⦅未完⦆【祝・可愛い賞】ゴミ山の上の極彩&三島由紀夫とコンソメ味の恋をしたら、世界が404エラーになった件 作:夏目陽光
『八本脚の青い天文学』
(宮沢賢治リテイク版)
そのタランチュラは、自分の名前が「サトウ」であることを、どこか遠い異国の、間違って届いた郵便物のように受け取っていました。
飼い主の大学生が、期限の切れたレポートという名の「灰色の雪」に埋もれながら、「サトウ、お前はいいよな。社会保険料という名の冷たい風に吹かれることもないんだから」と、誰にともなく零すたびに、サトウは青いガラスのような眼を、しんとしずめて思うのでした。
「君だって、八本の脚を、夜の星座を編むように正確に動かして、一度も銀河の糸を絡ませずに歩くという、あの『水晶の歩行』を要求されたなら、レポートを書く方がよっぽど温かい仕事だと知るはずだよ」
サトウの冒険は、飼育ケースの蓋が、まるでやる気のない役人の吐息のように、数ミリだけ「虚無」へ開いていたことから始まりました。彼は廊下へ出ました。漂う埃の群れは、不祥事のあとに配られる、中身のないパンフレットの文字のように白く、そして卑怯に光っていました。
途中で、一匹のハエに出会いました。ハエは壁のシミを、熱心に望遠鏡で覗くように見つめながら、妙に理屈っぽい羽音を立てていました。
「俺はね、天井のシミを数えるのに飽きたんだ。次の人生は、あの大学生のスマホの画面になりたい。そうすれば、彼は一日に何百回も、必死になって僕の顔を見るだろう?」
「光を放つだけの氷の板になるのは、想像以上に孤独だと思うよ」とサトウは、星の欠片のような声で忠告しました。
数分後、そのハエが、焦燥に駆られた大学生のノートによって、望み通りスマホの画面に(物理的な肉片という名の押し花として)張り付くことになるのを、サトウはまだ知りませんでした。
サトウは冷蔵庫の裏を目指しました。人類が一度も雑巾がけをしていない、銀河で最後の「未踏のフロンティア」です。
道中、昨日まで大学生が「聖剣」と呼んで振り回していたフランスパンが、部屋の隅に転がっているのを見かけました。それはもはや、かつて小麦だった記憶を凍結し、ただの凶器として、硬い石灰岩の彫刻と化していました。
冷蔵庫の裏に辿り着くと、そこには一匹の、背中が錆びた青銅のような色をした老兵がいました。
「若いの、大学生の様子はどうだ」
「相変わらずですよ。公園のベンチでスライムを撫でていた女の子に、救済という名の甘い酸素を求めていたくせに、部屋に戻ればフランスパンで自分の頭を叩きながら、実体のない言葉の泥をこねくり回していました」
老兵は、触角を複雑な幾何学模様の星座のように動かして笑いました。
「救済か。悪くない言葉だ。だがな、見ろよ」
老兵が示した先には、いつか大学生が落とした銀色のスプーンが、暗闇の中で鈍く、しかし確かに「月光の残滓」を反射していました。
「あいつにとってはゴミ溜めでも、俺たちにとっては巨大な銀河のモニュメントだ。世界なんてものは、角度を変える必要さえない。ただそこに、八本の脚をつけて立っていればいいんだ」
翌朝、大学生は奇跡的にレポートを書き終えていました。
「ああ、死ぬかと思った。俺の人生、まだゴミ溜めじゃなかったわ」
彼はあくびをしながら、飼育ケースの中で、いつもより丁寧に一本ずつ、祈るように脚を畳んでいるサトウを見ました。
「おいサトウ。お前、昨日より少しだけ、自分の居場所を納得したような面してないか?」
サトウは答えません。
ただ、不運なハエの願いを叶えてしまったスマホが、机の上で意味もなく震えだすのを眺めながら、自分の脚が、自分の意志だけで「水晶の歩行」を続けていることの、ささやかな優越に浸っていました。