第三軍は……飢えるか。ロザリンドの時のように」
参謀長は無言で同意を示し、岳父の決断を求めた。
「……総軍司令部に報告しろ。現状をありのままに」
それがシュヴェーリン司令官が下した、事実上の撤退の決断であった。
日頃は豪放磊落に振る舞っているシュヴェーリンも、さすがに悔しさを隠せなかった。
「無念じゃ。まさか白エルフが、山地でこれほどの巧者とはな。敵将は誰じゃ」
彼らを退けたのがアルトリアの敗将、カランウェン一等少将率いる敗残兵集団であるとは、じきに知れた。
結果、疑念はますます深まった。
その峠の獣道を、すたすたと登る、一つの背中がある。木こりのような風体で、頭に被った革帽子の端から、赤い髪を覗かせている。
(次話「最後の大隊」に続く)