廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい   作:糸守ものち

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二十八話目です。ミネルバが珍しく感情的になります。


一章 第二十八話「ミネルバ、怒る」

 

 

【ネル視点】

 

 ミネルバが帰ってきた。

 

 いつも通りの豪快な足音。依頼から戻ってきた顔だ。斧を肩に担いで、廃墟の入り口から入ってくる。

 

「ただいま。今日の依頼は終わった」

 

 ボクは頷いた。

 

 そして……昼間のことを伝えるべきか、少し迷った。

 

――(ザガンが来て、結晶をもらった。また来ると言っていた)

 

 言わないわけにはいかない。ミネルバには話す必要がある。

 

 ボクはゆっくりと、昼間のことを身振りで伝え始めた。ザガンが来て、穏やかな対応で結晶をくれたこと。また来ると言っていたこと。

 

 ミネルバの表情が、少しずつ変わっていった。

 

「……黒いローブ」

 

 頷く。

 

「穏やかだった?」

 

 頷く。

 

「結晶を……くれた」

 

 頷く。

 

「また来ると」

 

 頷く。

 

 ミネルバが静かになった。

 

 しばらくの沈黙。

 

「……それ、ザガンじゃないか?」

 

 頷く。

 

「……名乗ったのか?」

 

 頷く。

 

「知ってて……受け取ったのか?」

 

 頷く。

 

 ミネルバがため息をついた。深い、深いため息だった。それから静かに斧を床に置いた。

 

「……ネル」

 

 ボクを見る目が、いつもと違った。

 

「俺はあいつを警戒しろと言ったはずだ」

 

――(……うん)

 

「あいつは本気だと言っただろう? 直接動くつもりだとも言ったはずだ……」

 

――(……うん)

 

「それを聞いていて……なぜ受け取った」

 

 ボクは何も言えなかった。言える声がないのは関係なく、答えが出なかった。

 

 結晶が欲しかった。一度だけなら大丈夫だと思った。でもそれは言い訳だ。

 

 ミネルバがしばらくボクを見ていた。

 

 それから、大きく息を吐いた。

 

「……怒っているわけじゃない」

 

――(え?)

 

「いや、怒ってる。怒ってるが……お前を責めたいわけじゃない」

 

 ミネルバが廃墟の壁に背をもたせかけた。

 

「俺の説明が足りなかったんだ。『警戒しろ』だけじゃ足りなかった。ザガンがどれだけ危険な奴かを、もっとちゃんと伝えるべきだった」

 

――(ミネルバ……)

 

「次にあいつが来たら……すぐ俺に知らせろ。いいな」

 

 頷く。

 

「話しかけられても……できる限り無視しろ。難しければアウラで追い払え」

 

 頷く。

 

「結晶は……使うな。捨てろとは言わないが、使うな。あいつが何かを仕込んでいる可能性がある」

 

――(そんな……)

 

 ボクは手の中にある黒紫色の結晶を見た。

 

 欲しかった。ずっと欲しかった。でも……ミネルバの言葉が、重くのしかかった。

 

「……ネル」ミネルバが静かに言った。「お前は騙されやすい。それはお前の優しさだと思う。でも今は……それが危ない」

 

――(……わかってる)

 

「俺がついてる。クロウもいる。一人で判断しなくていい」

 

 その言葉が、胸の奥に染みた。

 

 アウラが静かにボクの隣に立った。白い瞳がこちらを向いている。

 

――(ありがとう、ミネルバ)

 

 ミネルバが斧を拾い直した。いつもの顔に戻っていた。

 

「……飯でも食うか。今日は疲れた」

 

――(……うん)

 

 ミネルバが廃墟の奥へ向かう前に、ボクは手の中の黒紫色の結晶を見た。

 

 それから静かに立ち上がって、廃墟の奥へ向かった。素体の近く……見えにくい場所に、そっと置いた。

 

 使わない。ミネルバの言う通りだ。

 

――(……いつか、安全だと分かったら)

 

 廃墟の外で、夕暮れの風が木々を揺らしていた。

 

 平穏を望む道化師の人形は、自分の甘さを、静かに噛み締めていた。

 




最後まで読んでいただきありがとうございます。
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