廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい 作:糸守ものち
【ウェイブ視点】
マグナス団長が「安全確認済み」と言った。
つまり、あの廃墟に一人で入っても問題ないということだ。
――(ふぅん↑ そういうことか。なら俺が直接確認しに行っても何も問題はないな)
ウェイブは宿の部屋で地図を広げながら、一人で頷いた。
あの廃墟には、白い娘が住んでいる。不思議な気配があると言われているが、Bランク冒険者が「問題ない」と言い切った場所だ。であれば、俺ほどの騎士が単独で調査しても何の問題もない。
――(しかも今日はあのBランク冒険者の女がいないらしい。俺の情報網によれば、今日は別の依頼で森の西側に向かったとのことだ)
情報網というのは、酒場で偶然聞いた話だが。
――(ふぅん。絶好の機会ではないか。ここで俺が独自調査の成果を上げれば、騎士団での評価も上がる。ふぅん↑)
ウェイブは鎧を着込んで、宿を出た。
* * *
【ネル視点】
今日はミネルバもアウラもいない。
ミネルバは朝から別の依頼で出かけた。アウラは廃墟の周辺で花の水やりをしている。珍しく、廃墟の中にボク一人だ。
――(静かだ。久しぶりにこういう時間がある)
ボクは人形の素材を整理しながら、穏やかな午後を過ごしていた。
窓から差し込む光が、廃墟の床に揺れている。アウラが育てた花が、静かに揺れている。
――(……悪くない。こういう静けさも)
そのとき。
廃墟の入り口から、足音が聞こえた。
――(? ミネルバにしては早い。アウラも……?)
足音は一つだ。おそるおそると言った感じの、慎重な足音。
――(……誰だ)
ボクは気配を消して、廃墟の中央に静かに座ったままでいた。
入り口から、白と青の鎧を着た若い男が顔を出した。
――(! あいつ……!!)
あの白と青の鎧の騎士だった。
――(なんで!? なんで来てるんだ!?)
ウェイブがきょろきょろと廃墟の中を見回した。そしてボクを……見つけた。
「……っ!?」
ウェイブが固まった。
ボクも固まった。
しばらく、沈黙が続いた。
* * *
【ウェイブ視点】
いた。
廃墟の中央に、小さな人形が座っていた。
道化師のような衣装。黒いシルクハット。灰色の長髪。固定された笑み。黄色い目。
――(……か、かわいい……!?)
ウェイブは息を呑んだ。
なんだこれは。確かに不気味だ。不気味なのだが……しかしなぜか、目が離せない。小さくてひょろりとしていて、でも存在感があって……その固定された笑みが、なぜか胸に刺さる。
――(これが……噂の……)
ウェイブは気づいたら、人形の前に歩み寄っていた。膝をついて、目線を合わせる。
黄色い瞳が、こちらを見ている。
――(……美しい)
気づいたら、ウェイブは人形の白い手を取っていた。
「……麗しきマドモワゼル」
手の甲に、そっとキスをした。
* * *
【ネル視点】
――(なんだ!?)
――(なんだ!?!?)
――(なんだこいつ!?!?!?)
ボクの内心が、かつてないほど混乱していた。
あの騎士が、ボクの手の甲にキスをした。
今、何が起きた?
――(整理しよう。整理しよう。落ち着いて整理しよう)
廃墟に騎士が忍び込んできた。ボクを見つけた。近づいてきた。手を取られた。キスされた。
――(整理できない!! なんだこいつ!!)
ボクは表情を変えられない。顔は固定された笑みのままだ。だから外から見れば、ボクは静かに微笑んでいるように見えるだろう。
でも内心は大嵐だった。
――(離せ!! 手を離せ!! いや待て、叫べない!! どうする!? どうする!?!?)
ウェイブが顔を上げた。黄色い瞳と目が合う。
「……美しい目だ」
――(やめろ!!)
「俺はウェイブ。蒼剣騎士団の騎士だ。……こんな廃墟に一人でいるなんて、可哀そうに。俺が守ってやろう」
――(誰も守ってとは言ってない!!)
ウェイブが立ち上がった。自信満々の顔で、胸を張っている。
「ふぅん↑ いい出会いだった。また来る」
そう言って、颯爽と廃墟を出ていった。
足音が遠ざかっていく。
廃墟に静寂が戻った。
――(……今、何が起きた)
ボクはしばらく、その場に固まっていた。
手の甲を見た。白い手の甲を。
――(……絶対また来る。絶対来る。これは絶対来るやつだ……)
アウラが帰ってきたのは、それからしばらく後のことだった。
ボクの様子を見て、アウラが小首を傾げた。
「……ネル様、どうか、されましたか……?」
――(……何でもない。何でもないよ)
ボクは力なく首を横に振った。
どう説明すればいいかわからなかった。
窓の外で、夕暮れの風が木々を揺らしていた。
平穏を望む道化師の人形の、あまりにも想定外の午後だった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。ネルの平穏、想定外の方向から揺らいできました。