廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい 作:糸守ものち
【ネル視点】
今日は穏やかな日だった。
ロイドが廃墟に来た。いつものように泥だらけで、いつものように元気に走り込んできて、いつものようにアウラに話しかけようとして、いつものようにアウラに「……はあ」とため息をつかれていた。
「ネル! 今日ね、村の近くで変な花見つけたんだ!」
ロイドが差し出したのは、小さな紫色の花だった。六枚の花弁が結晶のように整然と並んでいて、不思議な形をしている。
――(これは……珍しい。この辺りには生えていないはずだけど……)
「きれいでしょ? ネルに似てるなって思って」
――(……どう似ているんだ?)
でも、悪い気はしなかった。ボクはゆっくりと頷いた。
「やった! じゃあこれネルにあげる!」
ロイドが花をボクの前に置いた。アウラがそっと拾い上げて、窓際の花瓶に挿した。
廃墟の窓から、午後の光が差し込んでいる。風が通り抜けて、蔦がわずかに揺れた。
――(平和だ……)
ミネルバは今日も依頼に出ている。ウェイブはまだ来ていないし、クロウもいない。廃墟には、ボクとアウラとロイドだけだ。
ロイドがアウラの隣に座って、何やら喋り続けている。アウラは相槌を打つようにわずかに動いている。
――(アウラ……お前、本当に楽しそうだな)
そう思ってから、ボクは少し立ち止まった。
――(……楽しそう?)
意思のない人形が、楽しそうに見える。それは……ただの気のせいだろうか。
ボクはその問いに答えを出さないまま、廃墟の奥の方をちらりと見た。
暗がりの中に、素体がある。まだ完成していない。まだ魔力を込めていない。
――(もう少し……)
「ねえネル、ミネルバさんは今日いないの?」
ロイドが聞いた。頷く。
「そっかぁ……わかった!次はミネルバさんもいる日に来れたらいいな!」
――(仲良くなったな……)
ロイドが立ち上がった。アウラが窓際まで送りに行く。
「またね、ネル!アウラ!」
元気な声が廃墟に響いて、遠ざかっていった。
静けさが戻ってきた。
アウラが窓から外を見ている。その横顔が、いつもより少し……温かく見えた気がした。
――(この時間が……ずっと続けばいいのに)
廃墟の外で、夕暮れの風が木々を揺らしていた。
* * *
【ザガン視点・王都】
三日が経った。
ザガンは執務室の窓から夜の王都を見下ろした。見張りの騎士たちが通りを歩いている。魔法師団の団員が巡回している。
全員に、仕込みは終わっている。
――(くひひ……準備は、整いました)
あとは引き金を引くだけだ。
ザガンは机の上の命令書を手に取った。廃墟への奇襲。精鋭の魔法師団員二十人。そして……雷の支配の一斉発動。
全てが、同時に動く。
「……女王陛下」ザガンが静かに呟いた。「あなたのどんな行動も……もう間に合いませんよ……」
笑いが今夜は止まらなかった。
ザガンは羽根ペンを手に取り、最後の命令書に日付を書いた。
羽根ペンを置き、命令書を丁寧に折って封筒に入れ慎重に封をした。
明日の朝、これが部下に届く。
明日だ。
* * *
【ネル視点・夜】
夜になった。
ミネルバが帰ってきた。今日の依頼は順調だったらしく、いつもより機嫌がいい。
「今日もロイドは元気だったか?」
頷く。
「そうか」ミネルバが腕を組んだ。「……最近、ザガンの動きが静かすぎる。それが少し気になっている」
――(ミネルバも感じていたか……)
「釈放されてから何も問題が起きてない。女王も特に何かをしたわけでは無さそうだ……だが……」
ミネルバが少し目を細めた。
「静かなときほど、警戒が必要だ」
ボクは頷いた。
アウラが窓の外を見ていた。夜の森は暗い。何も聞こえない。何も見えない。
――(何もない……でも)
なんとなく、胸の中に小さなざわめきがあった。
理由はわからない。ただ……何かが、近づいている気がした。
――(気のせい……だといいのだけれど)
廃墟の外で、夜風が木々を揺らした。
平穏を望む道化師の人形は、まだ知らない。
明日、全てが動き始めることを。
最後まで読んでいただきありがとうございます。