廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい   作:糸守ものち

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二十話目です。あの騎士が今度は許可を取りに来ましたよ!


一章 第二十話「名前の伝え方」

 

【ウェイブ視点】

 

 本人に聞け。

 

 ミネルバにそう言われた。でも……あの娘には声がない。どうやって聞けというんだ。

 

――(ふぅん。普通ならここで諦めるところだが……俺は普通じゃない。俺ほどの騎士なら、声がなくても意思疎通ができるはずだ。ふぅん↑)

 

 ウェイブは廃墟の前に立っていた。今日こそ、正面から話しかける。今度こそ、ちゃんと許可を得てから入る。

 

 深呼吸。

 

「……入っていいか?」

 

 廃墟の中に向かって、大きな声で言った。

 

 しばらく沈黙が続いた。

 

 それから、廃墟の扉がゆっくりと……何かに押されるように、少し開いた。

 

――(開いた……! これは入っていいということだ! ふぅん↑)

 

 ウェイブは慎重に廃墟の中に入った。

 

 

   *   *   *

 

 

【ネル視点】

 

――(なんで開けてしまったんだ、ボクは)

 

 ボクは廃墟の中央に座ったまま、ウェイブを見ていた。

 

 「入っていいか」と聞かれた。反射的にアウラで扉を少し開けてしまった。どうしてそうしたのか、自分でもよくわからない。

 

――(面倒だからさっさと終わらせようということにしておこう)

 

 ウェイブが廃墟の中央に来た。膝をついて、ボクと目線を合わせた。

 

「……今日は何もしない。ただ話しかけたいだけだ。ふぅん」

 

――(何もしない、ね……前回は手の甲にキスしてきたが)

 

「俺はウェイブ。蒼剣騎士団の騎士だ。お前の名前を……聞いていいか?」

 

――(名前……)

 

 ボクは少し考えた。

 

 声は出ない。ジェスチャーで伝えるのは難しい。でも……ミネルバが「悪い奴じゃない」と言っていた。ロイドたちにも名前を教えた。名前くらいなら、いいかもしれない。

 

 ボクはゆっくりと、指で宙に文字を書いた。

 

「ね……る?」

 

 ウェイブが目を丸くした。

 

「ネル……という名前か?」

 

 頷く。

 

「ネル……」ウェイブが呟いた。その声が、妙に嬉しそうだった。「いい名前だな」

 

――(ロイドがつけてくれた名前だ)

 

「俺のことは……ウェイブと呼んでくれ。まあ、ネルには声がないから呼べないか。ふぅん」

 

――(そうだよ)

 

 少しの沈黙。

 

「……ここに一人で住んでいるのか?」

 

 首を横に振る。

 

「誰かいるのか?」

 

 アウラの方向に視線を向けた。アウラが窓際に立っている。

 

「あ……白い娘。ネルの仲間か?」

 

 少し考えてから、頷く。

 

「そうか……」ウェイブが立ち上がった。「今日はこれだけだ。……また来ていいか?」

 

――(来ていいとは言ってない)

 

 でもボクは……なぜか、首を横には振らなかった。

 

 ウェイブがそれを「拒否されなかった」と解釈したのは、顔を見ればわかった。

 

「……ふぅん↑ また来る」

 

 ウェイブが颯爽と廃墟を出ていった。

 

――(なんで拒否しなかったんだ、ボクは)

 

 アウラが窓からウェイブの去っていく方向を見ていた。その横顔が、やっぱり少し……穏やかに見えた。

 

――(……アウラ、お前もか)

 

 ボクはため息をついた。出ない息だが。

 

 

   *   *   *

 

 

【ウェイブ視点】

 

 宿に戻りながら、ウェイブは今日の出来事を反芻していた。

 

 名前を教えてもらった。ネル。

 

 声はない。でも、ちゃんと伝えてくれた。指で宙に文字を書いて。

 

――(……不思議な娘だ)

 

 美しい顔立ちとか、儚げな雰囲気とか、そういう話ではなく。

 

 声がなくても、ちゃんと伝えようとしてくれた。拒否もしなかった。

 

――(ふぅん……ネル、か)

 

 その名前を心の中で繰り返した。

 

 なんだろう、この感覚。手柄とか出世とか、そういう話ではない何かが、胸の中にある。

 

――(……俺としたことが)

 

 ウェイブは空を見上げながら、また来ようと決めた。

 

 今度は……もう少しちゃんと話しかけられる方法を考えてから。

 

 

   *   *   *

 

 

【ネル視点・夜】

 

 ミネルバが来た。

 

「今日、またあの騎士が来たか?」

 

 頷く。

 

「……何をしていった」

 

 ボクは名前を教えたことを、身振りで伝えた。

 

 ミネルバが少し目を細めた。

 

「お前が自分から名前を教えたのか」

 

 頷く。

 

「……そうか」

 

 しばらくの沈黙。

 

「追い払わなくていいのか?」

 

 少し考えてから……首を横に振った。

 

「わかった」ミネルバが静かに言った。「俺は何も言わない。お前が決めることだ」

 

――(ありがとう、ミネルバ)

 

 アウラが窓際の花に水をやっていた。今日も静かに、ちゃんと咲いている。

 

 平穏を望む道化師の人形は、今日も少しだけ……自分でも気づかないうちに、何かが変わっていた。

 




最後まで読んでいただきありがとうございます。ネルが拒否しなかった理由……本人もわかっていないみたいですね?
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