廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい 作:糸守ものち
【セレシア視点】
牢屋は静かだった。
セレシア・ヴァルドレインは、鉄格子の前に立ってザガンを見た。松明の光が揺れている。側近二人が少し離れた場所に控えており、レイニーは扉の前で腕を組んでいる。
ザガンは牢屋の奥に静かに座っていた。乱れた様子は一切無く、目の下の隈だけが……いつもと同じだ。
――(落ち着きすぎている)
それがセレシアの第一印象だった。
禁忌の研究が露見し、牢屋に入れられた。普通の人間ならば、取り乱すか、懇願するか、あるいは怒りを見せるかのどれかだ。でも目の前の男は、まるで客間でお茶でも飲んでいるかのように静かだった。
「ザガン」
「……女王陛下」ザガンが静かに頭を下げた。「昨夜は大変失礼をいたしました。このような場所でのご挨拶、誠に申し訳なく」
丁寧だ。恐ろしいほど丁寧だ。
「単刀直入に聞きます。不老不死の研究——事実ですか?」
「……事実です」
セレシアは少し驚いた。否定すると思っていた。
「ふむ……正直に答えましたね」
「隠す理由がありません」ザガンが穏やかに言った。「ただ……誤解がありましてございます、女王陛下」
「誤解?」
「資料にあった人体実験の記録……あれは理論上の試算です。実際に行ったものではございません。研究者として、可能性を紙の上で探っただけです」
――(……)
セレシアは黙って聞いた。
「不老不死の研究を行っていたこと、それは認めます。しかし……その動機を、どうかお聞きいただけますでしょうか」
「聞きましょう」
ザガンが静かに顔を上げた。その目が、真剣な光を帯びていた。
「……女王陛下を、お守りしたかったのです」
沈黙が流れた。
「この王国に、女王陛下ほどの方はいない。しかし人間には寿命がある。不老不死の力があれば……陛下を永遠にお守りできると、そう考えました。全ては王国のために」
――(……なるほど)
セレシアは内心で静かに考えた。
巧みだ。認めるべきことは認め、否定すべきことは「誤解」として処理し、動機を「忠誠」に変換する。完璧な弁明だ。
――(でも……信じられない)
証拠は資料だけだ。「理論上の試算」という反論は、完全には否定できない。「証拠がある」というのも、資料の解釈次第で揺らぐ。
セレシアは視線をレイニーに向けた。レイニーが目を細めて、わずかに首を横に振った。「信じるな」という意味だ。
――(わかっていますよ、レイニー)
「ザガン」セレシアが静かに言った。「あなたの言葉を、今すぐ信じるわけにはいきません。それはわかりますね?」
「……それは当然のことです」
「一つだけ聞かせてください。資料には『候補の確認は完了。接触を開始する』とも書かれていました。これも理論上の試算ですか?」
ザガンが静かに頷いた。
「……候補となる対象の存在を、文献上で確認したという意味です。実際に接触するつもりはありませんでした」
――(……巧みですね)
セレシアは静かに目を閉じた。どこまでが真実で、どこからが嘘なのか。この男の言葉からは判別できない。
「ただ……証拠が不十分なまま、魔法師団長を長期拘束することも難しい。団の運営に支障が出ますからね」
「……」
「条件付きで釈放します。ただし——」セレシアの目が、鋭くなった。「次に怪しい動きがあれば、今度は容赦しない。これもわかりますね?」
「……はい。女王陛下のご慈悲に、感謝申し上げます」
ザガンが深く頭を下げた。
――(頭を下げながら……この男は何を考えているのでしょうね……)
セレシアにはわからなかった。それが、不気味だった。
* * *
牢屋を出て廊下を歩きながら、セレシアはレイニーの足音が後ろから近づいてくるのを聞いた。
「……陛下」
「わかっています」セレシアが静かに言った。「あの男を信じていませんよ」
「では、なぜ」
「確信に足る証拠が足りない。それだけです」セレシアが立ち止まった。「レイニー。ザガンの動きを引き続き監視しなさい。何かあればすぐに報告を」
「……はい」レイニーが頷いた。でもその表情は、納得していなかった。
「あの男は……必ず動きます」セレシアが静かに言った。「その瞬間を、逃さないように」
廊下の窓から、朝の光が差し込んでいた。
女王は静かに歩き出した。
――(ザガン……あなたが何か企んでいるのは、私にはわかっています)
――(ただ……あの問答の中で証拠が減ってしまった。レイニーには悪いことをしてしまいましたね……)
平穏な王都の朝。
でも女王は知っていた。この静けさが、長くは続かないことを。
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