「兄上は、父上と母上に会ったら初めになんて言う?」
「はじめまして、かなぁ」
「……兄上は私より年上で、十九なのに」
「そうだね、トウカ。生きてたらね、生まれてたらね」
「体はないけどずっと見ててくれたんじゃない。それって生きてるようなものじゃないの?」
半透明の姿をした兄上は、仲間たちにやってみせたように私以外にも姿を見せよう、声を聞かせようと思えばできるらしい。だけど、そうする必要も無いならただ私が大きな独り言を垂れ流してるみたいになっている。
別に、私と兄上が話すだけなのに周りに聞かせたってしょうがない。兄上にどっちがいいかって言ったらどっちでもいいって言うんだもの。ここは陛下に石を投げるくらい、人ならざるものを嫌うみたいだし……トラペッタの……マスター・ライラスの家だったところで独り言してても、それならむしろかかわってこないんじゃない?
幽霊と喋る人間と、独り言が大きい人間だったら多分、後者なら放置じゃないかな。げんに、私のことを街ゆく人々は見ないフリしている。
今、私たちは他のみんなとは別れて行動している。レティスが集めるように言ったオーブの数はひとつじゃなくて、でもやまびこの笛はひとつだ。初めの一つ二つは笛を吹いていたけど、三つ目でみんな法則に気づいたわけ。
オーブは、七賢者の亡くなった場所にあるんだって。
気づいた時点でゼシカをリーザスの塔に割り当てて、私たちは適当に別れた。五人いて、残り四つなのに別れるのは変だけど、単にエルトが陛下と姫の護衛をしてるだけの話。三角谷は安全だろうけど一応ね。
私だけ二人だけどね。兄上と一緒。
兄上はふわふわと宙に浮いて、私の作業をにこにこと見守っている。彼をこの世につなぎとめているのは世界地図で、動力は私の魔力。兄上は、父さんがモノトリアに課した契約をまるっとのっとって死人の自分を現世につなぎとめているらしい。
魔法のことは……まだよくわからないけど、兄上がすごいのは分かった。父上と母上にちゃんとあいさつするまでは……私だけが兄上に会ったなんて不公平じゃないか……何が何でもこの世にいてくれるって約束してくれたから、安心してる。兄上は、少なくとも現世にいるのは嫌じゃないみたい。
うぬぼれじゃなければ、私が慕っているのと同じくらい、血のつながらない妹のことを可愛く思ってくれているみたい。うれしくて、ちょっと私は浮かれちゃいそうだけど、当然それどころではないので冷静にならないと。ということでオーブ探しに没頭。
火事のせいで崩れたマスター・ライラスの家の跡の瓦礫をひょいひょい動かして探し回る。
「あ、光ってる……」
瓦礫を何度かひっくり返して、しばらく。ようやく何やら光るものを見つけて私は手を伸ばした。片手に瓦礫を持ち上げ、片手に光るものが飛んでくる。
今度は窓ガラスの破片じゃないといいけど。
未だに完璧に制御出来ない魔力は私の意思のままに動き、飛び込むように「それ」は手に納まった。ガラスなら危ないけど、手袋はしてるし、なにより、今回は本物だったし問題ないね。
ピカピカ光るそれは、マスター・ライラスの魂のようなもの。賢者の願い、尊き想い。オーブ、パープルだ。
「これが、暗黒神の結界を解く鍵になるんだよね……」
「そうだね、トウカ。考えてるんだろう、父君のことを」
「……普通に殴りあってたから」
「あれはね、二人とも互いを殺せないからだよ。そういう誓いをたててるんだよ。だから結界は無意味で、彼は徒労してるだけさ。時間稼ぎと言ったら耳障りもいいかな」
「そうなんだ……」
瓦礫をなるべく静かにおろしたけど、ガシャンと大きな音がたってちょっと崩れてしまった。隣の敷地には飛び出してないし、暗黒神が本気になって世界を滅ぼしたら瓦礫が崩れたどころの騒ぎじゃなくなるから許して欲しい。
さて、急いで戻らなきゃ。探すのにちょっとかかっちゃったから。ほかのみんなはもう見つけてる気がしてならないよ。多分……今日オーブを集めて今日挑むってわけじゃなくて、どんなに早くても戦いは明日になるだろうけど、ね。準備も心構えもまだまだ不十分。
父さんが時間稼ぎしてくれてるんなら、乗っかってもいいんじゃない?
何となく空を見る。目は悪くないけどよくもないし、ずっと片目で生活していた私が今更見えない目が見えても、これまで視力どころの騒ぎじゃなかった。だから、ラプソーンとアーノルドの戦いなんて見えない。
別に酷くはしない、と信用ならないような信用できるようなことを言っていた彼は、今現在、ラプソーンが世界征服か世界滅亡を企てる暇がないように戯れている。
その晩、三角谷に泊まることになったのは、陛下と姫が落ち着いて、清潔な空間でお過ごしになることができるから。それだけのことで、それを叶えることができるのがここだけというのが悲しかった。だけども、もうそんな生活も終わる。
古き歴史ある、あの城でお過ごしになる日々に戻るのだ。王族としての責務を果たされるのはきっととても重圧で、でもおふたりはその日々に戻ることと、民を元に戻すことの方を望まれる。
私だってそうだ。父上も、母上も、エルト以外の知り合いも、私が幼いときから世話になってきた使用人たちも、きっと冷たい茨の中で待っているのだから。
私の生まれがわかっても、私のふるさとはトロデーンだ。たましいこそ異界の女の子を借りていたけど、他ならぬトウカ=モノトリアはあそこで育ったんだ。
剣を研ぐ。いつもの大剣を、腰にさす双剣を、手袋に入れておく予備の剣をたくさん。いくらあったっていい。無駄になればいい。本来の得物が使えなくなるなんて嫌だもの。だけど憂いはない方がいい。
明日、戦うのだ。何も無ければ、何事もなければ。みなのコンディションが良ければ、憂いがなければ。後悔がないなら、……死の覚悟ができたら。
私は、生きて帰りたい。もちろんそうだよ、私は今ひとりじゃない。兄上をつなぎとめているのは私なんだから。
エルトの友として、こらからも生きていきたい。ヤンガスが平穏な生活を叶えるのが見たい。ゼシカが悲願を叶える日を迎えなくてはならない。そして、私はククールの手を取りたいんだ。
誰よりも綺麗な人、私がその隣に立つなんて気後れしちゃう。だけど、私は願ってしまったのだ。女らしいところなんて剣の腕と引き換えにすっかりなくなっていたと思ったけれど、そうじゃなかったんだ。
ひたむきな愛に応えたい。みんなと笑いあっていたい。
気配を感じて振り返る。やっぱり月明かりに照らされた銀の髪がきらきらしていてとても綺麗。私の銀の髪もあんなふうならよかったのに。ただ白いばかりで、羨ましい。
美醜なんてどうでもよかったのに、私は、今更綺麗であれたらよかったのにと願いながら、武器を研ぐ。
可愛らしさなんてものより、命屠る刃物を。願いとは違う、現実だけがある。
戦うのは好き、心が踊るから。なのにどうして……ほかのことが気になるのだろう。背負うものが多いからか、私が愛を……理解した、からなのかな。
それとも、なんだろう。なんだろうね。
「トウカ」
「ククール、眠らないの」
アイスブルーの目。ロマンティックな王子様のように、君は綺麗だ。
自分はどうしようもなく、小さくて、頼りない腕をした小娘なんだと自覚して、少し縮こまる。
外見のように頼りないのならよかったのに、本当に頼りないのなら、よかったのに。
護りたくなる女の子。それなら可愛げもあったのに。
私はいつだってまもりたかった。今だってそう。なのにどうして悔いているのか。護れることは素晴らしいのにね。
私の腕は魔物を屠れる。護りたくなる女の子には、そんなことできやしない。
「もう寝るさ。ひとつだけ、頼みがあってきただけだからな」
「なんだい、それ」
「……俺が何としてでも、トウカを生かす。だから、命を賭さないでくれないか」
「全部みんなに預けるよ」
「あぁ、俺もだ」
「命を賭けない戦いなんて、出来ないよ」
「知ってる」
「知ってて頼みに来たの?」
君は、あぁ、頷いた。
私はできるだけ笑って応えようとして、やめた。
「私は、あいつの心臓と私の心臓を選ぶなら、あいつの心臓を抉り出して死ぬ」
私は剣士だ。剣士トウカだ。戦いを終えるまでは、ただのトウカではないのだ。私欲は許されない。許さない。私が。
「約束だけして欲しい」
「……」
「命を賭さない、と」
「……わかったよ、ククール。私は命懸けの戦いなんてしない」
剣を離した。立ち上がった。
私は手を伸ばして、ククールの頬に触れた。冷たくて、なめらかな頬を。
「生きて帰ろうね、みんなで」
「夢を見たんだけど、ねぇ」
「私も見た」
「もうその話は寝ぼけたエルトが寝癖直しに井戸に飛び込む前にしたぜ」
覚悟も決意もしたというのに、全員がみた不思議な夢が私たちの行先を変えた。
それは福音なのかもしれない、と。エルトは少し、焦っている気さえした。
勝利を磐石にするために。私たちは懸念を潰しにいくことになったのだった。なにしろエルトが落ち着いているなんてものじゃあないんだもの。
ラプソーンを放置してもいいのか? というと、のんびりと朝食を食べに来た父さん曰くしばらく大丈夫だと。
互いに決定打がない戦いは、奴が世界を滅ぼす力を削ぐくらいはあるらしい。消耗も特に見られない。向こうもなんだろうけど。今日もそのあと行ってくる、と。ラプは愛する家族と朝食をとっている俺とは違ってひとりぼっちで飯も食ってないのさとこともなげに言う。
気にせずにいってらっしゃい、と実に軽い言葉を背に、私たちは神鳥の姿で舞い上がった。
竜のような紋章のあるあの場所へ。