廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい   作:糸守ものち

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二十一話目です。ネルが初めて自分の力で動き始めます。


一章 第二十一話「初めての守り」

 

 

【ザガン視点】

 

 準備が整った。

 

 ザガン・クロイスは執務室の窓から夜の王都を見下ろしながら、静かにそう確認した。ロッシュからの報告。白い娘とBランク冒険者。魔物も近づかない廃墟。そして……普通ではない何か。

 

 これだけの情報が揃えば、次の手を打つのに十分だ。

 

「くひひ……」

 

 ザガンは振り返り、執務室の中央に立つ二人の人物を見た。

 

 一人は黒いローブの若い魔法師、もう一人は同じく黒いローブの中年の魔法師。どちらも蒼雷魔法師団の精鋭だ。

 

「君たちには、廃墟の調査を直接行ってもらいたい」

 

「……直接、でございますか」若い方が確認した。「ロッシュが監視していたのでは?」

 

「ロッシュの仕事は監視だ。君たちの仕事は……もう少し踏み込んだ調査だよ。くひひ」

 

 二人が顔を見合わせた。

 

「廃墟の中に、何があるのか。誰がいるのか。それだけでいい。くれぐれも……直接手を出すことはしないように」

 

「……理由を、お聞きしてもよろしいですか」中年の方が慎重に聞いた。

 

「まだ価値が分からないからだよ」ザガンが静かに言った。「壊してしまってからでは遅い。まず……何があるのかを知る。それからだ」

 

 二人が頷いた。

 

「明日の夜、動いてくれたまえ。くひひ……」

 

 

   *   *   *

 

 

【ネル視点・翌夜】

 

 何かがおかしい。

 

 アウラの視界で廃墟の周辺を確認していたボクは、それをはっきりと感じた。

 

 いつもの監視者とは違う。今夜は二人だ。しかも動きが違う。あの男は木の陰から観察するだけだった。でも今夜の二人は……じわじわと、廃墟に近づいてきている。

 

――(……まずい)

 

 ボクは素早く考えた。

 

 ミネルバは今夜いない。今日は遠い場所への依頼で、朝から出ていった。戻るのは明日だ。

 

 アウラはいる。でもアウラは戦闘向きではない。

 

 ボクの力は……紫の糸だ。

 

――(使うか……?)

 

 二人の人影が、廃墟の外壁に近づいてきた。

 

 ボクは決意した。

 

 指先から、紫の糸を伸ばした。

 

 廃墟の外、二人の人影の足元。地面に転がっていた小石が、糸に引かれてかすかに動いた。

 

 二人が、ぴたりと足を止めた。

 

「……止まれ」

 

 低い声だった。さっきまでの油断した気配が、一瞬で、鋭いものに変わった。

 

「今の、見たか」

 

「ああ。小石が、ひとりでに動いた」

 

「風じゃない。……妙だな」

 

――(……っ、気づかれた)

 

 ボクは息を呑んだ。あの監視者の男は、こんなに鋭くなかった。でも、この二人は違う。動きも、目つきも、明らかに、場慣れしている。

 

 それでも、ボクは糸を動かした。今度は廃墟の壁に絡まった蔦が、風もないのに、ゆらりと揺れた。

 

 二人の魔法師は、すぐには動かなかった。

 

 ただ、じっと、その蔦を見つめていた。

 

「……この感じ」中年の方が、低く呟いた。「魔力だ。だが……黄色じゃない」

 

「ええ」若い方も、声を硬くした。「見たことのない魔力です。こんな色の気配、嗅いだことがない」

 

――(……!)

 

 ボクの心臓が、跳ねた。糸そのものは見えていない。でも、その奥にある、ボクの異質な魔力の気配を、この二人は、はっきりと感じ取っていた。

 

「妙だな」中年の方が、目を細めた。「小石、蔦……まるで、こちらを試すように動く。これは……誰かが、意図してやっている」

 

「芝居、ということですか」

 

「ああ。何者かが、我々をここから遠ざけようとしている」

 

――(……ばれてる。全部、見抜かれてる)

 

 ボクは、なけなしの手を打った。廃墟の奥から、アウラを窓際に立たせた。白い髪。白い瞳。暗闇の中で、ぼんやりと、光るような白さ。

 

 二人が、窓を見上げた。

 

 息を呑む――かと、思った。

 

 だが、二人は、怯えなかった。ただ静かに、その白い影を、観察するように見つめただけだった。

 

「……なるほど。何か、いるな」

 

「ええ。それも……得体のしれない魔力を使う何かが」

 

 二人が視線を交わした。そして――驚くほど冷静に、後ろへ下がり始めた。

 

「団長の命令は調査だ。手を出すな、とな」中年の方が言った。「未知の魔力を持つ何かがいる。それを確かめた。……今夜は、十分だろう」

 

「持ち帰って報告ですね」

 

「ああ。深追いはしない。何が潜んでいるか、わからん相手だ。……賢明にいこう」

 

 二人は背を向けた。逃げるのではない。退くのだ。一歩ずつ、辺りを警戒しながら、整然と、森の闇へと消えていった。

 

――(……行った)

 

 ボクは糸を収めた。

 

 全身がじわりと疲れた。糸を長距離で動かすのは、思った以上に力がいる。

 

 アウラが窓から離れて、ボクの隣に立った。

 

「……お疲れ様でした、ネル様……」

 

――(ありがとう、アウラ)

 

 でも、ボクの胸の中には……追い払えた安堵よりも、ずっと重いものが残っていた。

 

――(……あれは、逃げたんじゃない)

 

 怯えて逃げ出してくれたのなら、まだよかった。でも、あの二人は違った。冷静に、自分たちで「退き際」を決めて下がっていった。

 

――(もし、あの二人が本気で踏み込んでいたら……ボクの糸じゃ、止められなかった)

 

 追い払えたんじゃない。ただ、見逃してもらえただけだ。相手が、何らかの命令に従って引いてくれただけ。

 

――(しかも……手の内は、もう知られた。次は、わかった上で来る)

 

 紫の糸で守れたのは、今夜だけ。それも、運が良かっただけ。相手が本気で動けば、ボクの力では――。

 

――(……ミネルバに話さないといけない)

 

 廃墟の外で、夜風が木々を揺らしていた。

 

 平穏を望む道化師の人形は、初めて自分の力を使って、廃墟を守った。

 

 でも、その勝利は……ひどく、心許なかった。

 

 

   *   *   *

 

 

 翌朝、依頼から戻ったミネルバに、ボクは身振りで昨夜のことを伝えた。

 

 ミネルバはしばらく黙って聞いていた。それから静かに言った。

 

「……お前一人でか」

 

 頷く。

 

「……よくやった」

 

 たった一言だった。でもボクの胸の奥が、じんわりと温かくなった。

 

――(ありがとう、ミネルバ)

 

 ミネルバがいつものように腕を組んで、廃墟の外を見た。

 

「ただ……次は一人で抱え込むな。何かあったら俺を呼べ。いいな」

 

 頷く。

 

「……ああ。任せとけ」

 

 廃墟の外で、朝の光が木々の隙間から差し込んでいた。

 

 平穏を望む道化師の人形は、今日も誰かに支えられていた。

 




最後まで読んでいただきありがとうございます。
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