館のガラスが盛大な音を立てて割れた。降り注ぐ破片が僕の頬を掠め、チリチリとした痛みが走る。現れた、背中に翼を生やし、杖をくわえた、異形と言ってもいいくらい原型から形が変わったレオパルドが、不気味に笑った。
反射的に槍を抜き払って警戒したけれど、どうやら目の前に最後の賢者の末裔がいるのに最初から僕たちから排除する気満々のよう。
法皇様の方を見向きもせずに、僕にむかって突進して来た。もちろん、警戒していたおかげでかわしたものの、館全体が軋むくらいの勢いのまま壁に激突されて……この場で戦っていたら生き埋めになるんじゃないかと不安になった。
……気のせいかな、聞き覚えのある声が衝撃で引き裂かれた扉の向こうから聞こえるのは。今トウカが飛び込んできちゃダメだと思うんだけど。
この場は、僕たちだけで乗り切るって決めたじゃないか。
おやめ下さいとか危険ですとか、トウカにかけるのに相応しいようで相応しくない言葉も聞こえてくるから……トウカの潜入というか、堂々たる乗り込みは成功しているようだけど。いや、乗り込みっていうのも、正規の手順を踏んでるならおかしいか。訪問っていえばいいのかな?
トウカのいない僕たちの戦闘は、ククールのいない戦闘よりは、実は楽だ。ククール以外は。僕とヤンガスが前衛に立つ、ゼシカとククールが後衛。それ以上でもそれ以下でもなく、強敵を相手にしなければククールも剣を取って戦うと思う。
単純に一人少ないから攻め手が足りなくて戦闘が長引いて、ククールの喉に打撃が与えられるってことが問題じゃなきゃね。
せめて僕が、自分にだけでもククール並みの速度の回復ができたら良かったんだけど。
見るからに鋭い牙に掛からないように、でも強靭な尻尾に打たれてしまわないように。部屋が無事では済まなかった強力なブレスにもなるべくかからないように。なんて、間違っても戦闘に適している訳では無い部屋の中じゃ考えたって考えたってどうしようもないことだけど。
でも暴れにくいのは向こうも同じだ。どこかの誰かさんならやりかねない、壁をうっかりぶち抜いて屋敷を倒壊、なんてことは流石にしてこないから。
ゼシカが室内で炎や爆発の魔法を唱えるわけにもいかずにサポートとしてかけてくれるフバーハのお陰で僕達は着実にレオパルドに畳み掛けることには成功していた。
問題は、そっちじゃなくて。
扉が引き裂かれたお陰ですっかり筒抜けの気配の方だ。
僕達、立場危ういんじゃない? とかいうレベルを超えてるくらい、武装した聖堂騎士のみなさんが集結していて、それならレオパルドは任せたい。
任せるわけにはいかないけれど! 杖を取り返さなきゃいけないのに、他に気を取られてちゃいけないや。
地獄の雷を呼び寄せる僕が、同時にベホマを操る規格外のククールが、補助に回っていたとはいえ必要に応じて威力控えめの攻撃魔法を的確に唱えるゼシカが、床をぶち破らない絶妙な力加減で兜割りや蒼天魔斬を繰り出すヤンガスが、どうにも集結していたみなさんに恐怖を与えていたなんて僕は知りもしなかった。
きっとこの場に跳び回りながらレオパルドの体を切り刻むトウカがいたら僕らなんて目立たなかっただろうに。いや……どうだろう。運命はあまり僕らに味方してくれないから、それでもやっぱり捕まってたかも。
「……叔父上、『これ』はいったいどういうことでしょう」
「賊の侵入があったようでね、危険すぎて突入出来ないが、出来次第すぐ法皇様を救出する作戦らしい」
「……」
分かりきったことでも聞くふりくらいはしておかないと、至近距離にいるマルチェロの目はごまかせないと思う。というか誤魔化されてくれるかは疑問だ。
私のことをモノトリアの嫡子だと分かっていて、尚且つおそらく、剣士の方とも結びつけて考えられる彼は、とてもとても私のことが邪魔で仕方ないだろうに権力というものに阻まれてかつてのように牢屋にぶち込むなんて到底無理で目付きが鋭くなっている。
ていうか無実の人間を軽率に牢屋に放り込むのはよして欲しいんだけど、悪い噂は彼の行動の証明になっているくらいだよ。噂といえど、そんなに黒い噂ばかりだといくら権威に弱く、頭も結構弱い貴族なんかを騙せても民衆までは騙せないだろうに、ねぇ?
まぁ、……エルトたちは私がかばってももう無駄だってくらいなんだけど……。当初の作戦は既に失敗していて、私のやることは未然に防ぐことから無理やり釈放する方へ頭を切り替えて考えてるよ。
ククールを見た瞬間にもうマルチェロの頭の中は確定していて、それをどうこうするのはまぁ嫌味を言われて終わりってわかってるし……。ここは、トロデーンじゃないからね。トロデーンの中でなら、いかに教会の勢力であると言っても陛下や姫、父上や母上以外が私の言葉を曲げることは不可能、というのが客観的かつ絶対的な事実なんだけど。
残念なことにここは教会勢力の本拠地だ。
私にあるのは自分と叔父上の身の安全くらいだろうか。私がもし、不自然なことなくあの戦闘の流れ玉にでもあったら、多少無茶が効く気がするけど。
だって他国の、有力貴族の、嫡子が自分たちの不注意で賊を招いて怪我をさせるってことなんだから。
……いやまて、それ使えるね?
流れ玉……流石に、事前に何も言わずして、私のことを一発殺す気で攻撃してほしいだなんて分からないだろうけど、偶然を装えば可能? 無理かな?
なんてことしてくれる、こいつらの処分はこちらに任させてもらう! みたいな事がしたいんだけど。
ていうか、マルチェロのやる気がもうククールへのヘイトと権力への渇望でいっそやばい。なのに冷静なんだよね。私は正直脳みそまで筋肉のタイプな人間だから出し抜くなんて無理なんだけど……なんとかなるといいな。いや、なんとかしてみせる。
とりあえず私は無表情を心がけながら、つまらなそうにそのあたりを眺めることにした。危険ですので動かないように、だなんて私が変な行動しないように見張りたいだけでしょうに。
私の装備している純銀のお飾りのお陰でマルチェロ以外は私のことをただの世間知らずで、こんな事態に巻き込まれただけの不幸な貴族の少年だと思ってくれているみたいだけど。
「ボクは『正規の手段をふんで』謁見に来たのだけど、どのくらいでこの騒ぎを終結させるつもりで、騎士団長殿?」
「……申し訳ございません」
「君のことを、敏腕であると聞いていたのだけどね。これは後で報告させてもらう。叔父上、帰ったら手紙の準備を頼みます」
私と叔父上の関係を注意深く見定めようとしていたらしいマルチェロは、丁寧な口調と裏腹に雑用を申し付けるなんていう行動に合点がいったらしい。
もっと分かってもらわないと。いくらこの行動が嫌でもね。私がどんな立場なのか。私の機嫌を損ねたら、貴族社会にどんな影響を与えるのか。
古い貴族は古いだけ意味を持っている。古代人から続くこの血の意味を理解してもらって、それで私のわがままを叶えてもらいたい……けどそれは無理そうだけどさ。
別に当てつけじゃないさ。正妻の血を引くククールと、妾の子のマルチェロの関係については、知ってるけれど。
レオパルドを撃退して静かになった部屋に突入していく騎士たち。確保された私の仲間たち。
マルチェロの監獄島への引導まで黙って部屋の外で聞いておいて、私は止める騎士の声を無視して、叔父上を伴って部屋に足を踏み入れた。
足取りはゆっくりと。小柄な体をできる限り大きく見せて。威圧感を意識して、でも私は少々苦手なので殺気を混ぜて誤魔化したりする。向けている相手?そんなのマルチェロの方に決まってる。でも顔は笑顔で。
反面、冷たい表情を向けるのはエルトたちの方へ。
「この者達が
「えぇ。捕らえたとはいえ危険ですので御身はお近づきになりませんよう」
「少々武術には心得があってね。気遣いはいらないよ」
「それはそれは……」
まぁ簡単に曲がるレイピアでこの四人を相手取るなんて無茶なんだけど。ククールを沈めなきゃ永遠に回復できるようなものじゃないか。アイテムが尽きる前にこっちの体力が尽きるよ。
「例の島へこの者達を? そう聞きましたけど、叔父上はそうお聞きになりました?」
「間違いなく」
「ふぅん、そっか、まぁ、この場をこんなにめちゃくちゃにして、私の謁見もどうやら日を改めなければならないみたいだし、妥当かな……ところで、刑期は? まさか無期だなんて言わないよね?」
「……」
「ボクは気に入ったんだ。こんな逸材他にはいまい? ボクは待つよ、
私はじっとエルトの目を見た。意味を図りかねているらしい困惑した顔に向かって笑いかけちゃいけないなんて、作戦を考えた馬鹿は随分の馬鹿らしい。私なんだけど。
「早く手に入るならそれに越したことは無いのだけどね。ねぇ叔父上。ボクは彼らが気に入ったのです。お願いは聞いてくれますよね?」
「しかし、閣下」
「聞いてくれるよね?」
「もちろんですとも」
まぁここは打ち合わせ通りなんだけど。何かわがままを言ったら一回は引いてもらって、二回目にはおされたように頷いてもらう。
さて、あてがってもらった部屋に戻ったら、次を考えなくちゃ。マルチェロのことだから、こんな会話を目にして何もしないはずがない。逆に言えば、「正規の手段で」何かをすることには警戒するはず。
え、私の狙い? 脱獄幇助だけど。
「……あまり、私は、防戦は得意じゃなくってさぁ……」
叔父上は無事らしい。私が突き飛ばして、浮遊する石の向こうに行ったから、きっと、ヴェーヴィットの屋敷に戻ってなんとかしてくれる。
剣がない。だからどうした?私には拳があるじゃないか。靴は軽く、いつもみたいに蹴り抜くのとはできないけれど、逆に言えば、飛び回るみたいに動き回ることだってできる。
でも、私は魔法に弱くって。それはきっと少し調べたらわかること。できる限りの弱体呪文を仕掛けたられた部屋にまんまと入った私には、残念ながら逃げるしかない。
見くびっていた、あぁ見くびっていた。マルチェロという男を。権力に取り憑かれたらしい男を。
私はきっと愚かでさ、この手にある力はなんだって使いこなせると思ってた。
でも違う。私に使えるのはこの手にある力だけ。権力なんて所詮は借り物。私のものじゃあないんだよ。
ご丁寧に、魔法が使えないことをご存知のはずなのに皮肉のマホトーンまでかけられて。あぁ、かけられなかったら操れもしない魔法を無理やり発動させて逃げられたかもしれないのに。
私は重い体を動かして戦った。でももろい剣はとっくにダメになった。重い体を、弱い体を、そのまま叩きつけてくださったあんちきしょうの顔を睨みつけて。
私はなすすべもなく。