廃墟に潜む道化師人形は、ひっそり静かに暮らしたい   作:糸守ものち

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三十七話目です。ついに戦闘が始まってしまいました!?


一章 第三十七話「冒険者の流儀」

 

【ウェイブ視点】

 

 ザガンが静かに右手を振り下ろした。

 

 その瞬間、黒ローブの魔法師団員たちが一斉に動いた。

 

 詠唱の声がいくつも重なる。空気がぴりぴりと震えた……膨れ上がる魔力の気配に、ウェイブの背筋が凍りついた。

 

――(来る……!)

 

 正面の団員が踏み込んできた! 掌の上に黄色い火球が膨らんでいる……

 

「ひっ……!」

 

 情けない声が漏れた。剣を構えるのが精一杯だった。火球が放たれる。とっさに体をひねった――熱が頬をかすめ、背後の地面が爆ぜて土煙が舞った。

 

――(あ、危なかった……ほんとに死ぬかと思った……!)

 

 腰が抜けそうになる。それでも足だけは、かろうじて廃墟の入り口に踏みとどまっていた。

 

 その横を。

 

 赤い影が……恐ろしい速度で駆け抜けた。

 

「邪魔だ」

 

 ミネルバだった。

 

 大斧が、唸りを上げて振り抜かれる。火球を放った団員が二人まとめて宙を舞った……受け身も取れずに地面へ叩きつけられる。たった一振り。たった一振りで、だ。

 

「【烈斧】」

 

 低い声が、廃墟の前に響いた。

 

――(……つ、強……)

 

 ウェイブは、思わず息を呑んだ。

 

 知っていた、つもりだった。ミネルバが強いことなど、とっくに。でも、それを「言葉」で知っているのと、目の前で「見る」のとは、まるで違った。

 

 大柄な体が、信じられない速さで地を蹴る。斧が振られるたびに、団員が吹き飛ぶ。並みの騎士より強いはずの魔法師団員が、彼女の前ではまるで案山子のようだった。

 

――(俺は……何を、勘違いしてたんだ……)

 

 自分が「Bランクぐらいはある」と思っていたことが、今は、ただ恥ずかしかった。

 

 

   *   *   *

 

 

【ザガン視点】

 

 ザガンは動かなかった。

 

 部下が吹き飛ばされていくのを、穏やかな顔で眺めている。慌てる様子も、苛立つ様子もない。ただ……観察している。研究者が、実験の経過を見るように。

 

――(一人で、よく支えるものですね。さすがはBランク上位、といったところでしょうか)

 

 けれど、ザガンは焦らない。

 

――(ですが……数は、二十。彼女は、一人。崩れるのは時間の問題です)

 

 その視線が、ふと、廃墟の入り口へと向いた。

 

 剣を構えたまま、震えている若い騎士。戦力には、数えていない。あんな男一人、戦況に何の意味も持たない。

 

 ザガンの興味は、ただ一点だけだった。

 

――(なぜ、逃げないのでしょうね)

 

 実力差は、本人が誰より理解しているはずだ。ここに残ったところで、何もできず、ただ死ぬだけ。それなのに――あの男は、退かない。

 

「……逃げても、構わないのですよ」

 

 ザガンは、穏やかに声をかけた。戦場には不釣り合いなほど、優しい声で。

 

「あなた一人がここで朽ちたところで、誰も責めはしません。さあ……今のうちに」

 

 逃げ道を、そっと差し出した。

 

 

   *   *   *

 

 

【ウェイブ視点】

 

――(逃げて、いい……?)

 

 その言葉が、甘く耳に絡みついた。

 

 逃げていい。誰も責めない。当然だ。俺はDランク……いや、それ以下かもしれない。ここにいたって、何の役にも立たない。ミネルバの戦いを見ただろう。あれが「本物」だ。俺なんて、いてもいなくても同じだ。

 

 足が、半歩、後ろに下がりかけた。

 

――(……いや)

 

 廃墟の奥に、ネルがいる。

 

 震える剣の柄を、握り直した。

 

「……断る」

 

 声が、掠れた。それでも、言い切った。

 

「ふぅん……俺はさ、逃げ足だけは速いんだよ。逃げようと思えば、いつだって逃げられる。……でも、今は逃げない。それだけだ」

 

 嘘だ。逃げ足が速いなんて、真っ赤な嘘だ。本当は、足が竦んで、一歩も動けないだけだ。

 

 でも――退かない理由だけは、嘘じゃなかった。

 

 ザガンが、目を細めた。

 

「……ほう」

 

 それきり、何も言わなかった。

 

 ただ、じっと、ウェイブを見ている。

 

 値踏みするように。観察するように。

 

 

   *   *   *

 

 

【ネル視点】

 

 廃墟の奥で、ボクはアウラの視界を通して、すべてを見ていた。

 

 ウェイブが、震えながら立っている。

 

 逃げ道を差し出されて、それでも、断った。腰が引けて、剣先がぶれて、いつものくっさいナルシストの面影なんて、どこにもない。ただ怖がっている、一人の人間がそこにいた。

 

 それでも、逃げなかった。

 

――(……ウェイブ)

 

――(バカだ。本当に、バカだ。逃げていいって、言われたのに)

 

――(勝てないって、自分が一番わかってるくせに)

 

 ボクは、これまでウェイブのことを「迷惑な勘違い騎士」だと思っていた。手柄目当てで近づいてきて、勝手に勘違いして、ふぅんふぅんと格好をつける、ただのナルシスト。

 

 でも。

 

――(……でも)

 

 ボクの中で、その認識が、静かに揺れた。

 

 ボクは廃墟の奥の素体に視線を戻した。黒髪の、刀を腰に差した人形。まだ目を閉じている。まだ、魔力が満ちていない。

 

――(あと少し……あと、少しなのに……!)

 

 指先から紫の糸を伸ばし、素体の核へと魔力を注ぎ込む。けれど、焦れば焦るほど、糸はうまく流れてくれない。

 

――(間に合って……お願いだから、間に合って……!)

 

 アウラが、そっとボクの傍らに寄り添った。

 

 白い瞳が……ボクと、外の戦いを交互に見ている。

 

――(……心配、してるのか?)

 

 そう思いかけて、ボクはまた、その問いを呑み込んだ。

 

 今はそれどころじゃない。

 

 

   *   *   *

 

 

【ミネルバ視点】

 

 斧を振るいながら、俺は奥のことを考えていた。

 

 あの臆病で、お人好しで、放っておけない道化師の人形。ネル。あいつは今、必死で何かを作っている。なら、俺がやることは一つだ。

 

――(あの人形に……ネルに指一本触れさせるかよ!)

 

「【炎纏い】」

 

 斧の刃が、轟と炎を纏う。橙の炎が、薄暗い森を赤く照らした。

 

 立ち塞がる団員たちが、ぎょっと足を止める。その隙に、斧を横薙ぎに振り抜いた。

 

「【回転斬】ッ!」

 

 炎を纏った刃が、円を描いて薙ぎ払う。三人、四人――まとめて吹き飛んだ。悲鳴と、焦げた匂い。前衛が一気に崩れた。

 

 時間を稼ぐ、なんて生ぬるいことじゃない。ここで、全部叩き潰す。

 

 それが、俺の流儀だ。

 

 だが――

 

 崩したそばから、後ろの列が前に出てくる。倒しても、倒しても、湧いてくる。二十人。数の壁は、思ったよりも厚い。

 

 一人を倒す間に、二人が脇をすり抜けようとする。それを潰しに動けば、また別の方向が空く。

 

――(……多いな、さすがに)

 

 額に、汗が滲んだ。

 

 その視界の端で――あの騎士が、まだ立っていた。

 

 団員に追い詰められ、剣でかろうじて受け、よろけ、それでも入り口の前から動かない。一歩も。

 

――(……あいつ、まだ逃げてねえのか)

 

 正直、驚いた。とっくに逃げ出していると思っていた。役に立ってはいない。立ってはいないが――あの場所を塞ぎ続けているせいで、団員の何人かが、あいつに気を取られている。

 

 その分だけ、俺の背中が軽い。

 

――(……上等だ。なら、こっちも遠慮はいらねえ)

 

 俺は斧を握り直した。

 

 

   *   *   *

 

 

【ザガン視点】

 

 ザガンは、その一部始終を静かに見ていた。

 

 赤髪の冒険者が、たった一人で戦線を支えている。震える騎士が何度倒れかけても……入り口を離れない。

 

 何度も、何度も。

 

 やがてザガンは、小さく息を吐いた。長い実験の結果を、書き留めるように。

 

「……なるほど。勇気は――本物のようですね」

 

 穏やかな声が、誰に届くでもなく……戦場に溶けた。

 

 そして、ザガンは杖を持ち上げた。

 

 赤い宝石が鈍い光を帯び始める。

 

 その気配を察したのだろう。斧を振るうミネルバの視線が、鋭くこちらを向いた。「動かなかった男」が、ついに動こうとしている――そう見抜いた、鋭い目だった。

 

――(ええ。よく気づきました、ミネルバ殿)

 

 ザガンは、穏やかに微笑んだ。

 

――(ですが……その数の壁を抜けて、私のところまで辿り着けますか?)

 

――(あの奥に、私の探し物がある。不老不死の、最後の鍵が。……手間を、かけさせないでくださいね。くひひ)

 

 杖の先で、雷光がぱちりと爆ぜた。

 

 平穏を望む道化師の人形は………廃墟の奥で、ただ必死に糸を紡いでいる。

 

 ザガンは知らない。

 

 その糸が今、形づくろうとしているものが――やがて己を討つことになる、一体の人形だということを。

 

 その完成と、ザガンの一撃。

 

 ……どちらが先か……?

 

 王都の朝に轟いた静かな雷鳴が――今、廃墟の森にも、忍び寄ろうとしていた。

 




最後まで読んでいただきありがとうございます。廃墟はどうなってしまうんでしょうね?
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