決別を付けてから、どれくらい経っただろう。一通り考えも終わり、なんとなく体が軽くなったような気もしたのだけど、それにしたって彼が身動きせずに泣いているのはさっきから変わりない。
私が考えていた時間ですら長かっただろうに。
「……」
「あの……」
とうとういたたまれなくなったエルトが声をかけた。はっと気づいたようにその人がさっきの私みたいに袖で目元をごしごし拭く。……もはや今更じゃない?
「これは失礼。……みっともないところを見せたね」
見た目の異形さと不釣り合いな穏やかな声。それもなんとなく、聞いたことがある声だ。それもミハエルのときとはまた違っているような身に覚えというか……。そして、声を聞いた瞬間に背中にぞっと冷たいものがまた、走った。思わず後ずさりしたらとん、と後ろの誰かに当たった。……背の高さ的に、ククールだ。
ククールはレイピアを引き抜き、油断なく盾を構えていた。少し、戦闘で困憊した私を騎士として守るかどうか迷ったように盾を構えた手が上がったり下がったりしてから、すでに足に神経を集中させているのに気づいたのか守るのを諦めた。ああ、ただしい判断だよ、騎士物語のお姫様のようにかばわれるのはガラじゃないから。
それにいつでも飛びのける準備は整えてる。こういう場合、逃げるのはたいてい正しい。立ち向かうのは勝算がなきゃただの自殺だろう? 戦って楽しい相手には到底見えないからね。
「カラドが滅びた、モノトリアが約束を果たした。やっと再会できたね……」
その人が顔を見せるように髪をかき上げた。露わになったのはアメジストのような紫の目。そしてどこか見覚えがあるような顔。酷く疲れ切ったように目の下には濃い隈ができていたけれど、それを感じさせないように彼は見るからに優しげに微笑む。そして唖然とする私に不便だっただろうとか、許してくれとか、大きくなったねとか声をかける。
そう、私にだけ。まるで他のみんなが一切見えていないように。
……いや、うん、兄上とミハエルの話はこれでも聞いてたさ。ああ、本当に考えたくなかったことけれど。私の本当の血縁なんて今更にもほどがあるでしょ? 悪く言ってしまえばどうでもいいことだったんだ。兄上とミハエルのことと、みんなを巻き込んでしまったことさえなければ、ね。
話の流れ的には、この人が……私の実の父親……ってことでいいのかな。
ミーティア姫のくだりは頭がパンクしそうだから今はパス。関係あったらその時考えよう。
顔すら……この人とこんなに似ているんだ。もはや何も言い訳できないぐらいに。それにしても彼とモノトリアとした約束、というのは……なんだろう、おぞましい気がして聞きたくない。
ううん、やっぱり聞きたくないとかそういう甘えたことは言っていられないよね。
ミハエルの話を踏まえると……いや、違うな、私の知っているモノトリアを考えると、この人はいったい何人の人生を縛り付けたんだろう?私だってその「契約」の話は知っている。当主ではないから詳しくは「知らない」けれど、正確には「知らない」けれど……。
でも、おおよそ想像はついていた。この血を次代に託すこと、受け継いできた約束を伝えること、そしてそれを「血」に刻みつけること。最も血が濃く優れた者……つまり約束を少しでも劣化させずにその身に宿した者……が当主となり、必ず子供を設け、次の準備を整える。
整うと。次代を用意し、契約を伝える準備を整えられたら……用済みとばかりに老いる速度が急速に高まり、死に至る呪い。代わりに代々、常人では成し得ない守護に偏った戦闘能力を引き換えにもらって。
つまり攻撃特化の私は最初から異端だったわけだけど……まぁ今はいいんだ、攻めなきゃ勝てないし。守りの力を持っていないのは納得がいく。守る必要がないんだろう。……ただの才能の問題だと思うけどね。
聞いている限り、ミハエルの先祖はもともと光の世界の一族で、この世界にどうやってか連れてこられたようだったな。そしてミハエルと兄上はまったくもって裏表の存在。つまり立ち位置を交換されたってことだ。それは何のために? そのままじゃだめだったのはなんで? というかそもそも、あんなに不利に見える契約を「先祖」が結んだのはなんで?
彼は優しそうな顔をして、私に向かって歩を進める。
「トウカ、ちゃんと名前は受け継がれてきたかい」
……ああ、なるほど。だから私は……「とうか」だったんだ。だから外から迎え入れる時の名前を伝えてきたのか。だから由来を知らないのか。この世界では……不思議な響きの名前ってだけだしね。
それならなんであの子と名前が一緒なのだろう。
……今はそれより考えろ、考えて真実を先に知らないと。とにかくモノトリアは闇の世界から来たんだろう。ここまでは確信的ではなかったけれど、色を疎んでいたから。
白い肌と色味の薄いからだ。それを異様なほど尊んでいた。おそらくは血に託された契約と力を受け継ぐために。この世界の人間に近い体であればあるほど血が濃いということだから。そしてそれは兄上で失敗したってことだろう。
怖い。この人が怖い。なんでこの状況で優しく笑っていれるんだろう。交わした約束……が、命を賭してこの結界を解くということならば、どうして笑えるというの? どうして敵意も殺気もなく笑っているだけなのにドルマゲスやレオパルドと対峙した時と同じようなじっとりとした嫌な感じがするんだろう。
あぁ人工甘味料のように甘い笑顔。優しさに溢れているみたいで、そうじゃないような。その感情は本当に私に向いているの? 本当は後ろのエルトに向いてると言われた方が納得できるぐらい歪んで見える。でも彼は私しか見ていない。眼球も心も。
「どうしたんだい、そんなに目を見開いて。母さんによく似た目がこぼれてしまうよ。ああ、右目が見えないんだったね。すぐ、すぐに治そうね……愛しい子。その目には魔力を、その傷には外法を封印したから……今まで不自由だったろう」
「出来損ないの目のことですか? これは生まれつきです。貴方に関係あるとでも」
分かってはいたけれど、今までの努力も何もかもを否定されたような憤りがしてわざと口答えした。
「出来損ないだなんて言わないで。それは私の咎。私が未熟だったゆえに犠牲にしたものなのだよ。でももうその封印なんていらないだろう。
これまで魔法が使えないせいで随分不自由しただろうね。これから一から学んでいこう。私の娘ならいくらでも時間があるはずだ。そして私は勇者と聖者以外の魔法をこなせるから安心して。……流石に魔性を受け継いでいる以上聖者の魔法は使えないだろうから」
……グランドクロスのことだろうか。魔性? 一体なにを、この人は何を言っているんだ?この目には魔力を? 封印したって? じゃあ私が魔法を行使できなかったのは、マホトラで魔力を確認できたのに欠片も行使できなかったのは、この人のさいだとでも?
いやいや、乗せられるんじゃない。本当だったとしても今更だよ。私は克服した。克服して力を手に入れた。なのにそれが不便だったって? 私は強くなれたのに? 何かを持っていないなんて当たり前じゃないか。
だからこそ、みんなとそれぞれ協力し合ってきたというのに? 分担して、連携して、うまくやれたというのに?
「……」
「やっと一緒に暮らせるんだ……。ああ、私がここから出れるのだから、一刻も早く調子に乗ったラプはぶん殴っておくから安心して。闇の残党も全部倒さないと……。もう家族を殺させたりはしない……やっぱり殴るだけじゃ休まらないね、半殺しぐらいにして適当に石ころに封印しておこう。互いに殺せないっていうのは不便だね。そう思わないかい?」
彼はちょっと商店で野菜を買ってくるんだと言わんばかりに軽い口調でラプソーンを封印すると言い切った。そしてどんな関係なのか分からないけれど、親しそうに名前を呼びながら殺せないことを悔やむ。憎しみからなら分かるし、義務感でもまだ分かる。なのに、あんなに懐かしく親しげにしておきながら殺したいって?
あぁその目で見られると右目が熱くて仕方がない。ここに魔力を封印したから? だから、だから目が見えなかった? どうでもいい、どうでもいいさ、見えたって……今更だ。
それに、それは、それは私の問題だ。私はもう剣だけでも戦える。右目がなくても生きていける。今更、本当に今更何だって言うんだ。
「あなたが、アーノルドなのですか」
いつしか懐かしそうな目からマイエラを思い出していた。残虐な姿からは想像もできない懐古の声を。
「ん? ラプから聞いていたみたいだね。気配がこびりついている。そうだよ。私がアーノルド。こんななりだけど生まれは純粋な人間だ」
その右腕はまるで地獄の帝王のようじゃないか。見え透いた嘘をつかなくたっていいのに。ちょっとばかり飛び出すのは慣れている。出自がどうであれ私は気にしないっていうのに。そんなことは今更なんだから!
「……、そのラプ、というのは……」
「魔族、いや今は魔神だな。暗黒神。理想を抱いて数少ない友にも見捨てられた奴さ」
本当になんてこともないように言い、私の前に一瞬で距離を詰め、右目に普通の方の手を当てようとする。
咄嗟に後ろのククールをひっつかんで飛び退いた。だんっと石の地面に宙返りの要領で着地するともろくなっていたのか地面には簡単にひびが入った。
「……もしかして封印、解けてた? トウカ、君の人ならざるような部分はないようにしていたつもりだけど……その力はあまりにも逸脱しているね。大丈夫だった? いじめられなかったかい? 人間というのはすぐ弾圧するんだから」
力? 何を言っているの? 初見ならともかく逸脱なんてとんでもない! 最初から力があったわけじゃない、鍛えて強くなったのに! これくらい鍛えればだれだって出来ることだろう?
最初の頃の私はこれでも鉄の剣が重くて仕方がなかった! ムカついたから毎日鍛えた! 毎日、毎日! 苦痛なら感じた! でも泣き叫ぶあの子が死にたくないって言っていたから鍛えたんだよ、そしたら剣だって槍だって持てたし砕けないものはなくなった!
最初は木の枝、次は棒、その次はひのきのぼう。人より才能があったかもしれない。でも私には自負できることがある。
鍛錬の時間だけは誰にだって負けなかったし、戦いを誰よりも好んでいたし、そのためになんだって犠牲に出来たことだよ。
封印とやらで私の闘争心が封印されてなかったなら関係ないことでしょう、弾圧とか。「人並みの進歩」を「人よりの試行回数」で何とかしてきたんだから!
没シーン
力? 何を言っているの? 初見ならともかく逸脱なんてとんでもない! 最初から力があったわけじゃない、鍛えて強くなったのに! これくらい鍛えればだれだって出来ることだろう?ねぇ、エルト!
「むっ……」
ねぇ!
「無理だから!」
「嘘つけお前出来ただろ」
→シリアスが崩壊するので没