廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい 作:糸守ものち
【ザガン視点】
蒼雷魔法師団の執務室は、今日も薄暗かった。
ザガン・クロイスは羽根ペンを走らせながら、細い目を更に細めていた。目の下の隈は深くなる一方だ。昨夜も眠れなかった。研究が佳境に入ると、いつもそうなる。
眠れない夜は、考える時間に充てればいい。
――(廃墟の件……)
先日のマグナスによる調査は、成果なしという報告で終わった。あの単純な男のことだ、白い娘を見て「問題なし」と判断して帰ってきたのだろう。
だが、ザガンの考えは違った。
Bランク冒険者が「安全」と言い切った廃墟。魔物も近づかない。白い娘が一人で住んでいる。そして蒼剣騎士団の若い騎士が「不思議な気配」を感じたという報告。
――(普通ではない何かがいる。くひひ……)
ザガンは研究資料の端に、小さな走り書きをした。
「廃墟の件 続報を集めること」
問題は、表立って動けないことだ。魔法師団長が個人的な興味で調査に動けば、目立ちすぎる。セレシア女王の目が光っている今、余計な疑念を持たれるわけにはいかない。
――(使える駒が必要だ……)
ザガンはしばらく考えて、静かに笑った。
「くひひ……」
使える駒は、すでにいる。
* * *
翌日、蒼雷魔法師団の訓練場の片隅で、ザガンは一人の男を呼び出した。
黒髪に鋭い目つきをした男だ。魔法師団の中堅団員で、情報収集が得意という評判がある。
「……お呼びでしょうか、師団長」
「うん」ザガンはのんびりとした口調で言った。「少し頼み事があってね」
「はっ」
「ベルンハルト王国の外れ、辺境の森にある廃墟を知っているかね?」
男が少し目を見開いた。
「……噂では聞いたことがあります。白い娘が住んでいるとか」
「そう」ザガンが微笑んだ。目だけは笑っていない。「その廃墟について、もう少し詳しい情報が欲しくてね。こっそりと、ね」
「……こっそりと、ですか」
「表立って動く必要はない。ただ……何者かが住んでいるのか。どんな力を持っているのか。それだけわかれば十分だよ。くひひ」
男が少し躊躇した様子を見せた。
「……それは、公式の調査ではないということでしょうか?」
「もちろん」ザガンが羽根ペンを弄びながら言った。「君の個人的な……散歩、とでも思ってくれたまえ。ただ、散歩の成果が良ければ……昇進の推薦を考えてもいいと思っているよ」
男の目が変わった。
「……承知しました」
「くひひ……良かった。期待しているよ」
男が去っていくのを見送りながら、ザガンは再び資料に目を落とした。
――(さて、どんな報告が来るか……くひひ)
* * *
【ネル視点】
その日、ボクはいつも通り廃墟の中央に座っていた。
アウラが窓際の花に水をやっていた。ミネルバは今日も依頼で森の西側へ向かっている。静かな午後だ。
――(……平和だな)
ウェイブがまた来るかもしれないという不安はあるが、今日のところは気配がない。
ボクは新しい人形の設計を考えながら、廃墟の外の様子をアウラを通じて確認していた。
特に異常はない。
……そのはずだった。
アウラの視界の端に、ほんの一瞬、木の陰に人影が見えた気がした。
――(?)
ボクは意識を集中した。
もういない。
気のせいだったのか。それとも……
――(……誰かいた?)
ボクはしばらく廃墟の外を観察し続けたが、それ以上は何も見えなかった。
風が木々を揺らす音だけが聞こえる。
――(……気のせい、か)
でも胸の奥に、小さな棘が刺さったような違和感が残った。
アウラが静かにボクの隣に立った。白い瞳がボクを見ている。
――(……わかってる。気をつけないといけない)
廃墟の外で、誰かがこちらを見ていたかもしれない。
平穏を望む道化師の人形は、静かに、でも確かに警戒を強めていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。ネルが感じた違和感……気のせいで終わればいいのですが。