廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい 作:糸守ものち
朝が来た。
ボクは一晩中、廃墟の中央で考え続けていた。眠る必要のない体だからこそできることだが、それが助かったとは言い難い。考えれば考えるほど、答えが出ない。
――(どうすれば平穏を守れるのか)
騎士団が来る。マグナスが来る。複数の武装した人間が、この廃墟に向かってくる。
逃げることはできる。でも……どこへ。この廃墟はボクの家だ。ロイドがくれた白い石も、アウラが育てた花も、全部ここにある。
――(逃げたくない。でも戦えるわけでもない)
ボクの力は人形を操ることだ。アウラはいるが、戦闘向きではない。それに人間と争うことはボクの望むところじゃない。
夜明けの光が、崩れた屋根の隙間から差し込んできた。
そのとき、廃墟の入り口から足音が聞こえた。
「……来た」
ミネルバだった。いつもより早い。目の下に薄い隈がある。おそらく、ボクと同じで眠れなかったのだろう。
「ネル。作戦を話し合う時間がある」
ミネルバが廃墟の中央にどかりと座った。ボクを正面から見る。
「お前の力で、できることとできないことを整理しよう」
――(……うん)
「アウラを使った索敵はできるな?」
頷く。
「騎士団がどこまで来ているか、リアルタイムで把握できるか?」
頷く。
「お前自身は動けるか? 廃墟の外に出られるか?」
少し考えてから、頷く。遅いが、動けないわけではない。
「わかった」ミネルバが腕を組んだ。「なら作戦はこうだ」
ミネルバが静かに語り始めた。
* * *
作戦はシンプルだった。
まずアウラを森の外縁に配置して、騎士団の接近を把握する。騎士団が廃墟に近づいたら、ミネルバが先に「出迎える」。騎士団と交渉して、できる限り廃墟への立ち入りを防ぐ。
ネルとアウラは、廃墟の奥に身を潜める。
「俺は冒険者として、この廃墟の調査を先行して行っていると言う。すでに安全を確認済みだと主張する」
――(でも、マグナスは単純バカだからそれで納得するか……?)
「マグナスは力押しが好きな男だ。正面から「問題ない」と言い切れば、意外と引くこともある。ただ……もう一人気になる奴がいる」
「蒼雷魔法師団のザガンだ」ミネルバの表情が引き締まった。「あいつはただの師団長じゃない。頭が切れて……あまりいい噂を聞かない。マグナスと違って、簡単には引かないかもしれない」
――(ザガン……アウラの情報収集でその名前は聞いていた。魔法師団長だということも。でもミネルバにそう言われると……)
ボクは少し不安になった。
「今回は騎士団だけのはずだ。あいつが直接動く理由はまだない。ただの噂の廃墟に、魔法師団長が出張る必要はないからな」
――(それは……そうかもしれないけど)
ボクは頷いた。ミネルバの読みは鋭い。
「最悪の場合……俺がマグナスを止める」
――(止める、って……)
「俺が本気を出せば、マグナスくらい押さえられる。争いにはなるが……お前を守る方が優先だ」
――(ミネルバ……)
ボクは胸の奥が温かくなるのを感じた。でも同時に、申し訳なさも感じる。ミネルバが騎士団と揉めたら、冒険者としての立場が危うくなるかもしれない。
――(そんなことにはさせたくない)
ボクはミネルバを見た。それから、ゆっくりと首を横に振った。
「……?」
――(最後の手段は使わせない。ボクが何とかする)
ミネルバが少し目を細めた。
「……お前が何とかするって、どうやって?」
ボクは少し考えた。それから、廃墟の奥の方を指差した。
「……何かあるのか?」
頷く。
「わかった。信じる」
ミネルバがそれだけ言った。短く、でも迷いなく。
――(信じてくれるのか……)
「お前がここまで生き延びてきたのには理由がある。俺はそれを知ってる。だから信じる」
ボクは固まった。
――(ミネルバ……)
声が出せたなら、何か言えたかもしれない。でも声はない。だからボクはただ、深く頷いた。
* * *
昼を少し過ぎた頃、アウラから報告が入った。
――(来た……!)
森の外縁でアウラが察知した。五人の武装した人間が、こちらへ向かってきている。先頭に立っているのは、体格のいい男だ。
――(マグナスだ……)
「来たか」
ミネルバが立ち上がった。斧を手に取り、廃墟の入り口へ向かう。
「ネル。作戦通りだ。奥に隠れろ」
頷く。
「アウラも連れて行け」
頷く。
「……絶対に出てくるなよ。俺が呼ぶまで」
ミネルバがボクを振り返った。その目に、強い意志がある。
――(わかった。任せる)
ボクはアウラを連れて、廃墟の奥の暗がりへと身を潜めた。
外から、騎士団の足音が近づいてくる。
それから、ミネルバの声が聞こえた。
「……止まれ。俺はBランク冒険者のミネルバだ。この廃墟はすでに俺が調査済みだ」
続いて、豪快な声が返ってくる。
「おお! 冒険者か! 吾輩はベルンハルト王国、蒼剣騎士団団長マグナス・グロウンだ! その廃墟に危険な何かがいると聞いてな! 調査に来たぞ!」
「……危険なものはいない。白い娘は俺の知り合いだ。無害だ」
「ほう? しかし吾輩の部下が、あの廃墟に不思議な気配を感じたと言っておった! 普通の場所ではないのではないか?」
――(不思議な気配……あの騎士が感じ取っていたのか!)
ボクは息を呑んだ。いや、息のない体だが。
「……それは俺も感じた。だが調べた結果、問題なかった」
「むむむ……しかし吾輩の勘が、ここには何かあると言っている!」
「勘で動くな」
「勘は大事だぞ! 吾輩の勘はよく当たる!」
「……当たったためしがあるのか?」
「ぐっ……! それは……まあ……たまにはある!」
廃墟の奥で、ボクは少し笑いたくなった。笑えないけど。
――(ミネルバ……うまくやってる)
交渉の声が続く。マグナスは強引だが、ミネルバも一歩も引かない。
しばらくして、足音が遠ざかり始めた。
――(……引いた?)
少し後、ミネルバが廊下に戻ってきた。
「……帰った」
――(え、本当に?)
「マグナスに「冒険者が安全確認済みなら問題なかろう」と言い含めた。あの男、強引なくせに意外と論理的な話には弱い」
――(そんな一面があったのか……)
「ただ」ミネルバの表情が引き締まった。「一人、妙な目をした騎士がいた。若い男で……マグナスの後ろで、ずっとこの廃墟を観察していた」
――(妙な目……)
「あいつはまた来るかもしれない」
――(……あの騎士か)
ボクはため息をついた。出ない息だが、心の中では深くため息をついた。
アウラが静かにボクの隣に立った。白い瞳が、ボクを見ている。
――(……でも、今日は守れた)
廃墟は今日も無事だった。花も、白い石も、崩れた屋根も、全部そのままだ。
ミネルバがどかりと座り直して、ジョッキを取り出した。どこから出てきたのか。
「……今日は飲む」
――(そこにジョッキがあったのか……)
「お前も……まあ、飲めないか」
ミネルバが小さく笑った。珍しく、素の顔で。
――(……ありがとう、ミネルバ)
声には出せない。でも、伝わっていればいいと思った。
廃墟の外で、夕暮れの風が木々を揺らしていた。
平穏は、今日も守られた。
明日はまだ、誰にもわからない。
最後まで読んでいただきありがとうございます。ミネルバの強さが分かる話でしたね。