牢獄にて。案外気楽に元気してるよ。兄に牢屋にぶち込まれたククールの容態? それよりもククールの心をえぐる事態があったからそっちは気にしてないんじゃないかな……。
事態? トウカは一度もククールの方を見なかったこと。
わかりやすくはなかったけれど、トウカの狙いくらいはみんなすぐにわかった。今すぐは僕達を何とかすることはできないけれど、待っててってことでしょ?
ククールも、分かってる。きっと。
分かってて、分かってるからこそわざわざわかりやすくトウカに向かってしかめっ面をして見せてたのに。そんな事しなくたっていいはずなのに。
うん、トウカは僕は見てたけど、ククールの方は興味が無いように見なかったんだ。ククールは、だから、ちょっと落ち込んだ。それだけ。ほんと、それだけ。
くだらないとか言わないであげてほしいけど僕は言うよ。ぽんこつなんじゃないかなって。何が? ククールの頭が。聞いたよ、恋愛には海千山千のククールって! まぁ見てた僕には分かるけどね、本命には弱いんでしょ! 知ってたさ。
監獄の中で、絶望したみたいな顔を一応しながらもトウカの手が伸びるのを待っているあいだもちょっと落ち込んでいた。
でも続報はなし、外の情報もなし、聞こえるのは一日に一度の見張りの交代の鎖の音、誰かの嘆きの声。それだけ。ここは島だから他に聞こえるとしたら波の音くらいだと思う。
さすがにトウカが僕らを見捨てるだなんて想像すらしない僕たちは、本当に気楽な気持ちで待っていた。ただ、何もしないで。何も出来なかったけれど。
壁になんとなく、時間の流れがわかるように一日ごとにガリガリと傷をつけるくらいがやったこと。他にもやっていた人がいるのか、壁には似たような傷があったけれど、どれも多いとは言い難い程度で止まっていたから、僕たちもそういう心境にすぐになってしまうのかな……。
そんな、特に代わり映えもせず暗くてじめじめしたある日。
島に新しい囚人がやってきた。全身薄汚れた布に包まれて、投げこまれたその人は、骨でも折れそうなひどい投げ込み方でもピクリともしなかったから、もしかしたら既に遺体なのかもしれないなと思った。その時は。
寝そべったまま動かない神父様が、せめて言葉だけでもと祈りの言葉を捧げ始めたのが、その人がまるで動かないまままる一日が過ぎてから。
その祈りの声を聞いていると突然、ぼんやりと座り込んでいたククールが、気の抜けたように神父の真似事をするから手伝えと言った。やることもないから気まぐれだと言わんばかりに。
僕もまったくもってやることが無かったし、その人のことは少し気になっていたから、埋葬をするにしても冥福を祈るにしても手伝うことには異論はなかった。だから緩慢に立ち上がって、その人をゆっくり抱き起こし、祈りの言葉を掛け始めたククールの少し後ろで見ていた。
「……哀れな子羊にも、救いあ……れ……」
とりあえず顔を見ようと優しくはあったけれど、少しぞんざいなククールの手が布を剥がしかけて、止まった。ククールはものすごい勢いで元通りに布を包み直すと、看守の目に触れにくい自分の定位置までその人を一人で運んだ。
決して足が引きずられることがないように、中の人間が、生きていたとしても苦痛にならないように。そう見て分かるくらい、丁寧で優しい動きだった。
僕は、間抜けにもそのことに疑問には思ったけれど、それを邪魔せず見守っていた。
なんとなく、マイエラでの知り合いだったのかな、と思っただけだった。
「……神よ、その試練へ私は挑みます。全知全能の神よ、トウカに再び生をお与えください……」
「トウカだって?」
「ザオリクッ!」
魔法を一切使えない場所なのに小声で詠唱していたのをいぶかしんで、聞き耳を立てていたら、そんな。信じられない。
ククールが顔の部分だけ布を剥がしていたから、僕もはっきりとその正体を見ることが出来た。
信じたくはない、苦悶の表情のまま事切れた親友の顔を。
詠唱自体は小声だったのに、血を吐くかのごとく唱えたザオリクは看守の耳にも届いたのか、無駄だと大声で笑われたけれど、そんなことは関係なかった。むしろ、バレたなら何も包み隠さず蘇生に挑める。
もちろん、この場所で魔法は発動しない。でも一番近くにいた僕には、ザオリクの瞬間、微かに灯った光が見えた。多分、この場所の魔封じの力より……トウカの魔法を増幅させる力の方が上だった。
それなら、糸口はある。
「ククール、トウカともっと密着して唱えたらいけるかもしれない」
「……」
「ヤンガス、ククールの背中に触れたらマホアゲルは成功するかな?」
「やってみるでがすよ」
ククールは地面に座り込むと、寝かしていたひどく優しい手つきでトウカをそっと抱き上げた。いつもの防具すら装備していないらしい。簡単に持ち上がった体に軽いな、と囁くように声を漏らした。
きっといつもが防具で重すぎるだけで決して筋肉量が少ないわけじゃないトウカは、軽いだなんて幻想なのだけど、本当に軽いならば、きっとそれは何かがあったはずで。
僕はもうこれ以上何も考えたくなかった。だから、ククールはいつもと比べて軽いと言ってるんだと思い込むことにした。
それから、ククールのマホトラやヤンガスのマホアゲルでククールに魔力を供給し始める日々が始まった。
最初こそ荷物に残っていた魔法の聖水とかが使えたのだけどそもそもそれらの供給元がトウカだったうえにあの手袋を手にいていないトウカから入手出来るはずもなく、魔力を回復させるために尽きたら眠ってできる限り回復させ、ククールが眠らないようだと物理のラリホーをかける日々になった。
……結果として、トウカはひと月ほどで蘇生した。ザオリクの最初の光から体の回復に少しずつ回ったらしくて、体に目立った損傷があるようには見えなかったのが幸いだった。
ただし、体中が筋肉痛やら疲労やら死後硬直やらのコンボでめちゃくちゃで、まともに動けないともごもごと言っていたので無理に喋らせずに寝かせておくことにした。
ここから出る目処が立たない以上、動いてバレるのもよくないし、寝ることで少しでも回復できるならそれはできるだけしていて欲しかったし、僕たちはこれ以上誰かを失うことが怖かった。
あのトウカが、看守が大いびきをかいているときにちょっと起き上がってみようとして……もちろん、周りには蘇生に失敗したくせに遺体が生きていると感じている酔狂なククールが立ち上がらせようとした、みたいな演技の上で……派手にすっ転んでしまいそうになって、慌てて支えた時に。
あれだけ鍛えた筋肉も、それから出る力強さもすべてなかったかのように軽い体をしていて、僕は自分の手の感覚を疑った。
ククールは自分の感覚が間違っていなかったことに気づくとその間、一生分じゃないかってくらい泣いた。情けない顔はトウカが全部隠してしまったから、僕たちは何も見ていないしもしかしたら泣いていないのかもしれない。
トウカの語ろうとしない、外での時間が、とてもとても重くて、本人に語らせるのも辛くて、悔しかった。
ただ、トウカは別に力が落ちたわけじゃないと、ショックを受ける僕たちを見て言って、手元にあった石を普通に粉々に砕いて見せた。
筋肉が落ちたのに戦闘力が落ちないのは何故。
ただ、体力がなくなったのは間違いないらしい。トウカは穏やかな寝息を立てながら、一日の大半を寝て過ごしていた。
全裸に布なんていう、到底許されざる格好だったらしいトウカにゼシカがいつか装備していた服を着せた。看守の方には蘇生が成功したのがバレたら不味いから、ククールは失敗して絶望したからもう気力がないんだと言わんばかりにトウカを片手に伸びていた。
要するに、ただの添い寝。ザオリク疲れを癒してほしい。トウカはゼシカに服を着せられる時に死体のフリをしていてほしいと言われて納得したように頷いていたけどククールの横だとは聞いていないと抗議の目線を送っていた。
ククールの献身に感謝してそこにいてほしい。
相変わらず情報の一つも手に入らない日々は続いていて、トウカにしては口が重いなと思っていたけどとうとう話したくないだろう外のことを聞いてみるとびっくりした。
死んでる時間が長いと記憶が飛ぶわけ?三角谷で僕たちと寸劇していた頃くらいからしか記憶が無いって?そんな状態でよくここにいることに違和感もなく、普通に受け入れたね?
「……予想、してたから。まさか本当になるなんて、思わなかった、けど」
「……そっか」
「叔父上、無事だと、良いけど。自責の念で罰してなきゃ、良いけど……」
まだまだ喋りにくそうなトウカは、それだけ言って目を閉じてしまった。力を蓄えて、トウカがもし銀髪になって牢を引き裂けるようなら看守を襲って脱獄、駄目そうならまた考える……という計画にしても杜撰な計画はなかなか実行に移せそうにないね……。
知人の遺体が痛んでいっても気にせずに仲間の輪に加えてどんよりとしている僕たち……だと思われている今、牢屋の中でも外でも僕たちの方を向く人間はいなくて。
誰が喋ってようと内容もあまり聞かれているような様子はないって思っていたから、僕たちはそこだけは気楽な気持ちでゆっくりと脱獄計画を練っていた。
ただ、騙しているようで申し訳ないのだけれど、神父様がククールの憔悴……に見せかけた単なるザオリク疲れを見ていられないと言わんばかりに目を伏せているのは誤解なんだ。
怪しまれないようにって、起きた時に寝相かなにかで位置がズレてたら嬉しそうに直しているけどそれもだいぶ、サイコで哀れな人間に見える、と確かに思う。
それでいくら想い人だからって、ククールがわりと紳士的だからって、死体のフリをしなきゃならないからって、ここがじめじめ寒いからって。死んでいた時の布を服の上から巻いてもらってそのまま静かに睡眠を平気で続ける貴族令嬢はすっごく図太いと思う。せめて布は変えた方がいいと思ったけれど、別に気にしていないらしい。
僕は……あまり眠れない。
外のこと、トウカのこと、杖のこと、落ち込んでいないようだけど、そんなはずはないククールのこと。全部ぐちゃぐちゃになって、僕の脳裏をよぎる。
陛下のこと、姫のこと。忠義の塊みたいなトウカが一言も口に出さないのは何故?
ただ、ただ、トウカの手を握っても、冷たくって、握り返さない日々に比べたら。幼い日々のように……握った手を握り返してくれるんだから、まだまだ僕は大丈夫だ。
僕の隣で黙って座っているヤンガスも、ゼシカも。きっと似たようなことを考えている、と思う。