廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい 作:糸守ものち
【レイニー視点・前夜】
村の宿は、思ったより清潔だった。
レイニーは小さな机の前に座って、羽根ペンを走らせた。セレシア女王への報告書だ。
「辺境の廃墟について、現地聴取を完了しました。明朝、直接確認に向かいます。白い娘の存在、Bランク冒険者の関与、魔法師団の暗躍、いずれも事実と思われます。ご報告まで」
短く、簡潔に。余計なことは書かない。女王はわかってくれる。
レイニーは羽根ペンを置いて、ため息をついた。
――(夜に廃墟に乗り込むのは悪手なのよ。明朝が正解だわ)
準備は整っている。装備の確認も終わった。あとは眠るだけだ。
――(明日、何がいるのか……わたくし様の目で確かめてやるのよ)
窓の外に、満天の星が広がっていた。
* * *
【ネル視点・翌朝】
朝が来た。
今日は穏やかな朝だ。アウラが窓際の花に水をやっている。ミネルバが廃墟の入り口近くに座って、依頼の書類を眺めている。
――(平和だ……)
ボクは廃墟の奥をちらりと見た。素体がある方向だ。
――(もう少し……もう少し、だ)
そのとき。
アウラが窓の外を向いた。
――(……?)
ボクはアウラの視界で外を確認した。
森の方から、一人の人物が近づいてくる。金髪。青い鎧。迷いのない足取り。
――(あれは……!)
ミネルバが書類から顔を上げた。気配を感じたのだろう。ゆっくりと立ち上がり、斧に手をかけた。
「……来たか」
静かな一言だった。
* * *
【レイニー視点】
廃墟は……思ったより、静かだった。
森を抜けると、石造りの廃墟が見えた。崩れた屋根。苔の生えた壁。蔦が絡みつく窓枠。確かに人の気配がある。でも魔物の気配はない。
入り口の前に、大柄な女が立っていた。
短い赤い髪。大きな斧。話に出ていたBランク冒険者——ミネルバだ。
「……止まれ」
レイニーが足を止めた。
「女王陛下の近衛、レイニー・ブラッドフォートですわ。調査のために来たのだけど……通してもらえるかしら?」
「……断る」
ミネルバが静かに言った。
レイニーが少し目を細めた。
「あら」レイニーが眉を上げた。「女王の命を受けた者の調査を、妨害するつもり?」
ミネルバが斧を肩に担ぎ直した。
「女王の命なら、正式な書状があるはずだ。どこにある?」
「……それは」
「個人的な調査だろう」ミネルバが腕を組んだ。「書状なしでここに踏み込む権限は、近衛兵にもない」
レイニーが少し黙った。
――(……なるほど。Bランクの冒険者、侮れないのよ)
「……なかなか言うじゃないの」
「お前もな」
二人が向き合った。
沈黙。
その瞬間、廃墟の空気が変わった。
見えない何かが、廃墟全体を包んだ。重い、圧迫するような何か。二人の体から滲み出る魔力が、空気を震わせる。廃墟の入り口の石畳の砂が、微かに揺れた。
――(な……なんだ、この圧は……!)
ボクは廃墟の中央で固まっていた。
――(ミネルバの魔力が……こんなに膨らんでいる……! でもあの金髪の女も……!)
紫の糸が、ビリビリと震えた。ボクが動かしたわけじゃない。二人の魔力に、糸が反応していた。
――(どちらも……人間とはとても思えない……)
数秒が、永遠のように長く感じた。
それから——同時に、二人が魔力を引いた。
「……お互い、本気を出す相手じゃないわよね」
「ああ、そうだな」
ミネルバが斧から手を離した。レイニーが小さく息を吐いた。
「……話だけなら聞いてやる」ミネルバが言った。
「それで十分ですわ」
レイニーが廃墟の中へ入ってきた。
* * *
【ネル視点】
レイニーがボクを見た。
値踏みするような視線。でも……「確認」をしている目だ。
「……なるほど」レイニーが静かに言った。「これが、廃墟の主ということね」
――(「なるほど」……クロウと同じだ。情報を持っている人間は皆そう言う)
「……人形?」
「人形だ」ミネルバが短く答えた。「声は出ない。でも……ちゃんと考えている」
レイニーがしばらく無言でボクを観察した。
「敵意はないのよ」レイニーが言った。「ただ……信用もしないわ。まだね」
――(はっきり言いますね……)
「女王陛下はこの廃墟に関心を持っている。わたくし様はその調査に来た。それだけよ」
「……女王が、ネルを」ミネルバが目を細めた。
「直接どうこうするつもりはないわ」レイニーが続けた。「ただ……ザガンが動いているのは事実。わたくし様が先に状況を把握しておく必要があるのよ」
――(ザガンより先に……か)
「一つだけ聞かせてもらえるかしら」レイニーがボクに向かって言った。「ここから出るつもりはある?」
ボクは少し考えた。
首を横に振った。
「……そう」レイニーが静かに頷いた。「わかったわ」
それ以上は聞かなかった。
レイニーが廃墟の入り口に向かいながら、振り返った。
「また来るわよ。それだけ覚えておきなさい」
そのまま、廃墟を出ていった。
しばらくの沈黙。
「……ミネルバ」ボクは指で宙に文字を書いた。「あれは……何者?」
「……レイニー。女王直属の近衛兵だ」ミネルバが静かに言った。「本物の強さだぞ。俺と対等か……少し上かもしれない」
――(ミネルバと対等……それ以上……)
「……敵かどうかか?」
「今は、違う」ミネルバが腕を組んだ。「でも……味方でもない」
――(敵でも味方でもない、か……)
アウラが静かにボクの隣に立った。白い瞳がこちらを向いている。
廃墟の外で、朝の光が木々の隙間から差し込んでいた。
平穏を望む道化師の人形は、また新しい「何か」と向き合っていた。
――(あんな力を持つ人たちが……廃墟に押し寄せてくる)
――(ボクの紫の糸じゃ、太刀打ちできない)
――(……素体を、急がなければ)
女王の勢力が、廃墟を知った。
それが何を意味するのか……まだ、誰にもわからなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。「敵でも味方でもない」……レイニーとの関係はどうなるのでしょうね?