アーノルドはさっきとはうって変わってひどく恐縮しているように見える。なんというか、例えるなら、盛大に寝ぼけていた姿を見られたって感じ。激しい戦闘のせいで髪の毛にいくらかレティスの羽根がからまってくっついていたり、レティスが連続で叩き込んだライデインのせいで服がぼろぼろになっているから余計にそう見える。
……短時間にあれだけの猛攻を受けたというのに回復魔法の一つも使おうとしないところが異様だね。いいや、使おうとしないというより必要ないっていうのが、余計に。服はぼろぼろ、髪の毛はボサボサになっているというのに肉体にはダメージらしいダメージが入っていないように見えるんだけど。
「……謝って済むこととは思わないが……酷い無礼を、すまなかった。言い訳すると私はもはや何年眠っていたか分からないのだが……封印の期間が長すぎて精神が退行していたようでね……」
「寝ぼけてたんですか……」
「そう、そうなるね。この年で、恥ずかしながら。改めて、私はアーノルド。……君は?」
「エルトです」
「そうか。君からは強くトウカの気配がするから、長い間一緒にいてくれたみたいだね。ありがとう」
豹変ぶりが凄まじい。腕やら足やらにレティスのついばんだ跡が残っているのがさらにギャップを誘う。年相応の落ち着きと、トウカと似つかぬ雰囲気によって、ようやっと年上の人と話している感じがした。……さっきまで僕と喋ったりしなかったけどさ。
一方、トウカといえば少しは警戒を緩めたものの、ククールの背に隠れていてこっちからは顔も見えない。ゼシカが呆れた顔をしているから……照れ隠しにも近いのかな。そしてククールはやっと動けるようになったみたいで状況の把握に忙しい。
「あたしはゼシカ・アルバートです。……あの、寝ぼけていた時言っていたことって……」
「ご丁寧に、お嬢さん。恥ずかしながらすべて本心というか……まぁ、秘めたる思いというやつだね。嘘はついていなかったが……」
ご丁寧に、と言った時の顔がキザったらしい行動をしているトウカの全く同じ表情だった。くしゃくしゃと髪の毛を掻き混ぜ、アーノルドは何から言ったらいいものか、と腕を組む。
その仕草もそっくりだった。さっきまでとは違って外見だけでない血の繋がりを明確に感じた。
みなしごの僕にとってはさぞ羨ましいかって? いやいや……たとえ分かったとしてもこんな大衝撃を受けるような大層な思うよ僕は。もし両親や生まれの地が分かるとしてももっと地味に、そして穏やかに知りたいものだし。でも、そうだな、トウカと同じように外見からも内面からもはっきり分かるような判明方法なら嬉しいな。
分かりそうにもないけど。トウカのことが分かっただけでも奇跡なのにさ。結構、小さい時は優しい人が多くて探してくれたんだけど駄目だったんだから。
でもぶっちゃけ、寝ぼけてここまでやらかす父だったとしたらトウカと同じように照れ隠しかなにかでそっぽ向いてしまうかもしれない。間違っても僕はククールの背に隠れたりなんてしないけど。
トウカ、本当はククールが思っているよりもずっとククールのこと好きなんじゃ? 僕にはそんなことやらないじゃないか。ただの背丈の問題? 背丈なら仕方ないけどさ。
なんだか面白くない。面白くないけどこれは絶対に親友を取られたという嫉妬みたいなものだよね。そうじゃなきゃククールに後ろからザキられるかもしれない。……まぁ、ほら、僕って他に好きな人がいるから……。一体誰に対して、そしてなんの言い訳だろう。
「繰り返すようだが、さっきまでの私の行動は許されるとは思っていない。闇の勢力に妻を殺され、怒りのあまり手当り次第に暴れていたらこちらが封印されてしまったくらいだから」
ギリッと思い出した怒りに彼は震える。さっきから彼の言っている闇の勢力。恐らくはラプソーンたちに、ということなんだと思うけど。さっきまで親しげにラプ、なんて呼んでいたのに。
呼んでいたからこそ許せないのかも。
いったい彼らに何があったか。どうして親しげな仲からそこまで殺伐とした関係になってしまったのか。それを聞けるほど図太くはない。
「長年の夢とはいえ無理強いは良くないことぐらいは一番理解していたつもりだったのだがまだまだ……未熟ということか。あまりにも、残った肉親の娘までも取られるのではないかという恐怖に取り憑かれていてね……」
娘を取られるって……身の危険の、真の当事者ってククールだったの? ねえ大丈夫?あ、顔面蒼白……。
さっきと対照的に明るい「緑色」のトウカの瞳を、今度は似ているなんて言わずに嬉しそうに見つめるアーノルド。あれ、多分、奥さんの色だったんだろうな。
……頭がごちゃごちゃしそうだから考えないようにしていたけど、この世界のミーティア姫がトウカなら、確かにあの色は姫とそっくり同じなんだ。
どこから見ても、あの新緑は見慣れてる。なんでこの白と黒と灰色しかまともにない世界で同じ色なのかは分からないんだけどさ。親友についているにしては見慣れないし、あの色を着ている姿も見たことがないのに不思議としっくりくる。
紫の目がアーノルドの色なら、あの銀髪もそうなんだろうなあ。でも、じゃあ、茶髪に黒い目の姿は、なんなんだろう? 封印と関係があるのかな? 個人的には……あの色なら、トウカと僕は兄弟と見紛うほどそっくりな色彩でさ、なんとなく、それが嬉しくて、胸を張って隣に立っていられるような気がしていたんだけど。もう、あの色には戻らないのかな。
「そちらのお兄さんはトウカの友達? いやぁ、強そうだ、本当にかっこいい」
ククールは若干膝を震わせていたけれど、それは不憫にも杞憂で。なんていうか、血は水より濃いというか。アーノルドが嬉々として向き直ったのはヤンガスの方だった。少し目がきらきらとしている、あぁもう、似ている。そっくりだ。本当に。
トウカもあんな表情でたくさんの兵士をたたきつぶし、魔物を消し飛ばし、見るものすべてに好奇心いっぱいな目をしていたっけ。あんな目だ。
「あ、いや、あっしは友達というわけではないんでがす」
「じゃあなにかな?」
急に剣呑な表情を見せ、今にもなにか魔法をぶっぱなしそうな様子のアーノルドがまたレティスについばまれる。アイタタタ、と間抜けにも聞こえる声。なのにあの勢いでついばまれているのに少したりとも血が出ていないアンバランスさ。
「姉貴はあっしの命の恩人。あっしは姉貴の弟分でがす」
「……なぁんだ、そうか。それは失礼したね。やっぱりトウカの魔性の封印は力に限って失敗してたのかな……」
「それは無いです。ずっと見てましたから」
魔性が何たるかはよく分からないけど、違うのはわかる。力の封印とかそういうレベルじゃない。僕は知ってるから、あの鍛錬量を。力だけを見れば人外じみてると思うかもしれない。でも、あれは身についていたものじゃなくて必死で掴んだものだから。
あんな無茶苦茶な鍛錬でよく背が伸びて、体をよく壊さなかったなぁ、とは思うんだけどね。今までは鍛えすぎてトウカは小柄な僕よりも小さいんだと思ってたんだけど、そうじゃなくって。女性としては普通だと思うから。ってことはあんな鍛え方をしても成長に影響がなかったってことだよね?
「見ていた?」
「僕がトウカと出会ったのは八つの時です。そのとき既に彼女は無敵の剣士でした。……でも、今みたいに地面を踏み砕けた訳じゃなかったです。あのころは…僕より少し力が強いぐらいでした。見ているだけで眩暈のするほどの鍛錬量で身につけた技量、ほぼそれだけで戦っていたと今ならわかります」
「……」
「是非ともトウカと腕相撲でもして実感してください。才能とか、生まれながらとか、それほどまでにトウカに似合わない言葉もないですよ」
生まれながらの上流家庭で、貴族で、騎士となるべく生まれたと思っていた親友は、そうじゃなくて。自分と同じように拾われ子、そして地位を確立できたのは誰よりも見てきた鍛錬によるもの。
いまでこそなにかのネジが吹っ飛んだように甘いものを食べたり、休みの日には昼寝してたりするけれど、僕らの日常だった十年の間にそういうことをしている姿はまったく見てこなかったから。
僕が近衛兵の訓練で疲れ切ってベッドの住人になってた時も鍛錬して、僕が寝癖をつけながら井戸に向かっている時間にはとっくに起きてて、仮眠を羨みながらも背筋を伸ばしていた姿は彼女のひたすらの努力の賜物なんだから。
それを、実の父親が否定するなんて一番悲しいことのように思えて……僕は。腕相撲、なんて、トロデーンでの、そして主に近衛兵での禁句を言ってしまっていた。ううん、多分トロデーン兵での禁句。入隊した子に僕が一人一人とっ捕まえてこんこんと言わないように訴える言葉。
「腕相撲……」
ククールの背後から顔を出したトウカは目をらんらんと輝かせた。
あぁ、そういえば。僕たちが禁句にしたせいで、トウカはもうみんなに腕相撲を持ちかけられなくて燻ってたんじゃなかったっけ。僕? 断るに決まってるじゃないか。たとえ力の種を食べまくってこれ以上力が上がらないって確信してても挑むわけないでしょ! 向こうは力の使い方っていうのを熟知した腕相撲のプロ、腕をへし折るスペシャリストだから!
「腕相撲しましょう、