廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい   作:糸守ものち

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十二話目です。一章、動き始めます。


一章 第十二話「迫る影と、暗躍する者」

 

 

 

【ウェイブ視点】

 

 今日こそ行く。

 

 ウェイブは朝から何度もそう自分に言い聞かせていた。宿の鏡の前で鎧を着込みながら、己の顔を見つめる。

 

――(ふぅん。どう見ても頼れる騎士の顔だ。これで怖気づく理由がどこにある)

 

 先日、森の入り口で引き返したのは作戦的撤退だ。情報収集フェーズが完了したから次のステップに移っただけであって、決して怖かったわけではない。

 

――(そう。断じて怖かったわけではない。ふぅん↑)

 

 槍を手に取り、宿を出た。

 

 今日は曇り空だった。森の木々がいつもより暗く見える。風が木の葉を揺らす音がやけに大きく聞こえた。

 

――(……まあ、少しくらい薄暗くても問題ない。俺ほどの騎士には余裕だ。ふぅん)

 

 森の入り口に立つ。深呼吸を一つ。

 

 一歩、踏み出した。

 

 今度は、二歩目も出た。

 

――(ふぅん↑ やはり俺は違う。)

 

 ウェイブは森の中を進んだ。落ち葉を踏む音が響く。鳥の声がどこかで鳴いた。魔物の気配は……今のところない。

 

――(そうだ。この程度の森、俺には問題ない)

 

 しばらく歩いていると、木々の隙間から石造りの建物が見えた。

 

――(……あれか)

 

 廃墟だった。

 

 遠目から見ても、その存在感は只者ではなかった。蔦に覆われた石壁。崩れかけた屋根。薄暗い窓の奥に、何かがいる気配。

 

――(……思ったより、でかい)

 

 ウェイブの足が止まった。

 

――(い、いや、怖くない。全然怖くない。ただ……作戦を練る必要がある。そう、作戦だ。ふぅん)

 

 木の陰に身を隠しながら、ウェイブは廃墟を観察した。窓から人影……いや、白い人影が見えた。長い白髪。白いワンピース。噂通りの白い娘だ。

 

――(……本当にいた)

 

 心臓が跳ね上がった。怖いのではない。興奮だ。これは純粋な興奮だとウェイブは自分に言い聞かせた。

 

 白い娘は窓の外を眺めているようだった。その視線がゆっくりと……こちらの方を向いた。

 

――(え)

 

 目が合った。

 

 いや、合ったように見えた。遠いのでよくわからない。でも確かに、白い娘の視線がこちらを向いた気がした。

 

――(……み、見られた? いや、木の陰に隠れてるから見えるはずが……)

 

 ウェイブは咄嗟に木の陰に身を縮めた。心臓がドキドキしている。

 

――(こ、これは戦略的待機だ。俺は今、戦略的待機をしているだけだ。ふぅん……ふぅん……)

 

 しばらく待ったが、何も起きなかった。

 

 恐る恐る木の陰から顔を出すと、白い娘はもう窓からいなくなっていた。

 

――(……今日のところは、これで十分な情報収集ができた)

 

 ウェイブは立ち上がって、颯爽と……いや、足早に森を出た。

 

 

   *   *   *

 

 

【ネル視点】

 

 アウラの視界が、木の陰に隠れた人影を捉えていた。

 

――(……また来た。しかも今日は中まで入ってきた)

 

 ボクは廃墟の中央から、アウラを通じて人影を観察した。若い男だ。白と青の鎧。槍を持っている。騎士……いや、それにしては動きが素人くさい。怖気づいているのが遠目からでもわかる。

 

――(足跡の主はこいつか……)

 

 アウラの視線を向けると、男がびくっと身を縮めた。見えているのかもしれないし、見えていないのかもしれない。でも怖がっているのは確かだ。

 

――(危険な相手ではなさそう……でも、油断はできない)

 

 ボクは静かに考えた。

 

 この男が王都に戻って「廃墟に本当に白い娘がいた」と報告したら、次はもっと多くの人間が来るかもしれない。騎士団が動く可能性もある。

 

――(厄介だ……本当に厄介だ)

 

 でも今すぐどうすることもできない。アウラを使って脅かすことはできるが、それが逆に「廃墟に何かいる」という証拠になってしまう。

 

――(ここは静観するしかない……)

 

 ボクがそう結論づけた頃、男は木の陰に隠れたまま動かなくなった。しばらくして、こそこそと森を出ていく背中が見えた。

 

――(……逃げた。今日のところは)

 

 安堵と同時に、胸の奥に不安が残った。

 

 この男は必ずまた来る。そしてその次は、もっと多くの人間を連れてくるかもしれない。

 

 廃墟の窓際で、アウラが静かに立っていた。ボクを見ている。

 

――(……わかってるよ。考えないといけない)

 

 ボクは手の中の白い石を握り締めた。ロイドがくれた、丸くて白い石だ。

 

 平穏を守るために、何かをしなければならない。

 

 でも、何を。

 

 

   *   *   *

 

 

【王都・ザガン視点】

 

 蒼雷魔法師団の執務室は、いつも薄暗かった。

 

 ザガン・クロイスは山積みになった書類を横目に、細い指で羽根ペンを弄んでいた。仕事はしていない。考えているのだ。

 

 正確には、「研究」をしていた。

 

「……くひひ」

 

 小さな笑い声が執務室に響いた。

 

 机の上に広げられた羊皮紙には、複雑な魔法陣が描かれていた。不老不死の研究。ザガンが何年もかけて積み上げてきた成果だ。あと少し。あと少しで、完成に近づく。

 

――(必要なのは、特殊な素材だ。それさえ手に入れば……)

 

 そのとき、扉をノックする音がした。

 

「……入れ」

 

 扉が開いて、若い魔法師団員が入ってきた。

 

「ザガン師団長。例の報告が届きました」

 

「ほう」ザガンは羽根ペンを置いた。「内容は?」

 

「はい。辺境の廃墟に関する件です。白い娘が目撃されているという噂が広まっておりまして……先日、蒼剣騎士団の一人が実際に現地を確認したようです。こちらの独自の情報筋からの報告ですが」

 

「……現地を」ザガンの目が細くなった。「確認した結果は?」

 

「白い娘の目撃を確認。他に何かいる気配もあったとのことです。詳細はまだ不明ですが」

 

「そうか……」ザガンは静かに呟いた。「ご苦労。下がっていい」

 

 団員が部屋を出ていった。

 

 ザガンはしばらく沈黙して、それからゆっくりと羊皮紙に視線を戻した。

 

――(白い娘……魔物も近づかない廃墟……)

 

 情報としては断片的だ。でもザガンの研究者としての直感が、何かを感じ取っていた。

 

――(普通ではない何かが、あそこにいる。くひひ……)

 

「……面白い」

 

 ザガンは呟いた。羽根ペンを手に取り、羊皮紙の端に小さく書き記す。

 

「廃墟の件、要調査」

 

 執務室に、再び静寂が戻った。

 

 蒼雷魔法師団長の目が、暗闇の中でかすかに光っていた。

 

 

   *   *   *

 

 

【ネル視点・夕暮れ】

 

 その日の夕方、ミネルバが廃墟に来た。

 

 ボクが今日の出来事を身振りで伝えると、ミネルバの表情が険しくなった。

 

「……森の中まで入ってきたのか?」

 

 頷く。

 

「騎士の格好をした若い男……蒼剣騎士団か、あるいは個人で動いているか」ミネルバが腕を組んだ。「どちらにしても、面倒なことになってきたな」

 

――(本当に……)

 

「アウラを見られたか?」

 

 頷く。でも、逃げたことも伝えた。

 

「……逃げたなら、今日のところは問題ない。ただ」ミネルバがボクを見た。「次は引き返さないかもしれない。それだけじゃなく……騎士団に報告する可能性もある」

 

――(そうなったら……)

 

「最悪の場合、討伐依頼が出る」

 

 その言葉が、廃墟の中に重く響いた。

 

――(討伐……やっぱり、そうなるのか)

 

 ボクは視線を床に落とした。平穏を望んでいた。ただひっそり、廃墟の中で人形を作りながら生きていたかった。でも世界は、そう簡単にボクを放っておいてくれない。

 

 アウラが静かにボクの隣に立った。白い手が、そっとボクの手に触れた……ように見えた。人形だからそんなことはできないはずだが。

 

――(……アウラ)

 

「……お前を守る」

 

 ミネルバが静かに言った。

 

 ボクは顔を上げた。

 

「騎士団が動くなら、俺が間に立つ。お前がただの人形じゃないことは、俺が一番よく知ってる。だから……任せておけ」

 

――(ミネルバ……)

 

 その言葉が、じんわりと胸に染み込んだ。

 

 声が出せたなら、何か言えたかもしれない。でも声はない。だからボクはただ、ゆっくりと深く頷いた。

 

「……ああ。任せとけ」

 

 ミネルバがそれだけ言って、また地図を広げた。いつも通りの素っ気ない態度で。

 

 でも、その横顔が少しだけ……穏やかに見えた。

 

 廃墟の外で、夕暮れの風が木々を揺らしていた。

 

 平穏を望む道化師の人形は、今日も廃墟の中央でただそこにいた。

 

 その隣に、静かな仲間たちがいた。

 




最後まで読んでいただきありがとうございます。ウェイブの次の行動は……そしてザガンが動き始めました。
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