「ぶ、ぶれいものー」
「……何やってんだあれ?」
「貴族らしく行動して、権力を使う時にあたしたちと他人のフリする鍛錬らしいわよ」
なぁ、あの寸劇っぽいやつなかなか可愛くないか。何故エルトは俺と代わってくれないんだ?
「貴族が嫌いだとかアスカンタ辺りで言ってたから……とかかしら?」
「……」
「あと多分あれ遊んでるだけよね」
「それはそうだよな……」
「ぶれいもの! ボ、ボクを誰だと思ってるんだ!」
「チャゴス王子の真似がっ……上手すぎっ……」
エルトと戯れているだけだな、確かに。そもそも住んでいる大陸が違う俺ですら名前を知っている貴族の嫡子が本物の威圧を学ばずに本物の殺気だけ覚えてきたわけがない。
それであんなどこぞの国の大臣の息子のようなことになるはずがない。
……なぁゼシカ。あんなことよりも普通に剣抜いて脅した方が怖いと思わないか?
「それじゃあ法皇の館ではつまみ出されかねないって言ってたわよ」
「なるほど……」
エルトの爆笑がひとしきり終わったところでトウカは咳払いをした。
何かと思えば俺たちの方に向き直り、垂直に頭を下げた。待て、待て、マイハニー。貴族として威圧するとかいう前提がそもそもおかしい行動だろそれ。
「今から私は、君たちを侮辱するようなものだから、先に謝らせて。すべて私の本意ではなく、すべて演技だとしても、そしてそれが必要でも」
「トウカ、そもそも僕達とそこまでフランクに接してくれている時点でもういいんだからさ……」
「……無礼者!」
遠巻きに魔物や人間の子供やらがトウカとエルトの様子を寸劇でも見るように楽しんでいたようだったが、すべて蜘蛛の子を散らすかのようにいなくなった。
声が鋭い。俺よりも頭一つ分くらい小さいはずのトウカが果てしなく大きく見えた。戦闘時のように。
いつも笑顔を浮かべる顔には表情が……ない、訳ではなかったが。浮かんでいるのは怒り、嘲り。そうとしか捉えられないものが、似つかぬ表情が上っ面は上品に整えられた軽薄な笑みにのせられていて心臓が掴まれるようだ。
あの目でもし、見られているのがエルトでなく俺ならば。……流石に可愛らしいとは言い難い。心に傷を負いかねない。
目は、演技だと分かっていても心底こちらを蔑んでいるようで、自分の胸に当てられた手は少しばかりこちらが形無しになるような気障な仕草というよりは自分の存在を知らしめるためにわざわざふんぞり返っているように見えた。
だというのにだ、エルトの顔にはそれでも常日頃から浮かんでいる微笑みが絶やされなかった。
「このボクを誰と心得ている? 君……所属を申してみよ」
「……申し訳ございません。ぼ……私は、トロデーン王国近衛兵三番隊、エルトと申します」
こんな圧がかかっているってのにエルトの肩が震えている。笑いをこらえるなよ。どこがツボに入ったっていうんだか……。ノリがわからない。お陰で怖くもなんともないが。
「立場を弁えよ。一度の無礼を許す寛大なわた……ボクで……よかっ……ぐふっ……あっははは!」
トウカもか……。
「いや無理! 本当にごめんね! いざとなったらやってのけて見せるけど、練習は無理だねこれ! ……っくく」
「ほんとに記憶の限りずっと知ってる相手に誰と心得る? は反則でしょ」
「そうだね、本当にね!」
バンバンエルトの背中を叩きながら笑う様子に思わずベホイミを唱えかけたがエルトは無事らしい。絶妙な力加減ってやつか……。
まぁ後であざを治してくれと言われたわけだが。
「……大丈夫だと思う?」
「大丈夫だろ……」
「ライティアいるよねあの家」
「いるな」
「彼女無事かなぁ」
「そっちかよ」
ククールは楽観的すぎる。あの時のトウカはテンションが振り切れてたけど、今のトウカはもう少し落ち着きがあるというか、ちゃんと物を見ている。でも本人は変わってないから要らないと思ったら斬り捨てかねないと思ったんだけど。
「時間も無いし騒ぎを起こしやしないだろ」
「そうだといいけど」
僕たちは空からレオパルドを追う、そして多分法皇の館に乗り込む。トウカはその前に権力にものを言わせて正攻法で館に入り、僕たちに何かあった時には無理やり釈放させる……とか。
上手くいくのか、僕には貴族のパワーバランスってものが分からないからよく分からないけれど。とりあえず信じていようと思う。
トウカは結局ちゃんとした練習をしなかった。やり掛けたけど、情のある温度のないように演じていたのに、ふっと釣り上げた目が緩んで、笑っているみたいになったから僕もそれに従っちゃった。
多分、使わないでいられるならばその方がよくて、一面を見せなくていいならば見せたくないんだと思う。
僕はまぁ……付き合いの長さ故に見たことあるんだけど、ね?もちろん向いたのは僕にじゃあ、なかったけれど。
とはいえそれすらも、僕は大衆の中にたまたま居ただけで、トウカが度重なる暗殺の差し向けに嫌気が差して、とうとう返り討ちにするだけじゃなく見せしめをした、そんな時に出くわしただけなのだけど。
トロデーンは平和な国だ。戦争なんてない。でも、人がみんな善良な訳では無いし、貴族同士のドロドロは普通にあるらしい。トウカは養子だった。それはまぁ、知ろうと思えば誰でも知れた。
なんでだからって暗殺者まで差し向けられたかなんて、僕みたいな平民には分からないけれど。杭に縛り付けられた咎人の首を無造作に横一文字にはねたトウカの静かな目と、大声じゃあなかったけれど、吐き捨てるように言っていた「不敬者」という言葉は焼き付くように覚えてる。
不敬者の頭をぐしゃりと踏み砕き、血の飛んだマントを翻して屋敷へ戻っていく後ろ姿と、点々と続いていた足跡。
次の日になって、僕のところに飛び込んで来たトウカはなんとなくビクビクしていたものだけど、それが「人を殺した」ことに対してじゃなくて、僕に嫌われていないか心配だっただなんて、どこかズレたところがあったなぁ。
ていうかアレに関してはわざわざ許可までとってたらしいし、私刑じゃなく死刑だったんだろうな。僕にとってはそこそこ身近に、不敬にも感じてしまう王侯貴族が支配する側の人間なんだととても僕に刻まれた日。
ククールは、トウカのことを幸せにしたいと思っていて、それを全力を持って叶えようとするだろうけれど、とりあえず普段はにこにこ笑顔で積極的に戦闘狂って一面をくらいしか知っていないのは不安だなぁ。
パルミドで少しは見たと思うけれど、彼……違った、彼女は手を汚すことに少しの躊躇すらない。きっと、思っているよりもずっと。
それでも僕は確信めいたことがあるから心配ってほどじゃないけどね。ククールの折れなさは本当で、トウカの懐へ入れた人物への優しさは本物だから。そしてよくお似合いだから、だ。
さっき久しぶりに見た動きにくそうな方のトウカの正装、まともに戦えないから嫌いらしい腰に差した純銀のレイピアの姿を思い浮かべ、嫌な予感が予感だけで済みますようにとどこかに祈りを捧げた。
武器をいつでも取り出せるってったって、すぐに抜ける武器がトウカの一撃にも耐えられない脆さって自体でもう不安だ。
もし、あの館の中でトウカがレオパルドと対峙したら……あの家での、胸を刺されて目覚めない時の再来にならないか、それがとても心配だった。
……あぁ見える、レオパルドが館へ向かうのが。トウカは先についているかな。でももう、待てないね。
行こう。