廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい 作:糸守ものち
ロイドを村まで送り届けたのは、日が傾きかけた頃だった。
もちろんボクが直接連れて行ったわけではない。それをやったら確実に村人に発見されて討伐案件になる。ボクは森の途中まで先導して、あとは「ここから先は自分で行け」と身振りで示した。
ロイドはあっさり頷いた。
「わかった!またね、ネル!」
――(またね、じゃないよ。来ないでほしいんだけど……)
手を振りながら走り去っていくロイドの背中を見送りながら、ボクは複雑な気持ちだった。あの子は絶対にまた来る。あの好奇心の塊みたいな目をしていれば、来ないわけがない。
――(平穏……平穏はどこへ……)
とぼとぼと廃墟へ戻りながら、ボクは今日一日を振り返った。素材はひとつも採れなかった。ロイドの対応に追われて、すっかり忘れていたのだ。
――(明日また出直すか……はあ)
廃墟に戻ると、アウラがちょうど帰ってくるところだった。両手に麻袋を抱えて、ぎこちない足取りで歩いてくる。袋の中には掃除道具一式と、いくつかの食料品が入っているはずだ。
――(食料品は、まあ……いちおう用意しておかないといけないしね。訪問者がいつ来るかわからないし)
ボクは食事をしない。人形だから当然だ。でも人間が来たときのために、最低限のものは揃えておいた方がいいと判断していた。今日がその好例だった。
「……ただいま、戻りました」
アウラが廃墟の入り口でぺこりと頭を下げる。消え入りそうな声で、おずおずと。
――(おかえり。何か変わったことはあった?)
ボクはそう問いかけながら、アウラの視界の記憶を辿った。街での出来事をリアルタイムで把握しているとはいえ、ボクが廃墟の外に出ている間は意識が分散して、細部まで追いきれていなかった。
「……あの、街で、少し……騒ぎに、なりかけました……」
アウラが視線を落とす。
――(騒ぎ?)
ボクは記憶を掘り起こした。アウラの視界の断片が、頭の中で繋ぎ合わさっていく。
* * *
少し時間を遡る。
アウラが街の広場を歩いていたのは、昼過ぎのことだった。
ベルンハルト王国の辺境にある小さな町、その市場通りは昼時の賑わいを見せていた。野菜売りの声、鍛冶屋の槌音、子どもたちの笑い声。アウラはそんな人混みの中を、俯き加減でぎこちなく歩いていた。
白い髪、白い肌、白い瞳。
どこからどう見ても、この街には馴染まない容姿だ。道行く人々がちらちらと視線を向けてくるが、アウラは気にした様子もなく……いや、正確には「気にする」という感情自体がない。ただボクの指示通りに、目当ての店を目指して歩いているだけだ。
問題は、市場の一角で起きた。
「おいそこの娘、ちょっと待ちな」
太った商人風の男が、アウラの行く手を塞いだ。脂ぎった顔に、値踏みするような目。その後ろには取り巻きらしい男が二人。
「その白い髪、珍しいな。どこの出身だ? 一人で歩いてるのか?」
アウラは立ち止まった。男を見る。ボクはアウラに答えさせるべきかどうか一瞬迷って、最低限の返答を指示した。
「……はい、一人です」
「へえ。保護者もいないのか。それじゃあ、ちょっとうちで話でも――」
「あァ? なんの話をしてんだ、そこ」
割り込んできた声は、低くて、よく通る声だった。
商人が振り返る。ボクも、アウラの視界でその人物を確認した。
女だった。
背が高い。肩幅が広い。短く切り揃えた赤髪。腰には大きな斧を提げていて、その体格は並の男をも圧倒するような迫力がある。へそ出しの軽装に、鍛え上げられた浅黒い……いや、引き締まった肌。胸元は豊かで、全体的に凄まじいまでの「存在感」があった。
「冒険者か……」商人が顔色を変える。「な、なんだ、関係ないだろう?」
「関係あるかどうかは俺が決める」
女はずかずかと歩み寄り、商人と取り巻きをまとめて一瞥した。その目には、取り立てて怒りの色があるわけではない。ただ、静かな圧がある。
「その娘に何か用か?」
「い、いや……その、知り合いかと思って……」
「そうか。じゃあ用がないなら失せろ」
商人は何か言いかけたが、女の目を見て口を閉じた。それから取り巻きを引き連れて、足早に立ち去っていった。
女はその背中を見送って、それからアウラに向き直った。
「怪我はないか?」
「……あの、大丈夫、です……ありがとう、ございます……」
アウラが頭を下げる。女は少し眉を上げて、アウラの顔をまじまじと見た。
「……白いな、お前」
「……はい」
「一人で街に来てるのか? 保護者は?」
ボクは少し考えた。アウラにどう答えさせるか。
「……います。ただ、今日は……一人で、来ました」
「ふうん」
女はアウラを上から下まで眺めて、それから何かを見た。
ほんの一瞬、その目が細くなった。
――(……あれ?)
ボクは違和感を覚えた。女の視線が、アウラの体のある一点で止まったように見えた。アウラの肩のあたり。いや、もう少し上か。
――(何かが見えた……?)
女はすぐに普通の表情に戻った。アウラの顔を見て、少し困ったように頭を掻く。
「まあ、とりあえず無事ならいい。こんな街でも、一人で歩く時は気をつけろよ」
「……はい。ありがとう、ございます……」
「おう」
女はそれだけ言って、踵を返した。人混みの中に消えていく、その大きな背中を、アウラはしばらく見送っていた。
* * *
「……という、ことが、ありました」
アウラの報告を聞きながら、ボクは考え込んでいた。
――(女の冒険者か……)
助けてくれたことはありがたい。でも問題は、その後だ。あの一瞬、女の目が細くなった瞬間。アウラの体のある一点を見た、あの表情。
――(もしかして……糸が、見えた?)
ボクの魔力糸は、普通の人間には見えない。でも「一部の強者」には見えると、アウラの情報収集で知っていた。もしあの女がそういう「強者」だとしたら――
――(まずい。かなりまずい)
――(でも……討伐しに来なかった。それは、なぜ?)
ボクはしばらく悩んだ。結論は出なかった。
ただひとつだけ確かなのは、あの女はただの冒険者ではないということだ。あの圧。あの目。そして糸が見える可能性。
――(関わらないのが一番なんだけど……でも、アウラが街に出る限り、また会う可能性はある……)
ボクは深く、深く考えた。
しかし結論が出る前に、アウラがおずおずと口を開いた。
「……あの、ネル様」
――(なに?)
「……その方の名前を、聞いてしまいました……」
――(え)
「……ミネルバ、と……おっしゃっていました。周りの方が、そう呼んでいたので……」
ボクは固まった。
――(ミネルバ……)
その名前を、頭の中で繰り返す。
問題の女冒険者に名前がついた。それはつまり、この先も関わり合いになる可能性が、ぐっと上がったということでもある。
――(平穏……ボクの平穏は……)
廃墟の外で、夜風が吹いた。
崩れた屋根の隙間から、星が見えた。
ボクは静かに、今夜も廃墟の中央に鎮座する。動かない笑みを浮かべたまま。
平穏を望む道化師の人形は、まだ知らない。
あの豪快な女戦士が、ほんの数日後に、この廃墟の扉を叩くことになるのだと。
最後まで読んでいただきありがとうございます。次話ではいよいよ廃墟に……?