廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい 作:糸守ものち
【ミネルバ視点】
街が、少しざわついていた。
ミネルバはいつもの酒場で昼食を取りながら、周囲の会話に耳を傾けていた。別に盗み聞きをするつもりはない。ただ、冒険者として長年鍛えてきた「気」の感覚が、勝手に周りの空気を拾ってしまうのだ。
「……あの廃墟、やっぱり何かいるんじゃないか」
「白い娘が一人で住んでるって話、もう何人かが見たらしいぞ」
「魔物も近づかないって言うし……呪われてるんじゃないか」
ミネルバは黙ってジョッキを傾けた。
――(広まってるな……)
噂というのは厄介だ。一度火がつくと、どんどん尾ひれがついて広がっていく。最初は「白い娘が住んでいる」だったのが、いつの間にか「呪われた廃墟」になっている。
そのうち、好奇心旺盛な馬鹿が動き出す。
――(まずいな)
ミネルバは昼食を早めに切り上げて、席を立った。
廃墟に向かいながら、ミネルバは考えた。ネルの存在が広まれば、どうなるか。討伐依頼が出るかもしれない。あるいは腕試しに来る馬鹿な冒険者が現れるかもしれない。最悪、騎士団が動く可能性もある。
――(あの小さい人形が……やられるのは、まずい)
自分でも驚くほど、その考えが自然に浮かんだ。
ミネルバは少し足を速めた。
* * *
【ネル視点】
ミネルバがいつもより少し早く廃墟に来た。
荷物を置くなり、真剣な顔でボクを見る。
「ネル、少し状況が変わってきた」
――(?)
「噂が思ったより早く広まってる。街の酒場で複数の人間が話しているのを聞いた。そろそろ、動き出す奴が出てくるかもしれない」
――(……やっぱり来たか)
ボクは頷いた。覚悟はしていた。でも実際に言葉にされると、少し胸が重くなる。
「とりあえず、アウラの外出は当面控えてくれ。素材の調達は俺が代わりにやる」
――(え……)
ミネルバがそう言い切った。ボクは目を丸くした。人形に目があれば、の話だが。
――(ミネルバが……素材を?)
「なんだ、変か?」
ミネルバがボクの反応を見て、少し眉を上げた。
「……俺がやると言ったらやる。それだけだ」
――(いや、変じゃないけど……でも、なんで)
ボクが首を傾けると、ミネルバがため息をついた。
「……お前が困るだろうが。素材がなければ人形が作れない。人形が作れなければ……お前の生き方が成り立たない」
それだけ言って、ミネルバは視線を外した。
――(……ミネルバ)
ボクの内心が、じんわりと温かくなった。不器用な優しさだ。でもだからこそ、真っ直ぐに届く。
ボクはゆっくりと、深く頷いた。
「……うん。まあ、そういうことだ」
ミネルバがぶっきらぼうに言って、地図を広げた。いつも通りの、素っ気ない態度で。
――(ありがとう、ミネルバ)
声には出せない。でも、伝わっていればいいと思った。
* * *
【ウェイブ視点】
森の入り口で、ウェイブは立ち止まっていた。
あの夜の決意から数日後、ようやく重い腰を上げて朝から張り切って家を出た。鎧を着込んで、槍を持って、颯爽と歩いてきた。
でも。
――(……森、深いな)
入り口から見える森の中は、薄暗い。木々が密集していて、少し先が見えない。鳥の声がどこか遠くで聞こえる。
――(ふぅん。まあ、俺ほどの騎士には余裕だが……)
ウェイブは一歩踏み出した。
踏み出した。
……が、二歩目がなかなか出なかった。
――(……念のため、今日は入り口の下調べだけにしておこう。入り口の様子を確認するのも立派な情報収集だ。ふぅん)
ウェイブはその場で踵を返した。
颯爽と来た道を、颯爽と戻っていく。
――(そう、今日は情報収集フェーズだ。俺ほどの騎士が焦る必要はない。ふぅん↑)
森の入り口に、誰もいなくなった。
木々が風に揺れる音だけが、静かに残っていた。
* * *
【ネル視点】
その日の夕方、ボクは廃墟の外に出た。
ミネルバが帰った後、少し考えることがあって。森の外縁をゆっくりと歩きながら、アウラの視界で周辺を確認する。
噂が広まっているなら、実際に誰かが近づいてきている可能性がある。自分の目……いや、アウラの目で確認しておいた方がいい。
――(誰かいるかな……)
確認しながら歩いていると、森の入り口付近に何かの足跡を見つけた。
新しい足跡だ。大人の男のもの。でも、そこから先には続いていない。
――(……来たけど、引き返した?)
ボクは足跡をじっと見た。
――(臆病者だな……まあ、ボクも人のことは言えないけど)
でも、来たということは確かだ。次は引き返さないかもしれない。
――(……備えておかないとな)
ボクは廃墟に戻りながら、静かに考えた。
序章の穏やかな日々は、確かに終わりを告げていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。足跡を見つけたネル、次は何が起きるのでしょうか。