廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい 作:糸守ものち
【ザガン視点】
ロッシュからの報告は興味深かった。
夜に送り込んだ二人組が、廃墟に近づこうとして引き返してきた。理由は「普通ではない気配」と「白い娘の視線」。二人とも精鋭のはずだが、それでも退いた。
――(くひひ……やはり、ただの廃墟ではない)
ザガンは資料を閉じて、羽根ペンを指で弄んだ。
問題は……ここから先だ。直接手を出せば、Bランク冒険者との衝突になる。表立った動きはまだ避けたい。
――(もう少し……情報が必要だ)
そのとき、執務室の扉が激しくノックされた。
「くひひ……誰ですか」
扉が勢いよく開いた。
「ザガン! ちょっと待ちなさいのよ!」
金髪ツインテールの女が入ってきた。青い軽装の鎧。鋭い目つき。ザガンの顔を見るなり、指を突きつけた。
「最近、辺境の廃墟周辺でこそこそやってるのは何なのよ!」
「……これはレイニー殿。ずいぶん乱暴な入り方ですね」ザガンが静かに微笑んだ。「くひひ」
「うるせーのよ! わたくし様に礼儀を教えるんじゃねーです!」
――(やれやれ……)
「廃墟の件は、個人的な研究ですよ」ザガンが穏やかに言った。「ご心配なく」
「個人的な研究ぅ?」レイニーが目を細めた。「うそつかないでほしいわね。ロッシュって団員、夜な夜な辺境の森に通ってるのよ。他にも何人か動かして……個人的な研究なんて笑えないのよ」
――(……気づいていたか)
「どなたから聞きましたか?」
「わたくし様の情報網をなめるんじゃねーです」レイニーが腕を組んだ。「いい? 辺境で何かやらかすつもりなら……わたくし様が全力で止めにいくのよ。それだけ言いに来たのよ」
「くひひ……ご忠告、ありがたく受け取っておきましょう」
「ふん」レイニーが踵を返した。「わたくし様に命令していいのはこの世にセレシア様ただ一人。でもセレシア様はあんたのことを警戒してる。それだけ覚えておきなさい」
扉が勢いよく閉まった。
ザガンはしばらく扉を眺めてから、静かに笑った。
「……くひひ。面白い」
女王が動き始めている。それはつまり——時間的な猶予が、少なくなっているということだ。
――(急ぐ必要があるかもしれない……くひひ)
ザガンは新しい資料に手を伸ばした。
* * *
【レイニー視点】
執務室を出たレイニーは、廊下を歩きながら顔をしかめた。
――(ザガンのやつ……やっぱり何か動いてる)
わたくし様が掴んだのは断片的な話だ。辺境の廃墟。白い娘。魔物も近づかない場所。そして蒼雷魔法師団の団員が動いているという事実。
何かがいる。
ザガンがそれに興味を持っている。
――(セレシア様には報告した。でも……先手を打っておく必要がある)
レイニーは立ち止まって、窓の外の王都を見た。
「わたくし様が動くしかないのよ」
独り言をつぶやいてから、レイニーは歩き出した。
次の動きは、もう決まっていた。
* * *
【ネル視点】
廃墟は今日も静かだった。
ミネルバが依頼に出かけて、アウラが窓際で花に水をやっている。ウェイブは今日まだ来ていない。あの監視者の気配も、今日はない。
――(……静かだ)
ボクは人形の素材を整理しながら、廃墟の奥の方をちらりと見た。
暗がりの中に、それはある。
まだ魔力を込めていない。まだ動かない。でも……形だけは、ほぼ出来上がっている。
――(もう少し、だ)
いつか必要になる日のために。
その日が来ないことを願いながら、でも来たときのために備えている。
アウラがボクの方を向いた。白い瞳が、静かにこちらを見ている。
「……何でもないよ、アウラ」
――(ただ……少し、急いだ方がいいかもしれない)
廃墟の外で、夕暮れの風が木々を揺らしていた。
平穏を望む道化師の人形は、静かに、でも確かに、次の嵐の気配を感じていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。「女王の剣」の登場……どうなるのでしょうね?